264 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/05/30(水) 20:24:08.07 ID:w4MT3SHDo



夏「変な名前ですね」

冬「とても抽象的な形です」

姫子「トカプチュプカムイ、ね」

澪「そう。トカチュプカムイ」

姫子「澪、この文字読んで」


メモ帳に書いた文字を読ませる。
わたしがネタを拾ったら書いて、夜にまとめる為に必要なメモ帳。


澪「トカプ…チュプカムイ」

姫子「自然が身近にあったから、それが当たり前だったんだろうね」

風子「?」

姫子「なんでもない、朱鞠内湖へ向かおうか」

冬「行きましょう」

夏「あ、マリモを見ました?」

姫子「見たよ」


特別天然記念物。
綺麗な丸の形をしている藻。


風子「和琴半島にいるミンミンゼミも天然記念物だよね」

澪「もう少し時期がずれていたら聞けたかもしれないな」

冬「夏の風物詩ですよね」

姫子「セミとマリモに神が宿っていたら、どんな姿をしているのかな」

夏「……え?」

澪「きっと小さくて、可愛いんだ」

姫子「……うん」


可愛い姿らしい。

駐車場へ着く前にポケットの中にある鍵を取り出す。
ひとつ、違和感を感じて鍵と一緒に取り出す。

違和感の正体は鈴だった。


悪い風が吹いている。


それがなにを意味するのかは分からないけど、用心をするに越したことはない。
気を引き締めて行こう。


風子「それじゃ、お互い気をつけようね」

姫子「うん、それじゃ休憩地点で」


風子にそう告げてバイクに跨る。

北海道を走るのは想像以上に気持ちがいい。

5時間なんてすぐだろう。

さぁ、出発だ。


265 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/05/30(水) 20:39:54.06 ID:w4MT3SHDo



――…


走り出して1時間と少し。


ドルルルルルル


視界に映る雄大な景色。
右にも左にも広い広い牧草地があって、そこでは牛がのんびりまったりとしていた。
そこにいる生き物達はあるがままの時間を過ごしている。

とても長閑な風景。


『姫ちゃん、わき見運転していたら危ないよ』

姫子「そうだね」


前を走る車の後部座席から、風子がわたしに注意を促してきた。

目がいいな。
風子の隣で冬が同じようにこっちを見ている。
こっちを見ないで、周りの景色を見たらいいのに。


『疲れてきたら注意力が散漫になるよね』

姫子「そうだね」

『太陽の日差しも強くて、風も穏やかだからアイスクリームを食べるには丁度いいよね』

姫子「……そうだね」


そうだね、としか言えないように話しかけてくるな……。


『林業を営む人が木を切り倒すときに使う道具は?』

姫子「チェンソーだよ。ノコギリじゃないよ」

『ソウだね』

姫子「……」


そろそろ無視しようかな。


266 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/05/30(水) 20:42:43.50 ID:w4MT3SHDo



向こうから一台のバイクが走ってくる。


姫子「……」


わたしは右手で手を振り、親指だけを立てて、突き出す。


わたしと見知らぬ誰か、


ドルルルルル!!


二つのバイクがすれ違った。


バックミラーで確認すると挨拶を返してくれた。
なんだか、嬉しい。
これだけで疲れは吹き飛ぶ。
バイク乗りの特権かな。


『それが、ヤエー?』

姫子「そうだよ」


観察されたようで恥ずかしかったりする。


ライダー同士がすれ違い様にする挨拶。
ピースサインでもいいんだけどね。


『冬ちゃんもヤエーをやってみよう』

『は、はい』

姫子「……」


高橋風子はなにをやらせる気だろうか。


後部座席の右窓から手を出して大きく振っている。
わたしにやっているんだよね。返さなくてはいけないのかな。


とりあえず手を振り返しておく。


わたしがすれ違ったライダーにしたように、風子が親指を立てている。


相手の幸運を祈る別れの挨拶。

267 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/05/30(水) 20:47:17.97 ID:w4MT3SHDo




わたしは出会った人たちにちゃんと別れの挨拶ができただろうか。


相手を知る時間なんて無かった。
わたしを知ってもらうには時間が足りなかった。
だけど、時間を共有したことには変わりは無い。

だから、わたしはピースではなく、親指を立てて突き出す。


顔すら確認できない、すれ違っただけの、たったそれだけの縁だけど、





わたしは、あなたの、旅路の幸運を祈る。





最初は恥ずかしくて出来なかったけれど、
挨拶に返事をしないのはとても失礼なことだと気付く。
だから、わたしが積極的にするようにした。

返されなかったら、それは少しへこむけれど。




バイクを走らせる。


北海道に来てよかった。

とても広い景色がわたしの心に余裕をもたらしてくれるようで、良い経験になっている。






そんなことを考えていると一台のバイクが手を振りながら近づいてくる。


挨拶を返し損ねてはいけないと、慌てて右手を離してしまった――


268 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/05/30(水) 21:32:23.66 ID:w4MT3SHDo







――チリン。





反対車線側から小動物が飛び出してきた
離していた右手を慌ててハンドルに着けるがブレーキが間に合わない
左へ切ると轢いてしまうので右へハンドルを操作するが
運悪く緩いカーブへとさしかかり
加速されたわたしのバイクは反対車線へ流れ出す
さらに運悪く対向車が向かってくる
二つの車体の距離にはブレーキングに0コンマ何秒かが足りない
このままでは衝突は避けられない
一か八か身体と車体の全体を道路の外側へと倒しこむが
体が緊張して固まりそれが邪魔をして車体が傾かず
進行方向が僅かしかズレなかった


かわし切れない



このままではぶつかる




先にあるのは











――チリン!





269 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/05/30(水) 21:55:06.11 ID:w4MT3SHDo



ブォォン!


向かってくる車体の角度が急激にズレた。
その分だけ微かな空間が生まれる。

本来ならそこで衝突した空間。

わたしと相棒はその空間を削る。

しかしこのままでは車の後方部分にぶつかってしまう。

千載一遇を活かすべく、
バイクの中心へ体重をかけ、体が覚えているかのように傾ける。
頭が冴え、体の緊張も解かれる。
五感全ての情報を脳へと伝達をせず、体で分析・処理をする。


ブォォン!!
ブォォン!!


二つの排気音だけが鳴り響く。




かわせた。




最悪の事態を免れたわたしと相棒はそのまままっすぐへ。

舗装されたアスファルトから、路肩からも外れて草の生い茂る一帯へ突っ込む。

砂利で出来た地面。ブレーキをかけると後ろタイヤが滑っていく。


ザザーッ


ドルルルルル


姫子「……ハァッ……ッ」


ドルルン


エンジンを切ると同時に体中に冷たい汗が流れてくる。


姫子「そうだ、車!」


振り返って見ると同じように反対側の路肩へ下りていた。
バイクを、相棒をそのまま倒して車へ駆け寄る。
ガチャンと高い音が悲鳴のように鳴り響いた。

胸が痛む。


「姫ちゃん!」

「姫子さん!」


後ろから二人の声が聞こえる。

270 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/05/30(水) 21:58:16.46 ID:w4MT3SHDo




車を確認するけど外傷は無い。
運転席で女性がぐったりとハンドルにもたれ掛っていた。


姫子「だいじょうぶですか!」


ドアを開けて女性に触れると、


「あぁー、だいじょうぶよー……」

姫子「……っ」


その声に安堵する。
その声を聞くまで生きた心地がしなかった。

よかったぁ……。


「とりあえず、下りるからどいてくれないかしら」

姫子「あ……はい……」


綺麗な人。
着ている服がこの人の上品な雰囲気を象っている。


「あなたこそ大丈夫?」

姫子「はい。あなたがハンドルを上手く切ってくれたので、衝突は避けられました」

「私の名前は森岡由美。由美でいいわ」

姫子「由美……さん」

由美「私もぶつかると思ったんだけど……」


アスファルトを眺める彼女。


風子「二人とも怪我は……」

姫子「うん。わたしは大丈夫」

由美「私も体のどこかをぶつけたわけじゃないから、大丈夫よ」

風子「そうですか……」

冬「よかったぁ……」

澪「なにが……あったんだ……?」

夏「急に風子さんが、車を止めてっていうから、びっくりしたんですよ……」

風子「……びっくりしたよ」

姫子「……うん。ごめん」

由美「ここじゃなんだから、移動しましょうか」



チリンチリン。


271 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/06/05(火) 21:20:05.53 ID:8hjPKLcEo




――― 酪農家 ―――



姫子「あの、いただいてもいいんですか?」

由美「これくらいの奢りで恐縮しないの」

夏「うまうま」

冬「おいしぃ~」

澪「甘い……濃厚な味だ」

風子「おいしいです」


酪農家が運営しているアイスクリーム屋さん。
売店の近くにあるベンチにわたし達6人は座ってアイスを食べている。

出来立てだからとてもおいしい。……らしい。
わたしはまだ口にしていなかった。
手が震えていたから。


由美「ん~、おいしい~♪」

姫子「……」

風子「姫ちゃ――」

由美「あなた、運がいいわよ」

姫子「……?」


子供のようにコーンを齧っている由美さん。


由美「もぐもぐ、私じゃなかったらかわし切れなかった……かもね」

夏「運転技術に自信あるんだ」

由美「そうじゃなくて……。おいしかったぁ」

姫子「……」


口元をハンカチで拭いて、満足気味の彼女。


由美「ブレーキ痕を見た?」

姫子「……はい」


話を聞くために、アイスにひとくちだけ口をつけて、夏に渡す。


夏「いいんですか?」

姫子「うん」

由美「あら、そのひとくちは私への礼儀?」

姫子「えっと……」

由美「ふふ」


一応、礼儀かなって。

震えも少しだけ治まってきた。

272 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/06/05(火) 21:22:41.55 ID:8hjPKLcEo




由美「おかしな所があったよね」

澪「おかしなところ?」

風子「濡れた草がありましたね」

由美「そう。あの草の上でハンドルを切ったから車体が滑ったのよ」

冬「凍結した路上のようにですか?」

夏「そこまで滑らないでしょ」

由美「そこまでじゃなかったな」

姫子「……」


あの一角だけ草が敷かれていた。
刈った牧草が風に飛ばされてきたのかもしれない。
飛ばされてきた草に水がかかったのか、水溜りに草が運ばれてきたのか。
分からないことだらけだった。

でも、偶然が重なってわたし達はここにいる、ということだけは分かった。


由美「でも、それだけで車体が滑るものかなぁ……」

姫子「……」


テーブルに肘をつき、顎に手を当てて遠くを見ていた。


冬「職業は医者ですか?」

由美「あら、自己紹介したかしら」

冬「いえ、なんとなく、掛かり付けの先生に似ているような気がしたので」

由美「似ている?」

冬「はい。レントゲン写真を見つめながら見えない何かを探しているようでした」

由美「そう……、癖になっているのかもね。
   冬ちゃんの言うとおり、私は釧路で町医者をしているわ」


笑顔で答える。


由美「でも、やっぱり私の回避能力の賜物かもしれない」

夏「自信あり気だね」

由美「実を言うと、事故経験者なの」

姫子「……」


事故。

あの瞬間が脳裏に蘇る。

迫ってくる車、衝突する相棒、投げ出されるわたしの体。



そして、最悪の事態。



死。



273 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/06/05(火) 21:25:06.90 ID:8hjPKLcEo



もしもの時を考えてしまう。
無意識に手を握りしめている。その拳が震えていた。


姫子「……っ」

澪「……」

夏「怪我の痕が無いみたいだから、大したことなかったんだ」

由美「とんでもない。記憶を無くすほどの事故だったんだから」

夏「いや、そんな勝ち誇られても」

風子「記憶喪失ですか……」

由美「えぇ、すべて思い出したからもう過去の話なんだけどね」

姫子「……」


どうしてぼんやりとしていたのだろう。
どうして無理に返事をしようとしたのだろう。
少しだけ自己嫌悪になっている。


由美「さっきの話に戻るけど、姫子ちゃんもよく倒れずに止まることができたわね」

姫子「……」

風子「姫…ちゃん……?」

由美「?」

姫子「……」


わたしは木製のテーブルに刻まれた傷跡をみつめていた。


「姫子っ!」


バシッっと音がすると同時に背中に激痛が走った!


姫子「いったッ!!」


背中がヒリヒリする。
私の隣に座っている冬なのか。

え……、


姫子「冬?」

冬「ち、違いますよ」


両手を振っている。
というか、冬にこんな力はないはず。
じゃあ、反対に座っている風子かな。

と、思っていると両肩に少しだけ重みが増した。


澪「下を向いていたらダメだ。繰り返してしまうぞ」

姫子「澪……?」


澪の両手がわたしの肩にもたれている。

俯き加減だったわたしに渇を入れてくれたみたいだ。


274 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/06/05(火) 21:28:30.76 ID:8hjPKLcEo



由美「事故の話をしたでしょ。
   その事故はちょうどあの道だったのよね」

姫子「……え?」

由美「2年前のあの道を通った時、姫子ちゃんと同じバイク乗りにぶつかりそうになった経験があるの。
   だから、ある程度慎重になっていたし、かわす感覚もあったのよね」

夏「だから、運がいいって?」

由美「そうよ。他の人だったらどうなっていたことか」

冬「由美さんが運転手でよかったです」

姫子「わたしの不注意だから……」

風子「……」

澪「この経験が未来の事故を防ぐことになる、って話じゃないかな」

姫子「……そっか」


澪に励まされる。
そうだ。後ろ向きで運転するのは危険すぎる。
前を向いて見極めることが大事なんだ。


由美「あなたたち、観光客?」

姫子「旅…人……です」

由美「……そう」

風子「……」


澪の言葉を借りる。
何を探しているのか、何を求めているのかは分からないけど、
楽しいだけの旅行ではないとハッキリと言える。


由美「あなた、なんとなくだけど私に似てる」

姫子「……?」


わたしを見つめる瞳が少しだけ困惑していた。
どういう意味なのか。

275 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/06/05(火) 21:30:10.03 ID:8hjPKLcEo



由美「すれ違った時、私ね、姫子ちゃんは転ぶと思っていたの」

姫子「……はい」

由美「でも、転ぶことなくまっすぐに進んだでしょ」

姫子「……」

由美「どうしてかな、って」

姫子「無意識だったんです。正直、分かりません」


本当の事だった。
転ばずに立て直す方法が体で覚えていたということかな……。


姫子「あ……」

由美「?」

姫子「……いえ」

風子「……」


一度だけ、親父の後ろに乗ったんだ。
バイクの免許を取ったその日の内に。
最後に教えてやる、って真剣な顔をしていたから、学ぶつもりで乗ったことを思い出した。

わたしを乗せているのに荒い運転だった。

けど、親父の運転技術を直に教えてもらった。
だから体が何かを覚えていたのかもしれない。二度と後ろに乗らないけど。


風子「姫子さんは免許を取ったその日に、お父さんの後ろに乗せてもらったんだよね」

姫子「!」

夏「……」

冬「仲がいいんですね~」

澪「……悪いことじゃないと思うぞ」

由美「しがみついたんだ」

姫子「しがみついてません」


有り得ないって。
いい歳した親父にしがみつくなんて。

その光景を見ていた風子。
言わなくていい話題だったのに……。


由美「おじさまの教えがよかったのねぇ」

姫子「……アクセルワークやクラッチ操作を見てもらったりはしてました」

由美「いいわね、そういうの」

夏「……さて、そろそろ行きましょうか」

風子「そうだね。ごちそうさまでした、由美さん」

澪「ごちそうさまです」

冬「おいしかったです」

由美「ん……」


顎に手を当ててなにか考え込んでいる。

この仕草が癖なのかな。


姫子「グッド・ラック」 22

最終更新:2012年10月02日 03:40