唯ちゃんは頷き、昔話を始める。
例えば、唯ちゃんの人気を気に入らない人がイヤガラセをしてきた時のこと。
落ち込んでる唯ちゃんを見かねたファンが、その犯人を退学まで追い込んだ話。
唯「もう大学生だし、イヤガラセといっても大きなものじゃなかったんだけどね」
でも会社とかでもイヤガラセくらいあるでしょ? イヤになっちゃったんだ、と唯ちゃんは言う。
まさにそうだ、というかそのエピソードのまんま、私も体験した。
社長令嬢だからと私の陰口を叩いていた社員は、いつの間にやらクビになっていた。
――それ以降イヤガラセは無くなったが、今度は唯ちゃんのマネをする人が出てきたらしい。
そんな人達も勿論ファンに叩かれて姿を消したらしいが、半分くらいは互いに足を引っ張り合って自滅したらしい。
……ここも、うちの会社の派閥のエピソードに似ている。
唯「どうして仲良く出来ないのか、私は悩んだ。どうしてだろうね?」
紬「……やっぱり、万人に好かれるなんて無理なのよ。私もそうだった」
唯「…嫌いなら嫌いでいいけど、イヤガラセとかする必要はないよねぇ?」
紬「そうよね……行動に移さず、心の中でだけ思ってればいいのにね」
唯「結局はさ、他人を攻撃したがる生き物なのかな、人間は。そういうものなのかな、『ひと』ってさ」
紬「一応、先に手を出したほうが悪いって言い分もあるけど」
あぁ、私は今、さっきの唯ちゃんみたいな笑顔をしているのだろうか。
肯定的な返事などまるで期待していない、底意地の悪い笑顔を。
唯「同じコトを言ってた子がいたよ。そして、相手が悪いからって嬉々として攻撃してた」
相手の行動を悪といいながら、同じ行動で返していた。相手が先にやったからといって、自分の行動全てを正当化していた。
やっぱり、そうなるよね。
唯「……このへんのこと、学校が違う和ちゃんには相談したんだ」
私達には心配をかけたくなかったらしい。唯ちゃんらしいというか、何と言うか。
紬「そしたら?」
唯「大なり小なりそんなことはあるんだから慣れておけって。社会なんてそういうものだ、ってさ」
紬「…立派ねぇ」
唯「和ちゃんに言われてから、私は周囲をもっとよく観察することにした。和ちゃんの言うとおり、大なり小なり溢れてたよ、そういうコトが」
紬「っ……」
やっぱり、私と同じ悩みを抱えていた。きっと今も、同じような表情をしている――と思ったが、きっと私のほうが辛そうな顔だ。
唯ちゃんは無表情だった。もう、全てを受け入れた唯ちゃんにとってはただの昔話なのだろう。
唯「陰口が一番多かったね。気に入らない同級生、気に入らない教員、気に入らない政治家。攻撃する対象もいろいろだった」
私の会社でも、上司に対する愚痴は絶えない。もちろん、恵まれた立場の私に対する愚痴も。
唯「上下関係の悩みも、みんな持ってたね。サークルの先輩の無茶振りとかに悩んでる子は沢山いた。飲み会のノリとかでもあるらしいね」
よく聞く話だ。ただ、私は立場的に誘われる事はなかったけれど、話を聞く限りでは唯ちゃんもあまり誘われはしなかったみたい。
唯「その子は翌年、同じ事を後輩にやってたけどね」
紬「……あらら」
唯「物を隠したりとか、マンガで見るようなイジメっぽいのはさすがに無かったよ。その時は少しホッとした」
紬「その時『は』?」
唯「うん。大人にもなるともっと取り返しのつかない、それでいて犯人はわからないような陰湿なやり方を選ぶって知っちゃったからね」
いいたいことはわかる。それくらいには大人は狡猾で、残酷なのだ。
唯「とりあえず、和ちゃんから習ったことは、大学であるようなことは社会に出てからも続く、ってこと」
紬「…そうね。大体、私の会社でも同じような事がある。っていうかきっと、どこでも大なり小なり存在する」
唯「…うん。私はね、ホントに悩んだんだよ。大学でもみんな仲良くできると思ってた、高校の私達みたいに。でも違った」
無表情だったはずの唯ちゃんは、苦しそうに、悲しそうに語り出す。
唯「仲良しだと思ってた人との距離がずっと遠い事に気づいた。見えていたと思っていた物が見えなくなった」
紬「唯ちゃん……」
唯「むしろ表面上は仲良く見える分、ずっと辛かった。みんな笑顔の裏で何を考えているのか想像するのが怖かった」
紬「…どこかで私の陰口を叩いてる人がいるんじゃないかって、怖かった」
唯「そんな考えを、社会人は甘えだって言うんだ。臆病すぎるって、逃げてるって言うんだ。逃げてる自覚はあるけどね」
紬「逃げ…なのかしら」
皆と仲良くしたい。唯ちゃんの根本にあった願いはそれなのに、今はただの逃げと称される。
友人として一言、異を唱えたかった。でも、それより先に唯ちゃんが肯定した。
唯「逃げだよ。でも、まだ諦めてない。この思いを、願いを諦めて就職しない限りは」
紬「ふふっ、ものは言いようね」
唯「まぁ、半分は冗談だとしても半分は本気。だから、私は最後にみんなに幸せかどうか聞いたんだよ」
みんな『幸せではない』と言っていた。幸せではないと断言しつつ、唯ちゃんのことを認めなかった。
やはり、私達とあの二人には、決定的な溝があった。
でも決して、あの二人が悪、というわけではない。二人は社会に適合した、ただそれだけなのだ。
そして唯ちゃんは、そんな社会に抗った。いや、社会のほうが唯ちゃんを拒否したのか。今となっては、どちらかもわからないけど。
唯「幸せじゃない、けど抗わない。つまり、それは流されてるだけの人生。私はそう思う」
昨日も今日も、過ぎ行く明日も、全てを雲に託し、流されるまま。そんな人生。
それの行き着く先は……ただの静かな滅び。いや、既に心は滅んで久しいのだろう。
唯「心の火も、既に凍み付いてる。そのくせ夢は諦めきれず、『自分は幸せじゃない、けどいつかは』って口だけは達者なんだよ」
紬「歪なものね。歪にゆがんだ結果が、他人への攻撃性なのかしら?」
唯「そうだね。自分が努力して這い上がるより、他人を引きずりおろすほうが楽で、気持ちいいから。りっちゃんや澪ちゃんみたいに、耐え忍ぶことだけで自己満足してればまだ平和なのにね」
紬「それでも、未来はないと思うわ」
唯「言うねぇ、ムギちゃん」
『やりたいこと』が出来なかった人に、未来は無い。今の私なら断言できる。
実際働いてみて、私も幸せなんてものとは程遠いと気づいたから。
そして、夢見る未来というものは、幸せでないといけないから。でないと、人は頑張れないから。
紬「唯ちゃんが同じ悩みを持っていた人だってわかったから、かな」
唯「ごめんね、気づいてあげられなかったばかりか、ムギちゃんを突き放すような事ばかり言っちゃって」
紬「……唯ちゃんからも、りっちゃんからも帰れって言われた時、本当はすごく怖かった。ひとりぼっちになったような気さえした。だから、澪ちゃんに帰らないと告げたの」
唯「…ごめんね」
紬「ううん、いいの。今なら唯ちゃんの気持ちもわかるから」
唯「もう一つ、そんな気持ちをわからせてしまった事にも、ごめんって言いたい。私はダメだったけど、ムギちゃんは耐えてたら、幸せな未来があったかもしれないのに」
紬「……ううん、そんなことない。私は一人じゃ生きていけないから、あのまま帰ってたらきっと――」
他人の汚さ、狡賢さ、狡猾さ。残虐にして残酷な本性に打ちのめされ。
その上、大切な友人にまで拒絶されたら。私は。
唯「……ムギちゃんも、案外弱い子だったんだね」
紬「唯ちゃんは強いの? 一人で生きていける?」
唯「…大学ではいろいろ信じられなくなって、一人ぼっちになったような気がして辞めちゃったけど、無職になってからは心配してくれるみんながいるのが何よりも嬉しかった」
紬「心配してくれる事が嬉しかったの?」
唯「そうじゃないよ。心配自体は要らない。心配してくれる人がいることが大事だった」
紬「じゃあ、やっぱり」
唯「うん、一人じゃ生きていけないね」
事実を認め、受け入れる。唯ちゃんは強い子だ、と思った。
でもその強い子が認めた事実は、人は一人では生きていけないということ。
『みんな仲良く』を願う唯ちゃんとしては当然なのだろうけど、私はその時、ようやく気づいた。
一人で生きていける人=強い人、ではないということに。
紬「私じゃダメかしら?」
唯「ダメとは言わないけど、私は自分のことで手一杯だよ。心配なんてしてあげないよ?」
紬「無職に心配なんて要らないわ。それに心配なら、今から私が切り捨てる皆が、表面上だけでも充分やってくれるから」
唯「そっか、じゃあはい、10円」
紬「ありがとう、いつか返すわね」
唯「返さなくていいよ。餞別だよ。ムギちゃんの新しい門出に」
無職への門出って、ヘンなの。しかもたった10円の餞別だなんて。
おかしくてしょうがないけど、私にはこの上なくピッタリだ。どこの社長令嬢でもない、ただの無職の琴吹 紬には。
やっぱり、唯ちゃんはセンスのある子だ。
――電話ボックスを見つけ、私は立ち止まる。
覚悟はできている。全てから逃げ出す覚悟が。
大丈夫、私は一人じゃないから、それだけでどうにでもなる。ああは言ったけど、この子はきっと私が困っていたら助けてくれる。私も、この子が困っていたら絶対助けるから。
人は助け合うものだ。傷つけ合う社会なんて、私達にはいらない。
傷つける罪と、傷つけた罰。いずれそれらの報いを受け、その身を炎に焼かれるなんて、私達はゴメンだ。
傷の舐めあいで構わない。私は、私以外を大切にして生きていく。
唯「――どうしたの? ムギちゃん。やっぱり怖くなっちゃった?」
だから、唯ちゃん。さっそくで悪いんだけど、助けてくれないかな。
紬「……唯ちゃん、これ、どうやって使うの?」
おわり
最終更新:2011年05月06日 12:18