関係あるとみられるもの
八坂神奈子 東風谷早苗 洩矢諏訪子(東方風神録ほか)
住所
上社本宮 長野県諏訪市中洲宮山1(JR中央線茅野駅より徒歩1時間程度)
上社前宮 長野県茅野市宮川2030(JR中央線茅野駅より徒歩1時間程度)
下社春宮 長野県諏訪郡下諏訪町193(JR中央線下諏訪駅より徒歩25分程度)
下社秋宮 長野県諏訪郡下諏訪町5828(JR中央線下諏訪駅より徒歩15分程度)
※上社二社と下社2二社は30キロ以上離れています。途中電車を利用しても、
全社を徒歩で巡礼しようとした場合、10キロ近く歩きます。
諏訪大社(すわたいしゃ)
全国に25,000社以上を数える
諏訪神社の総本社。その諏訪大社自体も一つの神社を指すわけではなく、
諏訪大社上社前宮、諏訪大社上社本宮、諏訪大社下社春宮、諏訪大社下社秋宮の合計4社で構成されている。
4社は
諏訪湖の南北に広がって点在し、各上社あるいは各下社の2社間の移動だけで、徒歩30分はかかる。
上社2社と下社2社の間はさらに離れており、一般的な現代人が徒歩で4社を巡るのは、かなり困難だろう。
諏訪大社の主祭神は、建御名方神(タケミナカタノカミ)と八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)である。
二柱は夫婦神であり、力を併せて神威を発揮する、いわゆる双神(ならびがみ)であるとも考えられる。
『東方風神録』はじめ東方project諸作品にご登場し、ご活躍なされる八坂神奈子(やさかかなこ)様は、
その作中作にあたる稗田阿求の著書『東方求聞史紀』中の人物(?)評の記事において、
>昔は人間か何かだったと思われるが、それが誰なのか、個人なのか集団なのかはもう分からない
と記されている。
すなわち八坂神奈子は、原初から建御名方神や八坂刀売神のように固有名を持つ一柱の神霊だったわけではなく、
かつて人間だったもの、あるいは複数の神々が長い歳月の中で習合し、一つの人格を得たものである可能性が高い。
リアルの諏訪信仰においても、建御名方神と八坂刀売神を併せて「諏訪大神(すわたいじん)」と呼称することがあり、
これに着想を得ていると思われる。「八坂神奈子のモチーフは諏訪大神である」と表現するのが、最も適切かもしれない。
また上社の神職である大祝は神と同格(現人神)であり、また、神長官が洩矢神の後裔とされることから、
東風谷早苗はこの両方の血脈を継ぐ存在として設定されている可能性がある。これについては別記事で詳述。
「御柱祭」「筒粥神事」など、その神事の多くがスペルカード名等の由来となっている。
上社本宮
※前景
諏訪4社の中で最大規模の神社。建御名方神を祭神とし、背後の
守屋山をご神体とするとされる。
本殿を持たない諏訪造りという独特の様式で、境内の建物のうち6棟が重要文化財に指定されている。
絵馬堂には御柱祭で本宮一之御柱につけられていた「目処挺子(めどでこ)」が展示されている。
目処挺子は上社の御柱につけるV字型の木で、木落としの写真などで氏子が大勢登っているアレである。
神奈子のスペルカード"奇祭「目処梃子乱舞」"(Hard,Lunatic)の元ネタと思われる。
また、諏訪子のスペルカード"土着神「七つの石と七つの木」"の元ネタである
諏訪の七木・七石のうち、
「硯石」と「沓石」が現存するほか、「御座石」と「蛙石」も上社本宮の境内にあったとされる。
早朝の本宮境内と、巫女さん
上社前宮
※前景
本宮の東、1.5キロ離れた場所に鎮座する。八坂刀売神を祭神とし、背後の
守屋山をご神体とするとされる。
古来、本殿の背後にあたる鎮守の山には祭神の眠る墳墓があるとも伝えられており、立ち入ることが固く禁じられてきた。
現にかつては祭祀の中心地であり、
大祝(おおほうり)らの住居が軒を連ねていたとされる(信濃毎日新聞『御柱祭』より)。
ちなみに大祝とは、諏訪信仰の祭祀を統括する最高権威であり、かつては現人神(あらひとがみ)とされていた神職である。
しかし明治維新後に神職の世襲制度が廃止されると、大祝は神事に関わることができなくなり、その名のみ残すこととなった。
(つまり現在の諏訪大社の宮司さんらは、元々諏訪信仰に縁のある方というわけではなく、神社(本)庁より赴任された方々である)。
そして2002年(平成14年)9月1日に「最後の大祝」、諏方弘さんがご逝去され、現人神「大祝」の歴史は静かに幕を閉じた。
恐らく、今後も復活することはないだろう。
なお、大祝が終焉したとは言っても、神代から続くと言われる血筋が途絶えたとかそういうわけではない(当たり前の話だが)。
そもそも大祝は男性のみ就ける神職であるため、大祝=諏訪氏の血筋は男系としては終わったわけだが、母系としては今も続いている。
まあ要は諏訪氏の娘が他家へ嫁ぎ、その子孫が今もご健在である。その系譜の上にある現人神が今、幻想郷で奇跡起こしてるかもね。
諏訪大社上社前宮本殿の目前には、「水眼の清流(すいがのせいりゅう)」と呼ばれる小川が緩やかに流れている。
かつてこの地に居を構えていた大祝が、この清流の水を取って神事の前に身を清めたと言うから、霊験あらたかである。
なお、『東方風神録』のExtra道中において八坂神奈子が神符「水眼の如き美しき源泉」というスペルカードを用いるが、
この清流が元ネタと見て間違いなかろう。水眼の清流の源泉は、本殿背後の鎮守の山を、約1.5キロほど登った先にある。
※水眼の清流。飲むとまろやかで甘い(田畑付近を経由し流れ着くので、泥や雨水等が混入する事も考えられる。自己責任)。
※本殿
喫茶「山里」
※前景
前宮境内の手前にあるお茶屋さん。民家の1階部分を開放するような形で営まれるささやかな店舗ではあるが、
紅茶や洋菓子を味わいながら、目前の諏訪大社前宮の雄姿と参拝客を窓越しに拝観できるような構造がうれしい。
そしてなぜか、店内の一角を東方project及び艦これ関連の同人誌や早苗さんのぬいぐるみ等が占拠している。
おそるおそる「(誰かに)強いられているんですか?」とおかみさんにお尋ねしてみたところ、
笑顔で「とてもいいお付き合いをさせてもらってます。」とのご回答を賜り、ほっと胸をなでおろした。
※こんな感じでゆったり前宮を拝める。
※早苗さんと2柱とおいしいお茶菓子が、皆さんのご来店をお待ちしています(不定休につき、お出かけ前にはTwitter等で営業の確認を)。
下社春宮
※本殿
下社の祭神は、2月から7月まで春宮に鎮座し、8月1日の御舟祭で秋宮に遷座し、翌2月1日に春宮に帰座される。
中心となる主に幣拝殿と左右方拝殿であり、ともに重要文化財に指定されている。
また、向かって左手には下社特殊神事のひとつである筒粥神事が行われる筒粥殿がある。
※筒粥殿
筒粥神事とは、毎年1月14日夜から15日早朝にかけて葦筒44本に米と小豆を入れて筒粥殿内のかまどで炊き込み、
そのうち43本は作物の豊凶を、残りの1本は世の中を占うというものである。
古くは上社前宮および本宮の境内でも行われていという記録があるそうだが、江戸時代ごろにはその伝統も失われ、
現在ではその遺構が残るのみとなっている。
八坂神奈子のスペルカード"筒粥「神の粥」"(Easy,Normal)、"忘穀「アンリメンバードクロップ」"(Hard)、
"神穀「ディバイニングクロップ」"(Lunatic)はこの筒粥神事を元ネタにしているとされる。
※御柱のご到着を待つ境内
下社秋宮
※本殿
諏訪4社の総本社とされる神社である。
幣拝殿と左右方拝殿のほかに神楽殿という建物があり、これが
風神録6面スペルカード展開時の
背景に映っている建物である。
※神楽殿
※初詣の境内
御柱祭
平成28年の御柱祭で建てられた下社春宮一之御柱
正しくは「式年造営御柱大祭」といい、(数え年で)7年ごとの寅と申の年に行われる。
宝殿の作り替え、そして御柱を選び、山から曳き、境内に建てるという一連の行事を「御柱祭」と呼んでいる。
柱を山から里へ曳き出す「山出し」が4月に、神社までの道中を曳き、御柱を各社殿四隅に建てる「里曳き」が5月に、
上社・下社それぞれで行われる。
御柱建立の意義は四方鎮護のしるしでもあることから、平成十年の長野冬季オリンピック開会式に
「聖なる空間」の建造にと「建て御柱」が行われ、その時の御柱が今も下諏訪駅前に立てられている。
御柱は現在ほとんど樹皮を剥がした木がそのまま使われており、ガンキャノン濃い茶色の六角柱ではない。
御柱祭は諏訪大社4社のお祭りだが、この地域では小さな祠なども含めて
ほとんどの神社の四隅に御柱が建てられている。
御柱祭の年には、諏訪大社だけではなく、これら多くのローカル神社で柱の建て替えを行うらしい。
大社の御柱祭は5月には終わってしまうが、
その他の神社はおよそ9月ごろまで順次お祭りと建て替えを行うため
御柱祭の行われる年の諏訪地方は、ほとんど1年を通して文字通りお祭り騒ぎの活気に満ち溢れている。
最終更新:2018年04月27日 22:22