金の櫛で優雅に髪を撫で付けながら、金の後光を背景に
前方からのっしのしと闊歩してくる金色の影。
それは紛う事なき―――
――― ヤツだった ―――
金、金、金、金、煩わし過ぎる。
埋蔵金と共に仏像のカッコで埋まっていても納得してしまう出で立ちだ。
正月に見た紅白歌合戦で、こんな背景演出で歌っていた人がいたっけ…と思案に暮れる執務官。
だが今はそんな事はどうでもいい。
サーヴァントとの遭遇はいつだって突然だ。
だが、まさかこんな――
こんなエチケットなところであの黄金のサーヴァントと出くわすとは…!
「――――、」
「あ、ッ………」
ビク、と肩を震わせるフェイト。
全く予期せぬタイミングで、至近距離に相対するには――
―― それは桁違いすぎる威圧感 ――
フェイトとてサーヴァントとの交戦経験はある。
彼女自身、幾年ものキャリアを持つ歴戦の魔道士にして一流の戦士だ。
ちょっとやそっとの事では浮き足立ったりはしない筈だというのに――
今、目の前にしている存在は怪物そのものだった紫紺の騎兵や不死身に等しい漆黒の巨人。
無双の絶技の使い手だった槍兵や狂乱の幽鬼そのものだった黒衣の戦士、等
いずれも管理局を震撼せしめる力の持ち主であった彼らですら、小さく見えるほどに圧倒的――
エースオブエース高町なのはがこの男をあそこまで警戒するのも分かろうというものだ。
緊張で一瞬のうちに握った手に汗が滲む。
自身、その事にすら気づけないほどに、フェイトの全知覚が男と相対してしまったという事実に引っ張られていた。
「―――、」
まさに蛇に睨まれた蛙の心境。
息をする行為すらが重苦しい――
だが男もまたお色直しの用向きだったのだろう。
体の強張った魔道士を一瞥しフン、と鼻を鳴らしながらその場を後にする彼。
カツン、カツン、と轡のなる音が遠のいていく。
それをしばし呆然と聞きながら……ほう、と溜息をつく執務官。
見かけに寄らず勇猛果敢な彼女をして、相対しただけで寿命が縮む事など初めてだ。
一瞬、目が合っただけだが――その、まるで人を塵芥でも見るかのような瞳がイヤだった。
頭を振って今目に焼きついた映像を頭から叩き出すフェイト。
男とはそのまま眼も合わせずに無言で通り過ぎようとする。
(…………いや…)
待てよ…と――フェイトはここでハッと我にかえる。
(……………)
――― これは好機ではないのか? ―――
そう……千載一遇の―――
今まさに事無きを得て、すれ違った影に対し、振り向いて相手の後姿を見やる。
知らずゴクリと唾を飲む彼女…
胸を撫で下ろした筈の感情が今またザワザワと泡立っていくのが分かる。
緊張で渇く喉に、鞭打つような心境の内で――
「……待ってください」
迂闊な問答は出来ないと躊躇いながら――
フェイトは息を大きく吸い込み
そのまま、あの危険極まりないサーヴァントに自ら接触していたのだ。
――――――
―――ここで臆してどうする?
あれは、あれこそが元凶。
高町なのはを苦しめている原因だと分かっているというのに。
―――ここで臆してどうするというのか?
―― それは避けて通れない道 ――
彼がなのはの敵だと言うのなら――
なのはに害を与えるというのなら――
この男とは折を見て話をつけなければいけないと思っていたところに―――この邂逅
ならば、なのはのいない今こそ逆に腹を割って離す絶好の機会なのだ。
「待って下さい……」
「―――、」
一回目の声は恙無く無視された。
まるで虫の羽音ほども気にかからぬ素振りで
つかつか、と歩を進めていく黄金のサーヴァント。
「サーヴァントの人……少し話をしませんか?」
それでも根気良く声をかける執務官。
ズカズカと歩みを止めない彼。
(まずい……このまま行けば、)
前方は男子トイレだ、!
淑女が立ち入ってはならない禁断の園。
男性が用を足す所に男の人と同伴するなど法を尊ぶ執務官であるフェイトに出来る筈もない。
(くっ……!)
息を呑み、早足でギルガメッシュについて行く。
(タイミングが遅れた……先回り、出来ない!)
決して広くない廊下。
このままソニックフォームを使えば男を弾き飛ばしてしまうだろう。
壁走りも同様だ……唇を噛む魔道士。
「どうしてなのはをあそこまで目の仇にするのか聞きたいんだ…!
なのはと一体、何があったんですかっ!?」
その背中に向かって必死に叫ぶ。
駄目元で強引に会話を持ちかけたフェイト。
そのまま行ってしまうかと思われた英雄王。
だが、ややもして――息を切らした彼女の身に背中越しに男の両の目が向けられる。
暴と威の塊のような視線――
一体、どのような思考を内に宿せばこんな目が出来るのか。
常人ならば目を合わせただけで平伏したくなる。
そんな視線に晒されるフェイトであったが――
(…………よし、!)
だがもはやこの執務官に臆する気持ちは微塵もない。
ここで膝を突いてしまうほど彼女の潜ってきた修羅場は温くはない。
「―――貴様はあの女の何だというのだ?」
良く通る抑揚のある声がフェイトに向けられる。
それは人類最上クラスのカリスマを持つ男の声だ。
さっきまでは何気なく聞いていたがこうしてマンツーマンで相対するとやはり感じ入る物がある。
「私は彼女の友達です」
「―――友とな?」
まずは会話が成立した事に一喜。自信を持って受け答えるフェイト。
「なのはの何か?」と問われれば、彼女にはそう答える以外にはないだろう。
だが―――
「―――ハ、」
「何がおかしいんですか……?」
「訪れてより常に奴の顔色を伺い、機嫌を取り、怯えたような目で這いずり回る道化。
さして気にも留めなんだ。せいぜいあの女の従者か何かと思っていたが――
友と……? ク、、これは然り。」
「………」
打ち返してくる悪意むき出しの返答に顔を曇らせるフェイト。
あくまで平和的に解決したい彼女にとって出だしは最悪。
悲痛な面持ちを表に出しかけたが、ここはぐっと堪える。
(やっぱ一筋縄ではいかないな。でも頑張らないと…)
必死にふんばる執務官の心境はまるで難攻不落の要塞に攻め入る前のそれ。
「そんな風にケンカ腰にならずに改めて平和的に話を進めたい。
なのはと何があったのかは分からない。でも不幸な行き違いで争いになるのは悲しい事だと思う…
普通に話をすれば、彼女ともきっと仲良くなれる筈だよ。だから…」
「言葉は交わしたぞ」
「え?」
「万死に値する無礼者であった―――」
「っ! そ、そんな筈は……」
血色を変えて反論するフェイト。
自分の友達は思いやりに溢れた人格者だ。
このように一言で切られるような人間では断じてない。
だが続いて繰られる男の言葉を聞いて――
「王である我を前に対等の口を利く。対等の目線で物を見ようとする。
平伏せよとの命に銃砲を以って答え、<お話>などと称して我が興を余さず殺ぐ。
いずれも身の程を解さぬ万死に値する所業である事は明白。
我の知る限り、アレほどの無礼者は我が記憶に悉くかからぬ――」
―――人によるのかも知れない……と思い直す執務官。
確かに、こういう人とはなのはは間違いなく衝突するだろうなと。
「そ、それは悪い解釈をし過ぎだと思うよ…」
だがそれで納得して終わらせてしまえば所詮そこまでの話。
自身の親友、高町なのはという人物は衝突をとことんまで突き詰めて良い関係を築くタイプの人間だ。
そのやり方で彼女は自分も含め、敵である者とも分かり合えてきたのだ。
ならこの男とだって可能性はある筈。
一度は衝突する側についたとしても腹を割って話し合えば――
なのはの良さが……スルメのように噛めば噛むほどに出るあの味が分かる筈!
「相手に譲歩を求めねば迎合できぬ理屈―――
そのようなモノを我の前に提げる事こそ分を超えた所業であると理解せよ。
王の裁断こそ絶対。良きも悪しもない。雑種はただ我を理解すれば良いのだ。
出来ねば必滅の理に沿うだけの事―――」
「なっ!?」
「当たり前の事をこの王の口より紡がせる――貴様も我を愚弄するか?人形」
しかしながら王の言葉は傲岸不遜。
百戦錬磨の執務官の名に恥じぬ冷静さを保っていたフェイトだったが――
(に、人形………)
その急所である「人形」という言葉に血相を変える彼女。
一瞬、言葉に詰まった魔道士に対し畳み掛けるギルガメッシュ。
「そも、あの女と我を和解させるのが貴様の真義ではなかろう?
本心を覆う下卑た思考で王に会見を求めるなど愚劣の極み。
貴様は―――ただ一刻も早く戦場から逃れたいだけの臆病者に過ぎぬであろうが?」
「そんなつもりは……無い! 私は本当に…」
「先ほどから一人で鏡に向って述べていたではないか?
ク、、なかなに聞かせる戯言であったぞ?」
「じ、女子トイレに聞き耳を立てていたのかっ!?」
「たわけ。我が耳は世の事象を須らく見聞する王の耳。
厠の壁如きが我の知覚を阻める筈もあるまい――」
――人類最古の英雄はとんだ変態野郎なのかも知れない
(ま、負けるもんか…)
頬を赤らめるフェイト。だが恥しがっている場合ではない。
覗き魔現行犯でしょっ引くのは後でも出来るが今はそんな事よりも――
「なら話は早い。確かに本音を言えば……
私はなのはを貴方たちの近くに居させたくありません。」
「ふん。何という惰弱―――
初手から剣に気も篭らず、厄災に抗う気概も見せぬと思っていたが…
そのような覚悟で戦場に足を踏み入れたというのか?」
「わけの分からない事を言わないで下さい。
ここはただの釣堀屋で戦場じゃない。貴方の行っている事はおかしい。」
「否。我と貴様らが出会いし時より其処は即ち戦場となる。
異質なる者が出会う刻――取り得る唯一の道は戦い滅ぼし合うが定め。」
「自分たちは遊びに来ただけです…!
そんなとんでもない理屈を押し付けられる謂れはありません!」
難物相手の交渉は数多くこなして来た執務官だったが――
やはり彼はこちらと和解する意思が全く無い。
「私達は貴方との衝突を望んではいない。
貴方がどうしてもこちらを気にいらないと言うのならすぐにここを発ちます……でも」
結果的に撤退するにしても
なのはに襲い掛かる憂いだけは何としても取り除かねばならない。
「震えている事しか術を見出せぬ惰弱な人形よ。
尻尾を巻いて逃げ帰るというのであれば好きにするがよい――
もっとも……あの女がそれに従うかは疑問だが」
「……納得させる」
「そうか―――――ならば敗残の徒に一つ、我が言葉を賜ってやろう」
愉快そうに両の灼眼を眼前の女性にねめつけながらに言う王。
「躊躇も無くアレの友を名乗り上げてはいたが――
貴様は友の何たるかをまるで理解しておらぬ。
所詮はヒトの形をした偽者……友情など語るに足らぬ出来損ないという事よ。」
「私は偽者なんかじゃない……
いい加減にして下さい。何を根拠に……」
「まずは貴様はあの女の本性を知らぬ。
知らぬがままに己が都合の良い部分だけを容れ――
全てを理解したと嘯き、悦に浸っているに過ぎぬ。」
フェイトの白い頬がカァッと真っ赤になる。
なのはとの友情をこんな輩に否定されれば、流石の彼女も語気を荒くせざるを得ない。
「よく聞け人形。友とは並び立ち、競い、袂違えば生死を賭して闘う。そのような者同士の事を言うのだ。
戦場において並び闘う意思を持たぬ今の貴様が友を語るなど論外。
我が断じてやろう。有難く拝聴致せよ――お前はあの雑種と並び立つ事など叶わぬ」
「ずっと並んできたっ!
ずっと競い合って支え合ってきたっ!!」
ズキン――――
まただ…………
当然のように「高町なのは」を己が知る者のように語ってくるサーヴァント――
こんな人達に………なのはの何が分かるというのか。
このような行きずりのサーヴァントなどに――
自分となのはの絆の何が――
フェイトの顔はもはや知人の見た事すらない程に、渦巻く感情によって歪んでいた。
――――――
随分とあのサーヴァント達と親しくなったんだね。
正直、驚いてる……何時の間にって。
色々な意味で強烈な人達だからね。
ギルガメッシュさんに関してはもう色々慣れたし
アーチャーさんの助言は昔から恐ろしく的確なんだ。度々助けられてる。
「…………」
敵になったらこれほど厄介な人いないんだけどね。ふふ……
ズキン――
――――――
まただ………
胸が――――ジクジクと痛む。
高町なのはを語る時のサーヴァント。
そしてサーヴァントを語る時のなのは。
その顔を見る度に私の胸に去来する得体の知れない痛み――
なのはの彼らに対する、一見無造作でぶっきらぼうな言い回し。
そこにはあまり好意的な印象を持っていないように見える。
それは普通に考えればそうだろう。
敵対する事の多く、また単体では管理局魔道士を遥かに凌駕する力を持つ相手との邂逅だ。
良い顔など出来るはずが無い。
だが、なのはに限って言えばそれは実は逆だった。
なのはは親しくも近しくもない人には決してああいう言い回しはしない。
あまり好いていない人の事は――彼女はこういう風には語らないのだ。
これは――これは、そう。
一定以上、心の内に相手を受け容れた事による気安さ……
事ここに至って私は、そう確信せざるを得なかった。
なのはとあの英霊達とのやり取りはまるでずっと昔から知っている
互いに認め合ったライバル同士の競い合い…
認め合う者同士だからこそ交し合えるやり取りにしかもはや見えない。
……………
この痛みは――ならば、これは嫉妬だろうか?
突然出てきてなのはにちょっかいをかけて来る者に対する――
そして当のなのはもまんざらでは無さそうに見えてしまう
そういう物に対する私の醜く歪んだ感情…?
初めはそう思っていたんだ―――
この胸のイヤなざわつき。
ああ、いけないなって…
自重しなきゃって…
だからこうして水を被って気を落ち着けに来たんだ……
でも、今ははっきりと言える―――
恐らくは、違う……
そういうのじゃなかった。
断じて違ってた。
むしろ――その程度なら安い問題なのだ。
それならば私が少しだけ、我慢すれば良いだけの事なんだから―――
なら、コレの正体は何なのか?
さっきからずっと……ずっと考えていた。
なのはにもなのはの事情や付き合いがある。
お互い子供ではないのだからそれは私が占拠して良い者では断じてない。
なのはが交友関係を広げていくのはとても良い事だと思っている。
――それは偽ざる本心
次元世界を渡り歩く私達、管理局魔道士は時に
凄く変わった種族、人種と交流を交し合う事がある。
だからなのはの周囲をとんでもなく変わった人が囲んでいたとしても、それは想定範囲。
不安に感じる事じゃない。
もしそうした過程においてなのはに恋人や添い遂げる伴侶が現れたならば――
私は素直に祝福できるだろう。ちょっと寂しい気はするけれど……
だけど……
――― だけど ―――
今日見ていて――
さっきから考えて考えて――
はっきりと思った。
―― あのサーヴァント達となのはを引き合わせるのは駄目だ、と ――
アーチャーと意気投合しているなのはの姿を見て
英雄王と相対しているなのはの姿を見て
言い知れぬ不安が収まらない。こんな事は初めてだ…
なのはは―――
――― 特別な何かを持っていると思う ―――
私が高町なのはという女の子を、自らの境遇から特別視しているという事は自覚している。
でもそれを差し引いても――なのはは私とは違うものを身に抱いていると確信している。
それは魔力や戦技でない……私には決して持つ事の出来ない何か。
生まれながらに持っている宿命みたいなもの。運命のようなもの。
私は今になって思う……あるいはそれは――
――― あの英霊と呼ばれる者が須らく持つ「何か」と ―――
同じものなのかも知れないと。
だからこそなのははサーヴァント達と対等に相対し、同じ目線で言葉を交わせるのではないかと思う。
何か共通する要素、共有する思いがなければ
人はああやって相手と話すことは出来ないのだから。
自分なんて表面上は取り繕っていてもあのサーヴァント達の圧倒的な存在感に気圧され、終始身構えっ放し。
情けない事に今も手汗で両掌がぐっしょりだ。
この英雄王との会話にしたって、見た通りまるで相手にされていない。
――ミッドの無敵の空戦魔道士
――不屈のエースオブエース
なのはが正式に管理局に入り、数々の任務を成功に導いて
そう呼ばれるようになって久しい。
既に若くしてミッドチルダの空の英雄と称される私の親友・高町なのは。
――――誇るべき事だと思う
自分の友達がそうやって評価される事。
こうして伝説に残る英雄と仮にも対等に競える。
それほどに強く逞しいものを持っている、そんななのはという人物の凄さに――
だけど、今は誇らしい気持ちよりも――
――― ただ恐かった ―――
十年間、片時も離れる事のなかった一緒に歩いてきた親友――なのは
そんな私が全く知らない――なのは
英霊たちとの邂逅によって構築されていく
私のよく知っているなのはとは別のなのは。
そんなものの一端を、今日―――垣間見た気がした
その要素がなのはを凄く遠い存在に感じさせた。
―――何故だろう
どうしてそんな事を思ってしまったのか……
なのははなのはだ。
彼女が高町なのはである以上、自分――
フェイトテスタロッサハラオウンが高町なのはに対して不安に感じる要素などある筈が無い。
でも……英霊と話してる、英霊と競っているそんななのはを見て――
なのはが私の知ってるなのはでなくなってしまう感覚に襲われる。
サーヴァントと深く関われば関わるほどに何か別の世界に
私の知らない別の理に引っ張り込まれてしまう錯覚に囚われてしまう。
奇しくもそれは今、目の前にいる男に指摘された通り――
私ではなのはに着いていけないという言葉を――
なのはの内の内に、私では届かない部分があるという事を自ら肯定しかけた事に他ならない。
それが許せない―――そんな自分が、許せない……
今までこの世界においてなのはと共に歩んできて
ずっと順風満帆に歩いていける事に何の疑問も沸かなかった。
――絶対なんてない
普段から固めてきた足場なんてふとしたきっかけで一瞬で崩れ去る。
世界は薄氷なんだと実感する瞬間はいつだってそこにある。
それはずっと分かっていた事だった――
クロノお兄ちゃんの口癖。
―― 世界はこんな事じゃない事ばかりだ ――
以前からも……幸せな事ばかりじゃなかったから。
辛い事も一杯あって、歯を食い縛って、それらを乗り越えてきたつもりだった。
――― だけど ―――
彼らサーヴァントという強大な存在。
現実に降り立った、伝説そのもの――
私が彼らと遭遇して目を惹かれたのがその戦闘力よりも
むしろ彼らの生きてきた、彼らの刻んできた物語の――始まりと終わりについてだった。
華やかな偉業と非業の最期――
その生きてきた世界。物語にしか過ぎなかった彼らの生涯。
それがこうして具現化されて、目の前に事実として展開されてしまった事。
――― それは明らかに違う ―――
困難の中にあってもそこに光を見出せる者、結果的に見出せた者と
闇しか見えなかった者、闇に沈んでいった者とでは
やはり違うのだと理解させられた。
決定的な破滅への道しるべというものはやはりあるのだと。
そういう世界で生きてきた者がいる以上、それは身近に存在するものなのだと。
どれだけ走ろうが……いや、走れば走るほど……
そのゴールには初めから奈落しかなくて吸い寄せられるように堕ちていくのだ。
堕ちていくのに止められない――歩みを止められない――
善意を悪意が飲み込む中で、安寧を混沌が侵食する中で
ヒトが抱いた理想、培ってきた力は、思いは、泣きたくなるほど無力で――
本当にどうしようもないんだ……
もしあの感覚になのはが囚われたとして――
それでも彼女は高く、高く、傷だらけの翼を休める事無く飛ぶだろう。
地に叩きつけられてその身を砕くまで弱音を吐く事無く飛び続けるだろう。
私とは違う……苦しくて切なくて救いを求めた私とは。
救いを求めることの出来た、手を差し伸べて貰えた私と違って――
誰よりも高く飛んでいる者に手を差し伸べられる者はいない。
故になのはは自らの手を、決して誰かに伸ばす事無く最後まで飛ぼうとするだろう。
そして高く高く舞い上がっている者――
つまり、「英雄」とかそんな風に呼ばれているものほど
その時が来れば地に堕ちて、粉々に叩きつけられるのだ。
そうなったら、もう――私がどれだけ手を伸ばしても
――― 堕ちていく親友を引っ張り上げる事は適わない ―――
――――――
(何を……何を考えているんだ私は…)
何でそんな恐ろしい――
そんな吐き気がするほどおぞましい光景が見えてしまったのか。
何の不安もなかった筈なのに――
いつまでも順風満帆に行けると信じてる筈なのに――
どこまでも飛び続けた挙句――
あのアーチャーのように磨耗したなのはが――
「う、うぅ……」
――全てを失い、ヴィヴィオをその手で××て
「ハァ………ハァ……」
――憎むように、世界に対し怨嗟の声を挙げて
「………あ、あぁ、」
――自分すらを拒絶して最後は、私に殺される事を望――
――――――
「ッッッッッううぅぅぅううッ!!!!!」
ゴッッ!!!!!!!!!!!、という凄まじい音が廊中に鳴り響いた。
「………………」
無言でそれを見つめる男の眼前で――フェイトが拳を壁に叩きつけていたのだ。
(最、悪だ、………)
たちの悪い妄想にもほどがある。
一瞬でもこんな事を考えてしまった自分の脳みそに食塩水でもぶっ掛けてやりたい。
そんな事は……無い。
あり得るはずが無い。
高町なのはがこの世界に見放され、高町なのはがこの世界の敵になり、
自分が高町なのはの敵になるなどという可能性が――
そんな事があるはずがないのだ。
もし数多ある可能性の中にそんな世界が一つでもあれば……
それを万が一、この身がはっきりと認知し、演じる事になってしまったら――
―――自分の心は間違いなく自壊してしまうだろう。
かつて母、プレシアテスタロッサがそうであったように―――
(痛い……)
手が痺れる。
手首はおろか肘関節にまで痺れが残るほどに強く強く――その拳を叩き付けた。
でも、それでもこの胸に生じる痛みを消す事は出来なかった。
あんな光景が少しでも頭を過ぎってしまった事に自己嫌悪を覚える。
(だからイヤなんだ……この人達と絡むのは)
だから―――イヤなんだ。
私はあんな世界には行きたくない…
この温かい日常を壊されたくない…
幸せを手に入れてしまったこの身には――
失うことに臆病になってしまったこの身には――
あんな昏い世界は絶えられない。
―――恐い
とても怖い…
―――――――
「震えているぞ……どうしたというのだ?
まさか今更になって恐ろしくなったか?」
目の前の女の悶える様はなかなかに愉悦だった。
故に喜色を称えた視線で見回していた黄金のサーヴァント。
造り物の紛い物とはいえ、己が全霊にて苦悩を重ねる者の葛藤は掛け値なしに良い魅せ物だ。
息を荒げるフェイトを見下ろすギルガメッシュの言葉はただただ、寒気がするほどにおぞましい。
「答えよ贋作。あの女が己の宿業に引き摺りこまれ、為す術も無く砕き潰れるのが恐ろしいか?
あの汚らわしいフェイカーや騎士王のように世界から拒絶され、全身を引き裂かれるのが恐ろしいか?
ふむ―――白昼の悪夢とはいえ、ソレが見えるとは……愚鈍な人形にしては上等といったところか。」
高らかに語る王の中の王。英霊中、最も偉大なる英霊。
今はただ、その愉悦に満ちた声が神経に障る。
はっきり言って耳障りでしょうがない――――
「………………貴方はそんなに偉いのか」
「―――何ィ?」
頭痛と忌わしい感覚に苛まれ
蹲って下を見ていたフェイトがゆっくりと顔を上げる。
「なのはがヴィヴィオの母だという事を否定し……
今度は私がなのはの友達だという事を否定し……
で、そんな風に人の事をどうこう言う貴方は……
貴方はそこまで立派な人間なのかと聞いてるんだ。」
従来の彼女から想像もつかない剃刀のような眼が黄金の王に向いていた。
「――――は、」
一瞬だが、完全に言葉に詰まってしまうサーヴァントである。
自分を、この自分に対して
英霊の中の英霊――人類史上、最も強大な王を指して
貴方は偉いですかと問われるとは……言葉が無い。
どう答えて良いのやら本気で悩むというものだ。
「その顔………さぞや私の事が無知なバカに見えてるんだろうね。
英霊という座にまで上り詰めた歴史上の偉人。当然、凄い人なのは知ってる。
だけど違う星で生まれた私には残念ながら、そんな威光は正直ピンと来ないんだ。」
「―――、」
「少なくとも今日見た限り………
貴方は人の苦しむ姿を見てニヤニヤ笑っているだけの最低の人間だよ。
褒める所も、共感できる所も一切見出せなかった。」
「―――、」
金髪の魔道士の瞳はただ、ただ、冷たい。
ギルガメッシュの圧倒的な立場から下されるソレとはまた異質の「無価値なものを見る眼」とはこういうものだ。
先ほどアーチャーが「キミの眼は優しすぎて敵を圧する事など出来ない」とい言い放ったが
今のフェイトを見て、彼は断じて同じ事は言えないだろう。
「貴方は他者を迫害し、蔑み、傷つけているだけじゃないか。
どんな偉業を成したか分からないけれど、少なくとも貴方が見下してバカにしているなのはは
常に人のためを思って頑張ってる………」
私だって―――
そう―――私だってなのはに救われたんだ
胸に手を当ててはっきりと言い放つ。
こんな男に尊敬する友人を決して侮辱させない。
そんな事は許さないと、キッパリと意思表示をするフェイト。
「なのはがいなければ私の世界は……私は前に進めなかった。
私だけじゃなく、なのはがいたからこそ世界が開けた人は沢山いる。
英雄っていうのがどういうものか私には分からないけど……」
少なくとも――なのはのような人間の事を人は英雄と呼ぶんだ
そう、人類最古の英雄王を前に臆する事なく言い放つ。
「―――、」
男は先ほどから押し黙り
奇妙なモノを見るような目で彼女を見ている。
構うものか――どう思われようとどうバカにされようと
これは……この自分の思いは本物だ
あのギルガメッシュを相手に己が言葉を叩きつけるフェイト。
その威風堂々たる姿は戦場から逃げていると蔑まれた彼女と同一人物とは思えない。
言うべき事を言ったフェイトが相手の出方を待っていると―――
「この身が偉大か否かなど改めて語って聞かせるものではないのだが――
重ねて言うぞ。今、大層にのたまった貴様のソレは友情ではなかろう。」
ほどなくして王が口を開く。
「我の教唆した友の定義を忘れてはいまいな?
それに基づくならば貴様のアレに対する感情は友情、愛情を超え……既に崇拝の域に達している。
故に常に対等であるべき友に対するそれとは最も程遠い感情―――それを貴様は奴に抱いている。」
「…………」
「故にお前がアレを守る……汚されたくないとする感情は即ち
拠る者、崇める対象を―――崩れれば己の拠る辺を失うが故にただ必死に守っているに過ぎぬ。
支えを求めて神にすがり付く人間のようにな。」
王の言は続く。
「もう一つ。お前はアレを人を常に救い続けてきたからこそ偉大だと言ったか?
だが奴の如きモノはな。人を救うことによってしか己が救われぬ――そうした種類のモノなのだ。」
「………」
「人を救わねばという強迫観念に憑かれ、その行為によって生ずる充足に依存する。
依存せねば耐えられぬモノ――
お前は奴に救われたと言うが、奴こそお前を救った事で救われたのだ。
極稀に世界にそのような壊れた思考を持つモノが産み落とされる。
人を救うという役目を担いし世の歯車。「救う」という機能に過ぎぬモノ共。
己の意思で行動しているかも怪しいそのような者と我を天秤にかけるとは――
ふん、似たような雑種を最近見た気がするぞ? この愚か者が!」
「関係ない事だ。話を逸らさないで欲しい…」
敵意すら隠さずに言うフェイト。
「否定なんていくらでも出来るんだ。
なのはの行為を指して自己満足、偽善、自己犠牲に酔っている、と
影でそういう風に言う人間は決して少なくなかった。
エースオブエースという輝かしい名の裏に篭められる嫉妬や誹謗。
私はそれを、なのはの横でずっと一緒に見てきたんだ。」
その感情が抑えられず、フェイトは拳を握り締める。
「世の中は綺麗な事だらけじゃない。そういう辛い側面もまた世界なんだ。
でも、そういう中傷にはいつも、だからどうした?って言わせて貰ってるよ。
現になのはは多くのものを救ってきた。それで救われたものがいる。」
崇高な思想を持って血反吐を吐きながら助けた100人と
自身の自己満足のために自身が傷つく事も無く助けた100人
前者と後者は、ひょっとするとその思想の違いから相争うのかも知れないが――
救われた100人の命の重さに違いはない。
人を救うという行為にそんな難しい理屈なんていらないのだ。
「仮に経過、動機、胸中がどうあれ形としてなのはの行動は崇高だ。
そこに自身のどんな感情が作用したかなんて関係ない。
少なくとも――人を傷つけることしか出来ない貴方よりは上だよ……
ギルガメッシュ……貴方になのはを見下したり批判する資格なんてないよ…!」
変に捻じ曲げ、難しく考える必要がどこにある?
素直に喜びを分かち合えない事の何と愚かな事か――
「………貴方こそ救いが無い」
そう言い放つフェイトの瞳には一片の迷いも無かった。
「――――聞かせるではないか」
それは噴火寸前の火口の中で煮えたぎるマグマか。
鉄の鍋蓋に立ってするに等しい問答は互いに灼熱を感じさせ
その激情が爆発すれば、場で己が身が焼き尽くされる。
そんな危険極まりない邂逅――
「ならば最後に一つ返して見せよ」
男の性格を考えれば蔑みの対象であるフェイトにこのような口を利かれた以上
既に血の雨が降っていてもおかしくはないのだが――
何故か未だに黄金のサーヴァントはフェイトとの会話を続けている。
「――アレを不遜にも我や他の英霊と並べていたな? ならば教えてやろう。
その盲目的な崇拝こそが奴を、ヒトから英雄という座に押し上げる起因となるのだぞ?
お前は奴に尽くすつもりで、救うつもりで、自らあの端女を奈落へ誘う手助けをしている。」
「っ……!」
「お前はあの女に尽くすという名目で奴に重荷を背負わせ
あの端女の背中を押し、英雄の座という奈落に叩き落とそうとしているのだ。
これが喜劇でなくて何だというのか――?」
ギルガメッシュは不遜な笑みを称えて嘲笑う。
「でありながら―――貴様は無様にもその時が来れば手遅れ、などと絶望していたな。
だが真に友ならば奴を破滅の道から引き上げる事など造作も無いであろう?
一言――お前の道は間違っていると……そう言って奴の前に立ちはだかってやれば良いのだ。」
「……くっ、」
「だが出来まい? 崇拝に塗れたその思考では。
奴を間違っている、などと断ずる考えすら及ぶまい。
故に!―――――――やはり貴様は道化だ。
今宵、我を前に無様を晒したように、その手は友を救う事はなく
己が無力な傀儡ぶりに苦悩し、悶え苦しむのみのモノになるであろう。」
―――――
体の震えが止まらない。
眼は相手から決して逸らさないままに――
だが顔が苦渋に染まるのを彼女は抑えられない。
――それは、この敵に言われるまでもない……
――自身が心の奥で常に思っていた事だったからだ
かつてなのはが11歳の頃、
不意の襲撃を受けて撃墜され、生死の境を彷徨った時
その前後の自分は、自分達はどう思っていたか―――
何を考えていて、なのはの体にヒビが入り
決壊寸前にまで痛んでいる事に気づけなかったのか。
それは…………
―― 過信 ――
もはや崇拝に等しい、愚か極まりない「過信」であった。
なのはならば大丈夫。
なのはならば決して堕ちる事は無い。
なのはが、あの沈む事を知らない無敵のエースが――
まさかそんな事にはならないだろう……そう誰もが思っていた。
当然、自分もそう考えていた――――そんな矢先の出来事だった
全身を包帯で巻かれ、チューブにぐるぐる巻きにされた親友の姿。
片方の手と足が一本ずつ歪に折れ曲がり、壊れたマネキン人形と見紛うような――
そんななのはを見て……それがなのはだと分かった瞬間―――フェイトは吐いた。
獣のように嗚咽しながら、胃の中の内包物を残らず搾り出した。
その後、一週間……衰弱寸前まで何も口に出来なかった。
執務官試験を前にして己を呪った。自身の迂闊を。過信を。
友達を一方的な思い込みで信じた事を死ぬほど呪った。
こんな愚かな人間が人を救う執務官になどなれるはずがないと――
皆の誇大に誇大を重ねた期待を一心に背負い
それに答えようとした高町なのは。
既に未来のミッドチルダの平和を担う小さな英雄と称されていた彼女は
のっぴきならない状況の中、必死に体に鞭打って飛び続けた。
そして―――その反動で、命を落としかけたのだ。
あの頃の事は一生忘れない―――
もっとも―――
ジジ、ジ――、と
鮮明に思い出そうとすると、まるで脳に霞掛かったノイズが紛れて気がヘンになりそうになる。
思考が閉ざされ、泥に沈んでいくような感覚に苛まれていたあの頃の自分。
そうしている間に執務官試験が終わってしまい、まるで腑抜けた結果しか残せなかった事。
それとシグナムに鉄拳という名の喝を、立てなくなるほど入れられた事くらいだ。覚えているのは、、
やがてなのはの命に別状がないという診察の結果が出て
その体が回復し、結局―――
友達は今も空に上がり
ある時は戦場の一番危ない最前線に突っ込み
ある時は味方の防衛線を担って砲弾の前にその身を晒す
そんな生き方を選んだ。
あの時、私は何を思ったのだろうか……?
やめて欲しいという気持ち?
もう危険な事はして欲しくないという気持ち?
あった……
そういう気持ちは確かにあった……
でも―――
――――結局、止められなかったんだ
不屈のエースはあんな目に会ってなお空に還る事を望んだ。
周囲は騒然としてた。冗談だろう?と。
何かに取り憑かれているのか?あの娘は?と。
周囲が真っ青になるような、辛くて痛い極限のリハビリを経て――再び空に舞い上がる白い翼
それを複雑な気持ちで見守ってきたその双眸
一つだけ決まっていた事は――
自分はどんな結果になろうと――
なのはと離れる事は決してないという事だ。
この男の言うとおり、空で生き甲斐を見出す友人を止めるには
力づくでその翼を毟り取り、その夢を潰すしかない。
でもそれは出来なかった。
そんな事はとても、私の手では出来なかった――
なのはの選んだ道を潰す。
なのはの抱いた夢を砕く。
なのはの翼を否定する事が出来なかったんだ。
それはこの英霊の言う通り――
他ならぬ自分が、この翼によって救われたから。
この翼に一番初めに、そして一番深く
魅入ってしまったのが自分だったのだから
だからこそ―――
出来なかった自分
故にだからこそ―――
決めた自分
あの時―――生涯のものになるであろう決意を抱いた自分。
「だからこそ……私が守るんだ」
そう―――その決意を私は
この強大な王を見据えてはっきりと口に出したのだった。
最終更新:2010年11月29日 16:54