「英霊スバル~その軌跡~」中編Ⅰ
――新暦80年代……ミッドチルダ <大戦>初期
滅んでしまえばいい、と何処かの戯け者が呟いた。
数日後、世界は馬鹿が呟いた通りに灰燼へ帰した。
誰もが馬鹿な戯れ言だと思っていたこと――のどかな平和が続くという日常はあっけないと云うことを、誰もが忘れていた。
でもそれは、時空管理局の予測を遙かに上回る大軍勢によって覆されて、旧暦に発達した質量兵器の群れが雲霞のように世界を塗り込めて。
スバル・ナカジマの生まれ故郷である、次元世界有数の繁栄を誇ったミッドチルダは、火の中で踊り狂う罪人のように死に絶えた。
大きな、大きながらんどう、朽ち果てた都市の残骸だけが―――残されたモノだった。
絶望しかないように見えた。それでも人は抗う、運命という呪縛に……
―――身体は鋼で出来ている。
その頃はまだ戦況は良い方で、毎日ご飯がお腹いっぱい食べられた。
それでも戦場では毎日大勢の魔導師が死んでいて、後方では大急ぎで兵士としての魔導師の訓練が行われていた。
食事を取るのは海上護衛艦のヘリポートの上、まだ生きていた姉妹らと取る食事は温かく、美味しかった。
これは、純粋であるが故に世界と向き合うことを始めてしまった少女の物語。
海鳥が鳴いている。バサバサと翼の織り成す音は五月蠅いけれど、お日様の下で食べるご飯には敵わない。
白い羽毛をはためかせながら宙を舞う鳥類を、何処か眩しそうに見上げながら、スバル・ナカジマはエビピラフを口に運んだ。
抜けるような青空、彼女の師匠、その生まれ故郷の言葉で「蒼穹」という真っ青な空は、ちょうどスバルの髪の色に似ていた。
つまり、スバルの頭髪の色は綺麗な青色なのだ。
隣でメンチカツを食べている釣り目の少女ノーヴェ・ナカジマは、それが猛烈に気に食わない。
何故ならば、まずノーヴェとスバルの遺伝形質は同じはず――クイント・ナカジマの遺伝情報がベースだ――なのに、ノーヴェは燃えるような赤毛だ。
スバルとノーヴェの戸籍上の姉、ギンガ・ナカジマなんて、素晴らしいプロポーションに美しい青いロングヘア、緑色の瞳が印象的な美人だ。
同じ職場で働くラッド・カルタス二等陸尉が一目惚れし、彼女の父親の目も気にせず、とうとうプロポーズに踏み切ったのもわかる。
そして今世紀最高・宇宙一、気に食わないことは、今隣で脳天気に飯を食っている少女が自分の姉で、なおかつギンガと容姿がそっくりなことである。
これはノーヴェのコンプレックスの一つで、特に赤毛で黄金色の瞳、という辺りがまるでクイントに似ていない。
……発育がよいのは共通事項のようだが。
閑話休題。とにかく、ノーヴェとしてはこの何処か抜けている「姉」に、もう少し危機感を持って欲しいのだ。
だから、がつがつとメンチカツを咀嚼し飲み込むと、宙に意識を飛ばしながらピラフを食うという奇行を演じているスバルへ怒鳴った。
「だぁーっ! スバル、お前姉貴なんだからもう少ししゃんっとしろよな!」
「うひゃい?!」
ちょっと吃驚したのか、涙目でスバルが口を開いた。
「い、いきなり大声出さないでよノーヴェー、危うく美味しいご飯零すところだったよ?」
ちなみに、この姉既に高カロリーな食事を二人前は摂取している。
食べる量もスピードも段違いなのだ、元祖ナカジマ家の女達は。
後発で養子になった元ナンバーズには想像もつかない大食漢ぶりである、前述のギンガも。
(ひょっとして設計ミスでエネルギー馬鹿食いするんじゃないのか、タイプゼロシリーズって)
同じ機械の身体を持つ戦闘機人として、姉の行く末が心配だ。
今は戦時中だが、将来的に嫁の貰い手いるんだろうか?
かなり失礼なことを考えつつ、ノーヴェはガミガミと説教くさいことを言う。
「だいたいなぁ、今は戦争中だぞ戦争中。どうしてそんなに暢気なんだよナカジマ家はーっ!」
半ばヒステリーである。ちょっとこの子の将来が不安だと姉として少女は思った。
スバルは「んー」と考え込みながらピラフを食べ終え、綺麗になったトレーを自らの脇に置いて結論を出した。
「―――なんかね、母さんが生きてた頃からこんな感じだったよ?
どんな大事件やテロがあっても大抵飄々としているというか……」
「そうじゃねー! そんなこと言われても困るんだよ、海の向こうには敵の戦闘機人がうじゃうじゃいて、どうしようもないんだぞ?!
普通もう少し怖がったり不安そうにしたりするだろうが―――!」
そうなのだ――世界は突然押し寄せてきた敵性戦闘機人の軍団、その黒い津波・蝗の王アバドンが降臨したかのような、終末的光景によって焼き尽くされた。
行方不明者数・死傷者数一切不明の大惨事に、時空管理局は総力を持って事態鎮圧に当たることを宣言、
ここに戦闘機人を有する反乱軍とその他の人類の闘争<大戦>は勃発した。
戦闘機人によって殺害された人類の数は多く、本来ならば「霊長の守護者」が呼び出されてもいいほどだった。
だが世界は非情である。どんなに機械化されていようと、戦闘機人もまた人類でありそれが多数を占めるという状況は、<世界>の介入を拒んでいた。
それは神意か。人の争いは自らの手で決着をつけろと言う、神の御意志なのか――聖王教会の聖職者はそう嘆いたという。
当初魔導特装砲アルカンシェルによる絨毯爆撃もプランとしては存在したが、二次災害である地殻津波によって世界そのものが完璧に崩壊するという予測から、その使用は反対派によって押さえつけられ、時空管理局は泥沼の通常兵力同士の戦いに引きずり込まれた。
敵の数は、通常戦力でこちらを大きく上回っており、まともな兵力差ではない。
スバルはそんな戦況を姉妹の中で誰よりも理解しながらも、笑顔で妹に告げた。
「大丈夫、ノーヴェとみんなは、あたしが守ってみせるから―――」
なんの根拠もない幻想だが、それ故に美しい誓い。
ノーヴェはすごく照れくさくなって、この馬鹿みたいに純粋な姉を守ろう、と思った。
それが自分に出来る最善だと信じていたから。
「バッカ、餓鬼みたいなこと言うなよ、スバル。まるで《正義の味方》じゃんか」
「あ、それいいねー。成りたいな、《正義の味方》――そしたら、誰も死なずに終わらせられるかも知れないし。
そうだ、ノーヴェ。この戦いが終わったらさ、お花見に行こうよ。ギン姉や父さん、それにみんなも一緒に。
海鳴市はいいところだよー、一回くらい家族旅行で行っても罰当たらないって」
誓いであり、無邪気な言葉が吐かれた。
「……それ、死亡フラグって映画では言うんだぜ……?」
ある年の春――まだ家族の暖かな温もりがあった頃。
いずれ■■となる運命を背負ったスバル・ナカジマが、穏やかでいられた時の話だ。
雨は血の雫のように柔らかに頬を叩く。生温い夏の夕立は酷く不快だった。
マッハキャリバーが何か言っている、答えてあげなきゃ―――
《相棒、正気に戻ってください!》
頭を何かにぶん殴られた。
吹き飛んで真っ赤な地面に叩きつけられる。
ざり、ざり、ざりざりざりざりざり――鋼があった。
無数の雫は血か雨か。肉が刮げた傷口からは臓器と深紅の液体が止まらなくて。
それが妹の成れの果てなのだと、大脳が理解した瞬間。
絶叫が溢れた。
「あ、ああああああああぁぁぁッッ!!」
巨大なヤシガニのような腕を持つ敵――おそらく敵の戦闘機人が何かを叫び、十名近い兵士達がバトルライフルを手に駆け寄ってくる。
廻る、廻る、回り続ける車輪――戦うための身体が起き上がり、滅茶苦茶な姿勢で撃った魔力弾が頭部を吹き飛ばす。
飛び散る脳漿に構わず拳を打ち、インパクトの瞬間に振動波を纏わせた打撃で敵の駆動骨格を爆砕・粉砕する。
肉の欠片が混じった血液を吐き出す敵を盾に、マッハキャリバーの猛烈なスピードで敵に駆け寄り、拳を振るった。
赤い。
飛び散った。
紅い。
溢れ出た。
朱い。
こ、れ、は―――
「―――ノーヴェェエエエ!!」
蹂躙という一方的な虐殺だった。
全てが終わったあとに、妹の身体を抱き起こす。
赤毛が血に浸って、本当に真っ赤で――止めどなく溢れる涙に混じって、夕立が全てを洗い流していく。
ノーヴェが弱々しく瞳を見開き、少しだけ笑った。
「はは――馬鹿、なにないてんだよ――ちゃんと、してろって―――」
「待ってて、今救護班を――」
「たすかんねぇよ……あぁ、スバル……お前の目――あたしとおんなじになってるぞ……?
綺麗な、きん……色だ……なぁ、これって神様からの、贈り物だよな……?」
身体に蓄積されたダメージ、戦闘機人モードの濫用による負荷軽減のための身体側の措置。
緑色に戻らなくなった瞳――その黄金に看取られながら、ゆるゆるとノーヴェの目蓋が閉じられていき―――
「……あぁ、あたしも……はなみ……いきたかったなぁ……」
―――二度と動かなかった。
新暦――年、夏。
ノーヴェ・ナカジマは逝った。
―――世界は奪ってばかりだ。
――新暦75年ミッドチルダ 夏
時空管理局執務官フェイト・テスタロッサ・ハラオウンが追っていた、次元犯罪者ジェイル・スカリエッティの死は、彼に製造された戦闘機人の姉妹、ナンバーズの生き残りの案内で確かに確認された。
確認の任務に当たったのは精鋭部隊「機動六課」のメンバーだった。
保護されたナンバーズの証言から、ジェイル・スカリエッティが戦闘機械ガジェット・ドローンによる事件を引き起こしていたことが確定し、この案件は所謂「レリック事件」の終幕という形で機動六課に委任されたのである。
輸送ヘリに揺られて数時間――すやすやと仮眠を気持ちよさそうに取っていたスバル・ナカジマは、相棒である少女の声に叩き起こされた。
否、引っぱたかれた。ぺちーん、といい音がして、スバルの身体が横に倒れ、脇で寝ていたエリオにもたれ掛かる――連鎖的に睡眠から目覚める二人。
まあ、エリオ・モンディアル少年にしてみたら良い迷惑だが。
「ふにゃ?! ティア、痛いよー。着いたの?」
「うぅ……ちょっと頭が重いです……」
「……漸く、起きたみたいね? あと二分で到着ってヴァイスさんがアナウンスしたばっかりよ、気づきなさいっ!」
発色の良いオレンジ色に見える赤毛のツインテール、釣り上がり気味の目尻。
ティアナ・ランスターが、狭いヘリ内部に仁王立ちしていた。
ヘリに同乗している高町なのは一等空尉が、苦笑しながら窘める。
「はいはい、二人ともそこまで。ティアナ、起こすときはもっと優しくね?」
「……はい、なのはさん」
含むものがあるのか、じと目でこちらを見ながらもティアナは比較的素直だ。
高町なのははスバルの命の恩人であり、同時に憧れの人物。
無敵のエースオブエース……その優しさと強さは、少女にとって一つの理想だった。
ふと、窓の外を見た――驚愕に目が見開かれる。
呆然とスバルは呟いた。
「何……あれ?」
「え―――」
山が、抉れていた。
それは暴風の通った後のような奇跡の行使、その痕跡だ。
宝具と呼ばれる偉大なる英霊の力、その一端による破壊の顎(あぎと)は、ジェイル・スカリエッティのアジトの五分の一を崩落させていた。
息を呑んでスバル達がその光景に釘付けになる中、なのははその破壊痕に見覚えがあるような気がした。
絶大な量の魔力の集中運用――すなわち砲撃魔法という分類。
規模や運用法が人類では不可能なほど桁違いだったが、彼女にとってそれは慣れ親しんだ術式だった。
巨大な陥没を生み出すほどの奇跡の行使――その砲撃を放った存在とは一体何者だろうか、と思い、少しだけため息をついた。
まだ、事件は終わらない。
煉獄の中で産まれた感情は、唯一の願いと重なる。
自分には《正義の味方》なんて無理だった、誰も救えない。
姉も父も、かつての敵であり家族となった姉妹達も―――誰一人救えなかった。
ゆえに練兵という名の苦痛をその身に味わい続け、誰一人生きて帰らなかった戦場で生き残り続けた。
無垢なる願いは狂気と紙一重、その願いという異形の蕾は花開き、「英雄」という虚像の大輪を咲かせた。
それは苦行――ただ、己を省みずに人々を助け続けるという代償行為。
そうすることでしか、生きる実感が湧かない空虚な己がいた。
感謝の言葉を受けるそのときだけは、自分が非力ではないと知ることが出来たから。
身を粉にしてでも戦い続ける自分を、心配してくれる友がいた。
執務官として多忙な日々を送る彼女は、あのときと同じように言った。
「バカスバル、あんたの考えてることなんてお見通しよ。
誰も助けられなかったから、誰かを助けなくちゃいけない。
そう思ってるんでしょう?」
「ティア――あたしは、もう……」
吹っ切れたよ。
そう言おうとすると、彼女はこちらの頭を引っぱたく。
「バッカじゃないの! そんなわけ無いでしょ、あのギンガさんやノーヴェが、あんたをそんな風に“呪う”わけ、ないんだから……!
少しは自分を労りなさい、でないと……あたしが悲しくなるでしょ、馬鹿」
「ティア……」
少しだけ、楽になれた気がした。
本当に少しだけ、昔に戻れた気がしたから。
数日後の話だ……彼女が査察に回っていたとある戦陣で、紛争難民を助けるべく尽力して果てたという話を聞いたのは。
戦争広報はそれを時空管理局の美談として垂れ流し、そしてスバルは絶望した。
運命(さだめ)に。
世界に。
―――彼の者の拳は神さえ砕く。
夜の闇を駆け抜ける一迅の疾風が、本来この世界に存在しえないものだと理解する者は、繁栄の都クラナガンには誰一人存在しない。
物質化を解いたサーヴァントの身体は霊体化し、不可視・物理介入不可能な存在となって無機物をすり抜け、戦闘ヘリ以上の快速で都市上空を飛び跳ねる。
その跳躍距離は人外の領域であり、もはや飛行魔法と遜色ないレベルの技能であった。
ルーテシア・アルピーノに《槍兵》のクラスで召喚され、今現在も彼女から魔力供給を受けるサーヴァント、ランサー。
彼女は今現在、死人騎士ゼスト・グランガイツと共に行動していた。その目的と、ゼストの行動理由が一致したというのが一つ。
そして未来時間軸の英霊であるランサーの記憶、これから先起こるであろう<大戦>の惨禍を聞いたゼストが提示した情報が有益だったからである。
曰く、戦闘機人計画には時空管理局のトップ、最高評議会の老人達が関わっているらしいこと。
<大戦>の原因である戦闘機人システムの情報漏洩、それを無くしたいのであれば、彼らが保有する開発データのバックアップそのものを無くさなければいけないこと。
ゼストとランサーはある意味同盟者だ。
戦闘機人という存在を憎んでいる、という意味では共通した信念を持っているから、それも当然だが。
ゼスト・グランガイツはかつて戦闘機人関連事件で自身の命と部下を失い、ランサーは戦闘機人に全てを奪われた存在だから。
であるから、ランサーはゼストに仮契約の方法を教えていた。
念には念を、という程度の意味合いだったが。
罪と罰はいずれこの身で払おう。そのための時間など腐るほどあるのだから。
だが今という刻だけは、英霊としての人々の信仰がもたらした“力”を、脆弱だった人造の身体を神話の領域にまで引き上げたそれを使わせて貰う。
出会ったのも、共に過ごした時間も、生まれて来たことさえ罪。
一人になったのも、一度とて理解されないのも、苦しみ続けるのも罰。
故に―――全てを抹消する。
我が願いはそれだけだ。
走り続けたその先……漸く着地。
数百メートルもの距離を魔力の足場を使って跳び続けたランサーは、機動六課隊舎、その屋上に辿り着いた。
着地と同時に霊体化を解除し、白い膝下まであるコートをはためかせて眼下の地上を見下ろす。
バリアジャケットのデザインは生前と異なり、肌の露出はほとんど無い。
それでも寒さを僅かに感じるのは、かつての感覚の残滓か。あの、地獄の大釜のような<大戦>の。
生前機械化されていたが故の技能・感覚の強化――聖杯戦争における魔術師達ならば誰もが使えた、魔術の代用。
その超感覚は容易く隊舎に帰る五人の少年少女を捉えた。と言っても少年は一人で、後の四人は十代半ばの少女が三人、幼い少女が一人。
そして三人の内二人は、人間ですらない。超合金製の駆動骨格、機械化された四肢と臓器。すなわち、あれこそが戦闘機人タイプゼロ・シリーズ。
青い髪をロングとショートにした少女二人はよく似ていて、彼女達が「ナカジマ」を継ぐ姉妹なのだと知らせていた。
サーヴァントたる女性は青い短髪を揺らすと、微笑みながら黄金色の瞳を輝かせた。
「見つけたよギン姉―――」
ランサーは先頭を行く姉妹の前に降り立つべく屋上から飛び立ち、空中で発生させた魔方陣の足場を――蹴り上げた。
人外であるサーヴァントの脚力で蹴られた魔方陣、擬似的な足場は跡形もなく弾け飛び、流星のような加速で地上へ向けて彼女の身体を加速させる。
この身体は生前近代ベルカ式魔導師だった故に、魔術ではなくミッドチルダ式と呼ばれる術式により、慣性を制御――音を殺して“彼女達”の前に降り立った。
白いコートの裾が天使の翼のように翻り、青いさらさらしたショートヘアが揺れて、その奥から黄金色の双眸が覗く。
純白の外套の下に着込んだ、漆黒の戦衣は豊かな胸と引き締まった身体のラインを際立たせる。
でもそんなことが気にならないくらい、それは恐ろしいだろう。
そして、口を開くのだ。
「こんばんは、タイプゼロ」
空にはもう幾夜で満月になるであろう月が浮かび、煌々と夜の帳を照らす。
「始めようか、裁きの刻を―――!」
その日、運命は交錯する。
最終更新:2008年11月24日 22:53