――新暦80年代 <大戦>末期 クラナガン決戦
秩序を失い、眼球をくり抜かれた赤子のように四つん這いで泣き喚く。
ありとあらゆる技術が用いられた戦だった。機械技術・魔導技術・生体工学……
最後に勝ち残る者など最初から存在しないと言わんばかりに、煉獄の光景が世界を焼き尽くした。
これは、そんな激動の時代を生き抜いた彼女の最期だ。
月光が天から降り注ぐ、よく冷える夜だった。
左腕は半壊。暴走したIS<振動破砕>の余波で、都市の残骸と数百体の戦闘機人をミキサーに掛けたようにミンチへ変え機能停止。
血流は最低限通して壊死を防ぎつつ、血塗れのバリアジャケットに包まれた腕を庇わずに戦う。
当然、雨霰と降り注ぐ銃弾や砲弾の衝撃波が肉を刮げ取るが、痛覚をカットしている自分には関係ない。
肉体の修復は既に幾度となく繰り返した行為だが、それももう限界……基礎フレームである駆動骨格が崩れかかっているこの身体に、未来はない。
身体組成――その多くを占める機械部品が苦悶の声を上げ、光速神経系がぶちぶちと肉が裂けていく痛みを脳味噌に送り込んでいく。
人造リンカーコアは悲鳴を上げながら魔力供給を繰り返し、機械化された内臓は必死に大脳が命じるプロセスを実行していった。
魔力生成・魔力集束・術式制御――巨大な青い魔力スフィアが空中に造られ、跳び上がりながら右の拳を叩きつけた。
刹那、膨大な熱量を持ったエネルギーの濁流が地面を抉りながら掃射され、戦闘地帯に集まっていた戦闘機人の群れを薙ぎ払い、爆発、爆発、爆発。
戦闘機人が持つ指向性バリアーをぶち抜くエネルギーの一点集中、それが砲撃魔法。圧倒的な熱量によって爆ぜた身体が、肉の焦げる臭いも残さずに蒸発する。
爆風で滅茶苦茶に抉れた大地に着地、マッハキャリバーを起動。
爆発的加速――ローラーブーツが生み出す高機動――乱れ飛ぶ銃弾の雨を魔法の盾で弾きながら突進し、
シューティング・アーツ。否、極限まで贅肉を落とし、殺害と破壊に特化した戦闘術か――の武技をもって数十に及ぶ敵の首を、鳩尾を、心臓を、額を、破壊する。
拳は鋼すら砕き、蹴りはバリアーごと駆動骨格を粉砕、血と脳漿と内臓を撒き散らしながら、朱と炎の歌を歌い上げて絶命する敵の群れ。
零れ落ちていくのは命の炎の色で、彼らが女――英雄と呼ばれ、人外と拒絶され続けた鋼の騎手――から奪い続けたものの意味だ。
どうして戦っているんだろう。答えなど無く、既に戦うこと以外に生きる意味を見いだせなくなった心が、それでも生きる意味を求めて足掻き続ける。
打撃系の使用――魔力によって身体能力、身体強度を極限まで高めた状態での拳は、量産型戦闘機人を数体纏めて吹き飛ばす。
感触は骨と臓器を破壊した。故に、あれらは既に敵ではないただの屍であり、■バ■・ナカ■■にとっての障害と成り得ない。
血と臓物が放つ異臭に酔いながら、“それ”はふと思考する。
(名前――なんだっけ? あたしの、名前―――)
思い出せない。それよりももっと多くの敵を、仇を討たなきゃ―――
仇?
誰の?
何のために?
身体の何処かが命じるままに一撃、背後から近づいてきた二体の人造兵士を裏拳で打ち砕く。
首の骨を折られた敵。その死に際の言葉が胸を抉る。
「何故だ……オリジナル。我々を、裏切るのか……」
違う、自分はお前達なんかとは絶対に違う――そう叫びたい衝動を抑えて、次なる敵を探す。
けれど気づいたときには一人きりで、地には殺した敵の屍骸が在るのみ。
機械と生体の融合物が転がる荒野。
彼の者はただ一人。
立ち止まって空を見上げてみれば。
雲が晴れた夜天には、煌々と輝く満月が浮かび上がっているだけだ。
いや、少し違う――遙か上空、航空機でなければ到達し得ない高みに、一翼の影。
「あれは」
拡大視覚の中で動く翼影。
見覚えがあった、あの白銀の竜族に。
かつて共に戦った戦友・仲間の家族と云える存在。
天空の彼方より舞い降りた竜に歩み寄ると、竜の背中の上に懐かしい顔があった。
優しげな造形の顔、桃色の髪、白い法衣のようなバリアジャケット。
あのときから数年経った今となっては、幼い童女だった彼女も立派な少女だ。
何処か切ない声で、そいつは告げた。
「お久しぶりです、■バ■さん……いえ、“疾風の拳士”」
「キャロ――生きて……いたんだ―――」
キャロ・ル・ルシエ。機動六課のフォワードメンバーの一人であり、卓越した才能の竜召喚師として生きる少女。
この戦線に彼女が参加しているとは聞いていたが、こうして生きて再会できたことには驚きを禁じ得ない。
激しい戦いの中で、召喚獣以外の戦闘能力を持たない召喚師は、最も狙われやすい兵だったし、もう、この身体が崩れる前に遇うことは無いだろうと思っていたから。
血塗れの拳を引っ提げて会うことなんて、自分は望んでいない。それでも、嬉しかったから、漸く会えたかつての仲間に笑みを浮かべる。
キャロは優しそうな顔に悲しい微笑みを浮かべると、グローブ型デバイスを起動させ、一言。
「本当に―――変わってしまいましたね、私も、貴女も。
<大戦>は時空管理局の勝利の内に終わりそうです、戦後のミッドチルダ復興プロジェクトも動き出していますし、
南部と北部は比較的無事ですから、何年か経てばまた……皆が笑いあえる世界になるはず」
「そっか、終わり、か……戦闘機人は――」
青い髪と鉢巻きが、竜族の巨体が生み出す暴力的な風圧に揺れる。
空中に大規模な召喚魔方陣が展開され、空間の歪みが視認できるほどの渦となり―――
―――本当に、本当に悲しそうな声顔と声で、キャロは残酷に告げた。
「貴女が―――この世界に残る最後の戦闘機人です、“スバル・ナカジマ”。
故に貴女は抹殺されなければならない――悲劇を防ぐために――ヴォルテェェールッッ!!」
一瞬で終わった転送――漆黒の翼を持った鋼の如き表皮、鎧のような鱗で全身を覆った化け物。
高層ビルディングほどもある巨躯、巨大な尻尾で地面を叩く大蜥蜴――否、真竜。
立ち塞がる壁のような存在は、一声吼えると、身体の周囲の世界法則をねじ曲げ、一瞬で無から有を生むという行為をやってのけた。
発生したのは八つの白熱するプラズマの塊であり、人工の太陽と言っても差し支えないほどのエネルギー量・光量。
「キャロは――あたしに――死ねと?」
無言。
ただ、射撃魔法による牽制射撃が飛んできただけ。
「……そっか」
戦端を開くにはそれで十分だった。
スバルは空中に“光の帯”とでも形容すべき魔力の道――ウィングロードを造り出すと、マッハキャリバーの全速で離脱を開始。
「エリオ君を奪った貴方達は、消えなくちゃいけないんです……!
ヴォルテール、最大出力で魔力解放、ギオ・エルガ―――!!」
直後、真竜ヴォルテールの殲滅魔法――地表のすべてを焼き払い、岩盤すら蒸発させる超高温の爆撃が夜の闇を明るく染め上げた。
一瞬で暖められた大気の渦が暴風となって吹き荒れる中、上空へ飛び出したスバルは歯を食い縛って爆風に耐える。
黒色の火竜に向かって拳を振り上げ、ただ、悲しみのままに叫んだ。
「キャロォォォ!!」
「ここで終わってください、スバルさん!」
轟音。突風を巻き起こしてヴォルテールの巨体が後方へ下がり、長大な尻尾を巨人族の鞭のように振るった。
空気が千切れるような音が響く。感覚が馬鹿になるような衝撃の塊が襲ってきて、付近の廃ビル群が一斉に崩れ去った。
空中に生成したウィングロードを蹴り上げ、宙へ踊り出る。瞬間、背後を大質量の尻尾が通り過ぎ、ウィングロードが疑似物質化を粉砕され消滅。
強風に支えを失ったスバルの身体は為す術無く吹き飛ばされ、廃ビルの壁をぶち抜いて地面へ叩きつけられる。
げほっ、と血の混じった反吐を吐きながら立ち上がり、巨獣の鋭い眼光を受けながら、マッハキャリバーを再起動。
「やれる? マッハキャリバー」
《私の身は貴方と共にあります。竜種だろうと関係ない。そうでしょう? 相棒》
「そうだよね……まだ、負けられない……!」
瞬間、アクセルを踏み込むようにローラーが爆発的に回転、土砂を巻き上げながら猛然と竜に走り寄る。
漆黒の火竜、ヴォルテールは身体の器官をフル稼働させて魔力を生み出し、炎熱概念によって空を覆う。
それは神話の光景。大地を蒸発させ、極音速で空を翔る竜という種族――それに挑み、たった一人で戦い続ける女の意地。
宙に発生したプラズマ球の群れが雨霰と地表に降り注ぎ、爆発的な蒸発を伴う轟音を引き起こす。
地面が蒸発する音に混じるイオン臭に顔を顰めながら、キャロは桃色の髪を揺らして飛竜の背から大地を見つめた。
彼女にとって、スバル・ナカジマは唯一生き残った仲間だった。だがしかし、もうかつての自分達には戻れない。
それはわかりきったことだ。彼女は英雄となり、自分は戦闘機人への復讐のために上層部の狗となった。
だから、せめて。
「私の手で終わりを迎えてください―――英雄スバル!!」
プラズマの爆撃をかろうじて避けたスバルの肉体はボロボロで、でもまだ戦えた。
どうして殺し合わねばならないのかと、感情は困惑と悲哀を叫ぶが、自分自身の理性がそれを切り捨てる。
どうでもいい、と。きっと戦えるだけ戦って、自分は死ぬのだろう。手足の感覚が無くなりつつあるし、内蔵機関が痛いから。
ああ、でも―――
「―――キャロ」
泣いている。悲しみではない、もっと深い感情の発露。
上空百メートルを飛翔する飛竜フリードリヒの背に乗る少女は、ただひたすらに泣いていた。
「あたしはね、泣いている貴方なんて見たくなかった」
びくり、とキャロの背中が震える。
「エリオやフェイトさんと一緒に過ごして、幸せになる貴方が見たかった。
これはあたしの我が儘だけどさ―――それでも、望んでしまう夢」
キャロは震えながら、“それ”の排除を命じた。
「ヴォルテェェェェルッッ!!」
瞬間、爆音と共にヴォルテールが右腕を振り下ろした。
空気を劈く大質量の塊。それが爆発的運動エネルギーを破壊に変えるべく地面を叩き。
地鳴りと同時に、世界は震えた。けれど、その一撃は拳士を―――
「でもね、キャロ。あたしは――」
―――殺せなかった。
如何なる手品を用いたというのか。
確かにスバルの肉体を押し潰したはずの巨大な右腕は、ぎりぎりと奇怪に捻れ、血と骨を露出させて歪んでいた。
彼女の肉体は何時の間にか宙にあり、跳躍――味わったことのない苦痛に悲鳴を上げてのたうち廻るヴォルテール―――火竜の頭の上に着地した。
スバルの右腕を覆うリボルバーナックルの周囲には、見たこともない奇怪な術式が展開され、キャロに本能的な恐怖を教えている。
思わず、叫んだ。
「やめてぇぇぇ!」
「我が起源は《振動》―――“我が一撃は不敗”」
起源《振動》……振動するとはそれすなわち変化するということだ。
その起源を込めた打撃は、相手のありとあらゆる原型を変質させ、最終的に崩壊へと至らしめる魔拳である。
その一撃は、火炎を吐いて藻掻き苦しむ黒き火竜の頭部に振り下ろされる。
拳が強靱な皮膚を砕き、骨格に治まった大脳へ向けて変質を促す概念が注ぎ込まれ。
周囲の地面を道連れに―――ヴォルテ―ルは火柱を噴き上げて消滅した。
低空飛行をしていたフリードリヒから飛び降りたキャロは、着地すると同時に泣き崩れた。
「いやぁぁ! ヴォルテェェルゥゥゥ!」
「終わりだよ、キャロ……フリードリヒだけじゃ、あたしには勝てない」
そう告げながらも、スバルの心は空虚だった。
多くの死を見てきた。望む、望まずに関係なく、死は何時降りかかるか分からない―――そんな時代だった。
だから、最後に生き残る戦闘機人が自分だけだったなんて予想も出来なかったし、それこそ自分が望まないことだった。
ああ、きっと―――
「―――あたしは、誰かが泣いて過ごす世界が、嫌だっただけなんだ……」
キャロ・ル・ルシエは、涙と鼻水を流してよろよろと立ち上がり、慟哭した。
「なら返してください! エリオ君を! フェイトさんを! 私に笑いかけてくれた全ての人を!」
「ごめんね、キャロ。あたし、バカだから、もう何も望めない。
こんな世界にならない方法があるのなら、どんなことだってするよ。
でも、あたしの身体の方はもう限界みたいでさ――痛くて、痛くて、痛いんだ……」
皮膚が千切れる。肉が裂け、神経ケーブルが断絶していく。べりべりと音を立てて左腕が崩壊し、肩口からスバルの腕がもげた。
血液がどろりと溢れ、肉体が静かに死んでいく。白いコートのバリアジャケットは薄汚れ、さらに体液によって穢されていく。
その自分自身の死を静かに見つめ、スバルは漸く夜が明けつつあることを悟っていた。
金色の瞳でキャロを見ながら、呟いた。
「案外、死ぬのは怖くないよ……でもさ、キャロ。あたし自身が、自分を許せそうにないや
父さんもギン姉も、新しくできた家族も、友達も護れなかった自分がさ……」
「どうして……どうして! スバルさんまで死んじゃうんですか?! もう、一人は嫌なんです……!」
スバルは、胸のペンダントを残った右腕で取り外すと、そっとキャロの手に握らせた。
キャロの彷徨う瞳が、生気を無くしつつある自分の顔を見たから、無理矢理微笑んだ。
「これは御守り……ルーテシアがあたしにくれた、絆だから……生きてね、キャロ……
………ありがとう、マッハキャリバー」
《相棒!》
「スバ―――」
もう何も聞こえない。見えない、知覚できない、考えられない。
駆動骨格に収められた臓器が、一斉に死を迎えていく中。
声が聞こえた。
―――世界はお前を選んだ。
悲痛な願い―――最期の思いは―――姉の言葉だった。
『私達が生まれてこなければ―――』
暗転。
そして―――英霊が生まれた。
最終更新:2009年01月02日 20:52