こんにちは、秋山澪です。
桜高軽音部所属、毎日勉強に部活に大忙しです。
軽音部には部員が5人、1つのバンドを組んでいます。
わたしはベースを担当。お金を貯めて、頑張って買いました。
この大切な、フェンダージャズベース左利き仕様。
そうです、わたしは左利き。
この世の中は、左利きには生きにくいのです。
誰かと並んでごはんを食べる時、自分の座る位置を考えたりしますか?
わたしは考えます。
だってわたしが一番左じゃなきゃ、右利きの子と肘がぶつかるんです。
国語の授業でノートをとっている時、小指の横側が黒になることがありませんか?
幸い、わたしはなりません。
その代わり、
その他全授業で黒くなります。
真っ黒です、真っ黒。
字だって、右利きの書きやすい構成になっています。
気付いていましたか?
皆が普通に使う道具も、わたしには使いづらい物ばかりです。
楽器、ハサミ、缶切り、マウス、改札、自販機の挿入口…挙げればキリがありません。
どれも右利き用になっています。
こんな右利き社会。
左利きの人間は、自分でも気付かないストレスに見舞われるそうです。
寿命だって、右利きに比べて短い傾向があるそうです。
だからですか、わたしの髪が少し薄くなってきたの。
毛穴、もう死んだのですか。
何で右利きに産んでくれなかったのかと、ママに八つ当たりしたこともあります。
ママは言いました。
「それも澪の個性じゃない」と。
生きにくさまで感じて、それが個性なんて。
もちろん、左利きはスポーツの世界で重宝されることは知っています。
でも、スポーツをやっていないわたしには、ただのコンプレックスです。
体育でソフトボールだった時のこと。
わたし、ずっと攻撃側のチームに回りました。グローブがないんだもん。
どちらを応援しても、悲しい結末が待っている。
勝った喜びも負けた悔しさも、どちらもピンと来ません。
せっかくのチームプレー、自分が中途半端な立場で終わる気持ちがわかりますか?
右利きが良かった。
右利きになりたい。
昔からそう思っていました。
幼い頃、律に左利きだと騒がれたことがあります。
…泣いてしまいました。
そんな律に、今日はこんな話をされました。
律「なあ澪。左利きの双子説知ってるか?」
澪「何だそれ?」
律「一卵性双生児って、片方が右利き、もう片方が左利きが多いらしくてさ。」
澪「へえ、初耳だな。」
律「ミラーツインって言うらしいんだ。
でも澪は一人っ子だろ?」
澪「そうだぞ?」
律「それはな、澪。
澪には右利きの双子の片割れが居たはずなんだ。」
澪「おいやめろ」
律「本当は、澪は一人っ子じゃないんだよ。
産まれるはずの片割れが居たんだ…。」
澪「」
律「受精段階では双子だった。でもその子は何らかの原因があって、母体に吸収されてしまったんだ。」
澪「」
律「澪ってさー、発育いいじゃん?
きっと会わずとして離れ離れになった片割れの分も、澪が育つ運命だったんだよ。」
澪「」
律「澪…おい聞いてっか?」
途中から意識が遠のいてしまいました。
もう律と話したくありません。絶交です。
元々、アイツはわたしにちょっかい掛けてばかりです。
親友だと思っていましたが、ただのおもちゃなのです。
そう気付きました。
そして同時に決意しました。
わたし、秋山澪は…右利きになります。
ありとあらゆる動作を右で行います。
まずはお箸からはじめてみました。
…いきなりの挫折です。
でも負けるわけにはいきません。
今日の夕飯のハンバーグは、お箸で突き刺しかぶりつきました。
ママは怒りました…そんな品のない食べ方をするな、と。
ママが怒るのは無理ありません。
でも、わたしの決意は固いのです。
ママを説得しました。
今まで左利きで生きてきた辛さ。
そして右利きになることへの挑戦、決意。
ママは黙って頷きました。きっと呆れたのでしょう。
お弁当は、フォークにしてもらうことになりました。
それだけではありません。
ドアノブに掛ける手も右、メールを打つ手も右。
ペットボトルのフタも右手で開けました。
右手は添えるだけで、結局ボトルを左手で回してしまう自分がいました。
眉毛のお手入れも右手でしました。
するとどうでしょう、見事失敗です。
でもめげません。
わたしは、右利きのわたしに生まれ変わるのです。
翌朝。
右利きへ道のりは、まだまだ始まったばかりです。
朝は律と一緒に登校しています。絶交…するつもりですが。
律「お~はよ~!」
澪「お、おう…おはよう。」
右手を挙げてみました。
律気付いた?今のわたし気付いた?
バカ律は気付くわけもありませんでした。
誰かの顔を見るたび、右手を挙げて挨拶をしました。
律だけではなく、誰もそこに触れることはありませんでした。
授業が始まりました。
右手で字を書く…それはさすがにハードルが高すぎます。
人生には、突破しなければならない壁と、回避すべき壁があります。
今のわたしには、「回避すべき壁」でした。
受験生なので、授業には集中せねば。
でもいつか越えてみせる。
そう誓いを立て、ペンは左手で握りました。
でも、昨日までのわたしではありません。
消しゴムは左手で使いました。
すると…あることに気付きました。
ペンから手を離し、消しゴムに持ちかえる。
この当たり前で、疑問を持ったことすらない行動。
その無駄が省けました!
(これはテストで使える…よし。)
そう思うと、自然に笑みがこぼれました。
お昼休みがきました。
軽音部4人と和。いつものメンバーで机をくっつけます。
他愛もない会話。おいしいお弁当。
右手でフォークを握るわたし。
フォークなら何とか、右手でも大丈夫です。
お弁当のおかずは小さめに作ってあるから、難なく食べられます。
しかし、誰もわたしの挑戦には気付かないままでした。
唯が分け目を変えた時。
誰もが気付かず、声をそろえて「地味」だと言いました。
利き手を変える…地味なのか?
この生きにくい世の中に悩んだわたし。
その悩みを解消する策が、唯の分け目程度に…地味なのか?
何だかちょっと、悲しいです…。
朝ほどの勢いはなくし、部活です。
部活には梓も来ます。梓なら…気付いてくれるんじゃないか!?
さすがにベースは…左じゃなきゃ弾けない。
右利きようのベースを弦を逆さに張り替えて使う、と聞いたことはありますが、
それは一から練習するようなものです。
バンドはみんなの力で成り立っています。
わたしのこの挑戦で、みんなに負担を掛けるわけにはいきません。
(右利き用のベース…買おうかな。)
今軽音部はティータイム。
ケーキを食べながら楽しい会話…でもわたしの耳にはほとんど入ってきません。
もちろんスプーンを持つ手は右。しかし誰も気付いてくれません。
(はあ…)
憂鬱なまま、練習に入ります。
律「何か今日…まとまり悪くないか?」
唯「りっちゃん、気のせいじゃない?」
梓「わたしも思いました。何かリズムが悪いって言うか…」
紬「そうかしら?楽しかったわ~。」
ごめんなさい、わたしのせいだ。
右利きになることばかり考えて、全然集中出来ませんでした。
帰りもまた、律と二人きりです。
こいつはやっぱり、散々幼なじみだと言い合ったくせに、わたしの挑戦には気付いてくれませんでした。
その程度の仲なんだ。だからあんな話するんだ。
もう、本当に絶交だからな!
律「なあ…」
澪「何だよ。」
律「わたしがした話、そんなに気にした?」
(…!)
律「気にしたよな。悪かった。」
澪「何の話だ?」
律「今日の澪、ずっと右手使ってもの食べてたじゃん。」
(気付いてたのか…!)
律「ごめんな。ちょっと面白い話聞いたもんだからついいじめたくなって…」
澪「わたしには本当にショックな話だったんだぞ!」
律「ごめんごめん、わたしは左利きの澪が好きだよ。」
澪「な、何言ってんだ…」
律「ほんとだぞ?左利きじゃなかったら、この立ち位置も定着してないだろ。」
いつも律は、わたしの右に居ました。
今まで気付かなかったけど、それが自然でした。
もしかして律は、考えてわたしの右を選んでいたのか…?
律「それに、さ…」
澪「!急に何すんだ…」
律「手繋いでも、利き手が空くんだぞ?」
律に手を握られてしまいました。
今のわたし、顔赤くないか…?
澪「やめろ、離せよ…」
律「やーだ!今日はこれで帰る!」
澪「ちょっと律…恥ずかしいんだけど…」
律「言ってんだろ、左利きの澪が好きだって…」
その日はそのまま、手を繋いで帰りました。
左利きは、やっぱり生きにくいです。
でも律の左側は、とても居心地がいいです。
夕飯の時、ママはスプーンを用意してくれました。
「ママ、お箸ちょうだい。」
今日は、お箸を左手で握って食べました。
「こら澪、お皿からシチューすすらないの!」
終わり。
最終更新:2011年05月14日 16:06