鏡爺と花人形その6
「いつまで逃げ続ける気?貴方ってホント臆病者ね!」
罵声と牽制の羽を浴びつつも真紅は飛び続けた。目指すは先程雲外鏡が降りた地点。
(鬼太郎…、みんな…)
いつもより弱まってはいるが力はまだ流れてくる、つまり鬼太郎は生きている。危険な場所なのかもしれないが、手がかりがありそうな所は他に思いつかない。
平地を突っ切り山岳地帯に入る。あの山の先に目指す場所がある。真紅が安堵したその時だった。
「!?」
自分の背後よりまるで世界を覆うかのような巨大なプレッシャーを感じた。まさか他に別の妖怪…?焦って振り返って見る。
…しかし水銀燈の他には誰もいなかった。
「どうしたのぉ?いいから好きなだけ逃げなさいよ」
相変わらずの挑発。しかし先程まで血気に逸って自分を追いかけてきた水銀燈が、今は宙に静止して余裕たっぷりに見下している。そこから感じるとてつもない威圧感、真紅は金縛りの術をかけられたように硬直した。
水銀燈はその怯えを見透かしたかのようににやりと笑い、誰かを招くかのように左手をそっと前に差し出した。
「…メイメイ」
彼女の呼びかけに対して水銀燈の人工精霊、メイメイが何処からともなく現れる。メイメイは主の周りを優雅に舞っていたが、水銀燈が顎をちょこんと上げると伸ばされた左手の掌にぴたっと貼り付いた。
「はあぁぁぁぁぁぁ!」
叫び声と共に背中の翼から無数の羽が宙に放たれる。その黒羽は水銀燈の周りを次々と取り囲み、そこから一気に先程メイメイを取り込んだ掌の上に収束し始めた。
「何なの…?」
今までの水銀燈とは何かが違う。逃げることも忘れ真紅は目を奪われた。
そして全ての羽が集まった時、水銀燈の左手首より先は、パチパチとした小さな火花を放つ怪しい黒い霧に包まれていた。
「これで準備は終わったわよ…」
「水銀燈…それは…?」
「ジャンクになる覚悟は出来たかしら?」
言い放つやいなや、水銀燈が発光した。そして次に、信じられない猛スピードで真紅に向かって行く。
「!! 間に合わない!」
間近に迫って来た水銀燈に対し、真紅は咄嗟に花弁で防御壁を作った。
「無駄よ!」
しかしその壁は障子紙の様にあっさりと打ち破られ、驚く真紅の目前で水銀燈が左手を振り上げた。その掌が激しい光を放つ。
まるで大蛇が獲物に喰らいつくように、左手が真紅の顔を掴みかかる!凄まじいエネルギーが開放されるのを感じた。やられる…終わりを覚悟した。
「………!?」
次の瞬間、目の前にはしくじった!と言った表情の水銀燈の顔があった。僅かばかり狙いを外したらしく、左手は真紅の顔の横に突き出されていた。大技を放った直後だからだろうか、水銀燈の動きが一瞬硬直する。その隙を見逃さなかった真紅はその場よりさっと身を逃した。
後ろで爆音が響き渡る。爆風に煽られつつ振り返ってみると、山が一つ消し飛んでいた。
「これは…!?」
「少し手元が狂ったようね。まあいいわ、今ので大体わかったし、次は外さないわよ」
気を取り直した水銀燈がさらりと言った。
今の攻撃、それにしてもなんと言う破壊力だろうか。現代のアリスゲームはドール達の力が以前よりも遥かに上がってきている。人間より強い生命力を持つ妖怪達をそれぞれミーディアムに持った結果である。
しかし、フィールド内部とは言えここまでの攻撃は見た事がない。これは巨大妖怪クラスの力である。
「この威力…貴方、ミーディアムからいったいどれだけの力を吸い上げたというの?」
「人間が媒体だったら一発で力を吸い尽くしているでしょうね。でもぬらりひょんはそれなりに妖力はあるし、もう一発撃てればそれでいいわ」
いまだ禍々しいオーラを放つ左掌を見ながら、水銀燈は冷たく笑う。
一方、このフィールドのとある場所。
「ぬらりひょん様~、しっかりしてくだせえ~」
「ぐおーっ!指が熱い!熱い!あ・つ・い~!」
多量の力を奪われたぬらりひょんは、その場に倒れうずくまった。
この窮地を脱する方法を、真紅は考える。どうするか。先程はかろうじて外れたものの、あれを喰らえば一発で全てが終わる。水銀燈のあの自信、次こそは間違いなく当ててくるだろう。
しかし未だに信じられないはあの力だ。ドールにだって扱う力の上限はある。あれだけのエネルギー、もし自分が取り込んだらその時点で自滅するかもしれない。水銀燈とはそれほどの差があると言うのか…
(ひょっとして人工精霊の力で…?)
先ほどメイメイを自分の手に同化させた行為、あれが鍵ではないか。
真紅自身、ホーリエを戦闘に用いる場合、力の入れ具合によってスピードやパワーに差が出る事を知っていた。ただ基本的に牽制に使う事が多かったので、必要以上の力を込める事もなかった。
もし自分が同じやり方をとった場合、対抗できうるだけの力を使えないだろうか。
(やってみる価値はあるかも…)
「さっきから何考え込んでいるのよ…うふふ、念仏でも唱えているの?」
必ず勝てるとの確信からか、先程から見下していた水銀燈が話しかけた。
「見てなさい」
真紅は右手を天に掲げ、再び自らの人工精霊を呼び出した。
「ホーリエ!」
現れたホーリエは主人の意思を察し、その手の上に舞い降りた。真紅の体に異変が起きる。
(これは…?やっぱり!)
右手から伝わり体内を駆け抜けるこの感覚。体中が軽く、明らかに今までとは違う。これならいけるかもしれない。
次は力の取り込みだ。水銀燈は自らの羽を展開させ、それを収縮するという方法をとった。これは花弁を代用して出来るはずだ。真紅は力をこめて花弁の展開を試みた。しかしその直前、ある重大な事に気付く。
(もし私がこの力を使ったら鬼太郎は…?)
そう、水銀燈と同レベルの技を使う場合、そのための力を鬼太郎から貰わなければならない。しかし、先程から感じる力はいつもよりも弱弱しく、それに耐え切れるかどうか疑わしい。無理に続けると取り返しのつかない事になるかもしれない。
(くっ、ここまで来て…)
力の解放を躊躇した真紅は、悔しそうに水銀燈を見上げた。
「何よ私の真似なんかして。それだけで勝てると思っているの?」
中途半端に構えを解いた真紅に対し、水銀燈の余裕は消えない。
「もうお祈りは終わったでしょ?この手で楽に終わらせてあげる」
ゆっくりと左手が振り上げられた。まだ真紅は決断を下せない。更なる口撃が続く。
「真紅、貴方のブローチを砕いた私の手で、あなた自身も砕かれるのよ」
ブローチ。砕く。この言葉を聞いた時、真紅の中で何かが弾けた。
かつて真紅が身に付けていた、父から貰った大事なブローチ。それを目の前で破壊したのが水銀燈だ。二人の亀裂を決定的にした出来事だった。
「水銀燈!あなたって子は───────!」
真紅の心が憎しみで満ちる。ふつふつと湧き上がる怒り、それを止めることはもう出来ない。
(これも宿命なの…?鬼太郎、ごめんなさい)
全身にあらん限りの力を込め、真紅は花弁を周囲にばら撒いた。右手を掲げ、それを一気に収束させる。拳が赤く光りだし、水銀燈のそれに勝るとも劣らない圧力を放ち始めた。
「真紅…」
「前にも言ったことがあるけど、貴方に出来る事は私にも出来るのよ」
一瞬たじろいだ水銀燈だったが、すぐさま気を取り直した。
「そう…お互い最大の攻撃をぶつけ合うってことね。面白い、わかりやすくていいわ!」
真紅は右、水銀燈は左、人工精霊と同化した手に力を込め、両者とも正面の敵を睨みつけた。
「真紅、決着をつけるわよ」
「これだけの力をぶつけあった場合、二人揃って消滅するかもしれないわね」
「…勝つのは私よ」
二人の体感時間が止った。
水銀燈が再び掌に目を向けた。
「うふふ…私のこの手が光って唸るわぁ…」
「来る!」真紅も一瞬拳を見る。(鬼太郎、力を貸して!)
「貴方を倒せと輝き叫ぶの!」
水銀燈が突攻し掌を放つ、真紅はパンチでこれを迎え撃った。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」二人の声が重なった。
世界が 白く 染まった。
「ここは…」
朦朧とした意識の中、真紅は目を覚ました。地面に仰向けで倒れたまま、自分が何をやっていたのか、思い出すまで暫らく時間がかかった。
「私はここで戦って…、そうだ水銀燈は!?」
やっとの思いで事の顛末を思い出し、体を起こそうとする。しかし、力を使い果たしたのか、体の自由がきかない。首だけがかろうじて動くので辺りを見渡す。周囲には思ったほど被害はないようだった。
「ぐっ……」
少し離れた場所で声が聞こえる。必死の思いで真紅が首を上げると、自分と同じように横たわっている水銀燈を見つけた。
「し、真紅ぅ…」
水銀燈も同じく首だけを持ち上げこっちを睨みつけていた。お互いに表面的なダメージは見受けられない。おそらく二つの力が相互にそれを打ち消しあい、反動により吹き飛ばされたのであろう。このダメージは地面に激突したときのものか。
身動きが全く出来ない両者の無言の睨み合いが続く。万一相手が先に回復したとしたら、その時点で勝負が決まってしまう。
時がたち、少しずつ体に力が戻ってくる。体を痙攣させつつも真紅は強引に立ち上がった。対する水銀燈はまだ立てず、体の麻痺がとれていない 。
与えたダメージはこちらが上だったのだろうか、何にせよ相手が動けない今、止めをさすことも可能だ。そうすれば二人の宿怨もこれで終わる。真紅はふらふらと歩き始めた。
水銀燈は恨めしそうにこちらを見続けている。鬼のような形相、自分が憎くてたまらないのであろう。結局あの日のあの時以来、彼女と和解することは出来なかった。
ブローチを砕かれた事は今でも忘れていない。あれは絶対に許さない。しかし、あれほど彼女を怒らせてしまった自分にも責任はある。少なくとも最初に出合った時には何の邪心もない子だった。
泣いて父を呼んでいたと言う鏡爺の言葉が脳裏に浮かび、自分自身も初対面の時その姿を見ている。彼女の持つ純粋な父への愛。思えば水銀燈は勝ち残って父に会いたいがために馴れ合いを拒否し、戦いを続けるある意味一番宿命に殉じているドールである。
このまま倒していいものかどうか、迷いはだんだん大きくなる。その答えが出せぬままいつの間にか水銀燈の元へとたどり着つこうとしていた。変わらず自分に向けられるその視線が痛い。
「水銀燈…私…」
今の迷いを正直に口に出そうとした瞬間、足に異変が起こる。前に進もうとしても動かない。いや、体全体の自由がきかなくなった。無理に動いた事がいけなかったのか、真紅はそのまま前のめりに倒れこんだ。
「今頃…効いて…きたの?鈍感な…真紅らしいわぁ」
いつもの憎まれ口をきけるほど回復したのか、今度は水銀燈が体を起こし始めた。手や足が小刻みに震えてはいるが、両足を奮え立たせて真紅の目前に立ち上がる。
「貴方の負けよ…お父様に会うのは私…今すぐ首を落としてあげるわ」
水銀燈は刀剣を召還し、ゆっくりと上段の構えをとった。真紅はまだ動けない。
「く…こんな事って…」
「さよなら…真紅」
最終更新:2009年11月02日 02:25