第14話「夜天に駆ける」
――四日目 PM5:45――
予め温めておいた陶磁のポットに茶葉を放る。
分量は人数に合わせてティースプーン6杯。
沸騰した湯を注ぎ、すぐに蓋を閉める。
ここから3分待つのがポイント。
ティーマットで熱が逃げないようにして、茶葉を熱湯で蒸らし続けるのだ。
紅茶の適温は90度から100度。
茶葉がしっかりと開き、適度に味が抽出される温度。
時間をかけて熱を加えるのではなく、最初から高温のお湯を注ぐといい。
ポットの準備を待つ間に、用意しておいたティーカップから、予熱のためのお湯を捨てておく。
紅茶の味を引き出すためには、高温を維持しておくことが肝要だ。
淹れる前にティーカップもポットを温めておくのもそのひとつ。
温めたポットに高温のお湯を注ぎ、高温のままに蒸らして、温めたカップに注ぐのだ。
だが、蒸らし過ぎも味を損ねる。
頃合を見計らって蓋を開け、ポットの中をスプーンでひと混ぜする。
これで準備は整った。
ティーストレーナーで茶葉を漉し取りながら、ティーカップに紅茶を注いでいく。
濃さに偏りが出ないよう、順番に少しずつ。
6杯分ちょうどを量って淹れているので、ポットの紅茶は最後まで使い切る。
最後の一滴、ベスト・ドロップまで残すことなく。
「……よし」
士郎は満足げに頷き、ティーカップをテーブルに着いた面々に配っていく。
スバルに、ティアナに、キャロに、エリオに。
残りは士郎と、この場にいないもう一人。
しかし四人はカップを取らず、ぽかんとした表情でカップと士郎を見比べている。
「どうした?」
「いや、あまりに本格的だったので、ちょっとびっくりしたというか」
スバルが、四人ともが抱いたであろう共通の感想を代弁する。
紅茶でも淹れてこようと言って、士郎が席を立ったのが5,6分ほど前。
そのときは、まさかこれほど凝るとは思ってもみなかった。
インスタントのパックか何かを調達して、手軽に飲むものだとばかり。
「どこで借りてきたんですか、これ」
テーブルに並ぶティーセットの華麗さに気圧されて、ティアナは遠慮がちに辺りを見渡す。
豪奢な装飾に彩られたロビーは、まるでちょっとした宮殿の一画のようだ。
吹き抜けの天井からは眩く光るシャンデリアが吊り下げられ、壁には高価そうな絵画が飾られている。
床材やカーペットも妥協を排除して選び抜かれた品だろう。
ソファーに腰掛けている男も、カウンターで何か話している女も、いかにも紳士淑女といった風体である。
ティアナは思わず身を竦ませた。
こうして見ると、自分たちがあまりに場違いな存在だと思わされる。
空港の戦闘からおおよそ一時間と三十分。
負傷したなのはは後方へ移送され、フェイトはレリックの護送を兼ねてそれに付いていった。
なのはの指揮権を引き継ぐ形で現場指揮官となったヴィータは、すぐさま現地部隊との交渉に引っ張り出され、まだ戻ってきていない。
どうやら、先の戦闘で保護した少女の取り扱いで揉めに揉めているらしい。
ヴィータはレリック関連の重要参考人として機動六課で身柄を確保すると主張。
対する現地部隊の指揮官は、自分達の管轄で起こった事件の主犯もしくは共犯として身柄勾留を要求。
どちらも譲歩するつもりはないらしく、落としどころを探る段階にすらなっていないという。
取り合えず、現在は暫定的な処置として、空港近くの高層ホテル、つまりここの最上階に少女を勾留している。
防犯を強く意識した設備や社員教育は、そのまま侵入者への警戒にも効果を発揮するだろうという、現地部隊指揮官の推薦だ。
「カウンターに言ったら貸してくれたぞ」
「やめてください……」
今のところ少女の意識は戻っていない。
だが、医師の見立てでは命に別状はないらしい。
急激に魔力を消費しすぎたせいだろうとのことだ。
交渉は副隊長の役目で、少女の保護と観察は自分達の役割。
脱走を許したり、少女の仲間に奪還されたり、そんな不手際を犯すわけにはいかない。
ティアナはそう考えていた。
しかし保護観察とはいえ、全員で囲み続けるのは現実的に不可能だ。
ホテルという施設柄、他の利用者もたくさんいる。
そんな中で厳重すぎる監視体制を敷くのは、いくらなんでも迷惑になりすぎる。
そのため、少女の監視は現地に残ったメンバーが交代で行っていた。
今はセイバーという騎士がそれを担当している。
セイバーはティアナからすれば初対面の人物である。
だが、なのはや士郎の知人であり、以前なのはが言っていた『二人目』だと言われれば、拒絶する理由もない。
スターズとライトニングのフォワードを1人ずつ増員する。
士郎がスターズ5にあたるとすれば、件の騎士はライトニング5ということか。
「……」
目だけを動かして、ティアナは周囲を窺う。
どこかに潜む敵を探るというよりは、むしろ自分達に向けられた視線を気にするように。
「ねぇ、スバル。やっぱり着替えてきたほうがいいんじゃない?」
「え、なんで?」
スバルに耳打ちするも、不思議そうに問い返される。
ティアナが気にかけているのは、自分達の服装であった。
このホテルへ移動したのは戦闘終了直後。
休みを入れる暇もなければ、汚れた着衣を取り替える時間もなかった。
そのため、ティアナ達の格好は場違いこの上ない服のままなのだ。
流石に物騒だろうということでバリアジャケットは解除しているが、まだそちらのほうが格好がついたかもしれない。
「そんなことよりティアも飲みなよ。冷めたら美味しくないよ」
スバルに促されるまま、ティアナは紅茶に砂糖とミルクを注ぎ、一口呷った。
程よい甘味と心地良い芳香が口の中で膨らみ、鼻腔を抜けていく。
想像もしていなかった味覚と嗅覚の恍惚に、ティアナは目を丸くした。
自分達が気紛れで淹れるものとはまるで別物だ。
ホテルで調達したのだから、一級品の茶葉だったりするのかもしれない。
しかしそれを差し引いても賞賛せずにはいられない出来栄えだった。
「……美味しい」
「でしょ?」
自分が淹れたわけでもないのに、何故か味の良さを自慢するスバル。
お菓子も欲しいなぁ、なんて気の抜けたことまで口走っている。
一応まだ任務中であることを忘れているのだろうか。
ティアナは友人の奇行をひとまず無視して、残りの二人に目を向けた。
「あの魔法ってどうやってるんですか?」
「ん? あれは投影って言って……」
エリオは士郎と話し込んでいて、キャロはそれを横から見ているという構図。
話の内容は魔法についての雑談らしい。
ティアナもその会話に耳を傾けた。
確かに士郎が使う魔法は不思議な代物だ。
何もないところに剣を作り出す魔法。
ティアナは最初、それを召喚魔法の一種かと思っていたが、話を聞く限りではそうではないらしい。
基になるのは、魔力とイメージ。
見たことがある刀剣類はほぼ例外なく複製可能で、イメージに綻びが生じない限り不滅。
しかし精密機械は形だけの複製であり――デバイスの完全複製は恐らく不可。
つまりキャロの錬鉄召喚とは別系統ということだが、物理攻撃手段をいつでも調達できるという点で、ガジェット対策には有効だろう。
「ベルカ式、かな」
ティアナはぽつりと呟いた。
古代か近代かは分からないが、ここまで近接戦闘に偏った術式ならベルカ式に違いない。
騎士を目指しているエリオが興味を持つのも当然だ。
交わされる会話は理論めいた内容から程遠く、抽象的な効果と用法の説明だけに留まっている。
だがそのお陰で、ティアナが抱いていた衛宮士郎への疑問が幾つか氷解した。
自力でこの魔法を行使できるから、攻撃のために補助を必要とせず、デバイスに頼っていないのだろう。
しかし、いくら攻撃面に自信があるのだとしても防御のためにデバイスは必要だ、という思いは消えていない。
今のティアナには、管理局も把握していない魔術系統があることなど、想像すらできていなかった。
「……あ」
何気なく時計を見やると、もうすぐ六時に差し掛かろうという頃合だった。
ティアナは席を立ち、銀のトレーに最後のティーカップを乗せた。
「そろそろ交代の時間だから、あたし行ってきます」
「いや、俺が行くよ」
あくまで自分が動こうとする士郎を制し、ティアナはひとりでエレベーターに乗り込んだ。
衛宮士郎という男は、頼めばどんなことでやってくれそうな人物だ。
昨夜の警備だってそうだ。
他の誰もが嫌がるような仕事でも、顔色一つ変えずに引き受けていた。
そういう人に頼り過ぎるのは良いことではない。。
……と、正論を自分に言い聞かせて、ティアナは少しずつ増えていく階数表示を見上げていた。
軽い音を鳴らして上昇が止まる。
開いた扉の向こうには、静謐な廊下が広がっていた。
最上階というだけあって、その雰囲気は下階のそれとは比べ物にならない。
落ち着いた色合いの内装と淡い間接照明が、実に上品な高級感を演出している。
だが、ただの通路というわけでは断じてない。
ティアナが見渡しただけでも3種類、見つけられないものを考えれば更に多く――
物理的、魔法的を問わない警戒手段が、幾重にも厳重に張り巡らされているのだ。
先ほどティアナがエレベータを降りたことすら、瞬時に警備担当者の知るところとなっている。
VIPの宿泊もありうる階層だからこその警戒なのだろう。
今はそれが好都合だった。
少女を閉じ込めた部屋はエレベーターから廊下をまっすぐ進んだ先にある。
その部屋の前に、セイバーがまるで彫像のように控えていた。
姿勢は文字通りの直立不動。
無駄な身動きなど一切見せず、完璧な集中を続けている。
黒いスーツという現代的な装束に身を包んでいるが、それを含めてなお、神秘性に溢れた光景であった。
思わず声を掛けるのを躊躇うティアナだったが、そうも言っていられない。
「セイバーさん、そろそろ交代の時間です」
そう話しかけながら、ティーカップの乗ったトレーを差し出す。
少々冷めてはいるものの、まだまだ味は十分だろう。
「ありがとう。もうそんな時間でしたか」
セイバーは口元を綻ばせてカップを取った。
厳重な護りが施されているのは廊下だけではない。
部屋の内装、そして外装には強固な魔法的防御が施されており、素材自体の強度も加わって、鉄壁と呼ぶべき堅牢さとなっている。
狙撃等による暗殺を防ぐために用意されたとのことで、およそ市街地に持ち込める破壊力では貫けないという。
流石に軍事兵器レベルを動員すれば別だろうが、そんなものを持ち出しては、ホテルに近付くことすら不可能だろう。
気をつけるべきは、外部からの攻撃ではなく、内部からの侵入だ。
厳重な警備を潜り抜けてイスト・アベンシスを暗殺した『敵』の存在は、ティアナの耳にも入っている。
警戒はいくらしても足りないくらいだろう。
ちらりと、セイバーの方を盗み見る。
背丈はスバルと殆ど同じ。
年齢もきっとそれくらいだろう。
絵に描いたような金髪碧眼で、体格はむしろ華奢な域だ。
「どうかしました?」
「え、あ、その」
見ていたことを気付かれた気まずさに言いよどむ。
しかしそんな反応をした方が危ないと悟り、どうにか呼吸を整える。
「……あの、エミヤ三尉ってどんな人なんですか?」
ティアナの口をついたのはそんな問いだった。
間を持たせるための質問だったが、知りたいと思っていたことに間違いはない。
セイバーは飲み干したカップをトレーに戻して、そうですねと前置いた。
「他の誰かを助けるためなら、我が身を省みない。そういう人です。
莫迦なのかと問われれば、否定はできません」
あんまりと言えばあんまりな評価だ。
しかし語り続けるセイバーの表情に悪意はなく、むしろ穏やかですらあった。
「己の理想を貫いた果てならば、それが永遠の地獄であっても、最終的には良しとしてしまうのでしょうね」
「理想……」
ティアナは思わず息を呑んだ。
誰かを護りたい。
スバルもそんな願いを語っていた。
彼女がすぐ懐いていたのも、同じ理想の匂いを嗅ぎ取ったからなのだろうか。
けれど――
「それでは後をお願いします、ティアナ・ランスター」
「あ、はい」
カードキーを手渡し、トレーを持って立ち去ろうとするセイバー。
ティアナは慌てて、その後を継いで扉の横につく。
そのとき、廊下の向こうでエレベーターの扉が開いた。
「……?」
起動六課の誰かが上がってきたのかと思い、視線をそちらに向けるティアナ。
だが、現れたのは見たこともない二人組みの男だった。
管理局の制服を着てはいるが、起動六課の隊員ではない。
廊下を行くセイバーとすれ違う瞬間、セイバーが不穏に眉をひそめた。
「起動六課のティアナ・ランスターだな」
「そうですけど……」
ティアナは突然現れた男に対し警戒を露にしていた。
シグナムが目撃したという、偽の六課隊員の情報は既に聞き及んでいる。
この連中がそうでないという保証はどこにもない。
だが、男たちが見せた書状は、そんな疑念を一瞬で払拭するものであった。
「レジアス中将の命令だ。ここで保護している少女を引き渡してもらう」
「なっ……!」
疑問を差し挟む余地も与えず、男たちは開錠を要求する。
だが何の前触れもなく要求されて、はいそうですかと開けるわけはいかない。
「そんな話、聞いていません!」
「だから我々が伝えにきたのだ。
要求が受け入れられないなら強硬手段を取らざるを得ないが?」
見下すような視線に反感を覚えながらも、ティアナは押し黙った。
自分ひとりの判断で決めていいことではないのは明らかだ。
だが、他の隊員と相談する時間など与えてはくれまい。
現に男達は、ティアナを囲むようにして立ち位置を変えてきているのだから。
「もし君が快く扉を開けてくれないのなら、無理にでも鍵を渡して貰うことになる。
無論、それを実行するだけの権限も与えられているが……こうして交渉している理由、分かって欲しいものだ」
何を言っているのか。
初めから交渉するつもりなんてないくせに。
エレベーターの方を見ると、セイバーが鋭い視線を向けてきていた。
誰かを呼んできて。
ティアナはそんな思いを込めて目配せし、カードキーを扉に通す。
扉が開くなり入ろうとする男達を押しのけて、ティアナは真っ先に部屋へ足を踏み入れた。
豪奢な内装に見合った大きなベッドに、件の少女は仰向けに横たわっていた。
手袋型のデバイスは既に没収してあるので、万が一目を覚ましても大したことは出来ないだろう。
「まだ意識は戻っていません。それでも連れて行くんですか」
ティアナは責めるような口振りで男達に問いかけた。
返事は返ってこなかったが、沈黙は何よりも饒舌な回答だ。
ベッドを挟むようにして、どうやって運び出すのか話し合っているらしい男達。
ティアナは待機状態のクロスミラージュに手を掛ける。
彼らがこれ以上強引に事を進めるのなら、こちらも乱暴な手段に訴えるしかない。
「二人で運搬する必要はないな。お前だけで――」
そのとき、風が動いた。
男達の首筋に赤い筋が走る。
赤い筋はすぐに深い切れ目へ変わり、鮮やかな血液を噴出させた。
「――っ!」
断ち切られた頚動脈から迸る動脈血が、床を、壁を、シーツを、そして天井を赤く塗りたくる。
やがて、生臭い液体を撒き散らす壊れたスプリンクラーに成り果てた男達が、思い出したように床に倒れた。
ティアナの目の前で、高価なカーペットが鮮血と鉄の臭気に染め抜かれていく。
しかしティアナの意識は、そんな陳腐な惨劇には向けられていない。
部屋の中央で翻る黒衣。
『そこにいるのに、そこにいると思えない』という怪奇。
髑髏じみた不気味な白仮面。
「……クロスミラージュ!」
クロスミラージュがカード状から銃型へ変形。
同時にトリガーを引き絞る。
必殺を期した抜き打ちは、しかし標的を捉えられない。
標的の消失から僅かに遅れて宙を切り、頑強なガラスに当たって四散する。
ティアナが黒衣を見失った一瞬後、常人に倍する左腕がティアナの手からクロスミラージュを叩き落とした。
しかしティアナは右手に痛みが走った瞬間、原因の判断を即座に放棄して二挺形態へ移行。
至近にいるはずの敵への掃射を敢行する。
それでもなお届かない。
黒衣は床から壁へ、壁から天井へと跳ね回り、クロスミラージュの射線から逃れ続ける。
ティアナは焦燥に口元を歪ませた。
このままでは何万発撃っても当たる気がしない。
額を伝う汗が瞼に触れる。
反射的な瞬きがほんの僅かな時間だけ、瞼を閉じさせる。
秒にしてコンマ以下。
皆無にも等しい暗闇が晴れた瞬間、ティアナの眼前に黒塗りの短刀が迫っていた。
刹那の隙を抉り抜かれた――
筋肉の動きが追いつかない。
神経の伝達が間に合わない。
脳髄の判断が働かない。
眼球の理解が及ばない。
切っ先が眉間の肉にめり込み、肌を破る。
楔を打ち込まれた岩のように頭蓋が震える。
そのまま、痛みを感じるよりもなお早く――甲高い音が鳴り響いた。
「やはりな。来るとすれば貴様だと思っていたぞ、アサシン」
弾かれた短刀が床を滑る。
いつの間に割って入ったのか。
ティアナと黒衣の間に、スーツではなく銀と青の鎧を纏ったセイバーの姿があった。
透明な剣を持っているかのように右腕を突き出し、獅子もかくやとばかりの殺気を迸らせている。
「ティア!」
「大丈夫ですか、ティアさん!」
セイバーが呼んできてくれたのだろう。
ロビーで待っていたスバル達が次々と部屋に駆けつけてくる。
ティアナは安堵して肩の力を抜いた。
何が起こったのか把握しきれていなかったが、危ういところをセイバーに助けられたのは間違いない。
そして仲間も全員揃ってくれた。
いくらあの黒衣が怪物でも既に袋の鼠だ。
「キキ……キ……」
奇妙な音が聞こえる。
それが髑髏の奥から漏れた笑いであると悟るのに、ティアナは数秒の時間を要した。
「笑っている余裕があるのか?」
セイバーが身を屈める。
床を蹴ると同時に最高速へ到達。
不可視の剣を黒衣へ振るわんとする。
それと同時に、黒衣が身を翻した。
セイバーの突進にとっては誤差でしかない回避運動。
少々深く踏み込めば余裕を持って両断できる。
だが。
「っ!」
セイバーは足を床に突っ張った。
脚甲がカーペットと床材をめり込ませ、急加速を更なる急激さで相殺する。
そして、何もない空間を目掛けて腕を振り抜いた。
背筋を貫いた直感の告げるままに。
同じ瞬間。
日没の残光に染まったガラスが亀裂に覆われる。
鋭い一撃が幾重もの防護を尽く貫通し、窓と周辺の壁を諸共に吹き飛ばした。
セイバーの繰り出した不可視の剣と、飛翔する光が激突する。
剣との接触により減速し、露わになるその実体は、金色の宝槍。
驚愕に見開かれるセイバーの双眸。
袈裟懸けの一撃を叩き込まれた宝槍は下方へ軌道を変え、セイバーの足元を穿ち抜いた。
床は常軌を逸した破壊力に屈し、抵抗の片鱗も見せずに崩壊する。
驚きに気を取られていたセイバーは、にわかに生じた崩落から逃れきれず、数階下まで穿たれた孔へ落ちていった。
激突の爆風。
カーペットが巻き上がり、天井の電飾が激しく揺れ、四方の壁が音を立てて軋む。
固定されていない調度品が次々に吹き飛び、窓に残っていたガラスの残骸がひとつ残らず砕け散り、外へ飛んでいく。
「きゃあ!」
風圧に負けたキャロが転倒し、スバルに抱き止められた。
爆心地付近で衝撃に晒されたティアナは、壁に激しく叩きつけられながらも、敵の姿をしっかりと見据えていた。
呼吸もままならない風圧の中で、黒衣が動く。
さも無風であるかのような軽やかな身のこなし。
浮き上がりかけた少女の肢体を異様に長い左腕で捉え、外套の内側にそっと抱き込む。
暴風が血飛沫を帯びて旋風を巻き――あからさまに黒衣を避けて吹き抜けていった。
(風が、避けてる!?)
荒れ狂う風が止む寸前、壁の大穴から黒衣が身を投げた。
宵の暗闇に溶け込みながら、道路を挟んだ一回り小さなビルの屋上に消えていく。
「待――」
「待てっ!」
追いかけようとしたティアナの動きより早く、エリオがストラーダを構える。
ブースターから魔力を噴出して急加速。
床に開いた孔の手前で踏み切り、黒衣が抜けた大穴へ一直線に飛翔する。
「――止めておけ」
一閃。
槍型のデバイスがストラーダを打ち据える。
不意打ちで安定を崩されたエリオは、一度床に叩きつけられ、大穴から転がり落ちた。
寸でのところで淵を掴み、落下は免れる。
「くっ……」
睨む先には、丈長の外套を纏った大柄な男の姿。
槍を携え、窓外に浮いたままで、部屋の中を睥睨している。
「ゼストの旦那。ルールーも助けたんだし、早く行こうぜ」
男――ゼストの周囲を飛び回る小さな影。
赤い髪をしたその人影は、あの少女から没収したはずの手袋型デバイスを抱えていた。
「そうだな」
「……させるか!」
エリオが外壁を蹴る。
同時にストラーダを上方へ構え、ロケットの如く垂直に打ち上がる。
しかしゼストは、半身分後ろに身をずらすだけで、その不意打ちを回避した。
掠めるような交差の一瞬、エリオとゼストは互いの目を見据え合った。
「行くぞ、アギト――」
離脱せんとするゼストの頬を、黒の片刃剣が浅く断つ。
ゼストは反射的に真下へ急降下した。
足元をホテルの外壁が走り抜けていく。
「む……!」
ゼストの左腕が乱暴に引かれる。
銀色の鎖が手首から肘に掛けて絡みつき、杭のような刀身が鎖を留めていた。
そして、鎖の端を握る赤毛の青年――衛宮士郎。
鎖で動きを縛り、両足で壁面を食んで、ゼストの降下に追い縋る。
突っ張られた両の靴からは、壮絶な摩擦によって煙が立ち、壁面に黒い跡が焼き付けられていく。
驚愕がゼストを圧倒したのは一瞬のこと。
口元に笑みが浮かぶ。
落下から反転、垂直に飛翔。
急速に彼我の距離が縮まっていき、鎖がたわんで張力を失う。
士郎はゼストの反転を見るや鎖を投げ捨て、左手に白い剣を投影して双剣と成した。
そして身を低くし、壁面を蹴る。
落下速度が更に加速。
ゼストもそれを迎え撃たんと槍を構える。
夜天に駆ける二つの影。
士郎が双剣を投じる。
ゼストは槍を素早く一回転させ、それらを弾いた。
即座に再投影。
新たな双剣を左右に広げ、ゼストに向けて最後の加速を踏み切る。
壁と化して迫る大気の圧力を潜り抜け、両腕を振るう。
それでも、間合いはゼストの方が遥かに広い。
槍を直線に突き出せば、それだけで十分に事足りる。
「――!」
だが、ゼストは横に跳んだ。
直感か、あるいは聴覚による危機察知か。
刹那の後に、寸前までゼストがいた空間を一対の双剣が飛び去っていった。
回転する切っ先が掠り、ゼストの肩口に傷が生じる。
先手で投擲された双剣は無為なものではなかったのだ。
士郎が壁を蹴って跳躍し、体勢を崩したゼストの懐へ迫る。
「うおおおおっ!」
「むうっ!」
白い剣の切っ先がゼストの胸を裂く。
槍の柄が士郎の脇腹を打つ。
交錯は一瞬。
士郎の身体は真横へ吹き飛ばされ、ゼストはそのまま屋上の遥か上へ飛び抜けた。
「あああああああっ!!」
二人のどちらとも違う叫びが響き渡る。
最上階の壁の穴から、直滑降に近い角度で伸びていく青い光の道。
そして、凄まじい速度でそれを滑り降りていくスバル。
バリアジャケットに身を包み、マッハキャリバーの車輪を軋ませる。
減速するどころか更に輪転させ、放物線を描いて落下する士郎に追いついていく。
「やあっ!」
地上十数メートル。
スバルは遂に士郎を抱き竦めた。
ウィングロードの角度がなだらかに変わる。
魔力で編まれた坂道を、スバルと士郎は転がるように落ちていく。
「……無茶をする」
ゼストは屋上を見下ろす高さから、坂を転がる二人を横目で追っていた。
胸に刻まれた傷は浅くはないが、行動できないというほどでもない。
左腕に巻きついた鎖を解き、釘剣を放り捨てる。
「旦那、大丈夫か!?」
「ああ」
屋上からは、ストラーダを構えたエリオが間断なく警戒を向けてきている。
じきに屋内の者達も駆けつけて来るだろう。
ゼストは静かに屋上に背を向けた。
「逃げるな!」
「やなこった!」
ストラーダのジェットで追おうとするエリオの機先を制し、アギトが火炎を炸裂させる。
巻き起こる焔が途切れたときには、もうゼストとアギトの姿はどこにもなかった。
「くそっ……」
悔しがるエリオの真下、ホテルの壁に開いた穴の淵から、ティアナが身を乗り出す。
額の傷から溢れた少量の血液が、鼻筋を伝って頬へと流れていく。
「なんて、人」
他の誰かを助けるためなら、我が身を省みない――
己の理想を貫いた果てならば、それが永遠の地獄であっても――
誇張のように聞こえたセイバーの言葉。
それが文字通りの意味だったなんて。
飛行魔法も使えないのにあんな無茶をして、一歩間違えば潰れたトマトの出来上がりだ。
誰にでも優しいだとか、飛び切りのお人よしだとか、そんな次元の話じゃない。
喩えるなら、理想に殉ずる狂信者。
それほどの覚悟。
それほどの――異様。
「えっと、セイバーさぁん!」
屋内。
床に開いた孔を覗き込み、キャロが声を張り上げる。
堅牢な防御を突き破った一撃は、数階分の床と天井をも粉砕し、即席の吹き抜けを作っていた。
その最下、衝撃で二つに割れたベッドに落下した格好のまま、セイバーは表情を険しくしていた。
「あの槍はまさか……しかしアレは士郎が……」
思考を巡るは最悪の想定。
そして恐らくは、的中する未来。
――四日目 PM6:15――
件の高層ホテルは遥か遠方。
無秩序に並ぶビル街のひとつを成す建造物の屋上。
そこに、ぱちぱちと手を打ち鳴らす音が響いていた。
「お見事です。偉大なる御名に相応しい狙撃でした」
拍手の主は、クアットロ。
普段から着用しているボディースーツではなく、街中を歩いていても遜色ない服装の上から、シルバーケープを羽織っている。
眼鏡越しの視線の先にいるのは簡素かつ壮麗な装束に身を包んだ一人の男。
クアットロの賞賛を一笑に付し、男はフェンスに背を預けた。
額に下ろした髪は金糸の如く、怜悧な双眸は紅玉の如し。
男の纏う濃厚な気配は、ぎしりと軋む錆付いたフェンスですら、豪奢な帳と見紛わせる。
「我の手を煩わせるに値せぬ些事だな。
まぁ、今回は貴様らが献上する魔力への報奨と思ってやろう」
「感謝いたしますわ、ギルガメッシュ王」
上辺だけの賛美を聞き流し、彼方のホテルを見やる金色の王。
底知れぬ倦怠と僅かばかりの期待を込め、端正な口元を緩ませる。
「我が財宝をしかと目にしたのだ。
セイバーめも、我の存在に気付いていることだろうよ」
何を想像したのか、金色の王はくくと喉を鳴らした。
己の残虐性を隠すこともせず、むしろ見せ付けるかのような含み笑い。
繰り広げられた死闘も、そう遠くない将来に起こるであろう悲劇も、この絶対者にとっては喜劇でしかないのだろう。
人々の足掻きは道化の踊りにも等しく、雀の涙ほどの憐憫すら呼び起こさないに違いない。
クアットロは微かに目を細め、また別のビルの屋上に在る影を見止めた。
ルーテシアを受け渡すアサシンのサーヴァントと、それを受け取るゼストの姿。
「容貌は不気味ですが、命令を確実に果たすのは評価に値しますわね。
アレのマスターを我々が確保している限り、造反もありえないでしょうし……あら?」
いつの間にか、金色の王は屋上からその姿を消していた。
絶え間なく放っていた濃厚な気配も、少々の残滓を残すばかり。
クアットロはわざとらしく肩を竦めた。
用件が済んだ以上、自分と会話を交わす必要すらないと判断したのか。
だとすれば随分と嘗められたものだ。
「王様はこれだし狂戦士は論外。
使い物になるのが、顔も分からない暗殺者だけだなんて」
屋内への扉を潜り、薄暗い階段を下りていく。
その途中、クアットロは表情を消したまま、ぽつりと呟いた。
「そろそろ『最後の一人』を呼び戻すべきかしらね……」
呟きは暗闇に消え、聞き届ける者は誰もいない。
故に誰も知ることはない。
この瞬間、凄惨なる未来が確定したことなど、知る由も――
最終更新:2009年11月30日 23:12