自分自身を観察する。
とは言ってもその言葉が正確かどうか分からない。
鏡に映っているのは、どう見ても生まれてから一番慣れ親しんだ自分自身である遠坂凛ではないのだから。
念のために両手を両頬に当ててギュッと押してみる。
鏡の向こうの少女も頬を押しつぶしている。
続いてそのまま両手でぺしぺし両頬を叩いてみる。
鏡の向こうの少女も頭ぺしぺし頬を叩いている。ちょっと痛い。
さらに今度は肩を叩いて、腰を叩いて、お腹を叩いた。
鏡の向こうの少女も肩を叩いて、腰を叩いて、お腹を叩く。
そして最後に胸を叩いた。
「あんまり変わらないわね」
鏡に映る像が自分自身だと確認できたが、そこはかとない敗北感を感じる。
溜息を吐くと洗面所の外から人の気配が近づいてきた。
振り向くとそこには、さっきダイニングにいたピンクの髪を後ろで縛った長身の女がいた。
「主はやて、どうしたのですか?」
それを聞きたいのは凛本人だ。
だが、この見ず知らずの女に聞くわけにはいかない。
自分の身に起こったこの異常事態を説明しようにも凛自身よく分かっていないし、仮に説明できたとしても魔術に関する知識を口にする必要がある可能性がある。
この女が何者かわからない以上、魔術は秘するべきだ。
何よりも今は考える時間が欲しい。
そういうわけで凛はこう答えた。
「ええ、なんでもないわ。ちょっと体調が悪いの。朝食はいいからちょっと一人にさせて」
凛はこう言う時に他人をごまかす術には長けている。
十数年間自らが魔術士であることを隠し通し、特大の猫をかぶり続けた成果と言っていいだろう。
それから考えると、この答えはベストといえた。
ちょっと体調が悪いというのは誰にでもあることだし、そういう時に一人にないたいというのも誰にでもある。
後は朝起きた部屋に戻って、とりあえず現状を把握する。
これが凛のプランだった。
「主はやて……体調が悪いのですか」
「え、ええ。そうよ」
だが、この言葉は長身の女から思ってもいなかった反応を引き出した。
女の顔色はみるみるうちに青ざめ、唇がわなないている。
その表情からうかがい知れるのはある種の後悔や恐怖にも通じていた。
もっと具体的に言えば、目の前の女はまるで今にも死にそうな重病人を見ているような目を凛に向けていたのである。
「ね、ねえ……」
そして、その女は突如ダイニングの方に振り向き、大声を張り上げた。
「ヴィータ!シャマル!ザフィーラ」
それに呼ばれて、ダイニングに残っていた3人もここに集まる。
「どうしたの?」
「なに大声だしてんだよ。きこえるよ」
「なにかあったのか?」
全員が揃うと、長身の女は声を震わせながら答えた。
「主の体調が悪いそうだ」
その途端、後からやって来た3人の表情も瞬時に変わる。
具体的に言えば重大な病が再発した病人を見るような目つきになったのだ。
「シャマル、石田先生に電話を!ヴィータはタクシーを止めて車椅子の準備!ザフィーラは保険証、診察券、財布を用意してくれ!」
長身の女の号令で2人の女と1人の男はめまぐるしく動き出す。
「あの……」
「主はやて、喋らないでください。体力を消耗してしまいます!」
そう言うと長身の女は凛をしっかりと抱き上げてしまう。
「え?え?え?え?え?」
事態はあれよあれよという内に進行していく。
凛が口を挟む余地は欠片すらも全くなかった。


自分自身を観察する。
とは言ってもその言葉が正確かどうかは分からない。
鏡に映っているのはどう見ても生まれてから一番慣れ親しんだ自分自身である八神はやてではないのだから。
念のために両手を両頬に当ててギュッと押してみる。
鏡の向こうの女の人も頬を押しつぶしている。
続いてそのまま両手でぺしぺし両頬を叩いてみる。
鏡の向こうの女の人も頭ぺしぺし頬を叩いている。ちょっと痛い。
さらに今度は肩を叩いて、腰を叩いて、お腹を叩いた。
鏡の向こうの女の人も肩を叩いて、腰を叩いて、お腹を叩く。
そして最後に胸を叩いた。
「あんまり変わらんなあ」
鏡に映る像が自分自身だと確認できたのは良いが、そこはかとなく……というか、ものすごく期待はずれだ。
10年後くらいにはシグナムくらいとは言わないまでも揉めるくらいにはなっていると思ってたのに。
将来に対する絶望を感じて溜息を吐いていると、洗面所の外から人の気配が近づいてきた。
振り向くとそこには、さっき台所に立っていた赤毛の男の人がいた。
「遠坂、どうしたんだ?」
実際の所それを聞きたいのは、はやて本人だ。
だが、この見ず知らずの男の人に聞くわけにはいかない。
自分の身に起こったこの異常事態を説明するには、はやて自身もよく分かっていないし、仮に説明できたとしても魔法の事を言わないといけないかも知れない。
魔法のことや次元世界のことはリンディ提督にも秘密にしておくように言われているのでそれはできない。
   んー、どう答えようかなあ。
はやてはここでちょっと考えた。
どうやら、鏡に自分のかわりに映った女の人はこの家でこの男の人と暮らしているようだ。
と言うことは家族なのだろう。
そして、まだ大人というわけではない。
だったら、自分より年上のこの男の人は鏡に映った女の人の……
「あー、なんでもないんよ」
そういうわけで、はやてはこう答えた。
「お兄ちゃん」
はやてがこう言う時に他人をごまかすのは初めてではない。
4人の家族が魔法の本から出て来た事だってあるのだし、あんな感じで適当に話を合わせればいい。
そう考えていた。
「お、おい。遠坂」
「ん?」
にっこり微笑むはやてとは対称的に男の人の顔はみるみるうちに青ざめ、唇がわなないている。
その表情からうかがい知れるのはある種の恐怖、それも最大級の恐怖を感じているようにも見えた。
あり得ない物、あったらいけない物、存在自体が間違いである物を見ているような顔をしていたのである。
「あの、どうかしたん?」
何か心配になったのだろうか、胸の大きな女の人までやって来た。
そわそわと自分と男の人を見ている。
何かあるな、と思ったけど、はやてはまずは心配させないようにしようと考えた。
「うーん、何でもないんよ」
そして、この年上の女の人と自分の関係を考えてこう言った。
「お姉ちゃん」
空気が固まった。
見事なまでに固まっていた。
胸の大きな女の人の口の端がひくついていなければ本当に物理的に固まっていると勘違いできるほどだ。
「ねえ、どうしたの?早く朝ご飯食べよーよ」
この空気を物ともせず、瞬時に溶かしたのがさらにやってきた虎縞の女の人だ。
この人は家族で20才以上だと思われる。
「そやね。冷めてしまうし」
それを踏まえてはやてはこう言った。
「お母ちゃん」
また空気が固まった。
再冷凍とでも言えばいいのだろうか。
先ほどよりもさらに強固に固まった空気は正真正銘その場にいる全員の動きを止めていた。
「ち、ちがうもん」
5分くらい待ったかも知れない。少なくともそう思えた。
そのくらいになって、初めて動いたのがまたも虎縞の女の人だった。
「わたし、わたし」
目にたまった涙が落ちないように必死に耐えるその姿ははやてを不安にさせる。
   わたし、なんか悪いことしたんやろか。
   みんなどうしたん?
涙がつい、と頬を伝った時、虎縞の女の人は突如猛ダッシュで走り出した。
「うぇええええええええん。わたし、遠坂さんみたいな大きい女の子がいるような年じゃないもーーーーーーーーん」
どかどかと床板を踏み抜きそうな勢いで姿を消してしまう。
どこに行ったかと思っていたが、それはすぐに分かった。
「ああっ、タイガ!何をしているのです?まだ、いただきますも言ってないのですよ!?」
「いいもん、そんなのどうでもいいもん。ここにあるの全部食べるんだから!!」
「それは私のです。ああっ!な、ならば私だって食べます。これは渡しません!絶対に!!」
居間から聞こえてくるのは、なにやら悲鳴のような声とハシが食器を叩く音。
「ここも朝は賑やかなんやなぁ」
それは、平和な一日の始まりを告げる朝食の風景だった。

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最終更新:2009年03月16日 22:32