「英霊スバル~その軌跡~」中編Ⅲ
その生涯において救いはなく、ただ絶望の地平だけが広がっていた。故郷は煉獄に焼かれ滅びへの道を突き進み、救えたハズの救いたい人たちは皆逝った。
彼女より強い魔導師など腐るほどいた。彼女より強い兵器など幾らでも在った。彼女より強い種族など沢山いた。
けれど、そのどれもが彼女の拳に否定され、最後の最期まで御伽噺のように美しく、その物語は後世で語られた。
だが、そこに真実など無い。あるのは事実であり、作為であり、プロパガンダ―――そう、人間が夢見る“英雄”という虚像に過ぎない。
それを知るが故に―――英霊《スバル・ナカジマ》は疾駆する。かつて自分を魔導師として育て、失われかけた命を救ってくれた恩人に向けて、力を振るうために。
英霊―――《槍兵》ランサーはぎゃりぎゃりぎゃりぎゃり、とアスファルトが焼け付くような加速でローラーブーツを疾駆させる。
あの戦禍―――<大戦>の争乱の中では、背負うものが多い人間ほど早く死んでいった。だから、何もかも守れなくて、誰の笑顔も手に出来なかったランサーは強い。
でもきっと、それは誰かが望んだことではなくて……ただただ、悲しいだけだ。そんな未来という可能性を潰すために、彼女はかつて愛したすべてを滅ぼすと決めた。
家族も同族も、そして―――何より自分自身さえも。予想通り高町なのはの視線は痛々しいものだった。それで構わない。自分は決めたのだ。
一を犠牲にして億を救う……究極の善を成し遂げると。
「それが本当だとしても―――貴方を止めてみせるっ!」
強い決意による鋭い眼光。それを受け止めながら、ランサーは笑う。
獣のように獰猛に、戦意の込められた視線を、空からこちらを見下ろす“高町なのは”に投げかける。
「……嗚呼、本当に」
レイジングハートの先端から発生した、桃色の誘導弾が雨霰と降り注ぐ。魔力による弾丸―――アクセルシューター。
平常時ですら、音速に迫る勢いで地表を滑るように疾駆するランサーにとって、その弾頭――拳銃弾ほどの速さ――は脅威たり得ないが、
それでも空を翔るというアドバンテージは向こうにある。ならば、どうする? 知れたことだ……彼女の拳は、すべてを打ち砕くためにあるのだから。
戦うために生まれたような架空元素(エーテル)の身体に収まった、英霊《スバル・ナカジマ》の知識と頭脳は、ただ戦い抗い続けた生涯を回想するが如く、
“高町なのは”という存在の戦闘能力を冷徹に分析する。飛行能力と火力、防御力はミッドチルダ系の魔導師の中でもトップクラス、おそらくは戦技教導部隊でも随一。
魔杖レイジングハート・エクセリオンの性能もまた然り。インテリジェントデバイスの中でも、ヴァージョンアップを繰り返し性能を上げ続けた演算装置は、ワンオフの逸品だ。
ギリギリと、楽しげに歯を噛み鳴らす。
「貴方は強い」
降り注ぐ魔力弾をラウンドシールドで弾き、封印されている宝具の真名を開封すべきか考えた。
高町なのはは何処までも凛々しく、綺麗だった。白い衣服も手にした黄金の杖も、栗色の髪も―――自分の命を救ってくれたあのときから、何も変わっていない。
月を背負うように夜天を駆け抜ける白き人影、その杖の先端には魔力集束の証である光の塊があった。
瞬時に状況を理解、魔力砲撃兆候―――高町なのはの誇る砲撃、エクセリオンバスターの光。
ランサーは敢えて立ち止まると、鋼鉄の籠手に覆われた右腕を天に突き上げ、己の対城宝具の名を吼えた。
憧れからあの日手にした、“すべてを撃ち抜く光の槍”を。
「《理想へ至る光(ディバイン・バスター)》!」
真名の開封に合わせて展開される、幾重にも重ねられた蒼白のミッドチルダ式魔方陣。
凄まじい魔力の集束は、エネルギーの桁が次々と塗り替えられていくような速度で膨張を続け、青い光となって津波の如く空間を侵す。
光の波が空間をただただ絶大な熱量で侵し尽くし、瞬間、音の壁を燃やし尽くして光の塊を創り出す。
まるで青い星の輝きのようなそれこそ、万軍も城も焼き払う、魔導の行き着く絶技の果て。
それに拳を撃ち込み、ランサー《スバル・ナカジマ》は金色の瞳で世界を睨む。
「受けてみろ、高町なのは! あたしが磨き続けた―――」
白い戦衣を纏った金色の杖の使い手は、己の技を信じて叫ぶ。
「エクセリオンバスターッッ!!」
金色の光がまるで美しい流星のようにランサーへ向けて降り注ぐ。
それを黄金の瞳で見据える、血涙を流すような白い戦鬼の咆哮。
「―――ただ殺し続けるための業(わざ)を!」
ランサーの放った拳によって指向性を持った光の刃は、エクセリオンバスターとぶつかり合うために飛び出す。
その威力は、本来ならばエクセリオンバスターが遙かに上だ。所詮、スバル・ナカジマが習得した砲撃は、高町なのはの劣化複製(デッドコピー)。
発射の発動ラグこそ本式より少ないものの、威力/射程/精度―――すべてにおいて師に劣る贋作(にせもの)。
だがしかし。それを、贋作(できそこない)を、愚直なまでに真っ直ぐに鍛え続けた者がいるとしたら?
何度敗れても立ち上がり。
生き残るために足掻き続け。
自らの肉体を兇器として磨き続けた戦士の力は。
狂気と限界の境界線/不可能という現実を破砕するのだ。
斯くして、金色の正義の剣と、蒼白の修羅の牙は火花を散らす。
ドクン、とリンカーコアが痛んだ。それは苦痛、肉体が上げる酷使への悲鳴であり―――彼女という召喚師の罪の証。
ルーテシア・アルピーノは母親と並び、仲良く食べていたクッキーを手から取り落とし、掠れた呻き声を上げて蹲った。
濃い紫色の長髪が顔に掛かるが、それすらどうでも良いほど、痛い。
「う、あ……ぁぁああぁぁぁ……!」
「どうしたの!? ルーテシア、ルーテシア!」
母の声が聞こえる、でもそれも耳に入らないほど……
…………“あの人の心は痛い”。
召喚者とサーヴァントは霊的な繋がりがあり、故に幻視する……其れは絶望に塗れた記憶だった。
何度倒しても現れる、呪詛の如き血の濃霧――否、敵という名の同族達――量産化された戦闘機人。
街を焼き払い、人々を薙ぎ倒し肉塊に変え、暖かい血の通った仲間/家族を殺していった悪鬼の群れ。
慟哭しながら屠った敵は数知れず、時が経つ度に確実に色々なものが失われていった。
何時もツンケンしながらも、なんだかんだ言って自分を助けてくれた親友は銃火の前に消え。
かつての敵、家族として迎え入れたナンバーズの少女達は血に染まり。
姉と自分を血の繋がりがないにも関わらず、娘と呼んだ父は二度と目蓋を開かない。
そんな絶望。
彼女を縛るのは―――凍えるような冬の地獄、姉の逝く寸前の言葉だ。
『ねえ……■■■…………私達、産まれてこない方が……よかったのかな?』
その言葉が、彼女を呪った。
少女の心は、その地獄を目にして、泣き叫ぶように心中で呻いた。
“もうやめて……誰も救われないから……貴方も痛いはず”
返ってきた言葉は、人殺しの武具……単一鋼材で鍛えられた濁った鋼の刃のようで。
穢れを受け入れる覚悟と、悲しみに満ちていた。
(―――――あたしはもう決めたんだ……救いなんていらない……この煉獄の解決だけを望んでいるんだから―――ッッッ!!)
スバル・ナカジマは“緑色の瞳”で、黄金と蒼白――二色の光の刃――の魔力砲撃のぶつかり合いを呆然と眺めていた。
一人は憧れ―――かつて己の命を救い、魔導の道という未来を提示した紛れもない、理想の姿。
一人は悪夢―――近い未来において、すべてを失い英雄として祭り上げられ、千を救うために百を殺した、己という修羅の姿。
だというのに、何故だ?
何故、何故、何故、自分は―――スバル・ナカジマは……
…………“二人に恐怖している?”
カタカタと震える身体は怖気が走り、決して鳴り止むことのない歯の根がかち合う音。
嗚呼、嗚呼、嗚呼―――怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
ティアナが何か言っているけれど、その声を脳が理解するよりも早く、本能的拒絶が意識を分断する。
嫌だ、自分は“アレら”とは違う。戦うための肉体……機械が埋め込まれた戦闘機人だけれど……絶対に、違う。
戦うためにすべてを捨て去り、氷のような冷たさの仮面を被れる/仮面と融合する者ではあり得ない……
「……い……やぁ……」
「スバル! 早く逃げるのよ、今の内に……」
「……どうして……! どうして、二人とも―――」
思わず、言葉を零した。
「―――あんな目で戦えるの!?」
其れは絶対零度の無感動な視線―――無敵のエースオブエースが、心を押し込めて“エース”になると決めたときから身に付けた仮面。
其れは争乱に心を焼かれた視線―――ただの臆病な少女が、悲しみをすべて飲み干すように変容した証であり、あの冬の呪縛の名残。
ぎりぎりと空間が歪むほどのエネルギー放射は、対城宝具の領域まで昇華された圧倒的魔力砲撃に押し潰される。
全力全開の黄金色の光は、絶望すら身体に刻み込んだ戦騎、その蒼白の光に飲み込まれた。
爆音。
炎の上がる夜天、確かにスバルは見た。
バリアジャケットをボロボロに傷つけられて、レイジングハートはひび割れて、黒煙から投げ出される高町なのはの姿を。
反射的に、スバルは叫んでいた。
「なのはさん―――ッッ!!」
その声を―――慟哭のような叫びを聞いて、ランサーは少しだけ溜息をついた。
咄嗟の回避運動とシールド魔法の重ね掛け、そしてバリアジャケットのパージによって生き残った師の、恐ろしいほどの技量に感服していた。
対城宝具である《理想へ至る光》は、山を突き崩すほどの威力を持った絶対的破壊だ。それを真っ向から受けて生き残る……これが、運命に愛された者か。
地面へ叩き落とされ、呻き声を上げながら立ち上がろうとする高町なのはに、静かに歩み寄る。
彼女の瞳から強い意志は消えず、どうしようもない絶望すら払拭してやると言わんばかり。
だから、《槍兵》―――英霊《スバル・ナカジマ》は語りかけた。
「“不死身のエースオブエース”……随分と都合の良い、人々が好みそうな馬鹿げた幻想ですね。
その期待に応えるために―――どれだけの無理をしましたか、どれだけの“普通の”幸福を捨てましたか?」
雷光―――フェイト・テスタロッサ・ハラオウンの射撃魔法、雷の矢が飛来するが、それを片手で受け止めた。
シールド魔法の前に霧散する雷のイオン臭……それを嗅ぎながら、なおも英霊《スバル・ナカジマ》は続ける。
嘆くように静かに、謳うように秘やかに。
「不死身でも、白い悪魔でもない……ただの人間なんだって、自分も畏れられるようになって気づきましたよ、なのはさん」
「――っっ! 違う、私は―――」
貴方は自分を誤魔化しているだけだ、と白い夜叉は幽かな笑み。
「自分を騙しきれない嘘なんて、辛いだけですよ……!
あたしは知っている、未来で“高町なのは”がどれだけ多くのモノを失い、その果てに命を落としたか!」
「――――私は、それでも捨てられない! 私を支えてくれた、多くの人のために!」
無言。対峙する白い悪魔と白い戦鬼は、互いの貌を見た。
高町なのはは思う―――“この子は、紛れもなくスバル・ナカジマだ”と。
青い髪も、悲しみに満ちた黄金の瞳も、白い死神の装束に似たコートも。
何もかも変わっているけれど、きっとあの子の未来なのだと。
ランサーは思う―――“この人は、何処までも純粋な、翼に心がある人だ”と。
あの頃と寸分違わぬ、理想のために自身を犠牲に出来る人間の目。
きっと自分が憧れた強さは其処にあった。あったけれど、薄氷のように脆い。
“だから”
「―――貴方を救う!」
立ち上がり、半壊したレイジングハートを再起動、デバイスに残った全カートリッジを使用。
バリアジャケットをエクシードモードから強制再構築、ブラスターモードレベル1を無理矢理起動させる。
美しく、凄絶な理想を胸に。
「―――貴方の翼を折らせて貰うっ!」
ナックルスピナーの螺旋刃が廻り、暴力の風を纏いて白いコートがはためく。
揺れる青い髪はまるで寒々しい冬空、黄金色の瞳は夜空に浮かぶ二つの月か。
その胸中には決意、それしかない。
刹那、黒と金色の光が、弾丸のように飛び込んでくる。演算装置による加速魔法の発動兆候を事前に捉えていたランサーは、そちらに拳を向ける。
バルディッシュ・ザンバーモードを構えた、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンの鋭い剣閃。
ツヴァイハンダー(両手大剣)の如き長大な山吹色の刃が、音速と同等かそれ以上の加速となってランサーに襲いかかる。
「ちぃっ!」
ランサーの履いた具足の車輪がグルグルと回り、アスファルトを焦がしながら緊急回避。
リボルバーナックル・R(Right)を掠り火花を散らす刃の音は、遅れてやってきたフェイトの声に掻き消される。
「なのはから離れろッ!」
大剣バルディッシュ・ザンバーの威力は凄まじく、人間を圧倒するスペックのサーヴァント相手に、互角の勝負を強いるほどが出来た。
その質量と高圧電流の一閃は、ランサーの架空元素(エーテル)の肉体に軋みを上げさせるほど。
故に、彼女は宝具の真名を呟いた―――それは概念武装となったインヒューレント・スキル。
「《我が一撃は不敗》」
かつてIS<振動破砕>……<振動拳>と呼ばれたすべてを砕くチカラ。
起源という逆らいがたい概念を纏った拳は、バルディッシュの刀身を一撃で砕いた。
「え?」
「これでさようならです」
そして、鋭い膝蹴りがフェイトの胸骨を―――
「―――させない!」
封印されたハズのレイジングハート、エクセリオンモード。最高出力/フルドライヴ形態の、黄金色の矛先―――突撃槍じみた魔杖。
かつて“闇の書の闇”―――防衛プログラムという名の怪物を討ち取る時に使われた、最強の刃であり、高町なのはという魔導師の全力全開だった。
それが魔力のブーストで軽く音速を凌駕しながらサーヴァントの肉体に食い込み、零距離砲撃を実行しようと唸りを上げる。
エーテルで出来た疑似血液を流しながら、《スバル・ナカジマ》は笑う。この程度で―――
「―――あたしはっ!」
刹那、耳に届いたのは、死人騎士の暗号が掛かった念話。
意図を察して物理干渉不可能な霊体に戻ると、高く、高く、跳んだ。
遠くで聞こえた声は。
「オーバーSランク!? 魔導師です、でもこんな出力―――」
「ユニゾンデバイスだと!?」
念話の声。
(俺の介入で仕切り直す、撤退しろ。適当に攪乱して、俺も退く)
(……わかった、“騎士ゼスト”“アギト”)
遠く、跳躍した夜天から其処を見ると。
機動六課隊舎は、紅く燃えていた。ごうごうと燃え盛る焔が綺麗で、あの煉獄みたいだった……
だからだろうか、心がどんどん冷え込んでいくような気がしたのは。
誰にも聞こえぬ慟哭が、夜天に響いた。
皆、傷ついていた。力の限り暴虐の主と戦い、どうしようもなく無力に呻き、燃え盛る隊舎に非力を痛感した。
その中で、スバルだけは不屈の闘志を燃やしていた。何故ならば……“もう一人の自分”“ドッペルゲンガー”“未来の英霊”に、言うべきことがあったから。
炎の中で、傷ついた仲間達を目の当たりにして、スバル・ナカジマは吼えた。
「待っていろ! あたしは絶対、お前なんかに負けない―――ッッ!!」
何時かきっと、ぶつかり合う日が来るだろう。
新暦75年ミッドチルダ……夏の夜空を、黒煙と火の粉が穢した。
そしてこの日、少女は運命と出会い……新しい炎が生まれた。
……“未来”と“現在”の衝突の果てに、何が残るのか―――?
それを知るのは、人ならぬモノだけだろう。
最終更新:2009年03月13日 19:16