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社会的合理性を達成できるのに...個別的合理性を追求するので...二人ともが損をするわけである。...囚人にとっての「ジレンマ」

個別的合理性が社会的合理性を保証する...の...は、アダム・スミスの「神の見えざる手」による市場原理

誰もがリスクを背負いたくない...フリーライディング

「会話する複数の理性」というものがあったはずである。それがゲーム理論からは欠落してしまった

ナッシュ均衡をもつナッシュ・プログラムには3段階がある。第1段階では、プレイヤーは合理的でもないし、選択もしない。いわば事態の進行は遺伝的にプログラムされている。ここでは機械的なレスポンスが進行するばかりだ。第2段階ではプレイヤーがふえてきて、個々のプレイヤーが他の動きに応じてレスポンスをしていく。しかしまだ受動的なレスポンスになっている。それでもナッシュ均衡はつくられる。それが第3段階になると、プレイヤーはさまざまなプレイヤーの判断(意思決定)の組み合わせによってこれらをミラーリングしつつ、自分の判断を次々に変更するようになる。ここにおいて、いわば戦略的なレスポンスが始まっていく。戦略的相互依存関係によってゲームが進行する段階だ。

ナッシュ・プログラムの第3段階とは、各プレイヤーにそれぞれ相手の出方が予想されていて、その予想の組み合わせが一人のプレイヤーにも反映している段階である。そこには「共通の知識」が形成されているとみなせる。だからこそゲームが成立し、その後の勝ち負けもゼロサム・ゲーム化もおこせた。

しかしヒトラーが初期においても長期においても勝ち続けてしまったのは、ヒトラーを除くすべてのプレイヤーが互いのベスト・レスポンスに関する「共通の知識」をもちすぎたから

「共通の知識」から逸脱している者がゲームの勝者あるいはゲーム破りの獲得者になってしまう危険な可能性

「契約の論理を成立させる理性」と「対話の論理を成立させる知性」とは、別々のものなのだ。

また、全体のゲームのためのシナリオと、部分だけがゲームになるシナリオとは別々のものなのだ。全体のシナリオが遂行できるのは、かなりの資金か軍事力をもっている少数者のためのシナリオである。
最終更新:2008年08月10日 06:06