関係あるとみられるもの
少名針妙丸(東方輝針城)
四季映姫・ヤマザナドゥ(東方花映塚)
住所
〒618-0071
京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字銭原1
阪急京都線「大山崎」から徒歩13分
JR京都線「山崎」から徒歩12分
宝積寺
宝積(ほうしゃく)寺は神亀元年(西暦724年)に聖武天皇の勅願によって行基が開基したと伝わる真言宗の寺院である。
周辺では最も古い寺院であり、重要文化財を含む数多くの文化財を保有している。
山崎の合戦で豊臣秀吉方の陣地となり、物事を左右する重大な局面をさす「天王山」という言葉のもととなった場所でもある。
本殿
小槌の宮。形は寺よりも神社に近い気がする。
本殿横の「小槌の宮」には聖武天皇が夢の中で龍神から授けられたとされる「打出」と「小槌」が奉納されていることから、「宝寺」とも呼ばれている。
この「打出」と「小槌」はそれぞれ別のもので、「打出」は弁財天神の、「小槌」は大黒天神の御神器とされる。
大山崎町商工会のページにある写真を見る限り、「打出」は棒状のものだが何をする道具なのかはわからない。
そもそも「打出の小槌」というものは一寸法師以外の文献では頻繁に登場するものではなく、詳しいことは明らかではないが
「打出と小槌があり、小槌を振ると願いがかなった」→「小槌を振ると願ったものが打ち出された」という誤用が広まったとも考えることができるだろう。
「打出」や「小槌」の関連から「一寸法師はこの寺で修業した」と説明されていることもあるが、「鬼を退治して鬼の持ち物であった小槌を奪った」というのは
この寺の「聖武天皇に龍神から授けられた」という伝えと矛盾しているため、寺には一寸法師とのかかわりを説明する看板などはなく、
京都府も「一寸法師の説話も宝積寺から生まれたのかもしれない。」という書き方をしている。
また本殿手前の閻魔堂には、明治の廃仏毀釈で廃寺とされた西観音寺から移された閻魔王坐像、司録坐像、司命坐像、倶生神坐像、
闇黒童子(暗黒童子)坐像の5躯の木像が並べて安置されている。これらは冥界の役人であり、地獄の法廷を再現しているといわれる。
ただし寺伝に基づく以上の像名は像の形から判断される像名とは一致していないらしい(
参考:Wikipedia)。
木像は鎌倉時代の作であり、すべて重要文化財に登録されている。
駅から近く舗装道路なので徒歩で参拝できるが、かなりの傾斜なので歩きやすい靴を履いていった方が良い。
参拝時間は9:00~16:00で、本堂などは15:30に閉まる。閻魔堂のみ拝観料400円。
最終更新:2016年02月13日 01:17