庭師、走る!パート2
「おっと、塩切らしておったのを忘れてたわい。偵察のついでに買って来てもらえば良かったのう」
勿論、その願いは、自身の全人格を賭けて任務に当たる蒼星石には届かない。
砂掛け婆の日常はともかく、ターゲットを追う蒼星石。アパートから数十メートル、幸いにして二人を見失う事無く、尚且つ人目に触れる事も無かった。
二人はアパートからここまでやや早足ではあるものの、特にペースを変える事無く歩き続けていた。終始楽しげに何か会話をしているようだが、ここからでは聞こえない。
会話の内容は気になるが、これ以上近づく訳にもいかない。尾行がばれてしまったら元も子も無いのだ。必要以上に距離を取っている嫌いはあるが。
しかし、どうしても翠星石にこんな姿を見られたくない。ふと、他の人物に見られ時の反応が頭に浮かぶ。
…いや止そう。寒気がする。見られるなら翠星石が一番ましかも知れない。
そうこうしているうちに辺りの人気もまばらになっていく。人気が無いのは尾行には不向きだが、誰かに姿を見られる危険性は減るので有り難い。
そうは思いつつも、二人がどこへ向かうのか、不安は増していく。こんな横丁の外れに何があると言うのだろうか。
太陽も山の向こうに沈みかけ、周囲は木々に囲まれ道も荒れたものに変化していく。
その時、二人に全神経を集中する蒼星石に、不意に背後から問い掛けが襲いかかった。
「蒼星…石…?」
「ひっ!?」慌てて両手で口を押さえる。心臓まで飛び出すかと思う程だった。翠星石達の方を見たが、こちらには気付いてないようだ。
安心したのも束の間、誰かにこの姿を見られてしまった事を認識した蒼星石。しかも自分の事を知っている者に。
蒼星石は声のした方に顔を向ける。ゆっくりと、少しずつ。胸の動悸を押さえながら。
目の前に居たのは良く見知った、それも絶望を覚えるのにこれ以上は無い人物だった。
「ホントに蒼星石な訳ぇ? なぁにその恰好。笑えるぅ!」
こちらの顔を見るなり彼女はいつもの高飛車な口調で嘲る。美しい銀髪に漆黒のドレスと翼、薔薇乙女の長女 水銀燈だ。
「え、何? あなたこういう趣味だったのぉ? ぷ…ちょっといくら何でもヤバくなぁい? その恰好…あはは」
水銀燈は笑いを堪えながら、いや、少しも堪えているようには見えないが、蒼星石を嘲り続ける。が、最早放心状態の蒼星石の耳には届いていなかった。
蒼星石の心の中はもう恥じらいとか羞恥心とか、とっくにそんなレベルを通り越して真っ白になっていた。何しろ姉妹の中でも飛びきり性格の悪い第一ドールに見つかってしまったのだから。
終わった…。
唯一その一言だけが真っ白な心の中をぐるぐる回っていた。
水銀燈は相変わらず蒼星石の身なりについて思ったままに喋り続けていた。蒼星石の周りを回りながら時には中腰になり、時には背伸びして体を捻りながら。
しかし、何を言っても反応が返って来ないので、次第につまらなく感じて来た。何を言おうが無反応では味気ない。そこで、話を変えてみる事にした。
「あなた、ここで一体何をしてたのぉ? まさかその恰好を見せびらかしたいって訳でも…無さそうだしぃ…ねぇ?」
水銀燈の話に蒼星石はハッとする。と、同時にまだ何かを喋り続ける水銀燈の口を慌てて右手で塞ぎ、素早く後ろに回り込むと左手で彼女の体を締め上げた。
「むぐぐ…!?」
余りに突然な蒼星石の行動に水銀燈はされるがままだ。更に蒼星石は道端の木まで彼女を引きずると、先程まで追っていた翠星石達の居た方を木の影から顔だけを出して見やる。
…誰も居ない。
痛恨。今日は何て最悪な日だろう! 得られた結果と言えば、この姿を水銀燈に見られたという事だけ。全身の力が抜けてゆく…。
不意に蒼星石の体がフワッと宙に浮く。そのまま前方に一回転して背中から地面にドサッという音を立てて叩きつけられてしまった。
「痛ててて……あ」
背中をさすりながら上半身を起こした蒼星石の喉元に、水銀燈の剣の切っ先が突きつけられた。相当に怒り心頭のご様子である。
「どう言うつもり? 私を締め上げるなんていい度胸じゃないの。返答次第じゃ…」
剣を握る手に力を込める。納得させられなければ本当に首を刎ねそうな勢いだ。
彼女が納得するかどうかはともかく、蒼星石はこれまでの事情を全て話す事にした。この場をごまかせるような嘘など、咄嗟には思いつきそうもない。
「実は…かくかくしかじかで…」
「かくかくしかじか じゃ分かんないんだけどぉ?」
「あはは、古い突っ込みだなぁ…」
ポカッ!
……………
「あはは、…おっかしぃ」
蒼星石のこれまでの経緯を聞き終える頃には、いつもの人を小馬鹿にする水銀燈の顔に戻っていた。
「翠星石達は見失ってしまったし…今回は出直しかな…」
蒼星石は肩を落として呟く。本当には更に水銀燈に対して、今日見聞きした事は他言無用である旨を言いたかったが、逆効果に思われたので止めた。
水銀燈は翠星石達の消えていった道の先へ視線を向ける。
「確かこの先には…」
「何か知ってるのか、 水銀燈!?」
予期せぬ水銀燈の呟きに蒼星石は飛びつく。水銀燈は少し考えてから続けた。
「…この先には、空き家が一軒あるだけ。でも、最近は夜になると騒がしくなるわねぇ」
「それだ! ありがとう水銀燈。でも何で僕にその事を教えてくれるんだい?」
水銀燈の、或いは気まぐれな呟き。しかし、普段の彼女からは、人に道を尋ねられて答える姿など想像出来ない。まあ、本当に気まぐれなだけかも知れないのだが。
「別にぃ。ただ面白いものが見られそうだと思っただけ。ま、既にこうして傑作を目の前にしてる訳だけどぉ」
水銀燈の言い回しに再び顔を赤くする蒼星石。今はここを、いや、彼女から離れる事が先決だ。
「じ、じゃあ僕は行くよ。教えてくれて助かったよ」
「あらぁ? 聞いてなかったのぉ? 私も行くのよ?」
ある程度予想された展開ではあったが、改めて宣言されると凹む。これ以上彼女と行動を共にして、心が挫けない自信など無かった。
と言って、これを拒めば、このままアリスゲームに突入する可能性だってある。この恰好でアリスゲーム…それは悪夢以外の何物でも無い。
「分かったよ…。くれぐれも翠星石達には見つからないように気を付けて」
「姉妹の劇的な再開…、って言うのもなかなか素敵よねぇ…そう思わなぁい?」
先行きに大きな不安を抱く蒼星石だった…。奇妙な組み合わせの二人の、奇妙な同行は始まったばかりだ…。
夕暮れの林道をゆく影がふたつ。蒼星石は地に足を付け歩き、その右斜め後ろを水銀燈が地面から30センチ程の高で滑るように飛んでいる。
「それにしても…飛んだ災難だったわねぇ」
意外にも水銀燈から話し掛けて来たので蒼星石は戸惑ったが、水銀燈は更に続けた。
「もし私がぬらりひょんに同じ事されたら……絶っ対に殺す…!」
苦笑いで返す蒼星石。思えば水銀燈とアリスゲーム以外の会話をするのは初めての機会かも知れない。
「君らしいね。実は今のマスターの事を結構気に入っているんじゃないのかい」
冗談のつもりで言ったのだが、水銀燈を見ると殺気みなぎる形相でこちらを睨んでいた。かなり気に触ったらしい。
「私がぬらりひょんを何ですってぇ? つまらない事言うとジャンクにするわよぉ!?」
「あーいや、そんなつもりじゃ…」
必死に水銀燈をなだめる蒼星石は前方の灯りに気が付いた。
「ほら、あれ! 君の言っていた空き家じゃないか?」
蒼星石の指差す方を見ると、水銀燈は少し息をついて音も無く着地した。
「ふん。じゃぁさっさと行くわよぉ」
そう言うと目指す家屋へ向けて歩きだした。蒼星石も戸惑いつつ後を付いていく。そして先程より多少トーンを落として喋り始めた。
「今回の件、特に君に関わりがある訳じゃないと僕は思う。しかも君はこう言った騒ぎ事は余り好きじゃないだろう?」
水銀燈が歩みを止める。それに合わせて蒼星石も立ち止まった。数秒の静寂の後、水銀燈は半分だけ振り返る。
「さっきも言ったでしょ、ただの暇つぶし。…大した意味も無くてがっかりしたぁ?」
そう言うと、蒼星石の表情を確認する事も無く視線を前方に戻した。少し間を開けてから再び話し始める。
「…一度その時代に目を覚ませば、私達は自分の意志で眠りに付く事は叶わない。けど第7ドールが現れる気配は一向に無いわ。7体全てが揃わなければアリスゲームは始まらないと言うのに…」
「水銀燈……」
蒼星石は思いつめた顔をする。水銀燈は尚も続けた。
「じゃあ私たちがここにいる理由は何? なぜ目覚めたの? お父様の意志なの? それとも何か別の? …なら……」
何かを言いかけると、ふうっと息を吐いて再び視線を蒼星石へ向けた。
「なぁんて、…本気にしたぁ? おバカさぁん。この水銀燈にはそんなことどうでもいいわ。利用出来るものは何でも利用するの。今回だってそうよ」
「うまくいけば2つのローザミスティカを同時に手に入れられると言いたいわけか」
「ようやく理解したようねぇ。そうでなければこの私があなた達のおままごとに付き合ったりするわけないでしょぉ?」
いつもの相手を見下した口調。薄ら笑いを浮かべてはいたが、その瞳は憂いを帯びているようにも見えた。
蒼星石には水銀燈の真意はわからない。しかし、もしかしたら水銀燈も寂しいのではないか、そうも思えるのだ。
もっとも、仮にそうだとしても、彼女のプライドの高さは半端ではないので、そんなことを自分から言い出すことなど永遠に無いかも知れないが……。
「なら、僕はおとなしく利用されることにしようかな。とりあえずはその価値がありそうだしね」
「ふぅん。いい度胸じゃないの。それよりも……」
蒼星石を見ながら言葉を止める水銀燈。蒼星石はその様子に固唾を飲んで次の言葉を待った。
「ぷ…。 その恰好で真面目なこと言ってるとおっかしー! ほぉんとおバカさんにしか見えないわぁ」
「うるさいなー! もー!」
顔を真っ赤にしてつっかかる蒼星石をちょっと意地悪な笑みで見つめると、三度前方に視線を戻した。
「そろそろ、イクぅ?」
「……うん、そうだね」
人がまず寄り付かないであろう、うっそうと茂った林のわずかに開けた空間に、その空き家はあった。
木造のその建物は、壁や天井に所々穴が開き、誰かの住処ではなくなってから十数年やそこらではききそうもない。
しかし、彼女たちの目の前のそれはわずかに灯りが漏れている上、翠星石と子泣き爺がこの辺りで姿を消しているのだから、誰かが居る可能性は高い。
林の木の陰から様子を伺う二人。しかし数分経過しても何の変化も見いだせなかった。
二人は顔を見合わせる。そしてどちらからともなく朽ちかけた家の入り口の前まで歩を進めた。
「近くで見ると、本っ当汚らしいボロ小屋ねぇ。触れるのなんて考えたくもないわぁ。蒼星石もそう思わなぁい?」
水銀燈の斜に構えた態度を見て、蒼星石は軽く溜め息をつく。要するに戸を開けろ、と言ってる訳だ。
「虎穴に入らずんば……か、じゃあ開けるよ」
蒼星石は扉に手を掛けて少しずつ引いた。すると引き戸は思いのほかスルスルと開き始めた。
「あれ…、簡単に開くぞ。……よく見たら扉の溝に滑り易くするシールが貼ってあるのか……」
「こんな人気のないところなのに、わざわざ灯りを点けて……。見つけて欲しいのか見つけて欲しくないのか、まぁそれが狙いなんでしょうけどねぇ」
水銀燈は中を見渡して軽く感想のようなことを述べると、片足からふわりと侵入を果たした。わずかに巻いた風に乗って床に積もっていた埃が舞い上がる。
とは言うものの、人が住んでいない建物としてはその量はかなり少ない。やはり誰かが頻繁に出入りしているのは間違いないようだ。
水銀燈に続いて玄関をくぐった蒼星石はひと通り室内を見回した。生活感を匂わせるような物は何も見当たらない。
中央に位置する荒んだ囲炉裏には薪がくべられ、日が沈み月明かりも差し込まない室内を明るく照らしていた。
「なんにもないわね。だぁれもいない」
室内を歩き回りながら水銀燈がつぶやく。しかし、しばらくするとおもむろに立ち止まり、“なるほど”と言うような表情をした。
「ふぅん、そう言う事ね」
そう言うと、指先のジェスチャーで蒼星石を呼び寄せた。
「何か見つかったのか?」
蒼星石が近寄ると水銀燈は床の一点を指差した。示された床を良く観察すると、周囲の床板とは色調に微妙な違和感があった。
二人は顔を見合わせ、ニヤリと笑みを交わした。蒼星石は、水銀燈とのコンビも思ったほど悪くないかも知れないと思い始めた。
「……で、結局僕が開けるのか……。なんだかなぁ……」
「当たり前でしょ? ほぉら文句言ってないでさっさと開けなさぁい」
蒼星石は苦笑いしつつ、近くに置いてあった先端がカギ状の金属の棒を床の隙間に差し込んで、隠し扉を開けようと試みる。今更ながら作業しづらい恰好であることが実感された。
そして指先に何らかの手応えを感じた蒼星石は、ゆっくりと棒を引いた。それに伴い約70センチ四方ほどの床板の一方が持ち上がる。
覆いを取り去られ現れた正方形の穴は、梯子が掛けられていたが、真っ暗で底の様子は全く掴めない。再び顔を見合わせる二人。
「僕から降りよう」
再び穴の底に視線を戻して蒼星石が言う。
「そぉ? じゃ底についたら教えるのよ」
「レンピカ、この暗がりを照らしておくれ」
蒼星石が呼びかけると、懐から青く輝く人工精霊がひらひらと舞い上がり、かざした指に止まった。
そして、螺旋を描きながら闇の支配する穴へ舞い降りてゆく。漆黒は淡いサファイア色の光に照らされ、ある程度の視界が確保された。
蒼星石は梯子に足をかけ、続いて手をかけると、手際よく縦穴を降りてゆく。その様子をしゃがんで膝を抱えた格好で見下ろす水銀燈。
どれくらい下っただろうか。やがてレンピカの輝きが底面の陰影を捉えた。それを見て梯子から飛び降りる蒼星石。
穴の底のその空間は案外広く、辺りを見渡すと更に横穴が続いているのが分かった。
「レンピカ」
蒼星石が小さな声で指示すると、レンピカはくるくる回りながら瞬いて、遥か上からこの穴の底を覗いているであろう水銀燈に合図を送る。
間もなくメイメイの薄紫色の光に照らされた水銀燈が、壁すれすれに翼を広げ音もなく降りてきた。
「あーぁ、あんまり狭いから羽擦っちゃったぁ」
着地するなり不機嫌そうに翼の汚れを払う仕草をする水銀燈。それが終わると蒼星石、横穴の順に目をやる。
「なに? まだ続く訳ぇ? いい加減ウンザリしてきたわねぇ」
当然文句を言っているだけでは何も進まない訳で、しぶしぶ奥へ向かって歩きだす。蒼星石も後に続いた。
やがて突き当たりに扉が見えてきた。木で出来た両開きの質素な扉だ。
水銀燈はその扉の前に立つと、躊躇いなく開け放った。
最終更新:2009年02月25日 19:27