男は、志を持って組織に入った。
 人々の安寧を守るために、特別な力のない自分にも出来ることがあるはずだと。
 現場で尽力する友の負担を、僅かだろうと減らすことが出来るはずだと。
 だが事は思うように進まない。
 理解を示さぬ周囲に、力及ばぬ自分に、苛立ちを募らせる日々が続いた。

 ある日、男は自棄酒を呷っていた。
 いくら杯を重ねようとも憤りは収まらず、つい深酒が過ぎてしまう。
 店を出た後も家路につくような気になれず、足の向くまま夜道を進み。
 男が辿り着いたのは、人気のない狭い路地裏だった。
 薄汚い壁に背を預け、そのまま座り込んでしまう。
 このまま眠ってしまおうか、などと思っていると。

 どうしたんですか、と。
 その場にそぐわない、穏やかな声が耳に届いた。

 見れば、そこには制服姿の少女がいる。
 左右に髪を結わえたその子は、おどおどしながらも、心配そうにこちらをうかがっている。

 ―――嫌なこととか、あったんですか?
 ―――えっと、私でよければ、話してみませんか?
 ―――ほら、話すだけでも楽になるって、言うじゃないですか。
 ―――それに、こう見えて私、日陰者生活は長いんです。
 ―――アドバイスとか、できるかもしれませんし。

 少女の挙動が可笑しかったからか。
 あるいは彼自身、誰かに話したかったからなのか。
 男は微かに笑みを浮かべ、目の前の少女に、話してみることにした。

 一度口を開けば止まらなかった。
 鬱積した思いは自身の予想を超えていた。
 酔いに任せて、男は少女に愚痴を連ねる。
 少女はそれを、ただじっとそばで聞いていた。
 やがて、男が口を閉じた後。
 少女は男に語りかけた。

 ―――おじさんは、大丈夫です。きっとまだまだ頑張れます。
 ―――だって。こんなにいっぱい語れるぐらい、みんなのことを思ってるんだから。

 何の捻りもない、単純な言葉だった。
 何の裏もない、素直な言葉だった。
 男は目頭を熱くした。
 揺らぎそうになっていた志を、確かめることができた。
 原初の思いを、自らの理想を、もう一度信じることができると気付けた。
 男は、涙を止めることが出来なかった。


 来期の人員名簿に目を通しながら、男は振り返る。
 あれから随分と時が過ぎた。
 当時独り身だった男も身を固め、来期には娘が自分の部下として配属されるまでになった。
 今日まで続けて来られたのは、あの日の出来事のおかげだと思っている。
 ………あの夜、気がついたときには少女はすでにいなくなっていた。
 消息は未だ掴めていない。
 あるいは、あれは夢だったのではなかろうか。
 だが男は、それでも構わない、と思っていた。
 理想は確かにある。信じてくれる友が居る。
 ならばまだ歩いていける。前に進むことが出来る。

 さあ、儂の闘いを続けよう。

 男―――レジアス・ゲイズは、声に出さずに呟き、机に向き直った。

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最終更新:2009年04月13日 01:30