「英霊スバル~その軌跡~」中編Ⅱ
夢を見ていた。
悲しいくらい純粋で、それゆえに信じていたすべてに裏切られてしまった女。
少女だったときは幾つかの月日が洗い流し、大人となった女性の心はがらんどうだった。
信頼できるものは戦争が壊していった、戦禍が奪っていった、兵士が蹂躙していった。
家族も友も憧れも、かつて共に轡を並べて戦った仲間達も。
心の内に在った理想すら失われていた。
それは如何なる戦場でも生き残り、敗北を知らぬために戦い続け、練兵を続けた先に《起源》を宿した拳ですべてを壊し。
その身に刻んだ武技は無敵―――如何なる敵も生かして還さず、屠る拳は神威すら破砕する。
その者は、幻想へと至る最強無比の種族「竜」すら倒してみせた。
神に救いを求めるだけの、非力な無辜の民草を守るためだけに力を振るい、ついた名前は「疾風の拳士」「竜殺し(ドラゴンキラー)」。
人々から何時しか神の代わりに崇め奉られ、徐々に望まなかった“英雄”への道を歩まされていた。
“英雄”とは時代が望む生け贄に他ならず、そのことを理解したときには全てが遅すぎた。
祭り上げられた存在は死後の虚無すら許されず、ただ人々のために戦い続けた魂は、輪廻から外れて未来永劫廻り続けることを余儀なくされて。
そうして―――何も幸福を得られずに、英霊《■バ■・ナ■■マ》は完成した。
それは遙か遠き世界での出来事。
幼い少女と、既に英雄になっていた女のささやかな約束。
少女は紫色の髪を揺らして無表情だった顔に笑みを浮かべると、青い髪の戦士に告げた。
心も体もボロボロで、何時も優しそうに、でも悲しい笑みを浮かべていた女へ―――厳かに。
手作りのペンダント――皆が生きている頃に撮った大切な思い出。
その写真を魔法で強化して埋め込んだ、願いの込められた品だった。
『これはお呪い。辛いときでも独りじゃないって言う、貴方へ向けた私の祈り―――』
―――絆。
それが、身体が崩れる最期の瞬間まで、英雄の魂を支えた約束の名だった。
その未来の因果によって、召喚師たる孤高の少女は英霊を喚び出したのだ―――
夢は終わる……赤子のように、心地よい声に目覚めた。
「ルーテシア……ルーテシア」
「ん……おかあ……さん」
目の前にはルーテシアにそっくりの美貌、紫色の長髪を伸ばした女性が立っていて、やや不安そうに少女を見下ろしていた。
どうやら、ソファーの上で寝ていたらしく、眠りに落ちる前には存在しなかった暖かな薄桃色の毛布がかけられていた。
ルーテシアは無表情に、しかし僅かながら親愛の情を滲ませた顔色で母に向き直った。
「どうしたの……どこかいたい?」
それを聞くと、メガーヌ・アルピーノは魔力駆動の車椅子に乗った身体を前屈みにして、ルーテシアの頬を突っついた。
「そうじゃなくて……疲れていない? こんなところで寝ると風邪引くわ」
母親の顔には優しい笑顔が浮かんでいて、なんの打算もないその暖かな表情に魅せられるように、幼い少女は安心した。
初めて、八年ぶりに目覚めた母と話したときは、どうして良いかわからなかった。
でも今は、ただ一緒にいるだけで心が暖かくなって、涙が出るくらい嬉しい。
ちょっとだけ涙腺が刺激されて、暖かな雫が少女の白い頬を伝い落ちる。
それに驚いてメガーヌが口を開く。
「ルーテシア、どうしたの?」
「……うれしい」
「え?」
「お母さんとこんなふうに話せて、私、うれしい――」
はらはらと涙を流しながらそう呟いた娘の頭を、そっと撫でてやりながら、メガーヌは思う。
自分がスカリエッティによって、コールドスリープさせられていることをルーテシアに告げたという《槍兵》は何者なのだろうか、と。
彼女の召喚による娘への助言とスカリエッティの殺害というイレギュラーが起こらなければ、自分は今でも娘を操るために利用されていたはずだ。
それを思うとぞっとする。ルーテシアの保護者を務めて、彼女をスカリエッティの魔の手から護り続けたゼスト・グランガイツは行方不明。
何処にいても良いから―――戻ってきて欲しいと思った。メガーヌにとって、彼は掛け替えのない人物だから……
歴史の歯車が決定的に狂った今、それが叶うかは神のみぞ知ることだった。
突然のことだ。スバルの機械化された超感覚が、硬質な物体を蹴り砕いた音を耳にしたときには、弾丸の如き人影は彼女達の前に着地していて、
酷く既視感(デ・ジャヴ)を覚える姿の女性が一人、立っていた。手足まで覆う黒い戦衣の上から白いコートを羽織った、月光に輝く白・青・黒に彩られた夜叉。
真っ青な短髪に黄金色の瞳が煌々と輝き、白い鉢巻きがコートの裾同様、着地時の強風にはためく。
身長はスバルより十センチほど高く、右肘全体を覆う黒鉄の籠手は鈍く輝いている。
あれは、あのデバイスは。
(リボルバーナックル?! どうしてあれが?)
今現在ナカジマ姉妹しか持っていないはずの装備であり、シューティング・アーツの使い手でなければ意味がない極端なデバイス。
ナカジマ姉妹以外にもシューティング・アーツの使い手自体はいるが、完全なリボルバーナックルのレプリカを持つ者などいない。
何故ならばそれは、クイント・ナカジマが特注で造ったワンオフの武具で、娘達しか受け継いでいないものだから。
さらに驚愕すべきはその脚部を覆う漆黒の具足――高速移動のためのローラーブーツ、マッハキャリバー。
自分が所持するそれよりも神々しい空気を纏ったそれは、姉の持つ同型デバイス以外は現存しないはずの最新鋭装備。
そして何よりもその容姿は――異常な輝きを持つ一対の金色を除けば、ナカジマ姉妹に瓜二つだった。
人外の、ヒトの形をした異形の、幾千の地獄を見てきたような双眸がこちらを視ていた。
恐ろしい、アレは違う、アレの存在をスバル・ナカジマは認めてはいけない、でないと自己の存在が―――
―――虐殺される自分しか考えることが出来ない。
「こんばんは、タイプゼロ」
酷く冴えて冷め切った言葉が響く。
馬鹿げた妄想だったが、何時だったか怪談をした夜。
地球の怪談として教えられた「ドッペルゲンガーの怪」を思い出した。
曰く、自分と同じ存在が目の前に現れると、間もなく出会った人物は死んでしまう。
目の前の女性は、スバルやギンガより何歳も年上で、二十代前半ほどの容姿だったが、それはひどくナカジマ姉妹と相似だった。
全身にプロテクターの付いた鎧じみたコートを纏う戦騎は、にぃっ、と笑う。
無邪気なようで、確かな戦意が込められていた。
「始めようか、裁きの刻を―――!」
スバルより幾分大人びた声で、相似存在は高らかに謳い上げた。
惚けていた自分の意識を呼び覚ますように、姉ギンガの声が響いた。
鋭く相手を威嚇するような声を出し、機械を埋め込まれた目で敵の構造を解析せんとする。
「お前は何者だっ! キャロ、私とスバルにブースト魔法を!」
「―――ランサー。《槍兵》のサーヴァント」
女の返答と同時に、全員へ思念が伝えられる。
魔導師の通信技能・念話だ。
(エリオ君は私の合図でキャロと一緒に戦線を離脱、フェイト執務官達を呼んできて。
隊長達が駆けつけるまでの間、私達前衛がここを護るから。ティアナは魔法で私達を援護――頼んだよ?)
(わかりました! 皆さん、ご無事で!)
(任せてください)
カチリ、とギンガのデバイスが起動、演算機構が一瞬で構築されて空間転移が発動。
バリアジャケットが展開、ギンガの左腕を純白の籠手の片割れ、左腕「リボルバーナックル」が覆い尽くし、両足に白き具足「ブリッツキャリバー」が装着された。
ローラーブーツと打撃強化用のデバイス。すなわちシューティング・アーツ必勝の形態である。
左腕に宿った魔力を弾丸状に成型し、指弾の要領で撃ち出しながら叫ぶ。
「今だよ、エリオ君!」
「――ストラーダ!」
一瞬で構築されるのは突撃槍型アームド・デバイス「ストラーダ」。
予め体内のリンカーコアで生成していた凝縮魔力を燃料に、機構部分を持つ無骨な大槍はブースターを展開し着火、
ロケットエンジンを起動したミサイルの如き加速で、主エリオ・モンディアルと彼に抱えられたキャロ・ル・ルシエの身体ごと皆の視界から消え失せた。
圧倒的な視力でエリオの離脱を確認しつつ、ランサーは一歩も動くことなく魔力弾を弾いた。
対魔力の高いクラスである“三騎士”の一騎たる《槍兵》に、出力の小さい魔力攻撃は無意味。
ギンガもそれとなく相手の桁違いの能力を察してはいたが、これほどとは思っていなかった。
ランサーの姿を確認――ナカジマ姉妹の母クイントに酷似した容姿と、スバルのものと同じデバイス。
つまり……ギンガの捜査官としての頭脳は、至極合理的な答えを導き出していた。
「貴方は――私達と同じなの?」
彼女なりの考慮を入れた問いかけだった。
この場にいない、ティアナ以外の仲間達にはナカジマ姉妹の出生――クイントの遺伝子を用いた人造生命・戦闘機人であること――は知らされていないために、
スバルのことを気遣ってあえて含めるような言い方をしたのだ。妹はまだ、自己のアイデンティティーに悩んでいるが故に。
脇で妹スバル・ナカジマがバリアジャケットを高速展開し、黒鉄の籠手を構えたのを見やりながら、ギンガはブリッツキャリバーを疾駆させる。
ランサーは後方へ向けて恐るべき速さで跳び退りながら、笑みを浮かべた。
「優しいね―――貴方は」
その言葉に、悲しい響きがあったのは何故だろう。
「かつては機人と呼ばれた身体だったのは、確か。
幾多の戦いで磨り減って、その果てに自壊した“それ”が、あたしのあるべき姿だった―――」
「“だった”?」
やはり戦闘機人だったか。
だが、過去形であるのは何故か。
ランサーの黄金の双眸が細められ、鷹の目のようにギンガを射貫いた。
「―――っっ?!」
「真実に価値なんてない。貴方は知ったら絶望するし、何も知らずに逝けるのならば、それ以上の幸福はないんだよ――」
記憶を掘り起こす。戦闘機人の少女達と召喚師の少女から聞き出した情報を統合、事実を導き出す。
召喚実験――少女の究極召喚――呼び出された人型――その名を“ランサー”。
状況証拠から、自由意志を持った召喚されしものによる殺害が濃厚……ジェイル・スカリエッティ、母の仇の死―――
―――脳裏で明らかになる真実に叫んだ。
「貴方が! スカリエッティを殺したの?! どうして、そんなことをっ!!」
魔力を腕に纏わせ、砲弾型に成型して弾き出す――リボルバーシュートと呼ばれる射撃魔法。
それがギンガとスバルの腕から二発、ランサーへ向けて放たれた。
今度は魔力を凝縮した弾頭である、如何に対魔力の特性があろうと、喰らえばただでは済まない。
ましてやナカジマ姉妹には知るよしもなかったことだが、ランサーは本来霊体であるところの身体を、架空元素で物質化している存在だ。
当然、対魔力能力で処理しきれない魔力攻撃を喰らえば――如何に非殺傷設定のスタンバレットと云えど、身体の大きな欠落を伴うことになっただろう。
しかしランサーも英霊の端くれであり、《槍兵》である以上そのスピード、瞬発力は人外のモノだ。
僅かに身を屈めたと思った刹那、音速を超える踏み込みで白き死の影がスバルへ迫った。
瞬間、スバルはマッハキャリバーに命じて全力で旋回し、地面へ這うように水平になった身体を、人工筋肉の生み出す馬鹿力で支えて後退する。
空気を引き裂きながら数発振り抜かれたランサーの拳は鋭く、直撃していれば頑丈なスバルと云えど“壊され”ていたであろう魔拳だ。
戦闘機人の身体が生み出す、人類を超越した戦闘技巧がなければ到底避けられない打撃の嵐に肝を冷やしつつ、
スバルはティアナを巻き込まない方向へランサーを誘導する。
「――あの男は死ぬべきだった」
ランサーの、ギンガへの返答はそれだけだった。
ギリッ、と歯を噛み締めたのは、オートマチックタイプ・二挺拳銃型インテリジェント・デバイス「クロスミラージュ」を構えた少女。
オレンジ色に見える赤毛をツインテールにした、気の強そうな美貌の持ち主、ティアナ・ランスター。
彼女が叫び、魔力の銃火が弾け飛ぶ。
「認めない――死んで良い命なんて、何処にもないんだから!」
彼女が抱える一つの信念だった。
兄ティーダ・ランスターの死が大きく影を落とす少女の心は、一つの“受け継いだもの”に支えられていた。
両親を幼くして亡くし、肉親はティーダのみとなった妹への、兄からの言葉。
―――死んで良い命なんてないんだ。
誰もが心を凍り付かせる厳しい前線勤務で、最期の瞬間まで熱い魂を忘れなかった兄の理想。
それは少女の拠り所で、やはり彼女を最期の刻まで突き動かすであろう思い。
熱い魔力弾頭のシャワーを、ローラーブーツによる変則高機動で避けきったランサーにとって、それは眩しい幻想である。
そう、眩し過ぎてティアナを死へ追いやる理想だとわかっているから―――見過ごせない。
「その甘い理想のせいで多くの人が傷つくと聞いても、変わらないんだろうね―――ティア」
空中にオレンジ色の魔力スフィアを複数形成、そこから誘導弾が雨霰と飛び出す――ティアナの射撃魔法だ。
アクショントリガーとなる技名が叫ばれ、音速を超えて魔力誘導弾が飛翔した。
「クロスファイア――シュートッ!」
だが、それがどうした。
ランサーは迫り来る弾丸を全て、鋼鉄に覆われた右腕で握り潰した。
常識外、魔導師ならば魔力によって生成したシールドを使うところを、彼女はずば抜けた反射神経だけで潰して見せたのだ。
青い髪と鉢巻き、顔つきから声に至るまで―――そいつは本当に、スバル・ナカジマにそっくりだった。
まるで、もう一人のスバルが現れたかのような光景に息を呑みながら、ティアナは銃を撃ち続ける。
カチリ――背後で音がして、二人の魔導師が息もぴったりに拳を構えて踏み込んでくる。
すなわち、ナカジマ姉妹のシューティング・アーツによる同時攻撃だ。
英霊となってからは久しく聞いてない、マッハキャリバーの声を聞いた。
《相棒、今です!》
「うぉおおおおおお、リボルバ―――」
ギンガもまた、拳に魔力を付与しての打撃を叩き込もうと接近してくる。
「ナックル―――」
ランサーの黄金色の瞳は、二人が繰り出そうとしている技を完璧に把握していた。
故に、冷めた声で呟く。
「遅い」
「―――キャノン!」
「―――バンカー!」
衝撃波を纏ったスバル・ナカジマの拳は、直撃すれば容易く人体を引き裂く凶器であり、
魔力によって身体能力を限界まで引き出しているギンガの拳もまた、人を吹き飛ばし金属を叩き割る衝撃を伴うだろう。
だが幾多の戦場で戦技として、人殺しの技術として戦闘技術を極限まで磨き上げ、「疾風の拳士」の異名を取るまでに昇華させたランサーの動きは―――
―――二人のシューティング・アーツ使いの少女達の目に、得体の知れない魔技として映った。
繰り出したのは、蹴りと拳による打撃コンビネーション、シューティング・アーツの基礎中の基礎。
それを比較的遠くから見ることが出来たティアナは、その技に気づいた。
何時もスバルが反復練習していた技―――
「―――キャリバーショット?!」
圧倒的な暴力の象徴―――まさしく白い鬼人。
音速の壁など忘れたと云わんばかりに繰り出された拳は、二人が咄嗟に展開した魔力障壁を瞬時に叩き割り、
振り上げられた足は魔力によって保護された戦闘機人の腹を蹴り飛ばした。サッカーボールのように宙を舞う少女達。
弧を描いて跳んだ二人は、二十メートル近く吹き飛ばされ地面へ叩きつけられたが、それが幸いだった。
もしも吹き飛ばされることによって運動エネルギーが消費されなければ、そのエネルギーは破壊の顎(あぎと)となって内臓を食い荒らしただろう。
ゴミのように蹴散らされたスバルとギンガに、悲鳴みたいな声を上げそうになり、ティアナは涙を拭うことも出来ずに立ち尽くす。
ランサーは勝ち誇ることもせず、ただ地面へ倒れて血を吐く二人を眺めて呟いた。
「……脆いね……でも、それでも立つんだよね? どれだけ未熟で愚かでも、“ナカジマ”であるが故に。
そう、戦闘機人だから――戦うために製造され、魔導師を上回る術を獲得し、人類の新たなステージを切り開くための科学者達の悲願。
そして―――全てを滅ぼす終末の始まりを呼ぶ者」
「が……ふ……」
スバルは藻掻いている。
血を吐きながら、立ち上がろうとしている。
それが痛々しくて、ティアナは言葉を投げかけた。
「もうやめて――スバル、あんたは立たなくて良い! あたしが――」
「駄目だよ……ティア……あたし……戦闘機人だし、皆より丈夫なんだから……
前で……みんなを護らなきゃ……」
「――馬鹿、何言ってるのよ! このままじゃ殺され――」
《槍兵》のサーヴァントは、リボルバーナックルのスピナーを高速回転させて、ふらふらと立ち上がったスバルへ歩み寄る。
「必ずあたしが殺す。戦闘機人は全て」
死刑宣告を実行する処刑人のようにその足取りは自然で、闇夜に白いコートが浮き上がって見え、ひどく不気味だ。
この穢れた指先で、死をその身へ刻もう。青い髪が夜風に揺れて、闇に浮かぶ月のような瞳が光り輝いた。
詠唱開始――真名解放という行為により、その身を支配する《起源》を拳に乗せてゆく。
《起源》とは原初の始まりに刻まれたその存在の方向性、運命的な呪縛。
故に、逃れる術などない。
―――この身は鋼で出来ている。
「真名解放《我が一撃は――」
詠唱は「宝具」、英霊の起こす奇跡を世界に認めさせるための儀式だ。
生前ただの魔導師だったランサーにとっての宝具とは、鍛え上げられた文字通り鋼で出来た肉体と、そこに刻み込まれた戦技に他ならない。
「――不敗》!!」
それは不可避の一撃――リボルバーナックルが恐ろしい勢いで打ち出される。
だが、スバルへ直撃する寸前に、その拳は大きく軌道を変えた。脇から迫る光芒に気がつくが、逃げる暇もない。
回避は不可能・ならば受け止めるまで―――その鋼に覆われた右腕は、光の槍と形容するほかない一撃を打ち消していた。
否、正確には拳に宿ったランサーという英霊の《起源》が、魔力光の概念に作用してその形質を変質させ、無力化していたのである。
その光景を悠然と見下ろしながら、白い衣を纏ったツインテールの女性が金色の杖を手に地上へ降り立ち、血を吐いているスバルに言った。
「もう大丈夫――私が来たから。ゆっくり休んで無理はしないで、スバル」
「なの……は……さん……」
ランサーが上を見上げると、上空には黒と金の魔導師が浮かんでいて、
厳しい顔でポールウェポンたる三日月斧を構え、こちらに向けて数発の雷撃を射出用意している。
その金髪の美女――フェイト・テスタロッサ・ハラオウンの美しい声が、降伏勧告をしてきた。
「貴方を時空管理局員への暴行、公務執行妨害と殺人容疑で逮捕します。
武装を解除して今すぐ彼女から離れなさい」
「フェイトちゃん、後は私が……」
「わかった、任せたよなのは」
奇跡の担い手、無敵のエースオブエースと呼ばれた女性を目の前にしても、ランサーは揺るがなかった。
―――彼の者の拳は神さえ砕き。
「どうして……こんなことを貴方はするの? 教えてくれないかな」
ざり、ざり、ざり。
“あのとき”と同じ鋼の擦れる音。
未来から召喚された英霊は、ただ悲しげに呟くだけだ。
「滅びを止めるために、此処まで来ました。
必要最小限の犠牲で終わらせて見せますから―――邪魔しないでくださいっ!」
「それだけじゃわからないよ……その“必要な犠牲”に私の教え子が入ってる。
私にはそれで十分、そんな行為、法と秩序の守護者として認めるわけには―――」
《リミットブレイク。マスターの全能力値制限カット》
「―――いかないんだから!」
巻き起こる魔力の流れ――これがエースオブエース、如何なる勝利も手にしてきたオーバーSランクの力。
だがきっと、痛いほどに、それは人間としての限界を無視した生き方だ。
ならば、未来の英霊として自分は戦わなければいけない。
何より――師の過ちを受け継いでしまった愚者として。
「レイジングハートと高町なのは……その戦歴に敗北の文字はない、英雄的存在。
あたしが憧れ続けた“不屈の心”――故に打ち砕く。これ以上、「英雄」という理想に人々を縋らせないために」
その言葉に――スバルに酷似した言葉遣いと容姿に――なのはが油断なく、槍のような機械仕掛けの魔杖を構えながら問うた。
酷く嫌な予感しかしない中で、一筋の希望を探せないかと思いながら。
「貴方は一体……何?」
―――その生涯は、誰にも理解されず。
答えなど期待していなかった問いかけに、ランサーは律儀に答えた。
スバルから離れ、ゆっくりと高町なのはへ向けて言葉を放つ。
「……戦いの中で英雄となった存在はその死後を星に捧げ、召喚の儀によって仮初めの身体を与えられて現界する。
それが英霊、それがサーヴァント。貴方が見ているあたしは、滅びの刻の中で戦い続けた大馬鹿者の成れの果て。
《正義の味方》みたいに誰かを救いたくて―――本当に護りたい人は誰も救えなかった」
「―――」
無言の問いに、それは笑みさえ浮かべて言い切った。
「我が真名は《スバル・ナカジマ》―――未来において英霊となった者。
さあ、始めましょうなのはさん。理想に祭り上げられた愚者との戦舞を―――!」
月光すら薄い朧雲に覆われる夜の帳の下、白き戦鬼が白い悪魔と対峙する。
■■■に“約束の地”で呪われた彼女は止まる術も知らず、走り続ける。
唯一の正解などなく……至上の世界のために全てを捨てた鋼の獣が、機械の身体を廻して吼えた。
「来い、高町なのは―――ッッ!!」
―――彼の者は夢の果てに空を見上げる。
最終更新:2008年11月27日 02:15