関係あるとみられるもの

少名針妙丸(東方輝針城)

住所

〒604-8801 京都府京都市中京区 今新在家西町38

JR山陰本線「二条」から徒歩10分
地下鉄東西線「二条城前」から徒歩10分
阪急京都線「大宮」・嵐電嵐山本線「四条大宮」から徒歩8分
京都市バス6, 18, 特18, 46, 55, 69, 201, 206系統「みぶ操車場前」より徒歩2分

武信稲荷神社

武信(たけのぶ)稲荷神社は平安時代初期の貞観元年(西暦859年)に右大臣左近衛大将藤原良相によって創祀された神社。
祭神は稲荷神社としては一般的な宇迦之御魂大神、佐多彦大神、大宮能売大神の三柱。
名前の由来は公式ホームページによると「後世、藤原武信という方がこの御社を厚く信仰し、御神威の発揚につとめた」ためとしているが、
「藤原武信」という人物の生没年や地位役職など詳細はわからない。


「一寸法師」の話の中で、武士になるために京へ上り「三条の大臣殿」の屋敷で奉公することになる。
この三条の大臣殿は西三条大臣である藤原良相ををさしており、この神社は藤原氏の学問所があった場所である。
そのためここが一寸法師が暮らした物語の舞台であるとされ、一寸法師のように子供が大きく立派に育つように、また打ち出の小槌で末永く繁栄したことにあやかり
金運・開運・出世を願ってこの神社を訪れる人が多いらしい。

ちなみに一寸法師がもともと住んでいたとされる「津の國難波の里」は現在の道頓堀川とされ、そこからここへはお椀の船で淀川を遡上してきたことになる。
江戸時代の三十石船でも上りは約一日かかる経路だが、Google先生曰く徒歩では10時間もかからないそうなので、重い荷物を運んだりするのでなければ歩いた方が早い。
針の刀程度しか持っていなかった一寸法師がわざわざお椀の船を箸の櫂で漕ぎながら京へ上る必要はあったのだろうか。


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最終更新:2016年02月06日 16:07
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