第一問
第1問 歴史書の歴史について生徒と先生が交わした会話を読み、下の問い(問1~6)に答えよ。
新子:今度、日本の歴史書の歴史について、グループ発表をすることになったんです。教えてくれませんか?
先生:うーん、歴史書の歴史か。面白いテーマだね。この間の授業でも話したと思うけど、もともと日本には固有の文字は存在しなかったんだ。
(1)江戸時代ごろには「日本にも固有の文字があったんだ」なんて説を唱える人たちもいたけど、現在では認められていないね。
だから、日本で歴史書が編纂されるのは日本と大陸との間に交流が持たれるようになってから後の話ということになる。
速太:日本で一番古い歴史書は何なんですか?
先生:記録に残っているもので一番古いのは、(2)620年に聖徳太子らが編集した「天皇記」と「国記」じゃないかな。
もっとも、大部分は焼失しているけどね。現存している日本最古の歴史書は、[ア]が筆録した『[イ]』だね。
新子:[イ]の次に成立した歴史書から、いわゆる(3)六国史がはじまっていますね。
先生:そうだね。これ以降、官民でさまざまな種類の歴史書が編纂されていくことになるんだ。
速太:僕たちが勉強しているような歴史の教科書というのは、いつ頃から作られているんですか?
先生:(4)日本に近代的学校制度が創設されたのは1872年のことだ。
その後、一時期は検定教科書制度も行われたけど、贈収賄事件が起こったことで国定教科書制度に切り替わっている。
明治から昭和初期にかけての国定の歴史教科書は神話も含めて記述されているから、現代の子が見るとだいぶ戸惑うかもしれないね。
もっとも、(5)一番最後の小学校用国定教科書になった「くにのあゆみ」は、神話を除いた科学的態度で書かれているよ。
問一 (1)の中で、「古史正文」や「霊能真柱」を著し、佐藤信淵らを門人とした国学者として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
①荷田春満 ②賀茂真淵 ③本居宣長 ④平田篤胤
問二 (2)の編集に携わった蘇我氏の人物について述べた文として適切なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
①この人物は物部守屋を倒し、報恩のため四天王寺を建立した。
②この人物は日本最初の女帝を擁立し、大臣として仕えた。
③この人物が創建した寺の建築には、新羅からの技術者が参加している。
④この人物は仏教伝来に際し、崇仏派として論争を行った。
問三 空欄[ア][イ]に入る語の組み合わせとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
①ア-太安万侶 イ-古事記 ②ア-稗田阿礼 イ-古事記
③ア-太安万侶 イ-日本書紀 ④ア-稗田阿礼 イ-日本書紀
問四 (3)に関連して、六国史に含まれている歴史書Ⅰ~Ⅲを成立した順に正しく配列したものを次の①~⑥のうちから一つ選べ。
Ⅰ 続日本紀 Ⅱ 日本後紀 Ⅲ 日本文徳天皇実録
①Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ②Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ ③Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ ⑤Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ
問五 (4)に関連して、この近代的学校制度を定めた法令の発布に尽力した初代文部卿は誰か。次の①~④のうちから一つ選べ。
①森有礼 ②大木喬任 ③中村正直 ④津田真道
問六 (5)に関連して、この「くにのあゆみ」が小学校で使用されたのは何年からか。次の①~④のうちから一つ選べ。
①1944年 ②1945年 ③1946年 ④1947年
第二問
原始・古代
第三問
中世
第四問
第4問 近世の政治・経済に関する次の文章A・Bを読み、下の問い(問1~6)に答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)
A 1716年に将軍の座に就いた徳川吉宗は、先代の将軍がきわめて若年で病死したために、御三家出身では初の養子として徳川宗家を相続し、2代前の将軍時代に行われた(a)正徳の治を改める幕政改革を実施した。彼が行った、基本法令や旧来の判例に基づいた刑事法令を収録した[ア]の制定や、市民の意見を取り入れることを目的とする目安箱の設置などの改革は、[イ]と呼ばれ、(b)江戸時代の三大改革の中でももっとも成功した改革であると言われている。
彼は破綻しかけていた財政を復興したことから江戸幕府中興の祖と呼ばれ、この時代を代表する名君とされた。
問1 空欄[ア][イ]に入る語句の組み合わせとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
①ア-武家諸法度 イ-享保の改革
②ア-武家諸法度 イ-寛政の改革
③ア-公事方御定書 イ-享保の改革
④ア-公事方御定書 イ-寛政の改革
問2 下線部(a)に関連して、この時代に行われた政策に関して述べた次の文X~Zについて、その正誤の組み合わせとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。
X それまで流通していたものよりも金銀の含有率が劣った貨幣を発行した。
Y 対朝鮮外交において、朝鮮側の国書の宛名を「日本国王」から「日本国大君」に改めさせた。
Z 長崎に来航するオランダ船を年間2隻に限定し、オランダとの年間の貿易額を3000貫に制限した。
①X-正 Y-正 Z-誤 ②X-正 Y-誤 Z-誤
③X-誤 Y-正 Z-正 ④X-誤 Y-誤 Z-正
問3 下線部(b)に関連して述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
①松平定信は、飢饉に備えるために各地に社倉・義倉を築かせた。
②松平定信は、江戸の小石川に人足寄場を設置した。
③水野忠邦は、外国船に対する打払令を発令した。
④水野忠邦は、大名や旗本の反対を押し切って上知令を実施した。
第五問
第5問 江戸幕府末期に活躍した坂本龍馬に関する次の文章を読み、下の問い(問1~4)に答えよ。
1835年、[ア]藩郷士の子として生まれた坂本龍馬は、江戸遊学や[ア]勤王党加盟を経て、1862年に脱藩した。
その後、勝海舟の紹介で西郷隆盛と面会し、(1)薩長同盟成立の仲介役を務めた。
航海と通商の知識と薩長との深い関係性をかわれた龍馬は、1867年に脱藩の罪を許された。
龍馬が結成した私設(2)海軍・貿易会社「亀山社中」は藩の付属機関とされ、「[イ]」に改称した。
後藤象二郎と共に策定したと言われる船中八策には、(3)議会開設や不平等条約の改正、(4)通貨政策などが書かれており、後に(5)明治維新政府が基本方針とした政策の骨子がまとめられている。
大政奉還が行われた1867年、京都の近江屋で中岡慎太郎と共に暗殺された。
問1 空欄[ア][イ]に入る語句の組み合わせとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
①ア-水戸 イ-海援隊 ② ア-水戸 イ-御親兵
③ア-土佐 イ-海援隊 ④ ア-土佐 イ-御親兵
問2 下線部(1)に関連して、両藩の代表の明治維新後の行動に関して述べた次の文X・Yについて、
その正誤の組み合わせとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。
X 薩摩藩代表であった西郷隆盛は、留守政府において、大久保利通らと共に征韓論を唱えた。
Y 長州藩代表であった桂小五郎(木戸孝允)は、岩倉使節団の一員として伊藤博文らと共に欧米諸国を視察した。
①X-正 Y-正 ②X-正 Y-誤 ③X-誤 Y-正 ④X-誤 Y-誤
問3 下線部(2)に関連して、明治時代に起きた出来事について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
①明治政府の初期に設けられた組織である兵部省は、後に陸軍省、海軍省、空軍省に分離した。
②徴兵告諭の出された翌年、国民皆兵を原則とする徴兵令が公布された。
③徴兵令によって、満18歳に達した男子から選抜して5年間の兵役を課す兵制が確立された。
④軍人になれば出世の道が開けることから人々は競って軍に入りたがり、徴兵検査を突破するための手引書も出版された。
問4 下線部(3)に関連して、明治時代に起きた出来事について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
①板垣退助は、土佐で立志社をおこし、これを中心として大坂に愛国社を結成し、その代表として民選議院設立の建白書を左院に提出した。
②国会開設の勅諭が出された後、大隈重信を党首として、イギリス流の急進的な自由主義の主張を持つ立憲改進党が結成された。
③井上馨は、不平等条約改正交渉の促進のために鹿鳴館建設などの欧化政策をとったが、大津事件の責任を取って外相を辞任した。
④第二次伊藤博文内閣外相の陸奥宗光は、領事裁判権の撤廃や相互対等の最恵国待遇などを認める日英通商航海条約の調印に成功した。
問5 下線部(4)に関連して、明治政府の通貨政策に関して述べた次の文a~dについて、正しいものの組み合わせを、下の①~④のうちから一つ選べ。
a 貨幣の偽造を防止するために、大坂に造幣寮を置き、国立銀行条例を定めた。
b 貨幣の偽造を防止するために、大坂に造幣寮を置き、新貨条例を定めた。
c 維新直後に発行した紙幣と引き換えて統一する為に、新たに不換政府紙幣を発行した。
d 維新直後に発行した紙幣と引き換えて統一する為に、新たに兌換政府紙幣を発行した。
①a・c ②a・d ③b・c ④b・d
問6 下線部(5)に関連して、明治政府の初期の体制について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
①1868年に制定された政体書によって、国家権力は太政官に集められるとされた。
②1869年の版籍奉還の際に、太政官は神祇官の上位に置かれるとされた。
③1871年の廃藩置県の後、太政官は太政院・左院・右院の三院制に改められた。
④初期の明治政府においては、少数の公家や薩長土肥出身の人物が多く各省の実権を握り、超然政府と呼ばれた。
第六問
第6問 昭和前期の主要な政治家の一人である松岡洋右に関する次の文章A~Cを読み、下の問い(問1~8)に答えよ。
(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)
A 1880年、山口県熊毛郡室積村(のちの光市室積)で生まれた松岡は、米国留学後外務省に入省し、領事官補として上海や関東都督府などに赴任して、(a)南満州鉄道の初代総裁であった[ア]や三井物産の山本条太郎の知遇を得た。外務省退官後は満鉄に勤務し、1927年には副総裁となったが30年に退職。第17回衆議院議員総選挙に立候補し、当選を果たした。議会では対米英協調の重視と中国内政への不干渉を外交方針とする[イ]を激しく批判し、国民から喝采を浴びた。満州事変の後には国際連盟総会に日本首席全権として出席し、日本の国連脱退を演出した。その後議員を辞職して満鉄の総裁となるが、第2次(b)近衛内閣で外務大臣に就任した。
問1 空欄[ア][イ]に入る語句の組み合わせとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
①ア-野村龍太郎 イ-幣原喜重郎
②ア-野村龍太郎 イ-若槻礼次郎
③ア-後藤新平 イ-幣原喜重郎
④ア-後藤新平 イ-若槻礼次郎
問2 下線部(a)に関連して、中国大陸で起こった鉄道関連の事件に関して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組み合わせとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。
X 北京から汽車で奉天に引き上げてきた張作霖が、奉天郊外で関東軍により謀殺された。
Y 南満州鉄道の線路が、奉天郊外柳条湖で中国国民党軍に爆破された。
①X-正 Y-正 ②X-正 Y-誤 ③X-誤 Y-正 ④X-誤 Y-誤
問3 下線部(b)に関連して、近衛文麿が第一次内閣において発した声明の内容について述べた文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから順に正しく配列したものを、下の①~⑥のうちから一つ選べ。
Ⅰ 戦争目的を「東亜新秩序の建設」にあると示したもので、「国民政府といえども新秩序の建設に来たり参ずるにおいては、あえてこれを拒否するものに非ず」と述べた。
Ⅱ 日本軍の南京占領をきっかけに出されたもので、「国民政府を対手とせず」という言葉により日本政府の強硬姿勢を示した。
Ⅲ 対中国和平の基本方針として善隣友好・共同防共・経済提携の三項目を示したもので、近衛三原則とも呼ばれる。
①Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ②Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ ③Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ ⑤Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ
B 1930年代から、日本と米国との関係は緊張してくる。次の史料は、1941年、当時の在米国大使であった野村吉三郎が外務大臣であった松岡に対して報告してきた文章の一部である。
三 日華事変(注1)ニ対スル両国政府ノ関係
米国大統領ガ左記条件(注2)ヲ容認シ且日本国政府ガ之ヲ保障シタルトキハ米国大統領ハ之ニ依リ蒋政権ニ対シ和平ノ勧告ヲ成スベシ
A、中国ノ独立
B、日華間ニ成立スベキ協定ニ基ク(c)日本国軍隊ノ中国領土撤退
C、中国領土ノ非併合
D、非賠償
E、門戸開放方針ノ復活但シ之ガ解釈及適用ニ関シテハ将来適当ノ時期ニ日米両国間ニ於テ協議セラルベキモノトス
F、蒋政権ト汪政府トノ合流
G、中国領土ヘノ日本ノ大量的又ハ集団的移民ノ自制
H、(d)満州国ノ承認
(外務省監修「新生日本の外交百年史」)
(注1)「日華事変」=日中戦争
(注2)「左記条件」=下のA~Hの条件のこと。本文は縦書きに書かれていた
問4 下線部(c)に関連して、日本軍の中国大陸での行動に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の①~④のうちから一つ選べ。
Ⅰ 第二次山東出兵中、省都の済南において北伐途上の国民革命軍と日本軍が衝突した。
Ⅱ 北京郊外の盧溝橋付近で、駐屯日本軍部隊と中国国民党軍が衝突した。
Ⅲ 日本人僧侶の殺害をきっかけに日中両軍が上海で衝突し、日本は海軍陸戦隊や陸軍部隊を増援として送った。
①Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ②Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ ③Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ ④Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ
問5 下線部(d)に関連して、満州国に関して述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
①満州国は1932年、清朝最後の皇帝であった溥儀を皇帝とする帝政国家として建国を宣言した。
②国際連盟総会でのリットン報告に先立ち、斉藤実内閣は満州国を承認して日満議定書を締結した。
③1933年に締結された塘沽停戦協定によって、国民政府は満州国の存在を事実上黙認した。
④1939年、満州国とモンゴルの国境をめぐってハルハ河とその周辺の草原で紛争事件が起こった。
C 松岡は自身が締結した日ソ中立条約を破棄して対ソ宣戦することを主張し、また後に米国の対日禁輸政策の原因となる[ウ]への進駐にも閣内で唯一反対した。そのため第二次近衛内閣は総辞職し、松岡は外相を離任させられた。その後日米開戦の方針を知ると「三国同盟は僕一生の不覚であった」「なんともお詫びの仕様がない」と無念の思いを周囲に語ったが、開戦後は一転して多大な戦果に「欣喜雀躍」したと(e)徳富蘇峰へ送った書簡に記している。1945年には友人である(f)吉田茂から和平交渉のためモスクワ訪問を依頼されたが、ソ連側が拒否したため幻に終わった。敗戦後はA級戦犯容疑者として逮捕されたが、以前から感染していた結核が悪化したために、連合国が日本の指導者などを戦争犯罪人として裁いた[エ]の公判法廷には一度のみ出席し、1946年に66歳で死去した。
問6 空欄[ウ][エ]に入る語句の組み合わせとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
①ア-北部仏印 イ-東京国際軍事裁判 ②ア-北部仏印 イ-極東国際軍事裁判
③ア-南部仏印 イ-東京国際軍事裁判 ④ア-南部仏印 イ-極東国際軍事裁判
問7 下線部(e)の人物について述べた文X・Yについて、その正誤の組み合わせとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。
X 民友社を創立し、機関紙「日本人」を発行した。
Y 平民主義を主唱したが、日清戦争を機に国権主義に転じた。
①X-正 Y-正 ②X-正 Y-誤 ③X-誤 Y-正 ④X-誤 Y-誤
問8 下線部(f)の人物に関連して述べた文として正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。
①吉田は公職追放となった鳩山一郎にかわって、日本自由党の単独政権である第一次吉田内閣を組織した。
②GHQは第二次吉田内閣に対し、経済安定九原則の実行を指令した。
③吉田は1951年のサンフランシスコ講和会議に首席全権として出席し、全ての交戦国との講和を実現した。
④1954年に自由党の反吉田派が離党し、鳩山を総裁とする自由民主党を結成した。
最終更新:2011年02月23日 15:16