そのまましばらく、私たちは無言だった。
暑い中くっつきあって、触れ合う肌は火傷しそうなほど火照っている。
唯「……」
憂「……」
唯「……うい?」
その変化に気付いたのは、おそらく私が先だった。
心臓の音が、少なすぎる。
憂「え……?」
唯「どうしたの……うい、ういっ!?」
抱きしめていた腕を慌ててゆるめ、憂の顔色を見る。
ほの赤んでいた頬は、真っ白に血が引けていた。
そのまま憂の首はぐらぐらと揺れ――折れてしまったかのように、後ろへ倒れた。
唯「うい……し、しっかりしてっ!」
身体をゆさぶっても、だらりと下がった頭が慣性で動くだけだ。
憂自身はちっとも動いてくれない。
唯「な、なんとかしないと、憂が……」
私は慌てて携帯電話を取り出し、1、1、とプッシュする。
親指がキーの上を滑り、9の上に乗った。
唯「……」
そこで、私はふと思い出した。
和ちゃんが、どうにも憂を案じていたように見えたことを。
終話ボタンを押し、アドレス帳から和ちゃんにかける。
そっと座りこみ、憂を膝の上に乗せる。
胸にも首にも、脈動はない。
口元に耳を寄せても、空気の動く音はしない。
とても静かになってしまった憂を見つめる。
和「もしもし、唯?」
和ちゃんが電話に出た。
唯「……和ちゃん。憂が死んじゃった」
私の口からは、ただ淡き事実だけが零れおちたのみだった。
唯「……」
憂は、幸せそうに眠っているだけのように見えた。
だけど、そんなはずはない。
息をしていないのだから。心臓が動いていないのだから。
和『……とにかく、今から唯の家に行くわ』
しばらく黙った後、和ちゃんは言った。
私は頷くだけして、電話を切る。
唯「ういー……おやすみ」
憂の前髪を掻きわけて、おでこを撫でる。
瞼をおろし、動かない憂はとても綺麗で、私は憂が人形だということを認識させられた。
人形だから憂は死んだんだろうか。
私の妹だから憂は死んだんだろうか。
女の子だから憂は死んだんだろうか。
でも、そのどれでもなければ憂は生まれていなかった。
何を嘆けばいいかすら分からないのだ。だから一滴たりとも涙が出ない。
呼び鈴も押さずに、和ちゃんがやってきた。
台所にうずくまっている私たちを見てか、そっと足音が近づいてくる。
唯「……」
和ちゃんは、私の背後にぼうっと立った。
和「……唯。憂に何をしたの?」
唯「好きだよって言った」
私はためらいなく答えた。
唯「ぎゅって抱きしめて、好きだって伝えた。憂のこと、愛してたから」
唯「……そしたら、腕の中で動かなくなった」
和「……」
和ちゃんも床に座って、しばらく何も言えなさそうに呼吸だけしていた。
私たちの少し速い呼吸が、台所に浮かんで沈み、浮かんで沈む。
和「……それは」
どれくらいしただろうか。呼吸の隙に、和ちゃんは言った。
和「私のせいよ……」
唯「……へぇ、和ちゃんの」
私は憂のほっぺたをつつきながら、口元をゆがめた。
和「特に言うなら、昔の私。小学3年生のね」
唯「憂が生まれる前だね」
左手は憂を抱えたまま、すこしだけ和ちゃんの方に首を向ける。
和「そのころから、私は弟とそれに近い関係にあったのよ」
唯「弟くん、小1なのに?」
和「まったくね。好奇心って怖いわ」
くすっ、と和ちゃんは自嘲っぽく笑った。
和「時間が経てば終わるだろうと思ってた。こんなことはおかしいと気付くだろうと思ってた」
和「でも、甘い姉だったわ。弟は新しく知ったことをどんどん私で試した」
唯「止められなかった和ちゃんは、お姉さん失格だね」
和「本当ね。……でも、それだけじゃ済まないの」
唯「ふうん」
和ちゃんはすっと立ちあがった。
和「唯。パソコン使わせてくれる?」
唯「私の部屋のならいいよ」
力なく垂れた憂の体はとても重たかったけれど、
お姉ちゃんパワーでどうにか抱き上げた。
唯「先に行ってて、和ちゃん」
和ちゃんは小さく頷くと、階段を上がっていく。
私は憂をお姫様だっこして、フラフラそのあとを追った。
――――
私は和ちゃんのそばに立って、パソコンの画面を眺める。
唯「……なにしてるの?」
和「憂のデータを見ようと思って。……ほら、見てこれ」
和ちゃんは、人差し指で画面に映っている5桁の数字を示した。
和「これ、完成した時はたったの8メガだったのに。自動更新で76メガになってるわ」
唯「……成長したんだね」
和「そうね。命って……ほんとに重い」
なんだか気恥ずかしくて、私は照れ笑いを浮かべた。
和ちゃんがデータをクリックして開く。
平沢憂を生みだす前から現役のパソコンは、それを表示するのに少し時間をかけた。
唯「これが憂の記憶かぁ」
和「……ここはまだ、私の組んだプログラムよ」
和ちゃんはしばらく画面をスクロールして、「あった」と呟いて指を止めた。
和「唯……ここよ。これを見て」
和ちゃんの指差したそれは、やっぱり私には謎の文字列にしか見えない。
唯「……」
でも、絶対に大事なもののはずだ。
私は数字と英字の並ぶ画面を食い入るように見つめる。
唯「これは、どういう意味?」
和ちゃんは、深呼吸をした。
和「……これはね。憂が、唯に恋をしてしまったとき」
和「憂の心臓を強制的に動かなくするプログラムよ」
唯「……」
「Page Down」に指を置き、和ちゃんは高速で画面をスクロールさせていく。
和「私は弱かったばかりか、挙げ句には全てを弟のせいに思っていたわ」
和「悪いのは弟、苦しいのは私。……唯には、絶対に同じ思いをさせたくなかったの」
唯「だからって、こんな……」
和「当時はそのくらい毛嫌いしていたのよ。私が作っているのは唯の妹なんだってことを忘れるほどにね」
暗号が高速で画面を流れていく。
目がちかちかするだろうに、和ちゃんはじっと暗号の流れを見つめている。
和「もし憂が唯に恋心を抱いたら死ぬようにして……」
和「なんで死んだのかと訊かれたら、人形だからじゃないか、なんて答えるつもりだったわ」
唯「……じゃあ、なんでそう答えないの?」
唯「和ちゃんまで……もう、分かんないよ。誰が悪いの、何がいけないの……」
洟をすする声に、和ちゃんは画面から目を離した。
和「あの頃の私は間違っていると思うからよ。……もっと根本的な部分での話よ」
画面は一番最後までスクロールしていた。
和ちゃんはそれに気付いていないのか、キーを押しっぱなしにしている。
そこに映っているあっさりとしたデータを見て私は、「和ちゃんはすごいな」と思った。
和「人を死なすプログラムをまぜこんだことじゃないわ」
和「……恋を倫理で縛れる、なんて考えたことよ」
唯「……」
和ちゃんの目が、画面に戻る。
キーを押していた指が浮いた。
emotion,
"fear=0",
"happiness=255"
1
かたり、と和ちゃんがバックスペースを叩く。
お姉ちゃんのすすり泣きが、私の耳にしみついている。
再び、キーを押す音がした。
0
終わりです。
唯ちゃんお誕生日ごめんなさい。
最終更新:2011年06月10日 21:44