関係あるとみられるもの
小野塚小町(東方花映塚)
四季映姫・ヤマザナドゥ(東方花映塚)
住所
〒605-0811 京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595
京阪鴨東線「出町柳」より徒歩12分
京都市バス 80, 100, 202, 206, 207系統「清水道」より西へ徒歩5分
六道珍皇寺
臨済宗で薬師如来を本尊とする寺院。「ちんのうじ」あるいは「ちんこうじ」と読む。
本堂
京都市が設置した看板には次のように書かれている。
大椿山と号する建仁寺の塔頭で「六道さん」
として親しまれている。
この付近は、かつて死者を鳥辺野(東山区南
部の阿弥陀ヶ峰北麓の五条坂から南麓の今熊野
に至る丘陵地)へ葬送する際の野辺送りの場所
で、「六道の辻」と呼ばれ、この世とあの世の境
といわれていた。六道とは、仏教で、すべての生
き物が生前の善悪の行いによって必ず行くとさ
れる地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六種
の冥界のことで、本堂の裏にある井戸は、昼は嵯
峨天皇、夜は閻魔大王に仕えた小野篁が冥土へ
通った入口であったという伝説が残されている。
創建についての詳細は明らかではないが、平
安・鎌倉時代には東寺に属して隆盛し、その後
衰退した。室町前期の正平年間(一三四六~七
〇)に建仁寺の僧、良聡によって再興され、臨
済宗に改められた。
薬師堂に本尊の木造薬師如来坐像(重要文化
財)を安置し、閻魔堂に小野篁の作と伝わる閻魔
大王像と等身大の小野篁像が祀られている。
毎年八月七日から十日までの四日間は「六道
まいり」が行われ、先祖の精霊をこの世へ呼び
戻す「迎え鐘」を撞く参拝者でにぎわう。
門をくぐって参道右手には閻魔・篁堂があり、格子のガラス越しに小野篁像と閻魔大王像を見ることができる。撮影禁止。
参道左手には水子地蔵尊があり、数多くの地蔵が祀られている。これについての説明は特に見られなかった。
「冥土通いの井戸」へは本堂右脇から行くことができる。
閻魔・篁堂
小野篁(たかむら)は平安前期の実在の人物で、高級官僚であったと同時に文人・歌人としても知られ、小倉百人一首では「参議篁」として選ばれている。
系図集『尊卑分脈』によれば小野小町の祖父にあたるとされている。
「閻魔・篁堂」の説明書きによると、小野篁が昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔大王に仕えていたという奇怪な伝説は「江談抄」や「今昔物語」などの説話集のほか
「元亨釈書」等にも数多くにも見られることから、平安末期頃には篁が、独特の神通力を有しつねに現世と冥府の間を往来する閻魔帳における
第二の冥官であると語り継がれていたらしい。
日本で「三途の川」信仰が広まったのは平安末期ごろとされることから、篁の時代には一般には知られていなかったと考えられる。
小野塚小町との関連が明言されたことはないが、名前と役職は十分似ていると思う(主観)。
閻魔大王像のところにあった「浄玻璃の鏡」は目測で直径20~30cmの円形のものだった。
「浄玻璃の鏡」は姿見のような大きなものとして描かれることもあることを考えると、映姫の「手鏡」に近いと言えなくもない。
最終更新:2015年08月24日 14:19