関係あるとみられるもの

東風谷早苗 洩矢諏訪子(東方風神録ほか)


所在地

長野県岡谷市川岸東1-12-20(JR中央線岡谷駅より徒歩15分程度)

洩矢神社

※前景

長野県岡谷市に存在する、明神鳥居の神社。主祭神は「洩矢神」とされる。
洩矢神は記紀神話には登場せず、諏訪信仰の縁起(起源)を著した『諏方大明神画詞』等でのみその存在が確認される神である。
このように『古事記』や『日本書紀』などの"中央神話"には姿を見せず、特定地域の起源神話にのみ登場する神は、「土着神」と呼ばれる事がある。
『諏方大明神画詞』の伝承によれば、洩矢神は古代諏訪地方の一円を統治していたが、出雲系の神である建御名方神(タケミナカタノカミ)らが侵入した際に抗争に敗れた。
以後洩矢神と洩矢神の子孫とされる人々は建御名方神(タケミナカタノカミ)を中心とした諏訪信仰の一翼を担い、共同統治者に近いようなポジションに収まっている。
なお、この抗争の際に洩矢神率いる先住の民が本陣を構えたとされる場所がこの「洩矢神社」であるという説もあり、洩矢神そのものを祀るわりとめずらしい神社である。
対する建御名方神が陣を布いたのは、この神社より天竜川を挟む対岸であるとされ、藤島神社がその場所に比定されている。
現在では周囲に住宅がひしめく場所にあるが、やや小高い丘の上に建っており見晴らしも良いため、たしかにここに本陣を布くのは合理的だと思える立地である。
ただし、現在の洩矢神社も藤島神社も度々遷座を繰り返しており、旧来鎮座していた正確な場所の把握は出来ていない。
現在の洩矢神社の裏手の通りから中央道をくぐった先、300mほど西に行ったところに洩矢神社のかつての座所とする碑があるが、これもまた元の場所と異なると言う。

 ▲洩矢神社旧蹟

以上、洩矢神と建御名方神、考古学的には諏訪の先住者と出雲からの移住者の間に起こった古代の紛争は、東方projectにおいては「洩矢諏訪子」と「八坂神奈子」の
関係性(スペルカード「諏訪大戦」など)に引用されていると考えられる。

周囲は住宅地であり、神官の常駐などはされていないが、祭礼は行われており、周囲の人たちにとっても大事にされていることが伺える。
以前はマレットゴルフ場が神社内にあったが、現在は撤去されている模様。

ミシャグジ神

ミシャグジは有史以前の古代日本で信仰されていた神であり謎も多いが、柳田國男によれば塞の神(サイノカミ。境界を示す神)の一種あるいは総称とされる。
また、ミシャグジの淵源は古代諏訪信仰(洩矢神信仰)にあるとも言われ、洩矢神とミシャグジ神が同一視されることもある。
サイノカミは大和王権が本州一帯に版図を広げる前の東日本において、少なくとも中央高地及び関東一円にわたって信仰されていた非常にスケールのデカい神であり、
建御名方神と洩矢神、ひいては「八坂神奈子」と「洩矢諏訪子」の争いは、もしかしたら単に諏訪地方の収奪ではなく西日本VS東日本の壮大な紛争だった…のかもしれない。

注意事項(必読)

洩矢神は安産、子育て、学業成就、商売繁盛、口内炎の治癒など非常に多くのご利益を持つ一方、わりとシャレにならん逸話を数多く残す祟り神でもある。
江戸時代には、新屋敷の嘉右衛門なにがしという力自慢の男が無礼を働いて気がおかしくなったとか、勢い余って藩主にまで不幸がつきまとったとかそれは言いすぎだとか。
くれぐれも粗相(そそう)のないように。

最終更新:2020年09月27日 22:35