「律の新たな一面を見る為ならば、
どのような描写があろうと構わない。
他キャラの扱いも問わない。
マニアックな場面があっても許容できる」
このくらい、律に思い入れがある方でない限りは、閲覧を絶対にお控え下さい。
また、読まれて少しでも不快になった場合、すぐにこのスレを閉じて下さい。
それでは以下より、本編です。
眼前に置かれた鮮やかな黄金色の米飯は、見ているだけでも飽きない。
ただ、見ているだけでは足りなかった。
中野梓は不作法を承知で、鼻を近付けて嗅ぎ込んだ。
蜂蜜の匂いに似た、甘い香りが鼻腔を衝く。
隣では
平沢唯も鼻を近付けているが、行儀を気にする様子はない。
却ってその気取らない仕草が、不作法ではなく可愛らしさを彼女に添えている。
逐一の所作を意識してしまう梓では、こうも自然にはいくまい。
「おー、ススキみたいな色なのに、爽やかな芝の香りがするねー」
その唯の口からは、梓とは別の感想が漏れていた。
ススキよりは色が濃いと思うものの、香りに関しては唯の言う事にも一理ある気がする。
それは自分の嗅覚に対する不信ではなく、この香りを定義する事の困難の故だろう。
この香りを憂や澪、律はどう表現するのだろうか。
作法に則って前屈みの仕草だけで匂いを嗅ぐ彼女達へと、梓は横目を走らせた。
澪と憂は、この匂いに顕著な反応を見せていた。
澪は何か思い当たる事でもあるのか、怪訝を表情に浮かべている。
一方の憂は萎縮しきった視線を、料理の提供者である紬へと向かわせていた。
「これ、サフランライス、ですよね?」
憂の口から放たれた遠慮がちな声が、梓の耳朶を叩く。
「サフランっ?」
梓の口から、反射的に上擦った声が吐き出される。
その名や特徴は知っていても、匂いを嗅いだ事は初めてだった。
「これが?」
澪も驚いてはいるようだが、憂や梓とはその種類を異にする声調だった。
拍子抜け、と言いたげな内心が調子の下がった語尾に表れている。
「サフラン?何それ?美味しい物なの?」
唯は知らないらしく、座に視線を巡らせながら問いかけてきた。
「何言ってるんですかっ。とっても、とっても高価な香辛料なんですよ?
1gで1000円もするんです、1000円っ。
綺麗な黄色い色と、芳しい香りを料理に添える、貴重な香辛料なんですよっ?」
梓は無知な唯よりも、無感動な澪に言い聞かせてやりたい思いで捲くし立てる。
姉のように慕い尊敬している先輩だけに、風雅を解さない澪の態度には幻滅した思いだった。
その怒りが激する声調となって、奔流のように梓の口から迸っている。
「1gで1000円っ?ふわぁ、高いんだねー。いいの?ムギちゃん」
唯は口にしている物の価値が分かったらしく、珍しく畏まった様子を見せた。
稀少性や世に通底する評価を啓蒙していては、得られなかった反応だろう。
雅趣に疎い即物的な人間には、換価して示してやった方が価値は伝わり易いものだ。
ただ、梓の本来の目的であった澪には、それでも通じなかったらしい。
澪の顔が動揺に歪むような事はなく、端正な面立ちを保ったままだった。
「家族だけで使うのも勿体なくて。
普段から仲良くして貰ってる皆にも、味わって欲しかったの」
最初の言葉こそ気を遣わせまいとする配慮だろうが、後の言葉は本心に違いなかった。
紬は家が金持ちである事を鼻に掛けたりするような人間ではない。
自慢したいが為に振る舞ったのではなく、純粋に友情の故なのだ。
梓は価値を伝える便宜の上でこそ換価したが、金銭では量れない紬の厚意を感じ取ってもいた。
「ありがとー。私、初めて食べたよー。
ん、ねぇ、憂。初めて、だよねぇ?」
「初めてみたいなもの、かな。
強いて言うなら、パエリヤ作った事あったでしょ?
あの時使った市販のパエリヤの素の中に、サフランも原材料として入っていたはずだけど」
唯の質問に答えていた憂の顔が、紬へと向く。
「でも、入っていた量は僅かなものだったみたいです。
ここまではっきりした風味は感じませんでしたから。
なんか、私まで貴重な体験をさせて頂いて、有難うございます」
「いいのよ。憂ちゃんにだって、お世話になった事あるから。
下級生にチケット撒く時、お手伝いしてくれたじゃない」
紬に淑やかな顔で返されて、憂も気後れが解れたらしい。
スプーンを繰る手が滑らかになり、自然な笑みの浮かんだ口元にサフランライスが運ばれる。
梓は健啖な憂の食指に、持て成す紬の配慮が齎した和やかな雰囲気を見て取っていた。
ティータイムのような気安さに、梓も倣って二口三口と口腔に放る。
紬が望んでいたであろう、穏やかで優しい時間が鼻の奥で感じ取れた。
「でもさ、この値段は高いよな。
これならもっと安価で、そっくりな風味も味も作れるよ」
暖かい雰囲気に冷や水を浴びせるような低い声が、空気を引き裂く。
梓は思わず顔を顰めて、発言者の澪を見遣った。
「そんな事ないと思いますよ。
私だって今まで長い事料理してますけど、こんなに風味のいい香り付けなんてできませんでしたし」
憂も気分を害したらしく、語気鋭く澪に噛み付いていた。
料理に無縁な澪の審美を、暗に嘲っている事にも梓は気付く。
穏やかな憂にしては珍しい態度だが、梓は驚きよりも共感の念を抱いていた。
紬の配慮を無下にされた怒りは、梓とて同じなのだ。
睥睨で以て憂に与そうと、澪へと向けている双眸に力を込める。
「りっ、りーっ」
憂の言葉と梓の視線を遮るように、律が澪の前に立って吠えた。
澪が責められている状況を見過ごすつもりはないらしい。
だが、飼い主を守る犬のような仕草も、梓を怯ませるには迫力が欠けていた。
小柄な律では、虚勢を張って吠える子犬にしか見えない。
「分かったよ。論より証拠、だ。明日、それを振る舞うからさ。
それを実際に食べてみて、サフランライスと同等のものが安価に作れるか、皆が判断すればいい」
憂並びに梓と、対する律の間で険しい視線が行き交う渦中。
当の澪が、声から力を抜いて言った。
憂の剣幕に驚いたのか、律の健気な姿勢に心を打たれたのか。
梓には判断が付かないが、澪に口論する気はないらしい。
ただ、撤回する事もなかった。
だから梓は澪の提案を、挑戦と受け止めて返す。
「そうですね、是非とも実証して頂きたいものです。
口論していても埒が明きませんし。
憂もそれでいいよね?」
「うん。あそこまで言ったんだから、実際に現物を拝ませて貰わないとね」
梓に返答しつつも、憂の瞳は澪を見据えたままだった。
「じゃ、明日の昼頃、私の家に来てくれ。
皆も予定は大丈夫か?」
年下の挑戦的な態度に気分を害した風もなく、澪は紬と唯に視線を転じて言った。
「ええ、明日は空いてるの。楽しみにしてるわー」
「私も大丈夫だよー。えへへ、美味しい物を食べられるなんて、楽しみー」
梓は先に返答した紬の声が、震えを帯びている事に気付く。
紬と唯、二人ともが『楽しみ』と言いつつも、込められたニュアンスには大きな隔たりが感じられた。
「よし。じゃあ、決まりだな」
澪は紬の微細な変化に気付く風も見せず、サフランライスを掻き込み始めた。
その遠慮のない動作は、希少な食物を味わう態度には見えない。
有り触れた料理を口に入れる無心さそのものだ。
「ごちそうさま」
梓が半分も食べ進めていないうちに、澪はそう言ってスプーンを皿に置いていた。
追随して、律がスプーンを繰る速度も上がる。
「急がなくていいぞ」
澪が律を気遣って言うが、梓は紬を気遣って欲しかった。
律が澪に遅れた理由は、味わうが故に緩やかに食む梓達とは異なるものだろう。
小柄で口も小さく小食な律は、食を進める速度も必然と遅い。
その体躯に依る制限を除けば、律も澪と同じ側に属しているのだ。
この高価な料理に対する敬意など、幼馴染の二人揃って持ち合わせていないらしい。
流石に気が合っていますね、と。梓は皮肉ってやりたい気持ちだった。
今まで褒め言葉として使っていた表現が、牙となって口を衝かんと梓の胸で燻る。
「りー」
梓が皮肉の衝動を堪えているうちに、律も食べ終わっていた。
ごちそうさま、に代えて鳴いたのだろうが、その声は紬に向いていない。
顔と共に、澪へと向いている。
紬に対する感謝よりも、澪に食事の終了を伝える事の方が重要らしい。
「食べ終わったか。じゃあ、お暇するよ。明日を楽しみにしててな」
「りーりー」
食事途中の面々に構う事無く、澪は退室の挨拶と共に席を立っていた。
律も倣って梓達に手を振り、澪の背を追う。
「うん、じゃーねー。明日、楽しみにしてるよー」
部屋から出て行く二人に応えた者は、唯だけだった。
唯一人の声に押されるようにドアが閉まる。
梓が窺っていた限り、澪と律から無言の抗議に気付いた素振りは見られなかった。
「は、確かに楽しみね。どうせ、バターで炒めたターメリックライス辺りでしょうけど」
足音が遠のいた後で、紬が嘲りを声に含めて呟いた。
「ターメリック?」
唯が無邪気に首を傾げる。
普段通りの爛漫な反応でしかないのに、梓は新鮮な印象を受けていた。
初めて知った唯の一面であるかのようにさえ感じられる。
険悪な雰囲気の中の場違いな仕草が、そう思わせているのだろうか。
「ウコンよ」
唯の疑問を受けて、紬が言葉短く答えた。
まだ怒りが冷めやらぬのか、丁寧な対応をする心の余裕などないらしい。
「ウンコ?」
唯の首が再び傾いだ。梓は我が耳を疑う事も忘れて、反射的に叫ぶ。
「ゆっ、唯先輩っ」
「おっ、お姉ちゃんっ」
窘めるような憂の声が続く。
その声を聞き終わった頃には、梓は唯の意図に気付いていた。
考えてみれば、如何に唯とはいえ直接的に品のない発言をした事はない。
驚きのあまりその思考が追い付かず、声が先行してしまっていた。
だが、今なら分かる。
唯は険悪となった場を和ませようとしていたのだ。
思えば、去りゆく澪と律に一人挨拶を返した者も唯だった。
だが、気付いたところで、賛同できるかは別問題である。
唯の心意気は買うにせよ、あの二人を許す気にはなれない。
「まぁ、そんな所かしら。サフランに比べたら、そのくらい格が違うもの。
排泄物を振る舞われるくらいに思ってもらって、差し支えないわ」
言いながら、紬の頬に嘲笑が浮かぶ。紬の怒りは、梓以上らしかった。
唯の品のない表現さえ、澪と律を謗るレトリックへと転用している。
「明日が、楽しみですよね」
瞳に瞋恚の焔を滾らせ、憂が続いた。
唯だけが、戸惑ったように瞳を右往左往させている。
梓は緊張の緩和に助勢するつもりはなかったが、義憤に駆られない唯を詰る事もしなかった。
梓とて澪と律に対する激しい怒りはあれど、この限りで関係を断とうとまでは思っていない。
そうなると、一人くらいは中立の立場で居てくれた方が有り難い。
関係を修復する役が居るからこそ、梓達は存分に怒る事ができるのだ。
だからこそ明日は、今日のように我慢はしない。
澪が馬脚を現し次第、存分に罵ってやる積もりだった。
「うん、楽しみ」
梓も二人に与する発言をしながら、今度唯に甘い物でも奢ってやろうか、と思った。
*
翌日、梓達を迎えた澪の顔には余裕があった。
「ああ、揃って来たか。準備はもうできてるよ。すぐに食べさせてやるな」
昨日の澪の態度は、失言を繕う過程で引くに引けなくなったものだろうと。
一晩経てば、泣きを入れてくるだろうと。
そう思って、ここまでの道程を歩んできた梓は拍子抜けの思いがした。
「お邪魔しまーす」
呆ける梓を余所に、唯が先に立って澪の家の敷居を跨いでいた。
「あ、お邪魔します」
喧嘩を買いに来たのに、劈頭から闘志を抜かれている訳にもいかない。
梓も唯に倣って、敷居を跨ぎ敵地へと乗り込む。
「お邪魔します」
後方から憂と紬の声が被って聞こえて、ドアの閉まる音が聞こえた。
その音が梓には、監獄の檻を閉ざす音のように重々しく響く。
啖呵を切って引き返せない者は、澪のはずなのに。
気を飲まれては負けだ。梓は弱気に傾いた心を努めて奮い立たせると、三和土に靴を揃えて置く。
隣には、見慣れた律のブーツもあった。
役者は揃っているらしい。
「ああ、律も来てるよ。キッチンで皆を待ってる。こっちだ」
梓の視線に気付いたのか、澪は先導する前に説明を前置きしていた。
「ええ。律先輩も居なければ、話になりませんからね」
澪の背を追いながら、梓は語勢を強めて言う。
律は昨日、澪の側に立って自分達に牙を向いていた。
彼女も当然、梓にとって裁きの対象である。
直接的に紬の好意を無下に扱っていないとはいえ、澪に与した以上は逃亡を許すつもりなどなかった。
「ああ、そうだな。律が居ないと話にならない。
梓、もしかして、分かってるんじゃないのか?」
凄む梓とは対照的に、澪の声音は楽しそうに弾んでいた。
その態度も、言葉も、全てが梓の疑念を誘う。
「何を」──分かっているって言うんですか?
問おうとした時、澪が立ち止まって振り向いた。
キッチンに付いたらしく、澪の顔越しに卓へと付いている律の顔が覗ける。
「さ。好きな席に座ってくれ。すぐに振る舞うから」
澪は梓達に指示すると、炊飯器へと歩いて行った。
梓は言いそびれた疑問を飲み込んだまま、言われた通りに席へと着く。
憂や唯、紬も卓を囲んで座った。
澪を見遣ると、炊飯器から黄色い米粒を椀へ盛り付けていた。
匂いを拡散するかのような湯気が立ち昇り、芳しい香りが梓の鼻腔にまで届く。
紛れもなく、昨日味わったサフランの香りだった。
「いい匂いだねー」
鼻のいい唯が満悦の声を上げる。
「だろう?ほら、味も確かめてみな?」
トレーから、卓へと。黄色い米飯が盛り付けられた椀を、澪が移してゆく。
梓は各々の席へと、それを回してやった。
最後に自分の分を確保してから、目を眇めて観察する。
炊飯器を使った以上、バターで炒めたターメリックライス、という紬の予想は外れたらしい。
尤も、昨日のサフランライスと違う点もあった。
昨日のもの以上に、濃い黄金色が映えている。
香りもまた、炊飯器から梓の位置まで届くこちらの方が強い。
後は、味がどうなっているのか。
梓は箸を手に取ると、口に運んでみた。
「美味しいっ」
意図せず、口から感嘆の声が漏れていた。
品のある味わいは同様だが、昨日のものに甘みが加味されている。
周りを見れば唯は言うに及ばず、紬や憂も顔を蕩けさせていた。
負けを認めたも、同然の顔である。
だが、まだ敗北が決定的となった訳ではない。
「確かに、美味しいです。でも、本当にこれが、サフランよりも安く作れるんですか?」
味わい続けたい欲求を堪えて、梓は得意気な澪を難じた。
澪は昨日、サフランよりも安価にこの風味を再現してみせる、と豪語していた。
高価な材料で作ったのであれば、澪は約束を履行した事にはならないのだ。
──勿論、等価の材料で作ったとしても。
「なるほど。こうきた訳ね。澪ちゃん、無理したんじゃない?
この濃度を出す程、サフランを注ぎ込んだんだから、相当痛い出費だったんじゃない?」
加勢してきた紬が、梓の言いたい事を代弁してくれていた。
「サフランなんて使ってないよ」
澪の顔から、勝ち誇る様子は消えていなかった。
どうせ演技だろう。梓はそう見込むと、追撃の言葉を放つ。
「じゃあ、レシピを公開して下さいよ?材料は何を使ってるんです?
そしてそれは幾らなんですか?」
「そうですよ。澪さんは、サフランより安い、って言っていたじゃないですか。
コストまで明示して、漸く澪さんはそれを証明した事になるんですよ?」
憂も語勢を強めて、澪に言い寄った。
「安いって言うか、無料だよ。非売品だけど、身近な材料で作れる」
「非売品ですって?」
紬が声音で澪を嘲った。胡散臭い言葉だという思いが、言外に込められている。
梓も追い討ちを掛けて言い募る。
「それ以前に、どうして完成品だけ食べさせるんですか?
作る所から見たかったです。そうすれば、手早くQEDだったのに」
「早く味わってもらいたかったし、タイミングの問題もあるからな。
いつでも作れるって訳じゃない。作れるタイミングになったら、目の前で実演するよ」
苦しい言い訳だと、梓は思った。
尤も、苦し紛れの逃げ口上に終始しながらも、なお表情から余裕を消さない澪は大したものだとも思う。
目立つ事を嫌う性格から察して、余裕のない人間だと思っていた。
「あら、それは何年後の話になるのかしらぁ?」
抑揚の込められた底意地の悪い声で紬が煽る。
聞いている梓まで溜飲が下がるようだった。
だが、当の澪に神経を逆撫でされたような様子は見当たらない。
「そんな先の話じゃないよ。今日中……そういえば律、例えば今は大丈夫か?」
紬の皮肉に苦笑で応じた澪の視線が、律へと向く。
「り」
「そっか、そうだよな。結構、時間経ってるもんな」
律の小さな首肯を受けて、澪が一人納得したように顎を上下させながら言った。
追い詰められているだけだと、梓は思う。
本当なら、澪は有耶無耶にしてしまいたかったのだろう。
だが、怒りに荒ぶ紬は、その思惑を許しはしなかった。
今から実演すると言ってしまった以上、澪の詰みは近い。
律の協力を得ているかのような口振りも、哀れな悪足掻きでしかないだろう。
或いは、断罪を目前に、律も共犯だと強調する狙いがあるのか。
もしそうなら、律を売ってまで保身に走る澪へと、梓は渾身の嘲罵を浴びせてやるつもりだった。
このまま顔に嘲笑が貼り付いてしまっても構わないくらい、嘲弄の限りを尽くして蹂躙してやる──
「りっちゃんが作ったの?」
今まで黙っていた唯が口を挟んできた。
「いや?律の協力が不可欠ってだけだよ。材料にね」
炊飯器から取り出した内釜に、米を入れながら澪が答えた。
材料に律の協力が必要など、有り得る訳もない。
嘘に嘘を重ねるから、言動に破綻を来してくる。
質問した唯も澪の返答に首を傾げ、怪訝を露わにしていた。
梓達の冷めた視線に気付いた風もなく、澪はシンクの前に立って米を研いでいる。
憂などは焦れたように、テーブルの上で指を盛んに組み替えていた。
梓は溜息を堪えて、分かり切った結果を待つ。
「このぐらいでいいな。律、出番だぞ」
研がれた米の入った中釜をキッチンの床に置いて、澪が律に呼び掛けた。
対する律は、顔を俯かせてしまっている。
「律?」
「りぃー」
再度の澪の呼び掛けに答える律の声は、細く弱い。
澪より先に、律の方が白旗を振ったか。
そう思い瞳に収めた律の顔色は、赤かった。
表情を伏せてはいるが、目元から頬に掛かって走る朱の斜線が確かに覗ける。
断罪を恐れた顔色ではない。羞恥の顔色だ。
負けを認める事が恥ずかしい故、だろうか。
それとも──他の理由で恥じらっているのだろうか。
「ほら、律、恥ずかしがってないで。
皆の見ている前でやらないと、意味が」
「やらないのではなくて、できないんじゃなくって?
こんなのに付き合わされて、りっちゃんもある意味被害者かしら?」
言い掛けた澪を遮って、紬が言葉を被せた。
澪の無茶な指示に律が戸惑っている、紬は状況をそう読んだのだろう。
ただ、梓には律が躊躇っているようにしか見えなかった。
紬は状況だけ見て、律を見ていないのだ。
「りっ」
紬に煽られて、律も葛藤に決着が付いたらしい。
覚悟を決めたように短く鳴いて、小さな体を起こしていた。
顔は相変わらず赤いが、進む足取りに迷いは見られない。
その歩みが、中釜の前で止まった。
そして律の手が──
「何をしているのっ?」
絶句してしまった梓を代弁するように、紬が叫んでいた。
驚いた事に、律はスカートを下ろしたのだ。
そうして、ショーツにも手が掛かる。
「りっ、律先輩、何をっ」
息も絶え絶えに、梓は叫ぶ。
驚愕のあまり、断続的に言葉を紡ぐ事で精一杯だ。
「まぁ、私達を信じて、静かに見てろよ。サフランに似た風味の材料、見せてやるから」
澪だけが、冷静な対応を見せていた。
慣れているような揺らぎのない態度が、澪の発言に真実味を添える。
「りっ、りーっ」
性器を晒して炊飯器に跨った律の尿道から、黄色い液体が噴出した。
「はぁっ?」
梓の口から、意図せずして頓狂な声が飛び出た。
何をしている、何を。混乱する思考が、それ以上の言葉を編み出させない。
だが、論理ではなく、感覚が理解する。
これは、この匂いは──
「何を自棄になっているんですかっ?
そこまでするくらいなら、嘘だったって、謝ればいいじゃないですかっ」
憂の放つ悲鳴のような叫び声が、梓の鼓膜を深く衝く。
だが、それ以上に強く衝かれている鼻腔が、憂の言葉を額面通りに受け取らせてはくれない。
見るだけならば、憂の言う通りに自棄になっただけだと思えただろうに。
サフランの香りさえ、漂ってこなければ。
「いや、実際にこれが材料なんだよ。証拠に、匂いを嗅いでみろよ。
この色合いを見てみろよ。
律のコンディションによって違いが出るから、完璧に一致まではしないだろうけれど。
でも、同種のものだってくらい、分かるはずだろ?」
澪の言う通りだった。憂の言う事を信じたい。だが証拠は全て澪だけが提出している。
「ふざけないで……そんなものが、材料になる訳ないじゃない」
震えた声で紬が言う。つい先程までとは、心象が逆転してしまっていた。
紬の態度は、強がって悪足掻きをしているようにしか見えない。
その儚い抵抗も、これから澪が実証によって粉砕してしまうのだろう。
律の尿に浸されたライスを炊き、今卓上にある黄色い米飯と同じものを提供する。
以って、澪の口からQEDが宣告されるに違いなかった。
「ちょっ、ちょっと待ってよ。っていう事は……」
紬よりも一層震えた声で、唯が口火を切る。
気付いてはいけない事に気付いてしまった。その後悔が痛い程に伝わってくる。
だから、黙って欲しかった。梓にとって”それ”はあまりに酷で、突き付けられたくない現実なのだ。
最終更新:2014年07月11日 07:43