関係あるとみられるもの

物部布都(東方神霊廟ほか)

住所

〒576-0033 大阪府交野市私市9丁目19-1

京阪「交野市」または「私市」から京阪バス18系統「磐船神社前」下車徒歩1分
近鉄「生駒」から奈良交通バス82系統「北田原」下車徒歩12分

磐船神社

磐船神社は、饒速日命を主祭神、「天の磐船」という巨大な岩をご神体とする神社である。

本殿と天の磐船。写真だと迫力が伝わりにくい。

巨岩は谷を流れる「天野川」を跨いでおり、その大きさは神社のホームページによると高さ12メートル、幅12メートルになる。
「日本書紀」などによると、神武天皇の東征に先立って饒速日命(にぎはやひのみこと)が天照大神の命を受け、天の磐船に乗ってこの地に降臨したとされている。
豪族の物部氏は饒速日命が祖神であるとしており、またこの神社の周辺地域を開拓・支配していた物部氏の傍系一族である肩野物部氏はこの神社を氏神としていた。

物部氏は大和朝廷において排仏派の立場を取り、崇仏派である蘇我氏と激しく対立していた。そんな中で物部氏の出身でありながら
蘇我氏へ嫁いだとされる「布都姫」という女性がおり、その対立の原因の一つとする説もある。おまえか。
蘇我氏との戦いで敗れた物部守屋の子孫らが各地で「物部神社」を建てたが、その中でも信濃にある「物部守屋神社」は諏訪信仰の「洩矢」と混同されたためか
一般に「守屋神社」と呼ばれ、さらにその神社のある守屋山が「諏訪大社上社のご神体」であるとされることもある。詳しくは守屋山を参照。

物部氏は奈良県石上神宮も氏神として祭祀していたが、このご神体である布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)は建御雷神の持ち物であり、
「古事記」において建御雷神は国譲りの際に建御名方神と勝負して勝ち、建御名方を諏訪へと追放した神である。
その後、建御名方と諏訪の土着神ミシャクジとの間で云々とか、降臨の際には「天鳥船」という神とともに降りてきたとかいろいろと東方的な意味で楽しい話につながるが
ここに書くよりも石上神社の記事ができればそっちに書いた方がより適切だと思う。



神社のホームページでは国道168号線沿いと書かれているが、現在は新磐船トンネルが完成しバイパスされたため、直前で旧道に入る必要がある。
また、神社の下を流れる天野川も川幅が狭く増水によって社殿や宝物の流出が続いていたことから、現在では川ごと天野川トンネルでバイパスさせ、
旧河川には人工的に水を流している。

大阪府側からの京阪バスは平日運休、土休日は上下合わせて1日4本という超過疎ダイヤのため、利用するのは難しい。
若干遠くはなるが奈良県側からの奈良交通バスは1時間に1本はあるので、そちらを利用した方が良いだろう。
道路は交通量が多いものの道幅が狭く路側に余裕もないので、徒歩や自転車での訪問は危険である。
無料駐車場あるという情報もあるが、公式HPに書かれていないので未確認としておく。神社南側の旧道の一部が何らかの駐車場にはなっていた。

岩場を登って「天の岩戸」に参拝する「岩窟拝観」(拝観料500円)があるが、2014年9月に転落死亡事故が発生してから原則一人での参拝を禁止するなど
条件が厳しくなっているので、希望する人は必ず神社公式ホームページを確認すること。


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最終更新:2016年02月06日 03:26
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