男の足元には断層が走っている。男の前には剣を構えた一人の騎士が立っている。
「先ほどは連れが失礼をしたようだな。代わりと言っては何だが、私が相手をさせてもらおう」
桜色の長髪を後ろで束ね、防御よりも機動性重視の甲冑を身に纏った先ほどの少女とは別の騎士。
「ノックはもっと静かにするものだ。私は激しいのは嫌いなんだよ」
「あぁ、それはすまないことをした。何しろ田舎者の三流騎士だからな。よければ都会のルールというものをご指導願いたい」
露骨に嫌悪感を押し出す魔術師相手に、騎士はあくまで挑発的な態度を崩さない。
量はそれほどでもないものの、純度の高い魔力を魔術師は持っている。
彼女達からしてみれば格好の獲物だ。みすみす逃してしまうのは惜しい。
「残念だけれどお断りさせてもらよ。私には急ぎの用があるんでね、君たちと遊んでいる暇はないんだ」
にべもなく突き放す魔術師の言に対し、騎士は不敵な笑みを浮かべた。
「仮定の話だが――我らを倒さぬ限りこの結界から出ることはできない、というのはどうだ」
「ふむ・・・性急なんだねぇ、君は」
気配が変わる。面倒くさげな雰囲気は一転し、明確な敵意を剥き出しにする。
「お望みどおり、君に本物の魔術師というものを教えてあげよう」
右手を騎士に突き出し、自身は詠唱を開始。
魔術刻印が輝き、術者とは異なる術式を発動させる。
指先から放たれる炎弾は、連射速度、威力共に凡百の魔術師では到底手の届かない域だ。
その脅威は機関銃にも匹敵するだろう魔術を、騎士は裂帛の気合とともにその悉くを薙ぎ払い四散させる。
「はぁっ!」
返礼とばかりに地面を叩き付け、アスファルト片が魔術師を逆襲する。
突如として現れた即席の弾丸に魔術師は驚き、僅かだが弾幕に間が生まれた。
この絶好の機会を逃す騎士ではない。大地を踏み砕き、自身の体を砲弾と化す。
「ぬっ!?」
騎士の動きはもはや人間のソレを超えている。遅れをとった魔術師には視認すら叶わなかっただろう。
一瞬にして間合いを侵された赤い魔術師。一瞬にして間合いをとった紫紺の騎士。
この距離ではいかなる魔術も騎士の剣を上回ることはできない。慌てて詠唱を中断し、距離を取ろうとする赤い影は―――
「っ、おのれぇ・・・」
大上段から撃ち落とされた剛剣を、もはや用を為さない左腕で受け止める。
続いて降り注ぐだろう剣戟の嵐の微かな準備動作、その合間に硬化のルーンを重ね掛けする。
後退は許されない。そんなことを許すほど目の前の騎士は手緩い相手ではない。
ぎしぎしと左腕が悲鳴を上げる。一撃を受けるたびに血が吹き出し、体のあちこちが削れていく。
長くは持つまい―――魔術師がそう思ったとき、ある違和感に気付く。
(殺気が、薄い?)
思えば最初から変だったのだ。魔術師を殺したいのならば声をかける前に仕留めてしまえばそれで事は済む。
そもそもがこの結界に取り込まれた時点でなんらかのペナルティがあって当然なのだが、それすらも皆無と来ている。
未だこのような相手との交戦経験が無い彼には目の前の騎士がどういった意思で自分をこの結界に取り込んだのか、なぜ殺す気が無いのかはわからない。
だがそんな事は些細な問題だ。ひとたび戦場に赴けば相手を殺す意思のない者から死んで行く。
そしてそれは魔術師同士の殺し合いにおいてもなんら変わりはない。
(甘い、甘いなぁ。どれ、ここはひとつ戦いの厳しさを教えてあげよう。代金は君の命だ。
何、先ほど教えを私に請うたじゃないか・・・今更キャンセルは受け付けないぜ?)
近接戦闘の心得が無い彼が白兵戦のエキスパートたる騎士の猛攻をここまで凌げた理由もここにあるだろう。
いくら身体能力や反応速度を魔術で水増ししてもそれだけで防衛戦などできるはずが無い。
殺さぬよう手心を加えた達人と、死ぬ気で守った素人の力関係が偶然一致したという、それだけのことなのだ。
だがその素人はただの素人ではなく、いくつもの魔道を修めた熟練の魔術師だ。
如何に白兵戦で上回ろうとも、僅かでも隙があればその瞬間に相手を絶殺する自信が彼にはある。
とはいえ、彼も騎士がそうそう隙を晒す相手ではないことは承知している。隙が無ければ作るのみ。
3秒、いや2秒あれば十分だ。それだけの時間があれば十分殺し切れる。
遥かに格下と侮っている相手に殺される騎士の顔を想像し、魔術師は内心ほくそ笑む。
策も、武器もある。獲物も生きがいい。準備は整った。
さぁ―――狩りの時間だ。
最終更新:2009年10月11日 20:29