なのはがアリサとすずかと友達になったのは、それからほどなくしてだ。

 それというのがギルさんと話をしてからであり、そこらのアリサとすずかの二人の間に割って入った様子というのは、フェイトもはやても聞いていた。
 すずかを苛めていたアリサを諌めたのだという。

「まあ……とにかく『お話を聞いてもらう』というのは、ギルさんいう人の影響もある、言うことやね」
「そうだね。ずっと悩んでいたところで背中を押してくれたのは、ギルさんだったよ」
「そうなんだ……」
 しかしフェイトもはやても、思っていた。
(けど、別にギルさんがいなくても、似たようなことをしていたんやろうね……)
(なのはが、自分の嫌だと思うことを我慢し続けるはずがない)
 そのあたりについては、根拠はなくても確信はある。
 幼少時の助言というのは後に引くことが多いし、この場合もそうだとは思うのだけど、こと高町なのはという少女の本質はそういうのとは無関係に成立していたように思える。
 痛みを乗り越え、恐怖を噛み潰し。

「お話、聞かせて」

 そう言えるのは、ギルさんの助言だけでは無理だ。
 高町なのはという少女の精神――もっといえば、心の在り方、魂の形が、そのようなものとして生まれながらに定められていたのではあるまいか。
 困っている人をほっておけず、怒りに我を忘れることもなく、憎しみに流されたりもせず、まっすぐに犯罪者と対峙できる、そんな気高い精神は。
 きっと、なのはが元から持っていたものであり、家族や友人たちとの交流の中で磨き上げられたのだ。
 ギルさん、という人は多分、そのことに気づいてたのだろうとはやては思った。
 ギルさん、という人はきっと、そんななのはだからこそこんな助言をしたのだろうとフェイトは思った。
 しかしそこで二人は気づいた。
「だけど、ギルさんのことは今まで聞いたことなかったなあ」
「そう……だね。アリサやすずかにも聞いたこと、ないよ。高町家の人の誰からも」
 なのはの幼少時に大きく関わっている人なんだから、長い付き合いの自分たちなら一度くらい名前を聞いていてもよさそうなものだったのだが。
 軽い疑問だったが、二人が言うと、なのはの顔が何処か困ったような、翳んだ笑顔になった。
「ギルさんが最後に来たのは、その後だったから――」





 なのぎる(後編)





 なのはとアリサ、すずかは、そのようなことで仲良くなかった。
 すずかはともかく、アリサとなのはは教師にひどく怒られたり父親に叱られたりしたけれど。
 特になのはの父親である士郎は、娘の無鉄砲さというか無謀というか、まっすぐな行為には何某かの危機感を覚えていたようで、言葉が届かなかったときの「力」の使い方をみっちり教え込んだりした。

(それかっ)
(…………)
(え? どしたの?)

 なのはの姉である美由希も、「それがどんな形であれ、気持ちをぶつけ合うことは大切だよ」とは肯定してくれてはいたが、それでも何処かなのはの今回の行為については、はらはらしていたようだった。
 そんなことがあった日の四日ほど後、ギルさんは翠屋に姿を現したのである。

 なのはは、それはそれは嬉しそうにギルさんに事の経緯を報告した。

「お友達ができました!」
「ほう」

 ギルさんは多くの言葉を残さなかったが、なのはのやったこと、そして友達を得たことを喜んでくれた。
 喜んでくれていた、と思う。
 相変わらず笑っているだけだったが、その日は機嫌がいつもよりよかったようなきがするから。

「今宵は我の奢りである。皆、思うが様に飲み、食らうがよい」

 と言ってくれたが、生憎と翠屋は飲酒店の許可は得ていないので、みんなでジュースとかケーキを食べるということになったのだが。
 宴のような夜は、随分と遅くまで続いたと思う。
 なのははふと気づくと、ギルさんが立ち上がって出口に向かうのが見えた。

「ギルさん?」
「今日は、帰る」

 背中を向けていたが、ギルさんは振り返って言った。
 なのはは頷く。

「じゃあ、また」
「うむ」

 それだけだった。
 それだけのやりとりが、ギルさんとなのはの最後にかわした言葉となった。

 その日以来、なのははギルさんと会っていない。


 ◆ ◆ ◆


 なのははその時、父と兄と姉の姿もなくなっていることに気づかなかった。


 ◆ ◆ ◆


 翌日、学校帰りのなのはは、一人で海岸線を歩いていた。
 いつもギルさんは、店に寄った翌日はこの辺りをうろついているからだ。
 いるのを確認したら、アリサちゃんとすずかちゃんを呼ぼうとなのはは思っている。二人は今日は用事で一緒ではなかったけれど、夕方にちょっとギルさんと会うくらいならできるだろう。
 なのはは、ギルさんに友達を紹介したかった。
 ギルさんは自分のお友達をこそ最高の友だと言うかもしれないが、私だって二人は大切な友達なのだ。どっちが上とか下とかではなくて、大切なのだ。だから、ギルさんに紹介したいし、ギルさんを紹介したいと思っていた。
 ギルさんは二人を見てどういうだろう?
 二人はギルさんを見てどういうだろう?
 もしかしたら全然合わなくて大喧嘩をしてしまうかも知れない。そうではないかも知れない。
 なのははそんなことを考えながらも、ギルさんと二人を引き合わせるということをやめようなどとは考えなかった。
 多分、きっと、みんなで仲良くできる。
 そんな、根拠など微塵もないが、だけど絶対の確信があったのである。
 それで何分か探して、道沿いにはいないと確認したなのはが、いつもギルさんがいるだろう埠頭の方へ行こうとすると。


 その少年は、いた。


 十二、三歳かも知れない。もっと上か、下か。
 よく解らない。今の自分より少し年上みたいな、少年だ。
 白いパーカーを着た、半ズボンの少年。
 どうしてか、なのははその少年に「ギルさん」と呼びかけそうになった。
(え? なんで?)
 自分でも、よく解らない。
 少年は、どう見てもギルさんとは全然関係なさそうなのに。
 金色の髪と、赤い目が、確かにギルさんと同じだけれど。
 少年はなのはを見て。

「こんにちは」

 とニパっと笑った。

「えっと、はい、こんにちは」

 なのはも、笑った。
 少年はそのままなのはに近寄ると、「いい天気ですね」と言った。
「だけど、もう三時も回っているね。じきに暗くなる。女の子一人が歩いているのは、物騒だ。お家まで送っていくよ」
「え? だけど――」
 探している人がいるんです、といいかけて。
「彼なら、きませんよ」
 少年は、何処か困ったような顔で、しかし笑みのままで言う。
 なのはは論理を超越したところで納得するものがあった。
「えーと、ギルさんの、その、家族の人ですか?」
 弟とか、もしかしたら息子とか。
「家族――では、ないかなあ。だけど、彼のことなら僕が一番よく知っているよ。いや、どうしてああなったのかについてはよく解らないんだけど。そうだね。相対的に。今のこの地上にいる者の中で、彼について一番詳しいのは僕だよ」
「? よく解らないけど、あなたはギルさんの知り合いで、ギルさんがここに来ないってことを知ってるんだ?」
「うん。そのことについては、道々、お話ししてあげるよ」
 少年は、そう言ってからなのはの手をとった。
「え? ええー!?」
「お嬢さん、お手を拝借――さあ、行こう」
 なのはは自分の手を握られ、顔を真っ赤にした。まだ思春期も来ていない頃だったが、なんというか、その少年については妙に意識してしまう。何故なのか、その時のなのはにはよく解らなかった。
 だから、少年がたった今であったはずの自分を迷いもなく翠屋へと引っ張っていくことに疑問を感じなかったのである。
 少年は、歩きながらなのはと色んな話をした。
 と言っても、たいていは少年がなのはに質問する形でだった。
 それは、なのはとギルさんとの関わりについてだった。
 ギルさんと初めてあった時のこと。
 ギルさんと釣りをした時のこと。
 ギルさんと……。
 話せるだけのことが尽きるのにはまだ時間があったが、「ねえ、あなたのことも教えて」と言ったのは、翠屋がもうすぐ見えるかという距離にまで近づいてきたからだろう。
 もしかしたら――ではなく。
 この子は、翠屋にまで自分を送った後は、二度と会えない。
 それを、なのはは確信していた。
 なのに。
「僕のことは、たいして話すことは無いな」
 少年はそんなことしか言わないのである。
 さすがになのはも、それには少し頬を膨らませてしまった。
「なんかズルい」
「ごめんね。だけど、今日、僕がここにいるのは、君に伝言をするためだけなんだ」
「え?」
「本当は、彼当人がすればいいんだけど、なんかね、今日はそういう気分じゃないみたい。だから、僕がここにいる」
「伝言……」
 少年は頷いた。


「彼は、しばらくこの町にこないよ」


「――――なんで?」
「なんでかなあ」
 少年は、何処か遠い目をした。
「あんなもの、ほっとけばいいと思うんだけどね。だけど、彼は『使い道ができた』って言ってね」
「?」
「うん。つまり、彼は獲り忘れていた獲物のことを思い出して、しばらくこちらには来れないみたいなんだよ。早くても、あと五年とか十年は先になりそうなのにね。僕が言うのも変だけど、彼はマイペースすぎる」
「そん、な――――」
 よく解らない。
 なんだろう。
 凄く悲しくなってきた。
 ギルさんは昨日、ほめてくれたのに。
 あんなに喜んでくれていたのに。
 なんでだろう。なんでだろう。
 どうして私に何もいわずに、行ってしまったんだろう。
 涙が出そうになった。
 いや、涙は出た。
 ぽろぽろと零れ落ちた。
 少年はそんななのはの手を、それぞれ握り締めた。
「泣かないで」
 笑っている。
 少年は笑っている。
「泣かないで、なのは」
「うん……」
 正直に、言おう。
 自分がその時に泣き止んだのは。
 涙を止めたのは。


 少年のその笑顔に、心を射止められたからだった。


 今になって、いや、当時にだって解っていた。
 これが、高町なのはにとっての初恋だ。
 初恋の瞬間だ。

 それは、次の瞬間には叶わないものになってしまったけれど。

「じゃあ、僕はこれで」

 手を放した少年は、するりとなのはから離れていく。
 気がつけば、いつの間にか二人は翠屋の前にいた。
 なのはは自分の右手を見て、たまらなく切なくなった。
 少年ともっといたいと思った。

「あの、もう会えないの?」

 そう聞いた。
 少年は少しだけ目を瞬かせて。 
「そうだね……うーん……」
 と思案してから。
「じゃあ、どうかな。何か目安になるようなこと――ああ、そうだ。十年くらいしたら、多分、その頃も連載しているだろうこち亀が三十周年とか迎えたら、その頃にまたここに来るよ」
「それは――」
 随分と先のことではないか。  
 なのはの不満は顔に出ていたのだろう。
 少年はまた笑い。
「そんなに先のことじゃないよ。きっと、その頃もジャンプはあるし、多分、こち亀だってやっている」
「そんなことを心配しているんじゃないよ……そんな十年以上先にだなんて、そんなの……」
「心配しなくても、いいよ」
 少年はなのはから離れると、右手を上げた。
「十年先だなんて、今のなのはにとってみたら遠い未来かも知れないけど、すぐにやってくるよ。人生は長くはない。やれることなんて、たかが知れている。その中で何を選び、どれだけそれを突き詰められるか――いや、そんなことは、僕の言うべきことじゃないな」
「?」
「今度会った時、なのははどうなっているんだろうね」
「え」
「じゃあ、またね」
 少年が言うと、手から鎖が伸びた。
 そうしか見えなかった。
 その時のなのはは、その光景を「魔法のようだ」と思った。
 今ならばそれは召喚系の魔法を使ったのかなと思っただろう。
 どちらにしても、それは彼女のいる地球の現実を超えた出来事だ。
 鎖は何処かに伸びたかと思うと、それに引っ張られるように少年の姿も浮き上がって、黄昏の色の中にその身を躍らせた。
 道行く者たちも、なのはも、ただ見るしかできなかった。
 いつの間にか店から出ていた父は愛刀・八景を手にしていたが、呆然と少年を見送ることしかできなかった。
 母も、兄も、姉もいた。
 家族全員で、見ていた。

 日が沈むまで、見ていた。





 エピローグに、つづく。


最終更新:2010年06月21日 12:46