さわ子「じゃあ、何かそらでも演奏できるやつ、試しにやってごらんなさいな」
梓「えっと……じゃあ、ふでペン、行きますね」
――♪ ~~~♪
梓ちゃんのギターから音がこぼれ始める。
さわ子「……………」
さわ子(へぇ……こうして改めて聴いてみると、梓ちゃん、結構やるじゃないの……)
梓(せっかくさわ子先生に教えてもらうんだもん、私も頑張らないと……)
梓(普段通りにやれば大丈夫……普段通りに……)
梓ちゃんの演奏は、つたない部分こそあれど、そのバランスは唯ちゃん以上に安定が取れている音だった。
要所要所の音は間違いなく安定しているが、梓ちゃん単体では若干それが隠れ気味で、唯ちゃんの様に一本抜け出た感があるとは、確かに言い辛いのかも知れない。
……でも、唯ちゃんとは対照的に長年ギターに触れて来た事もあってか、瞬時に自分の音に微調整を加える辺り、彼女自身の相対音感は相当に高いと言うのがよく分かる。
絶対音感と言う天賦の才を持つ唯ちゃんに対し、長年音と共に培ってきた梓ちゃんの相対音感……俗にいう『天才型』と『努力型』の、相反する二つの才能。
その音は決して唯ちゃん一人では生み出せない。 その支えとなるギター、それが梓ちゃんだったからこそ生み出せたギターの音色……
……放課後ティータイムのギターは、この二人だったからこそ、成り立っていたのだと、今更ながらに確信する私だった。
梓「……どう……ですか? 私の演奏……」
さわ子「うん、基礎もできてるし、リフも唯ちゃん以上に正確だったと思うわ」
さわ子「でも、やっぱり……ん~~~……何か、足りないのよねぇ」
梓「えっと……何が足りないんでしょうか……」
さわ子「んんん……」
私はしばし考え込む……。
さわ子(……あ、もしかして……)
そして、梓ちゃんの音に感じた、一つの持論を投げかけてみた。
さわ子「もしかして梓ちゃん、さっきの演奏、いつものライブの感覚でやってなかった?」
梓「えっと……はい、普段通りで行こうって思って弾いてました」
さわ子「きっとそれよ」
梓「それ…?」
さわ子「ええ、梓ちゃん、メインになろうって気で弾いてないんだもの」
梓「メイン……?」
さわ子「梓ちゃんはきっと今まで、唯ちゃんを引き立てようって気で演奏をしていたと思うんだけど、違うかしら?」
梓「……それは……はい、やっぱり私達の演奏って唯先輩のギターが一番のポイントですから……あ……!」
さわ子「気付いたわね……」
……そう、今までの梓ちゃんは、唯ちゃんを支える音を奏でていた。
それは、リードギターを支えるリズムギターの役割としては決して間違ってはいない……が、それはあくまでもリードがいればの話。
先程の梓ちゃんの演奏だってそう、彼女の奏でた旋律は確かにリードギターの主旋律ではあったが、弾いてる本人はあくまでもサブの気持ちであり、メインで弾こうって気がなかったのだ。
梓「私……もう、唯先輩を支える必要、ないんですよね」
さわ子「そうよ、唯ちゃん達が卒業したら、これからは梓ちゃん、部長のあなたがメインなんだからね?」
梓「私……自覚が足りてませんでした」
さわ子「もう一度弾いてごらんなさい、今度は、自分の音が主役って気になって……ね?」
梓「……はい!」
~~♪ ……♪
先程の演奏とは打って変わり、梓ちゃんの音からは存分に力を感じられる。
自分の音を精一杯表現しようと言う気が音にもしっかりと表れ、先程の控えめな音とは比べものにならないほどに、表現力が増していた。
……特筆した唯ちゃんの音を陰から支え、そのギターの音色をより一層豊かにする梓ちゃんのギター。
それに加え、若干走り気味ではあるが非常に力強く、全体をがっしりと支える基礎となるりっちゃんのドラムに、その基礎を正しく導くように奏でられる澪ちゃんのベース。
それらの『音』を彩り、まるで花のようなアクセントを添える、ムギちゃんのキーボード……。
全ての音と、彼女達の何よりも純粋に音を楽しもうとする想い。
それらの全てが合わさるからこそ、彼女達の演奏は素晴らしい。
放課後ティータイム……一つのバンドとしては、すごく完成されてるバンドなんだなと、改めて思う。
これからは、そんな彼女達の意思を引き継ぐであろう梓ちゃんが、軽音部を担っていくのだ。
そして……梓ちゃんの育てた後輩が……またそれを引き継いでいって……私はそれを、いつまでも、いつまでも見守っていって………。
さわ子「………………」
なんで、今更になってこんな事を思うのだろう、私は。
こんな当たり前の事に、どうして今になって気付いてしまうのか。
――結婚するって決めたのに。 教員を辞めて、それとは違う新たな幸せを……手に入れようって気になったのに。
もう、教員生活にも区切りをつけるべきだと言うのに……どうして、今更になって……。
……明るい未来に、期待をしてしまうのだろう……。
さわ子「…………っっ………」
梓ちゃんの演奏を聴きながら私は、目頭からこみ上げてくるそれを、懸命に堪えていた……。
――――――――――――――――――
それからどれ程の時間が経っただろうか、演奏と指導に夢中だった私達が気付いた時には、既に日暮れの時間を大きく過ぎている頃になっていた。
さわ子「もうこんな時間か……」
梓「いっぱい練習できて、すごく為になりました、先生、ありがとうございました」
さわ子「いいえ……私も、久々に顧問らしいことが出来て良かったわ……梓ちゃん、また来るから、練習頑張って続けてね?」
梓「―――はいっ!」
元気な返事をして、梓ちゃんは帰り支度を整える。
そして……。
梓「うわ、だいぶ暗くなっちゃった……」
梓ちゃんの言う通り夕日もすっかり沈み、校門前には、街灯に照らされる道があるだけだった。
さわ子「梓ちゃん、今日は私が車で送ってあげる」
梓「でも、悪いですよ」
さわ子「いいのよ、こんなに遅くまで残した私も悪いし……それに、こんな暗い中を、女の子が一人で出歩くなんていけないわ」
梓「……すみません、ありがとうございます」
説得に応じてくれた梓ちゃんを助手席に乗せて、私は車を走らせる。
梓「やっぱり、先生って素敵ですね」
さわ子「そう?」
梓「はい、さわ子先生が先輩達の間で人気なの、なんだかわかった気がします」
さわ子「ふふふ、やっと梓ちゃんにも、私の偉大さが分かったかしら?」
梓「……はい、生徒一人一人の事や、部活の事もよく考えてくれて……さわ子先生が軽音部の顧問で、本当に良かったと思います」
さわ子「……ありがと……ね」
梓ちゃんの素直な言葉が私の胸を打つ。
その言葉に、私も最大限の気持ちを込めて、応えるのであった。
――――――――――――――――――
~♪
車を走らせること数分、ジュースホルダに立て掛けていた携帯が鳴った。
梓「先生、携帯鳴ってますよ?」
さわ子「ああ、メールよ、しばらくすれば止まるわ」
運転してる今は見れないし、あとでも大丈夫だろう。
~♪ ~♪
それから数秒後、再び私の携帯が鳴った。
梓「あ、また……」
さわ子「随分来るわねぇ」
梓「迷惑メール…でしょうか?」
さわ子「ちぇー、アドレス変えたばっかなのになぁ」
さわぉ「またアドレス変えてみんなに送らないといけないのか……結構面倒なのよね、あれ」
梓「分かります……」
なんて事を言いながら、尚も私は車を走らせる。
~♪ ~♪ ~♪
梓「ちょっと……多すぎじゃないですか?」
さわ子「確かに変ね……ちょっと止めるわね?」
車を適当な駐車場に止め、携帯をチェックしてみる。
さわ子「うわ、メールが20件も……あ、また受信した」
梓「いたずら……でしょうか?」
さわ子「ったく……誰だか知らないけどタチ悪いわねぇ~」
受信したのは、いずれも見覚えのないアドレスからのメールだった。
さわ子「まったく……削除削除……あれ?」
梓「どうかしましたか?」
さわ子「唯ちゃんに……りっちゃん……あ、澪ちゃんにムギちゃんからも来たんだけど……」
梓「先輩達から…ですか?」
さわ子「うん……何かあったのかしら?」
さわ子「えっと……」
唯ちゃんからのメールを読み上げてみる。
さわ子「何々……?」
――――――――――――――
さわちゃんお誕生日おめでと~♪
クラスのみんなからのあっつーいラブメール、見てくれたかな?
――――――――――――――
さわ子「って……まさか……」
続いて、りっちゃんからのメールも見てみる。
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さわちゃんお誕生日おっっめでとう☆☆
目指せ今年こそハネムーン!なんちて(笑)
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さわ子「澪ちゃんに、ムギちゃん……」
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さわ子先生お誕生日おめでとうございます。
軽音部で3年間、私達の指導をしてくれて本当にありがとうございました。
特に何も贈り物はできませんけど……せめてクラスのみんなで気持ちだけでも伝えようと思い、こうしてメールを送ってみました。
…私達の気持ち、先生には届きましたか?
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――――――――――――――
さわ子先生お誕生日おめでとうございまーす♪
いきなりで驚いたかと思いますけど、クラスのみんなにアドレスをこっそり教えちゃいました♪
しっかり、全員に返信してくださいね~♪
――――――――――――――
他にも、和ちゃんに憂ちゃん、ジャズ研の純ちゃんまで……アドレスを知ってる限りでは、私の知りうる生徒全員からメールが寄せられていた。
その全部が短いながらも、名前と一緒に、私の誕生日を祝ってくれる内容のもので……
さわ子「まさか……このメール全部、クラスのみんなから…?」
梓「そっか……先生今日、お誕生日だったんですね」
さわ子「すっかり忘れてたわ……今日、31日だったのね……」
お見合いの事やら生徒の進路の事やらで、すっかり自分の誕生日の事なんて忘れていた……。
でもまさか、こんな嬉しい事してくれるなんてね……
さわ子「……あの子達ったら…………」
中島さんに瀧さん……若王子さん……他にもたくさん、たくさん……
全員が私のアドレスを唯ちゃん達から聞きだして、こうしておめでとうのメールを送ってくれた……。
さわ子「まったく……みんな……こんなに大勢、どうやって返信するってのよ~、も~~~」
あまりの嬉しさに涙がこみ上げてくる……。
私自身忘れていた誕生日なのに……あの子達、こうして覚えてくれていて……。
梓「先生…」
さわ子「良い歳した女を泣かせるなんていい度胸してるじゃない……帰ったら、全員に返信してやるんだから」
~♪
その時、またもメールが来た。
さわ子「あら、今度は誰かしら?」
――――――――――――――
☆☆先生、お誕生日おめでとうございます☆☆
――――――――――――――
梓「えへへ……」
さわ子「も~~、嬉しいじゃないのこの子は~」
さわ子「みんな…みんな……ありがと……ありがとぅ……っ」
それは、私の生まれて初めての、最高の誕生日だった……。
おそらく、この日程、教師をやってて良かったって思える日、きっとなかったと思う。
でも、だからこそ、複雑だった………。
―――こんなに楽しいって思えるのに……私、それを辞めようとしてる……。
………結婚と仕事、どちらを取るべきなのか。
前に決心した事がまた……私の中で揺らいでいくのを、この時、私ははっきりと自覚していた………。
――――――――――――――――――
月日はあっという間に流れて行き、季節は2月。
受験生もあちこちの大学から合否の通知が出たり、先生方も卒業式の打ち合わせに来学期の準備と、仕事の方も一層の慌ただしさを見せていた。
その傍らで私は軽音部のサポートに単身ロンドンに出向いたり、あの子達の歌の録音に付き合ったり……
忙しい中でも、私は彼女達の先生として、精一杯できる限りの事をやっていた。
来月への準備だってもう、始まっている。
お見合い写真の撮影に伯父との電話、度々母から実家に呼び出されては、そればかりやっていたような気がする。
その2月も終わり……街には、徐々に春の兆しが見え始めていった……。
…………。
教壇に立ち、私は生徒の前でホームルームを始める。
最終更新:2012年02月09日 22:19