それは新暦67年――本来の正史ならば、高町なのはが異世界にて襲撃に遭い、瀕死の重傷を負う少し前のことだった。
 とある衝撃が管理局全体に走った。
 「――なのはが、消息不明……?」
 今正に執務官試験のため、勉学に励んでいるフェイト・T・ハラオウンが、その情報を聞き、驚愕に満ちた瞳でそう言った。
 鎮痛な面持ちで語るのは彼女の幼なじみ、ユーノ・スクライアと八神はやてだった。
 「……うん。あるロストロギア……〝オーバードーズ〟っていう代物を追っかけている最中だったんだけど……」
 「一週間も前から音沙汰無いんや。普段ならまめに連絡は入れるなのはちゃんなんやけど……今はまるで連絡が付かない。任務難易度を考慮しても、これは――ちょっと考えられへん」
 それはあまりにも衝撃的なニュースだった。
 幼いながらも確固とした意志と信念、そして魔導師ランクAAAの実力を持つ高町なのはが異世界――それも管理外世界で――完全に消息不明というのだ。
 フェイトは一目見ただけでも分かるくらいに動揺していた。
 「なのはに何かあったってこと? でも、まさか、そんな、なのはに限って……」
 〝オーバードーズ〟というロストロギアは聞いたことがある。形状は懐中時計。効果は〝時を加速させる〟こと。
 こう表現すると大層な代物に思えるが、実のところ動作は不安定で極小。使用魔力に対する効果があまりにも低すぎるのだ。
 対象も個人のみに留まり、特に災害を撒き散らすものではなく、今まで軽犯罪に使用された程度だ。おまけとばかりに使用回数は対象者一人につき一回のみ。
 しかし、ただ放っておくにしては、〝時間〟を操るという効果は物騒すぎる。
 だが所詮、あくまでその程度のもの。なのはの事実上初任務だったジュエルシードの封印の方が、よほど物騒で危険度は高い。
 なのはほどの魔導師ともなれば、単独任務だとしても難しいものではないはずだ。
 そうフェイトは言おうとしたが、それを予測したように、はやては首を振った。
 「……確かになのはちゃんやったら、それほど難しい任務やない。そやけど、場所が問題なんや。なのはちゃんが向かったと推測される場所に――極微少ながら、街全体を魔力が覆い尽くしている。場所を特定して観測しないと、まず発見できなかったことや」
 事前に発見できなかったことが何より悔しいとはやては零した。
 ユーノがそれを引き継ぐように、言葉を紡ぐ。
 「あの街で何かが起きているのは、まず間違いないというのが現在の本局の判断だ。恐らくなのはが消息不明なのも、それが原因だと思う」
 「――その、街の名は?」
 フェイトは固唾を呑みながら、やっとのことでその疑問を絞り出した。
 はやては無言で、携帯機を取り出し、その街の俯瞰図をスクリーンに投影する。
 見る限り、地球のどこでもあるような街だ。特に変なところは見られない。
 ユーノは口にする。唇が動き、音が大気を振るわせ、フェイトの耳を打つ。

 ――――三咲町。

 それが、此度の戦場の名だった。


 ――時は一週間前に遡る。

 なのははぷらぷらと――あまりの暑さにうだりながら、三咲町を歩いていた。
 周りは蜃気楼のように歪み、空気はまるでタールのように肺にへばり付く。
 「暑い……」
 思わず呟く。任務とはいえ、この暑さは若干11歳の体には厳しすぎた。
 どこかで涼もうか、とも思うのだが、件のロストロギアの反応は近い。喫茶店で無駄な時間を過ごすより、とっとと任務を終わらせた方が建設的だ。
 ぱたぱたと手で仰ぎながら、それにしても、と思う。
 ……あまりにも、人が居ない気が、する。
 大通りに人の姿はなく、いつもは温暖化に貢献している車も一台も走っていない。
 いや、人が居ないというのは錯覚に過ぎない。少し意識を傾ければ、喫茶店やデパートには人の影が見える。だからこれは高町なのはの一時の感覚なのだろう。
 そう結論付けたが、それでも、となのはは思った。
 日中だというのに人影は無し。道路には車の影すらなく。街は廃墟のように静か。深海に沈んだ古代都市。これでは、まるで。

 「まるで、水槽の中の――」

 「魚みたい?」

 は、となのはは振り向く。そこにはゆらゆらと揺れる陽炎があるのみで、誰もいない。
 ……暑さでやられてるのかな。
 幻聴を振り払うように、なのはは頭を振った。
 いけない。今は任務中だぞ。しっかりしろ、私。
 自らを叱咤しながら、なのはは歩みを再開した。
 少し歩いた後、待機モードのレイジングハートから、目標が近いことを知らされる。この路地を曲がった奥。昼でもなお暗い、闇の底にそれはある――
 「あった」
 涼しげな暗がりを進んだ先、ゴミと埃に埋もれた壊れた懐中時計がそこにあった。
 良かった。これで任務は完了だ。さぁ帰ったら何をしようか。まずはお風呂に入るのが先かな。こんなにも暑いから汗が酷い。それから、どうしよう。フェイトちゃんとアイスでも食べて涼もうか――――
 そう、うきうきしながら少し先の未来に思いを馳せていた時だった。

 ――――ぐるり、と世界が反転した。

 「え」
 ご、と派手に頭を打った音を聞いたとき、なのはは初めて自分が地面に倒れ込んでいるということを認識した。
 困惑する。
 平衡感覚が無くなり、全身から力が抜けていく。なのはにとって、全く未知の感覚だった。
 レイジングハートが何か騒いでいるようだったが、全く耳に入ってこない。どうしたことだろうか。耳鳴りが酷くて、何も聞こえない。
 辛うじて手を動かす。視界に入った掌には。

 べっとりと、赤い赤い――血が。

 「何、コレ……?」
 ナニコレナニコレナニコレナニコレナニコレナニコレナニコレナニコレナニコレナニコレナニコレ――――!
 意識が反転する。手足が痺れて動かない。あまりの事態に脳が許容量を超え、フラッシュバックを繰り返す。
 どろりと地面に血が流れた。そのことを理解した途端、胸に大きな穴が空いているということに漸く気がついた。
 あまりの喪失感に全身の毛穴が開いた。ぞわりと背中にムカデが這い上がってくる感覚。全身が冷や水をかけられたように戦慄する。
 ぽっかりと空いた胸の空洞。あって当たり前のモノがなくなった喪失感。
 あまりに絶望的な事柄が思考の中に浮かび上がる。
 ――心臓が、無い。
 「――――」
 理性ではなく本能で理解した。これは――この感覚は――

 死。

 涙が溢れる。絶対的恐怖に顔がぐしゃぐしゃに潰れ、止めどなく涙があふれ出てくる。
 ――嫌だ。嫌だよ。私、何にもしてない。こんなところで、死んじゃうなんて……
 救いを求めるように手を伸ばす。最後の力を振り絞って、何とか前に進もうと――
 その時。三日月のように張り裂けた笑顔が――――

 ――――暗転。

 時空管理局所属嘱託魔導師。高町なのは。
 ……任務中に赴いた三咲町にて、死亡。
 かちりと。
 時計の針が動き始めた。


 構築される幻影の夏の中、血を巡る物語は、魔導師・高町なのはの死から始まる――――


 「私の目的は吸血鬼化の治療。そのためにどうしても真祖の協力を仰ぎたい。……吸血鬼に侵された人間の末路は死です。アナタになら、私の気持ちは分かるはずです。――アナタは以前、目の前で吸血鬼となってしまった友人をその手に掛けたのですから」
 ――――シオン・エルトナム・アトラシア

 「君の研究が叶うのなら――きっと少しは彼女も報われるから」
 ――――遠野志貴

 「アナタが何者か知りません。ですが、私は私のやるべきことをやるだけです。……神よ。この哀れで幼き魂に救いを。Amen」
 ――――シエル

 「ふぅん。魔導師? 魔術師じゃなくて? ま、私にとっては何でもいいんだけどさ。――邪魔するなら、ぶち殺すだけだし」
 ――――アルクェイド・ブリュンスタッド

 「……管理局だか何だか知りませんが、そのように胡散臭い格好をしている人間を、放ってはおけません。遠野の当主として、私はこの街を守る義務があります」
 ――――遠野秋葉

 「お気になさらないで下さい。秋葉様は只今気が立っていらっしゃるだけなので」
 ――――翡翠

 「そうですよ~。秋葉様はあくまで志貴様が心配なだけですよ? 決してこんな小さな子が自分より胸が大きいなんてくだらない理由で苛ついてるなんてことは無いですよ?」
 「琥珀っっ!!」
 「???」
 ――――琥珀

 「さぁ、生を謳歌しろ」
 ――――ネロ・カオス

 「是非はない。この身は殺人のみを意義とする。俺の目の前に立ったこと。
 ――それこそがお前の終焉に他ならないんだよ。行くぞ――その魂、極彩と散れ」
 ――――七夜志貴

 「え、と……なのはちゃん、だっけ? 私と一緒に行く?」
 ――――弓塚さつき

 そして介入する時空管理局。幻影の夏に立ち向かうは三人の魔導師。


 「――それでも、私は……っ! なのはの友達なんだからぁっ!」
 ――――フェイト・T・ハラオウン

 「代行者だかなんだか知らないけど――なのはは、僕が守ってみせる」
 ――――ユーノ・スクライア

 「は、笑わせるんやないで。こちとら広域魔法Sランクの意地がある。受けてみるか? ――私の意地を」
 ――――八神はやて

 「はいです!」
 ――――リィンフォースⅡ


 崩壊した運命は留まることを知らず。捻れに捻れた因果は、更なる異端と混沌を三咲の地に招く。


 「……俺は、俺の正義を行うだけだ。一を切り捨て、九を救う。そのために、俺は……っ!」
 ――――衛宮士郎

 「やっと見つけたわよ、衛宮士郎。アナタには此処で死んで貰う……!!」
 ――――遠坂凛

 「私は、いつだって――シロウの味方だからね」
 ――――イリヤスフィール・フォン・アインツベルン

 「……」
 ――――セイバー


 噂は明確な悪夢となり顕現する。たった一人の魔法少女が思い描いた悪夢。本来ならば有り得ない存在が、一つのタタリとして現出する。


 「……本来なら顕現することは無いんだけどね。〝今の君の悪夢〟と〝人々が思い描く悪夢〟はかなりの領域で相似している。
 故に私が現れたんだよ。――さぁ、お話を聞かせて貰いに行こうか。人を救うために。世界を救うために。そのためなら――〝私達〟は悪魔にもなる。そうだよね、〝私〟?」
 ――――タタリ〝高町なのは〟


 ぶつかり合うは人の意志。矜持と欲望。人と吸血鬼は幻影の果てに虚言を見る。
 激突する魔術と魔法。空想と幻想。夢と現実。生と死。
 コインのように巡る血と因果。どうしようもない現実に涙するのは誰か。
 うだるような夏、少女は何を見、何を感じるのか。物語の終着点には何が待っているのか。
 幸福とは何か。生とは何か。死とは何か。人間とは何か。
 数々の疑問の槍に穿たれながらも、それでも人は進み行く。
 それは、一体、誰の、何のために――――


 ――――これは血と因果に踊らされる一人の魔法少女の物語。

 リリカルなのは×メルティブラッド×Fate/staynightクロスオーバー
 『B.t.B――Beyoud the Blood――』

 ――ひゅう、と風が吹いた。

 昼間の暑さが嘘のように引いた夜。嗤う月の下で、三人の魔導師はそれを見た。
 人気が失せた公園の中心。空を仰ぎ見る――探し人、高町なのはの姿を。
 一週間以上も音沙汰無く、心配していたが、漸く見つけることが出来た。三人は安心した、と一息吐いた。
 しかし、安堵できたのは一瞬のことだった。
 月光の下に浮かび上がった〝それ〟を視認した途端、安堵の息は驚愕の息へと変わった。
 自分たちに唐突に浮かび上がった感情に、三人は困惑した。
 三人の中に喜びの気持ちは何故か沸き上がらなかったのだ。その感情の正体に気がついたとき、本当の意味で息を呑んだ。
 それは――歴然とした恐怖という感情。未知のモノに相対したときに自然と感じる源衝動だった。
 それでも、と思い、フェイトは足を一歩前に進める。
 「なの、は……」
 からからに乾いた口で、漸くそれだけを紡ぎ出した。
 なのはは、それに気付いたのか、気付いていないのか――顔を三人の方へと向けた。

 嗤っていた。

 ぞくり。
 瞬間、全員が戦慄によって凍り付いた。
 あまりに冷たい笑顔。全身を切り裂くような冷気が、悪夢のような笑みから放たれていた。
 「ごめん。皆」
 なのはは笑いながら口にする。このどうしようもない現実を。覆せない、絶対零度の真実を。

 「――――私、吸血鬼になっちゃった」

 つぅ、と。
 なのはの頬に、血の涙が流れ落ちた。


 ――――魔法少女よ。血の因果を超えろ(Beyoud the Blood)。

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最終更新:2008年08月30日 17:44