関係あるとみられるもの

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リリカ・プリズムリバー(東方妖々夢ほか)

住所

北前船主の館 右近家 
福井県南条郡南越前町河野2-15 JR北陸本線「越前武生駅」より徒歩4時間
※「越前武生駅」より1日4便程度バスあり。福井鉄道バス王子保・河野線「河野総合事務所前」下車すぐ

北前船主の館 右近家(きたまえふなぬしのやかた うこんけ)

※近代の面影を残す河野町のたたずまい

福井県南条郡南越前町河野(旧河野村)にある歴史・郷土資料館。眼前には、若狭湾の景勝が広がる。

江戸中期にあたる天明・寛政期年間(西暦1780年ごろ)から明治40年代(西暦1910年ごろ)に至るまで、
北前船(きたまえふね)を運航し莫大な財を築いた右近家(うこんけ)の邸宅を一般公開したものである。
現在では、右近家から寄託を受けた地方自治体によって、保守管理及び資料の保全等が行われている。

「北前船(きたまえふね)」とは、早い話が沿岸貿易船のことである。

各地の港で海産物や名産品を買い付けて船に積み、それをまた別の港で売りさばきながら船旅を行くもので、
日本海の荒ぶる高波をエンヤコラと乗り越えて、南は大阪から北は蝦夷地(北海道)まで巡っていたという。
つまりは誰がどう考えても簡単なわけがないお仕事である。運送と行商が一体化した商売と言えよう。

木造帆船による長期の船旅は、いつ海の藻屑と消えても不思議でない、べらぼうに過酷で危険なものだった。
しかし、危険な分だけ生還したあかつきに獲得できる収益もすごかった。それはもう、がっぽり儲かった。
こうして右近家は、日本海の船主として五指に数えられるほどの莫大な富と繁栄を手にすることとなった。
全盛期にあっては名船「八幡丸」を筆頭におよそ30隻にも及ぶ商船を有するまでに繁栄を見せたという。

時は流れて明治も半ばにさしかかると、資本主義の進歩にともなって物流事業にも近代化の波が押し寄せる。
これに気がついた右近家の人々は、新たに蒸気汽船を取り入れるなど既存事業の近代化に力を入れる一方で、
近代までわが国において「講」のような制度でしか補償されていなかった海運事業の危険を担保するために、
他の北前船主達との共同出資により「日本海上保険」を創設。物流から保険へと大規模な事業転換を図った。

かくして産声を上げた「日本海上保険」は西暦1944年に東京川崎財閥系統の「日本火災保険」と対等合併。
その名を「日本火災海上保険株式会社」に改めた。

激動の20世紀を乗り越え21世紀に突入すると、西暦2001年には「興亜火災海上保険」と対等合併。
その名を「日本興亜損害保険株式会社」に改めた。

続く西暦2002年には、なんか色々あったみたいですけれども「太陽火災海上保険」と合併。

さらに西暦2014年には、「損害保険ジャパン」と合併しその名を「損保ジャパン日本興亜」に改めた。
かくして北前船主のスピリッツを継ぐ会社は、姿形を変えながら西暦2017年現在もなお生き続けているのである。
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右近家本宅と西洋館

※施設正面入り口

以上のように、中世から近現代にかけて成功を収め莫大な財をなした右近家の邸宅を資料館化しただけあって、
その敷地面積は「民家」と呼ぶよりも「山」と呼んだ方が余程にしっくりくるほど、極めて広大なものである。

平地部の本宅から丘の上に立つ四阿(あずまや。展望台)まで、庭園風の山道を10分も歩くことになる。
そして本宅と四阿の間には、「山荘展示館」と、ひときわ来訪者の目をひく「西洋館」が建てられている。

海に近い平地部に残る本宅は、天保年間(西暦1830年代)築の屋敷を、明治34年に改修したものである。
切妻造(/\←こういう屋根のこと)、瓦葺屋根の2階建ての建物に、上方風の座敷や茶室を配した母屋と
内倉、浜倉、中庭から成る構えで、その建築材は全て北前船で産地から運ばせたという豪勢なものである。
宅内には、往年の北前船で実際に使われた船旗、コンパス、遠望鏡等の航海道具や右近家の歴史を伝える文書、
さらには北前船の寄港地で蒐集した珍しい品々(アイヌの民族衣装等)や樽等の生活用品、豪華な家財道具、
かつて1,360石(一般人が1年に食う米×1,360人分)もの積荷を乗せて航行した「八幡丸」の1/20模型など
右近家の繁栄と日本海側の諸地域間の物資の流通、文化交流の痕跡を今に伝える品々であふれかえっている。

敷地の中腹にある山荘展示館は、現南越前町の前進である河野村(こうのむら)が邸宅の寄託を受けた後の、
平成4年度に新設された建物である。1階には、日露戦争の際に海軍に徴用され旅順港閉塞作戦にも参加した
右近家の持ち船「福井丸」に関する資料や、「福井丸」に乗船した広瀬中佐に関する資料等が展示されている。
2階はがらんとしたスペースで、会議や学習会など人が集まる時に使用されるんだと思う。たぶん。
※山荘展示館

山荘展示館の下方、本宅上の山の中腹に海に向かってせり出す西洋館は、昭和10年の施工された建物である。
クリーム色のスタッコをコテ使い荒く塗ったスペイン風味の階層に、校倉造りとスイス風ログハウスを足して
2で割ったみたいな階層が乗った特徴的な2階建て洋館で、玄関ホールのニッチ(小物を置いたりするための
壁のくぼみ)、暖炉廻りのイングルヌック(保温性の高い小部屋)、カラフルなタイル、コリント式ねじり柱、
帆船のステンドグラスがはめ込まれた窓、階段の二連アーチ、2階にしつらえられた開放感のある座敷など、
細部まで粋の凝らされた和洋混交の建造物で、その高い独創性から国の登録有形文化財にも指定されている。
※もう少しマシな写真が撮れなかったものかと悔やまれる洋館前景

ちなみにこの建物には、キッチンがない。人が常住していた時代、ごはんどうしてたんだ。お風呂はあるよ。
また若狭湾を眼前に臨むバルコニーはあたかも西欧の海辺の街にいるような異国情緒にあふれていることから、
全国のレイヤーさんを集めての写真撮影会が行われることとかもあるらしい。
※さぞ絵になりそうなバルコニー。日本家屋が映っていなければ、西欧だと言われても疑わないレベル

東方projectとの関係

さて、以上が「北前船主の館右近家」に関する極めておおまかで非常にいい加減な概要である。
もしここまで拙文におつきあいくださった慈悲深く学識豊かな諸兄がいらっしゃったとするならば

「はてな?ここまでの長文のどこかに、東方要素があっただろうか?」と疑問に思われたことだろう。

この至極ごもっともな問いにご回答させていただくため、まずは下の写真をご覧いただきたい。

※西洋館の内扉

この内扉、どこかで見覚えはないだろうか?

いやまあ「ねえよ」って方が大半だと思うが、もしピンと来た方がいらっしゃったなら、
あなたはルナティック級の東方クラスタだ!と一方的に認定させていただきたい。







正解はコレ。

※ほぼ一致。

果たしてZUN氏がどんな意図をもってスコア画面にこの西洋館を起用したのか。謎は深まるばかりである。
深い謎など無いような気もする。

ただ少なくとも東方妖々夢の世界観にマッチする和洋折衷のオサレでハイカラな洋館であることは疑いなく、
東方妖々夢に関わりのある洋館、例えばアリスの家、プリズムリバ―の廃洋館、あるいは紅魔館のイメージに
近いものとしてこれらの具体的なモチーフの一になっていることも考えられうる。
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最終更新:2017年10月20日 05:16