綺麗に片付いた部屋。
その入り口でぽかんと立ち尽くす。もうこの部屋が使われることはないかもしれないな。
物置にでもなるのだろうか。
ぼんやりしながら、すっきりとした家具の無い部屋に入ってみた。
物音一つしない。何も無いし、何も聞こえない。ただの空室。
何度も遊びに来たこの部屋がこんなに殺風景になってしまうとは。
部屋の主が明るすぎた分、物悲しく感じる。
これからはもうこの部屋に来ることもないだろう。
二ヶ月前のあの日から、今日まで早かったと感慨に浸る。
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二ヶ月前。
唯「うう~、裏切られたぁ」
梓「まさか先輩が二番目くるとは、意外です」
澪「だよな、私もそう思う」
紬「結婚しても私たちのこと、忘れないでね……」
律「なーに言ってんの!当たり前だろー」
卒業してから5人は別々の道を歩いていた。
唯は音大、私と律は普通の大学、ムギや梓は親の手伝いをしている。
たまに5人集まってこの喫茶店に来るときは、いつも気軽な話で盛り上がっていた。
だが今日は気軽な話ではない。それが律の報告だった。
梓「まさか澪先輩の次が律先輩とは……やはり意外です」
唯「りっちゃんは私とビリを競い合うと思ってたんだけどなぁ……」
紬「ふふ、梓ちゃんの言ったとおり、意外ね」
律「お前ら意外意外言い過ぎだっての!」
澪「律が普段サバサバしてるからだろ」
私はすでに聞いていたからさほど驚かない。
でも他の3人は驚きつつも嬉しそうに会話に花を咲かせている。
けれどやっぱり、今回の話の主役である律が一番、嬉しそうな顔をしていた。
唯「それで?どんな人なの!?」
梓「どんな経緯でここまできたんですか?」
律「え、別にいいじゃんそんな事聞かなくてもさー」
澪「学生時代の友達だよな」
紬「あら、素敵ね♪」
律「み、澪ぉー!」
律は赤くなっている。大学を経て私もだいぶ強くなり、律をいじる立場になることも度々あった。
今もこうして律を照れさせるという偉業を成し遂げていた。
唯「ほうほう、それで?他にはどうなのりっちゃん!」
律「う……」
澪「優しい人なんだよな?」
梓「へぇ……もっと詳しく聞きたいです」
律「澪……後で覚えてろよ!」
紬「それでそれで?」
律「う、えーと、まぁ、澪が言ったとおり同じサークルだった奴でさ。その……優しいかな」
梓「それはさっき聞きました。他はどうなんです?」
律「えーと……ちょっとヘタレみたいな奴で……この5人には当てはまらない感じ」
紬「りっちゃんとは違うタイプね」
色々なことを聞かれ、赤くなりつつも律は旦那について説明している。
私はその人のことを知っているから、微笑ましく傍観していた。
私と律は大学で同じサークルに入った。
音楽系のサークルにしようという話もあった。
けれども交流目的のサークルにしようと律が提案し、私もついて行った。
律「まぁこんな感じ。もーいいだろっ!」
梓「なんか……悔しいです」
唯「悔しいよねあずにゃん!そういえばこの間言ってた人、どうなの?」
紬「あら、何かあったの?」
澪「私も知らないぞ!」
梓「あの男は違ったです。しょせん体目当てだったのでフってやったです」
この日は5人で心ゆくまでまで話した。他愛も無い、職場や私生活の話や、
時間が空いたらムギのツテを借りてライブしようとか。
あっという間に店の閉店時間になり、ぞろぞろと店を後にする。
唯「わー、まだちょっと寒いね!」
紬「春とはいえ肌寒いわね……梓ちゃん寒そうだけど大丈夫?」
梓「はい、この後近くのライブハウスでお父さんたちと合流するので暖をとります」
澪「じゃあ早く行こうか。私は車で来たけど……」
唯「私あずにゃんといっしょだから大丈夫」
紬「私も、迎えが来てるから……」
律「私も今迎え呼んだし大丈夫」
唯「おっ、熱いですなー」
律「うっさい!ほらほら、風邪引くから早く行ったほうがいいぞー」
澪「みんな、またな」
唯「あ、りっちゃん待って!」
紬「まだちゃんと言ってなかったから……」
梓「別れ際で申し訳ないですが」
唯梓紬「りっちゃん(律先輩)結婚おめでとー!(ございます)」
律「は、恥ずかしいって…………でも、ありがと!」
最上の笑顔で3人と別れる。
ちょうど隣に止まった車に乗り込む律と別れの挨拶をして、私も自分の車に乗り込んだ。
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律「おーい、澪ー?」
律の声がした。
振り返ると、律が不思議そうに私を見ている。
律「どうしたんだ?もう何も運ぶものないよな?」
澪「あ、うん。ちょっとボーっとしてた」
律「疲れた?いつもの喫茶店でも行くか」
澪「大丈夫だって。それよりいいのか?待ってるんじゃないのか」
律「まぁそうだけど……手伝ってもらっちゃったし、なんか奢るよ?」
澪「いいっていいって。心配してるだろうから行ってやんなよ」
律「まぁ確かに、澪にあんま迷惑かけるなって怒られそうだし行くよ。今日はありがとな」
外でトラックが走り出す音がする。
引越しのトラックが発車したのだろう。それに続いて律を呼ぶ声。
澪「ああ、また集まって話でもしよう」
律「もちろん!みんなの予定聞いておかなきゃな」
一緒に玄関まで行って彼と律の家族に挨拶した後、私も自分の家に戻るため車へ向かう。
昔この家に来てたときは、こっちに帰ってたっけ。
新居に引っ越してからは反対方向に帰る。
車のロックを解除して乗り込もうと思ったとき、不意に呼び止められた。
澪「どうしたんだ?」
聡「すいません……ちょっとこれからお時間ありますか?」
久しぶりに見る顔。それはここ最近律の口からその名を聞いていない、彼女の弟だった。
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喫茶店!
聡「すいません、お疲れのところ」
澪「いや、平気だよ。それよりどうしたんだ?久しぶりだな」
聡「人妻の澪さんを呼び出すのもどうかと思ったんですけど、聞いておきたいことがあって」
澪「はは、たぶん平気だと思うよ。それで、話っていうのは何だ?」
聡「ええと……」
澪「…………」
澪「律のこと?」
聡「え、何で……」
澪「聡くんが私に聞くことなんて、律のことくらいしかないだろ?」
聡「まぁ、そうですよね。実は、姉ちゃ……姉の大学時代のことについて教えていただきたいんです」
澪「律の大学時代?」
聡から突然呼び出されたものだから、律の話かとは思っていた。
でも、今になって大学時代のことなんて……どうしたのだろう。
聡「お願いします」
澪「いいけどさ。まず、同じ学部に行ったっていうのは知ってるよな」
聡「はい、コースだけ違ったというとこまで」
澪「うん。授業も結構被ってたんだけど、相変わらずすぐ友達が出来る奴だったよ」
聡「ああ……」
律は外向的で親しみやすく、明るくて誰からでも好かれやすい性格だ。
中・高でそうだったのだから、開放的な大学では尚更だった。
それに対し私は、相変わらず内気で恥ずかしがり。
いつも律のそばで、楽しそうな様子を見ていた。
澪「律のことは律よりもよく覚えてるよ。そうだな……あいつ、度々告白されてた」
聡「え!あの姉ちゃんがですか」
驚いて思わず素になってしまったらしい。
聡くんは咳払いをして言い直したが、ちょっと可笑しくて思わず笑ってしまった。
聡「……」
澪「すまん、悪かったよ。だけど、私の前だしいつもの聡くんで良いよ」
聡「ありがとうございます……でも、俺も大人なので」
まぁそういうことにしておこう。
とにかく、大学時代の律は結構モテていた。
元々明るくて気遣いの出来る奴だ。モテるのは当たり前だろう。
澪「だけど私は面白くなかったかな」
聡「え、でも澪さんだって相当告られたりしてそうですけど」
澪「うーん、まぁそうだけど、そっちじゃなくて」
澪「律が取られちゃうみたいでさ」
でも律はそんな私の心境を知ってか知らずか、彼氏を作ったりはしなかった。
なぜ誰とも付き合わないのか聞いたところ、
『だってこうやって澪と遊んでた方が楽しいじゃん!』
との事だ。大学生になっても律はまったく変わってないんだと知った。
聡「相変わらずだったんですね」
澪「多少……ごく多少落ち着きを覚えたみたいだけどな」
聡「大方変わらなかった、と」
交流メインみたいなサークルにいても、律は律だった。
いつもみたいに私をからかったりして、周りの笑いを誘う。
そうしていつの間にか私も輪に入ってる。
最初は気が進まなかったサークルも、次第に楽しくなっていった。
人とうまく喋れるようになった。
私にも友達が増えていった。
澪「律ってさ、本当他人への些細な気遣いとか上手いよな」
澪「軽くてサバサバしてそうで、他人のことによく気づくんだ」
聡「……わかります」
澪「やっぱり律はすごいと思ったよ。律に出会えたから私はここまで来れたと思う」
っていうのはちょっと褒めすぎかな。
本人が聞いたら調子に乗りそうだから、内緒だよと聡くんに言っておく。
聡「心配しなくても、もう姉とはしばらく話してないですから……大丈夫ですよ」
澪「聡くん……」
聡くんが高校に入ってからだろうか。
律はときおり、あまり弟と喋らなくなったと零していた。
あの元気な律が心なしか寂しげに。
高校生の弟といえば多感な時期だ。
仕方ないとなだめても、寂しげな表情は消えなかった。
澪「聡くんはなんで律と喋らなくなったんだ?前は一緒に遊んでたじゃないか」
聡「……何ででしょう」
とぼけるような返事ではない。
律のことが嫌いになったわけではなさそうだ。
聡「まぁガキの頃は兄弟ですし、遊んだりもしました」
聡「ですが、まぁ高校生にもなると……とくに男子ってのは、姉を避けたりするんですよ」
どうやら、私が思った通りらしかった。
確かに男子高生だと、姉と一緒に出かけたりするというのは恥ずかしいのかもしれない。
聡「何回か出かけようと誘われましたが……断っているうちにだんだん喋らなくなりました」
澪「そうか……」
澪「でも嫌いになったわけじゃなかったんだろ?」
聡「……いい姉だって言うのはわかってますから」
ふと思う。
律の、あの性格に惹かれて好きになったのは私だけじゃないのではないかと。
澪「聡くんさ、律のこと、実は結構大好きだろ」
聡「えっ何でですか」
澪「大好きだからどう接したらいいかわからないし、照れたりするんだろ」
私も律が大好きだ。だが、友人として接するには何も問題ない。
だが、聡くんみたいに、弟が姉を慕うというのは中々認めたくないだろうし、
戸惑ったりするのかもしれない。
最終更新:2011年05月06日 17:28