関係あるとみられるもの

河城にとり(東方風神録)
本居小鈴(東方鈴奈庵)

住所

「片葉の葦」    東京都墨田区両国1丁目     ※両国橋の付近
「落葉無き椎の木」 東京都墨田区横網1丁目12−10 ※刀剣博物館の付近
「狸囃子」     東京都墨田区東駒形3丁目    ※本所中学校の敷地内
「送り提灯」    東京都墨田区太平1丁目     ※法恩寺の門前
「置いてけ堀」   東京都江東区亀戸1丁目12番地 ※第三亀戸中学校地内。その他諸説あり
「送り拍子木」   東京都墨田区緑4丁目24付近  ※江東橋脇の路地
「足洗い屋敷」   東京都墨田区亀沢4丁目12   ※4丁目12番地一体の一画
「消えずの行灯」  東京都墨田区亀沢2丁目     ※北斎通り上
「津軽屋敷の太鼓」 東京都墨田区亀沢2丁目     ※緑公園の一部

※上述の住所は伝承のあった場所またはその付近をいうものであって、諸説あるうちの一つであったり、
 伝承に近い場所にあるランドマークを便宜的に記したりしたものです。あまり参考にしないでください。


本所七不思議(ほんじょななふしぎ)

※東京スカイツリーおよび両国国技館。今般世界中に知られるようになったこの地域に、かつて本所とよばれる一帯が存在した。

江戸時代、本所(ほんじょ)と呼ばれた地域で語られていた都市伝説。その成立は、江戸中期頃以前とされる。
そもそも本所とは、現在の東京都墨田区の南部、すなわち両国、錦糸町、駒形、業平らを併せた一帯のことをいう。
この本所に日本橋、京橋、神田、下谷、浅草、深川らを加えた区域が、こち亀などでもおなじみの下町である。

当時の下町は武家屋敷から長屋までが建ち並び、雑多な階級の人々らが住む文化の中心地だったが、中でも本所は特にハイソ(上品)な一画だった。
というのも、本所は西暦1657年に発生した明暦の大火の後に再開発された区域であり、街並みは整然として武家屋敷の割合も多かったからである。

そんな場所でいかに「本所七不思議」が発生し、根づき、現代まで語り継がれてきたか…は非常に興味深いテーマであるが、先達(せんだつ)の研究を参照されたく割愛する。
東方projectとは直接あんま関係なさそうなので。

この記事では、「本所七不思議」の概要と、都市伝説としての性質に関するわずかばかりの考察を記すものとする。

概要

※大横川親水公園の本所七不思議レリーフ。春日通りが横切っている南側に設置してある。他にも各所に関するレリーフあり。

本所七不思議の本質はそもそもが都市伝説、噂である。
「これが正しい」という形は決して無いのだから、人々の口に語られるうちに尾ひれがついたりハショられたり、まるで雲のように自在に形を変え、派形を生んできた。
と言っていては話が始まらないので、一つの参考として西暦1928年に刊行された『江戸往来』中に寄稿された松川碧泉の「江戸の七不思議」を流用させていただき、
「本所七不思議」として最も知られている話を列記すると、次のようになる。同じ怪談でも有力説が複数存在する場合は、「こういうパターンもある」という形で付記する。

ちなみに今回ご紹介する順序については、JR総武本線「両国駅」を起点に、ぐるっと周遊できるような順序にしました。総距離で軽く7~8キロはあるよ。キヲツケテネ!

その一、片葉の芦(かたはのあし)

※現代の両国橋。そのたもとには、芦の植え込みがある。偶然か狙ってなのかは分からない。気になるなら管理者にでも聞いてみればいいじゃない(逆ギレ)

ある時代、本所の亀沢町に駒(こま)という娘が住んでいた。とても容姿の美しい娘だった。
駒(こま)の近所には留蔵(とめぞう)というチンピラが棲んでおり、駒(こま)に熱をあげて何度も何度も交際を申し込んだ。
しかし、ついに留蔵(とめぞう)の片想いが相手にされることはなかった。

つれない駒(こま)の態度ににやさぐれた留蔵(とめぞう)はある日、家のお使いで外に出た駒(こま)を尾行し、頃合いを見ていよいよ迫ると、匕首(あいくち)を振り上げた。
留蔵の凶刃は無惨にも駒(こま)の片手と片足を切り落とし、深手を負った駒(こま)そのまま息絶えた。留蔵(とめぞう)は、冷たくなった駒(こま)の体を掘川に投げ捨てた。

留蔵(とめぞう)が凶行に及んだのは、隅田川にかかる駒止橋のそばだった。この橋があったのは、現在両国橋がかかっている付近だと言われている。
駒止橋のあたりにはもともと、芦(あし)が深く生い茂っていたが、この惨事が起きてから後、なぜか橋付近一帯の芦には片方側だけにしか葉がつかなくなった。
けげんに思った人々は、これを「片手片足を切り落とされた駒(こま)の怨念によるものではないか?」とささやきあった。その後留蔵(とめぞう)は発狂して死んだという。

その二、落ち葉せぬ椎(おちばせぬしい)

※取り壊し中の両国公会堂。2016年現在。

江戸時代、両国国技館の北には「お竹蔵」と呼ばれる幕府の米蔵があり、隅田川の水を引き込む入堀が作られていた。
この入掘をまたぐようにかけられた御蔵橋(おくらばし)の北に、平戸新田藩(ひらどしんでんはん。現在の長崎県)の藩主である松浦家の上屋敷があった。
その屋敷の庭には立派な椎(しい)の木が立っていたが、不思議なことに年中青葉が茂っており、誰一人として一片の落ち葉すら見たことがないと言うのだ。

ちなみに椎の木は常緑樹なので、年中葉がついているのは当たり前の話である。そもそも落ち葉自体がそれほど多くは無い。
だがそれにしても一片の落ち葉もないというのは珍奇なことだから、

「平戸新田藩の上屋敷には咲夜さん級の優秀な下女(パーフェクトメイド)がいて、光よりも早く動いて掃除しているのだ」

などという茶化して笑話にするバージョンもある。
全くの余談だが、平戸新田藩は「狸囃子」を聞いたと言う松浦静山(後述)が藩主を務めた平戸藩の分家、支藩である。スピリチュアルなご一族なんだろうか。

その三、狸囃子(たぬきばやし)

※本所中学校。都会の学校だなと思った。

本所では、真夜中に何処からともなく囃子(はやし)の音が聞こえてくることがある。
音の主を突き止めようと詮索しても、探せば探すほど音はまるで逃げるように遠ざかっていき、どうしても捕まえることはできない。
こうして夢中で音を追っていると、いつしか夜が明けて江戸郊外の野原にまで遠出してしまっていることに気がつくという。

その野原は、人間を化かす性悪狸の住処として有名であったため、この音の主は狸であると推定され「狸囃子」と呼ばれるようになった。
人を食ったような話の内容から、『馬鹿囃子(ばかばやし)』という異名で呼ばれることもある。

本所牛島に下屋敷を置いていた肥前平戸藩(ひぜんひらどはん。現在の長崎県)の第9代藩主である松浦静山(まつうらせいざん)は、
実際にこの音を聴き、その正体を追った時のことを『甲子夜話』という書物の中に書き残している。

ある夜ふけのこと。松浦静山は、寝静まった街に響く奇妙な音を聞いた。
それは、戸を叩くような「ドンドン」という音と、法華太鼓のような「ドンツク」という音とが交互に重なり合うものだった。
物見高い性格の静山は、ふいに聞こえてきたこの珍妙な音のありかを突きとめてやろうと、本所一帯を家臣に調べさせた。
ところが、家臣たちが音に元に近づいたかと思いきや、今度は別の方からも聴こえてくるという始末で、一向に出所がわからない。
あまりにもきりがないので、ついに捜索をあきらめてしまった。

その四、送り提灯(おくりじょうちん)

※報恩寺。さびしがりや、もしくは親切な女幽霊が出てくるバージョンの舞台

本所の向島(むこうじま)界隈では、暗い夜道を照らすものを持たずに歩いていると、目の前に提灯のように揺れる光が現れるという。
この光に追いつこうとしても追いつけず、離れようとすると追いかけてくる。つまり、つかず離れずどこまでもついてくるのである。
この光、狐か狸の仕業とも言われており、ホイホイついていくと「殺される」とも「安全に家まで道案内してくれる」とも言われている。

また、本所の割下水(わりげすい)界隈には別の話も伝わっている。
夜道を歩く者のそばに小田原提灯が現れて、振り返ると後ろに回りこみ、追いかけると姿を消すといった具合に前後左右に自在に動き回るという。
こちらは「提灯小僧」などとも呼ばれる。

また、本所の法恩寺(ほうおんじ)の付近に伝わる話として、こんなものもある。
ある早春の晩、心地よく酔った武士らが夜道を歩いていると、提灯をさげた腰元(侍女)風の女が立っているのが見えた。
武士が女に話しかけてみると、ちょうど同じ方向を目指していることが分かった。そこで、途中まで一緒に行こうという話になった。
武士達が無事自宅にたどり着いて、女の方を見やると、おもむろにして女は煙のようにスッと消えたと言う。

その五、オイテケ堀(おいてけぼり)

※ オイテケ堀は本所七不思議の中でも屈指の人気を誇る怪談だが、場所に諸説あり最も特定が難しい。錦糸町駅周辺にあった「錦糸堀」がオイテケ堀であるという説もある。

※こちらは錦糸堀公園のオイテケ掘に由来したかっぱ像。とても愉快な顔をしている。

本所錦糸町にある堀川で町人がひねもす釣り糸を垂れたところ、バカによく魚が釣れたことがあった。
夕暮になり、町人が気分よく帰ろうとすると、ふいに堀の中から「オイテケ、オイテケ」という声が聞こえてきた。
びっくりした町人は、一目散に逃げた。息もきれぎれ、自宅にたどり着き、改めて魚籠(びく)の中をのぞいてみると、
こともあろうにあれほど釣ったはずの魚が一匹も入っていなかった。
この話を聞いた人々は、「かっぱの仕業ではないか?」「いいや、たぬきが怪しい!」などと、好き勝手に噂しあったという。

また、この怪談の展開及びオチについては

「襲われた町人は魚籠(びく)も持たず、一目散にオイテケ堀から逃げ出した。後になって堀に戻ってみると、中身が空になった魚籠(びく)が転がっていた。」
「魚籠(びく)を捨てて逃げた町人と、持って逃げた町人がいた。魚籠(びく)を持って逃げた町人は、川から伸びてきた手に引きずりこまれ、二度と帰ってこなかった。」
「町人は剛毅にもオイテケ、オイテケという声を無視し、そのまま釣りを続けた。すると金縛りにあい、気を失った。やがて正気をとりもどしたが、釣った魚は奪われていた。」
「大量の魚籠(びく)をさげて堀の近くを通りかかっただけで、魚を強奪された。」

といったように複数の別パターン、類話、派生が存在する。まあ人気の怪談だからね。しょうがないね。


その六、送り拍子木

※江東橋の付近。

本所割下水のあたりでは、火災予防の夜回りが「火の用心」と言って拍子木を鳴らすと、すぐ背後でまるで山彦(やまびこ)のように拍子を鳴らす音が続くことがあるという。
また雨の日にこの界隈を歩いていると、誰の姿も見えないのに、独りでに拍子の音が聞こえてくることもある。以上。終わり。

正直、その四で紹介した「送り提灯」となんか思いっきりかぶっている気がする話である。なんだろう。一つのレンジャー戦隊にグリーンが二人いるようなこの違和感。
送り提灯と送り拍子木は、既に失伝したオリジン(起源)から派生した、言わば兄弟だという説もあるが、例えそうでも別個の怪談話として取り扱うのが一般的な風潮だと思う。

その七、足洗邸(あしあらいやしき)

※東京都墨田区亀沢4丁目12付近の一角を、北東方面から撮影したもの

本所の三笠町に屋敷を構えていた、味野岌之助(あじのきゅうのすけ)という旗本(1万石未満の小規模な領主)の屋敷で起きた話。
この屋敷では毎晩、頭上から「足を洗え!」という声が響くやいなや、天井をバリバリと突き破って、剛毛に覆われた小汚い大足が降りてくるという。
家人が足を洗ってやると満足して天井裏に引き上げていくが、洗わないで放置していると、ひねくれて家中の天井を踏み抜いて暴れる。
そのあまりの迷惑っぷりに困り果てた味野が仲間の旗本に相談すると、一体どこが心に響いたのか全く分からないが、たいそう興味を持った。
そして、「そんなに困っているなら自分の屋敷と取りかえよう」と言い出した。これには味野も大喜びで、この旗本と屋敷を交換した。
しかし残念なことに、館の主が味野から旗本仲間に代わったとたん、大足は一度たりとも現れなくなったという。シャイなんだろうか。

ところが「足洗い屋敷」の怪談には、今述べた味野邸の異変とは全くかすりもしない別のバージョンの話もある。

本所に暮らしてた小宮山左膳という者が、ある時、捕まって殺されかけている狸を見かけた。
ふびんに思った左膳が武士の情けで助けてやると、これにいたく恩義を感じた狸がしばしば恩返しに現れるようになった。
最初狸は人間の姿を借りて左膳の枕元に立ち、「お宅の下女(召使い)が、あなたの命を狙っていますよ」と伝えて消えた。
しかし、アドバイス空しく佐善は下女と共犯の男に謀殺されてしまう。すると狸は、今度は左膳の息子に事の真相を伝える。
狸の助けを借りて息子は親の仇の下女と男を打ち取り、見事に(故)左膳の無念を晴らしてみせたのである。どんどはれ。
以来小宮山家の守護神と化した狸は、屋敷に何か災いが起きそうな雰囲気を感じ取るたびに巨大な人間の足に化けて現われ、
「足を洗え!!」と叫び、危険を知らせるようになったという。

非常に豪快なこじつけと、支離滅裂めいた出鱈目なストーリーだと思う。
中世の江戸っ子が病的に愛してやまない「仇討物語」と人気の怪談話である「足洗屋敷」をほとんど無理やり接着して美談に仕立てたのだろう。

その八、消えずの行燈(灯りなし蕎麦)

※本所七不思議の中でも最も都市の幻影にあふれ、独特の不気味さを持つ怪談であるが、現代はその面影すらない。

本所南の割下水(わりげすい)の付近には、奇妙な蕎麦屋の屋台が出るという。
煌々(こうこう)と行燈(あんどん)がともり、蕎麦を煮る湯も沸き立っているのに、店の者がいない。そして、いつまで待ってもやって来ることが無い。
この屋台で「誰もいないのに灯りがついていては、油が勿体ない。」などと気をきかせ、行燈の火を消してやると、その者は呪われて必ず不幸になるという。

また、これとは真逆で、常に行燈(あんどん)の火が消えている屋台が出るという話もある。こちらの屋台は「灯りなし蕎麦」と呼ばれる。
行燈の火がついている消えているに関わらず、店主が不在で、いつまでたっても戻ってこない不気味な屋台の暖簾(のれん)をくぐってしまった者は
それだけで不幸に見舞われるだとか死ぬだとかいう、ぞっとしないバージョンの話もある。

その九、津軽屋敷の太鼓

※緑公園

木造住宅の密集する江戸の町で、特に恐ろしい災害の一つが"火事"である。
ひとたび火の手が広がれば、何百、何千という人が住処を失う。そのため、江戸の町には随所に「火の見櫓(ひのみやぐら)」が建てられ、火の手の監視が行われていた。
万が一火の手が上がってしまった際には、「板木(ばんぎ)」と呼ばれる分厚い板を木槌で打ち鳴らし、周辺の人々に知らせるのが江戸中のならわしにもなっていた。

さて、本所南割下水あたりの陸奥弘前藩主津軽越中守(むつひろさきはんしゅつがるえっちゅうのかみ)の上屋敷には他の武家屋敷と同様に火の見櫓が設置されていたが、
そこには「板木」がぶら下がっておらず、かわりになぜか太鼓が備え付けられていた。火事の際には、この太鼓を打ち鳴らして人々に知らせていたというのである。以上、終わり。

「・・・怪談じゃなくてただの珍百景じゃねーか!」と思われた諸兄もいらっしゃると思う。
まあ実際江戸の人も同じようなツッコミをしたらしく、本所七不思議からは省かれることも多い。色んな意味でやや毛色の異なる話である。
板木の代わりに太鼓が置かれたという珍事について、下世話な江戸っ子たちがべらんめえな奇談怪談の一つも創作しなかった事の方が、むしろ「不思議」と言えるかもしれない。
少なくとも、現代まで語り継がれているようなものはあまりない。

ちなみに奇談でも怪談でもないが、この太鼓の由来として次のようなものがある。
津軽の三代目の殿様はたいそう見栄っ張りかもしくは郷土愛の強い御方で、ある時に加賀百万石の大殿様とお国自慢の言い争いになった。
その時に津軽の殿さまが、もののはずみからか「わしの藩にはものすごいデカい太鼓があるぞ!」と吹いてしまい、「ならば見せて見よ。」と言われて引っ込みがつかなくなった。
そこで急きょ、巨大な太鼓をこしらえて加賀の大殿様を仰天させた。

…とまあそこまではよかったのだが、この時作った太鼓があまりに大きすぎて、妥当な使い道が無かった。そこで仕方なく、火の見櫓に置いて板木の代わりに使っていたという。
どっちかっていうと漫談ですねこれは。

現代まで話の筋が残されている怪談はおおむね以上のとおりである。
ただし松川碧泉の「江戸の七不思議」には
「割下水のほいかご」「梅村邸の井戸」「駒止石」「亀戸の逆さ竹」「幽霊橋の下駄の音」「吉良邸址の怪談」といった怪談名も列挙されている。
すなわち、過去には少なくとも15種類以上の怪談話が存在していたようである。

「七不思議じゃねーじゃねーか!」と思われた諸兄もいらっしゃるかもしれないが、七不思議が七個以上あるなんてことは結構よくある話でもある。
三種の神器の4つめ(郷)があったり、四天王の五人目だっていたりするのが現実社会。常識に囚われてはいけないのですね!

苟且の本所七不思議

東方projectの書籍作品である『東方鈴奈庵』の第3巻に

「第十四話 苟且(こうしょ)のセブンワンダー前編」及び「第十五話 苟且(こうしょ)のセブンワンダー後編」

が収録されている。
幻想郷の人里付近において「本所七不思議」をそのままなぞったような怪異が連続したため、霊夢さんらが解決に奔走するというお話である。
オチから先に言ってしまうと、本件の主犯は河城にとりらかっぱの一団である。

かっぱ達は魔法の森の付近や人里の郊外に無断で「秘密倉庫」を設置しており、
要はそれら倉庫の存在が人間たちにバレないよう、怪異を起こすことで人間達を畏れさせ、近づけないようにしていた。

かっぱ達は、オプティカルカモフラージュ(過去作でも言及されている透明な迷彩服)で姿を隠したうえ、
拍子木を鳴らす事で「送り拍子木」を、提灯の光を揺らす事で「送り提灯」を、囃子の音を響かせることで「狸囃子」らを再現していたようである。

また、魔法の森の秘密倉庫近くにある池では、人間が通るたびに「オイテケ、オイテケ」という奇声を発して「オイテケ堀」を再現したり、
人里郊外の秘密倉庫近くの空き家では、「足洗屋敷」と名付け妖怪が出るという風説を流布したりしていた。

さらには「片葉の芦」になぞらえた怪異や「目の色の変わる竜神像」というかっぱオリジナルの怪異も考案していたようであるが、作中ページの都合からかお目見えすることはなかった。

繰り返しになるが、かっぱ達が「本所七不思議」を模した怪談を演じて人々を恐れさせてたのは、秘密倉庫の存在や、物資を運搬する輸送部隊の存在を隠すことが目的だった。
かっぱが人里の近くで行動することに対して人間に無駄な不安を与えたり、偶発的な衝突が怒るのを防ごうとしたのである。かっぱ側からすれば、人間への一種の配慮である。

しかし、かっぱ達があまりにもノリノリで演出に熱を入れすぎたため、結果としては逆にもっと人々を不安にさせ、
霊夢さんや人里の人間たちに追及され真相を暴かれてしまった、というオチが付く。

輸送部隊に参加していたモブかっぱの内の一匹は、哀れにも本居小鈴(もとおりこすず)に返り討ちにされ、
挙句に戦利品として貴重な外来品の「携帯電話」を強奪されたようである。

ちなみにタイトルにもなっている苟且(こうしょ)という熟語は、中国古典の『漢書』宣帝紀や『史記』始皇紀等にある「苟且偸安(こうしょとうあん)」の一部分であることから、
「なすべきこともなさずにダラダラ過ごす事」という意味であると考えられる。

ただし、「なすべきこともなさずにダラダラ過ごす七不思議」、というのは少し意味が通じにくいので、
「苟」や「且」の字が本来持つ「いい加減な」とか「間に合わせの」とかという意味が重ねられたものであると解釈すべきだろう。
すなわち、タイトルの「苟且のセブンワンダー」とは、「すごく適当なセブンワンダー=七不思議」という意味で解釈することができる。

しかし、そもそも本所七不思議は「現代まで最もよく知られ、語り継がれた七不思議」の代表格であり、幻想入り条件としての「存在を忘れ去られた」という要件からは最も遠い七不思議でもある。
それがなぜか幻想郷に輸入され人口に膾炙(かいしゃ)しているということは、設定上の矛盾を来しているようにも見える。

しかし、現にこれまでにも「神話」や「伝説」といったたぐいが、外界で有名である/なしとは別に幻想入りしているケースは多々見られることから、
なんらかのロジック(裏設定)が間に入ることで、筋の通ったものとして処理されていると考えられるだろう。

例えば、

「伝承・怪談として有名になればなるほど『実在性』が乏しくなり、幻想入りのもう一つの要件である『存在をうたがわれたもの』という前提を濃厚に満たすようになる」

だとか、

「非生物的な伝承や噂話自体は結界の影響を受けずに幻想郷内部に入り込んでくる」

というような解釈をすることも可能だろう。

2015年3月現在、東方project最新作『東方深秘録 ~ Urban Legend in Limbo』の発売が予告されているが、
本編のテーマが「都市伝説」であることをかんがみると、「トイレの花子さん」のような現代都市伝説のみならず、本所七不思議にもスポットライトがあてられる可能性が十分にあるだろう※。

※(東方深秘録では特にスポットは)あたりませんでした。 2015年5月11日追記

  • 補足として、大体の場所には七不思議の立て看板が設置してある。また、大横川親水公園には七不思議のレリーフがある。 - 通りすがり 2015-12-21 20:59:44
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最終更新:2016年07月25日 01:17