女の目の奥にたゆたう長方形の瞳が――どこまでも怪しく、蠢き光っている

「魔、力を通、せッッッッ!!!!!」

「っっ、、、!!!!」

溺れる者が藁をも掴んで搾り出す、他者への助けを請う声
それほどに喉の奥から必死に掻き出す声とはまさにこれの事

シグナムが、全てが終わってしまう前に戦友に向けて放った怒号

共に意識すら止まりかけたフェイトがハッとして
何がなにやら分からずに全ての機関に魔力を供給
内蔵された防護機能の全てをマックスにして、その場に身を佇ませる

「………………は、、」

そして一呼吸遅れて――

「か、、はっ……!? 、ぁッ…!?? 、げほっ!?
 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、、、!?」

気管支が蠕動し、その場に激しく咳き込む魔道士

背中を震わせて涙に咽ぶその肉体
体の急激な異変に耐え切れず――悲鳴を上げる全身の各種機関

剣を杖代わりに地に突き立てて
両の足を震わせながらに立つ将もまた同様の有様だった
極寒の大陸に裸で放り出されたかのような寒気に全身を苛まれ
冷汗と脂汗をポタポタと地面に落としながらようやく立っている

(こ、、これは……さ、っきの、…)

間違いない―――

先ほどシグナムがライダーにトドメを刺そうとした際
この身を襲った原因不明の壊死現象
身体の機関を強制的に電源OFFにされたかのような不可解な感覚

そう、まるで全身が石になったかのような――

行動はおろか、呼吸も、内臓も、血液も、
止められたというより自分で動く事を止めてしまったかのような

確実に仕留めたと思ったこの剣が彼女を逃がしてしまった原因
先ほど間違いなくフェイトの心臓は動く事を止めており
シグナムはそのプログラムを強制的にシャットダウンされていた
恐るべきは彼女の魔眼――
神話の時代を震え上がらせたライダーの主力武装がついにそのベールを脱いだのである


サーヴァントライダーは「戦うもの」ではない

この場において一人、異質な空気を纏う彼女はいわば「捕食」するもの
かつて並いる英雄を取り込み、体の自由を奪い
恐怖と絶望と共に魂ごと貪りつくしてきた恐るべき化生が彼女の正体だ

魔境の神殿に今宵、招待されたのは三人の戦士

その渦中において神殿の主たる女がついに――
「彼女自身」とも言える神話の怪異を全解放する

鮮血神殿・ブラッドフォートにキュベレイの魔眼の開放
この二つを以って初めてライダーは真の力を奮う場を与えられ
何人たりとも抗えぬ食人の檻の中で
勇者の魂を貪り喰い、しゃぶり尽くす怪物が具現化するのだ

「本気だな……てめえッ、」

三人の中で比較的まともに動ける槍兵が歯を食いしばってライダーに詰め寄る
この男をして険しい表情を浮かべさせる現状が
女の神殿内がどれほどの絶望空間であるかを如実に現すものであろう

「無論――その二人には色々とやられた借りもある
 貴方に渡す気は毛頭ありません」

「ふざけんじゃ……ぐおっ!?」

至近で彼女の魔眼を受けて、なお抗うとは流石に光の御子の異名を持つ半神の英雄
だが――そこまでだ

女の短いスカートから伸びる駿馬を思わせる強靭な横蹴りを
槍を掴まれたまま棒立ちで受けてしまうランサー

「邪魔です」

鳩尾に炸裂したそれが深々と男の体にめり込み、衝撃を流すも往なすも出来ぬまま
凄まじい脚力の洗礼を受けた肢体が樹木立つ森の奥にまで吹き飛ばされる

「ご、、あッ!!?」

男の体が木々をなぎ倒し
それでも止まらずに森の奥へと消えていく
その力強い両足の感覚も既に無くなっているようで
踏ん張りの利かない肢体を押し留めることすら適わない

高い対魔を誇る槍兵をして強制的に排除されてしまう絶対空間
自己封印解放と他者封印の顕現たる二重の結界の中ではあのランサーとて、、ライダーには適わない

この女怪の二つの宝具の同時併用――
普通に戦っていてこんな展開になる事はほぼ無いといって良いだろう

圧倒的好条件で100%の準備が整い、更に彼女の魔力が最も充実している事で成り立つこの騎兵の無敵空間は
真剣勝負において、おいそれと成り立たせるには条件が厳しすぎる

だからこそその条件を全てクリアした時、彼女はまさに無敵状態――

この中で彼女と互角に戦える者など神代の時より数えても
あらゆる魔術的要因を無効化するセイバーを含めて数名といったところだろう

「あとは私がやります
 貴方は隅っこで骨でもしゃぶっていれば良い」

ましてやその原理も知らぬまま、食人の檻へ放り込まれたシグナムとフェイトの二人は…

「ぬ、うう…」

「シグナム、、こ、これは……」

もはや前後不覚も良いところだ

肌を焼く大気
五感を凍りつかせるゴルゴンの呪い
何とか逃れようと体のあらゆる要素に魔力を流し込む二人だったが――

「大したものですね
 一応は動けるのですか……しかし―――」

その対処は騎兵から見て滑稽に余りある

魔力運用の膨大な数値自体には驚かされるが効率は滅茶苦茶
極寒の地で寒さに凍えているのに空腹を埋めるべくバカ食いをしているのと同じだ

「――そろそろ始めても良いですか?
 次は私と遊びましょう……例によって二人掛かりでも構いません」

獲物を前にしてもはや待ちきれないといったところか
微笑すら称え、ライダーがゆっくりと歩を進める

「く、来るぞっ…!」

掠れたような声を精一杯ひり出して相棒を叱咤する騎士
フェイトも言葉を返そうとするが、舌が回らない
バルディッシュを地面に突いて体を起こし
下を向いた視線を前方に向けようとするが、それすら至難の業

これでは到底、打ち合えない……!

二人が敵の襲来を前に空へと飛び立とうとするが、

「遅い」

ライダーの手から投じられた鎖が両者の足首に絡みつく

「あ……ッ、」

短い悲鳴と共に無様に地面に引きずり落とされる魔道士と騎士
嘲り笑う騎兵の声だけが耳障りなほどに彼女らの鼓膜を震わせる

「き、さまぁ!!」

鉛のような体を推して地を蹴り
鋼鉄の意志を以って今、敵に切りかかる烈火の将
その火山の噴火を思わせた太刀筋は――

「――――ふ…」

言うまでも無い
子供や老人の素振りにも等しい速度と威力しか引き出せず
業火を思わせた彼女の剣技はもはや見る影も無い

緩慢とすら言える刃をかわすでも受けるでもない
紫の女はその右手で、剣の腹を無造作に払うだけ――
それだけで将の剣は力なく跳ね飛ばされ、彼女の体もバランスを崩して泳いでしまう

(っ…! 何てことだ……!?)

森の戦いではクロスファイトでライダーに決して力負けしなかった
だというのに、この力差は大人と子供以上…!?
絶望を通り越して冗談としか思えない

だが、これが現実
現状の戦力差である事は紛れも無い事実
それは即ち、、


――― 全滅必至の絶望的状況 ―――


座して死ぬか、それとも華々しく戦って散るか
その違いしか今や見出せない

紅き世界は そんな凄惨な現実のみを――情け容赦なく、二人に突きつける


――――――

人は子供の頃、他愛の無い稚拙な妄想に耽って楽しむものだが
ことにスポーツや取っ組み合いなどで不覚を取った時、

――ビデオのスローモーションのように時間を遅らせたり止めたりした世界の中で

――自分だけが普通に動けたらどうだろう…

――そうなったら無敵なのに…


こんな想像を一度はすると思う
誰もが一度は思い描いた夢物語

それが今―――目の前で現実のものとなっていた

ただし少し違うのはスローになるのが周りではなく自分たち
動いているのがこちらに殺意を抱く敵、、だという事

つまり―――これ以上無いくらいに最悪の悪夢

こちらが一歩踏み込むごとに相手は10歩の距離を詰めてくる
こちらが剣を一振りするごとに相手は20の挙動を以ってこちらの体を犯し続ける

既に蹂躙は始まっていた

打ち込まれ、弾け飛ぶシグナムの上体――

しかし何と歪な光景か
肉体の蹂躙に、打たれて苦痛に咽ぶ反応すらが遅れてしまってしまうデタラメ

その歪な現象が
終焉を迎えようとする獲物を更なる恐怖と絶望に落とし込む

「うああああぁぁあッ!!」

フェイトが悲痛な叫びにも似た絶叫を張り上げて敵に斬りかかるが、駄目
軽量の短剣の払いに踏み止まる事すら出来ずに紙屑のように吹き飛ばされ
そのまま、たたらを踏んで尻餅をつく有様
曇天の空を支配する雷帝が、まるで酒浸りの泥酔者ではないか…

そして――嗚呼、、

地を這いながらそれでも向かおうとする先
目の前で尊敬する騎士――戦友でもある女剣士に加えられる一方的な暴力
それをまざまざと見せ付けられるのだ

――― 拷問空間 ―――

自身が切られる痛みには耐えられても他人の傷つく姿には耐えられない
そんな心の持ち主に対して、まさにそれは精神を苛む拷問だった

全てが凝固し遅れる時空間の中で
意識だけは、、その緩慢な動作に反比例するように通常に働いてしまう

「シグナム…! シグナム!!」

マルチタスクが20の戦術を錬り、実行に移そうとしても
それの1,2しか行動に移せない

移せないが故に――友達が死ぬ
耐えられない――耐えられる筈がない 

こんな現実に彼女が、、

サーヴァントとベルカの騎士を、地上を駆ける猛獣と空を飛ぶ猛禽に例えたが
これはもう―――そんなレベルですらない

それは海中深くに沈んだ鳥が巨大なタコやイカの化け物に捕獲され、なぶられる様に似ていた
地上を求めて浮き上がろうとするのを嘲笑うかのように
引きずり込んで徐々に弱らせていく

勝ち目など、、あるはずがない
鷲や鷹が地上でライオンに勝てない以上に
水中で海の捕食者に勝てる道理がない

敵はフェイトに対しては致命的な一撃を入れる事を避け、往なし、吹き飛ばすのみ
まずは邪魔な前衛を全力で潰す事に専念する

もう戦術も何もなく必死に斬りかかるフェイトを煩げに払うライダー
温厚な人格をして精一杯の罵声を浴びせて何とか騎兵の意識をこちらへ向けさせようとするが
そんなもの――仲間が朽ちていくのを遅らせる事も出来ない

烈火の将は、その場においてただ、ただ、防戦
一斬も返せず、丸まって攻撃を受けていた

否、防戦ではない――

本当にただ丸まっているだけ
急所を最低限庇うだけの防御行動とも呼べぬもの

戦場において軍神さながらの戦いを見せる彼女ですら現状を打破する手段をまるで見出せない
いくら耐えても待っても自分のターンが来ないのだ……受けも攻めももう意味が無い

「、、、…」

しかし――それでも決して彼女は膝をつかなかった

もはや勝機はゼロだろう
しかしそれでも折れないのが古代ベルカの騎士の誇り
崩れぬ事が、この敵に対する最後の抵抗

無残に敵を蹂躙しながら
その涙ぐましい抵抗を無機質な瞳で見据えるライダー

「―――なまじ打たれ強いと地獄ですね
 あまり貴方に時間をかけるつもりは無いのですが」

人間を大きく超えた耐久力と精神力
もはや大木を切り倒すだけの作業でしかないとしても――

自分を相手に立派に戦った戦士をこれ以上、嘲笑うわけにもいかない
十分に痛めつけ、先ほどの借りも返したし
あとは一応の敬意を表して速やかに葬ってやる事がせめてもの情け

「やはりこれが曲者です」

言うライダーが、もはや意識があるかも分からない騎士の胸倉をおもむろに掴み上げる
戦士の本能からか、斬り返そうと抵抗を試みようとした彼女の肢体はしかし、

「、、、、は、」

思いに反してその白刃が走る事はない
ダメージを受け過ぎて体に反撃を行える要素が既になくなってしまっているのだ

―――みし、みし、ばり、、

両手で女騎士の白と薄紅のジャケットの襟首を捻り上げてくる相手を
跳ね除ける事すら出来ず、なすがままになるしかないシグナム
目だけが自身の敗北を受け入れずに相手をキッと見据えるが――ただ、ただ、空しい抵抗だった

―――みしみし、ばりり!

女怪の両の爪に力が篭る
既に限界を超えた剣士の守りはなすすべもない

そのまま将の勇壮な戦装束を
主が自分のためにと図書館を駆けずり回って装飾を
バリバリ!と無造作に引き裂いたのである

重厚不貫のパンツァガイストがまるでダンボールでも裂くかのように撤去され
紅い魔力の残滓が場に飛び散る
騎兵が、手に握られた白地の布をゴミのように捨て去ると
それもまた薄紅の魔力光となって塵と消えていた

そして観音開きになった騎士甲冑の中――露になった女剣士の生肌
短剣によって抉られた彼女の臍の横付近に
ライダーの渾身の膝が叩き込まれたのだ

「、、、、、、」

思考に、視界にノイズが走る

苦悶の声すら上がらない

プログラムに重大な支障が出るほどの
それは守護騎士プログラムの根幹に届く一撃

衝撃で3mは浮き上がる騎士の体が
傍から見ても分かるほどに脱力する

「、、、テスタ、ロッサ…」

もはや壊れたマネキンのような肢体
光を灯さぬ目で彼女は空を舞い
魔道士に手を伸ばそうともがいて友の名を呼ぶ

「、、、逃げ、ろ…」

そしてただ一言――

もはや思考が正しく働いているかも怪しい
逃げられるような状況でもないだろうに、それでもただ一言

完全に自分が潰される前に魔道士にそれだけを告げた―――

その視界が、無造作に、急激に流れる
体が、脳が、大きく揺れるほどの遠心力を感じ
先に森で放り投げられた時に匹敵するGが彼女を襲う

丁度良く浮き上がった将の体
その足首を騎兵が無造作に掴み上げ、、
例によって腕力任せに振り回したのである

大きく振りかぶったそのフォーム
肩越しにぐにゃりと曲がる将の体はなすがまま
野球やソフトボールにおけるオーバースローのフォームで彼女を
人体を、モノでも放るように全力で投げつけたのだ

ゴゥ!という風を切る音と共に砲弾のように飛ぶシグナムの体
凄まじい膂力の元に地面と平行に飛んでいく、もはや何ら力を残さぬ肢体

飛び荒ぶ先―――
戦闘によって駆逐され叩き折られた多くの木々の一つ
ささくれ立って槍のように尖った突起と化した枝に向かって、飛んでいく!

それを成す術もなく眺めているフェイト
時間がゆっくりに感じるのはライダーの魔眼のせいだけではない

さっきの、時と同じだ――
決定的な瞬間を前にして――

見開かれた瞳から入る情景が頭の中でスパークし、、普段の数百倍の回線を開いて垣間見せている

俗にいう死に際の集中力
死を感じる寸前、景色がコマ送りになり
自身の一生を走馬灯のようになぞれるほどの時間を感じるというもの
他人の死に際してそれを感じ取ってしまうのも
彼女が友の死を自分の死以上に重く見ているからに他ならない

195 名前:フェイトルート第一章・中編本編[sage] 投稿日:2009/11/09(月) 18:11:50 ID:LRY5IOSq
さりとて動かぬこの体
情けないほどに無力なこの腕、この足

またか、、またなのか、、!
また自分は大事な人の窮地を前に呆然としているだけなのか!

―――殺してしまいたい

相手をじゃない
あまりにも無力なこの自身を

―――動けなくなるほどに打ちのめしたい

相手をじゃない
あまりにも鈍重なこの手足を

――こんな筈じゃないのに

――間に合うのに

たとえああやって仲間が死の寸前に追いやられていたって
いつもなら余裕で間に合うのに…!
一息で飛んでってその体を抱えてあげられるのに…!

悔し涙に濡れるその瞳
心優しい彼女をして抑え切れないほどの怒り

―――「それ」は自分が何より求めた力だった

「それ」はたまたま自分に特化していた、というわけではなかったのだろう

小器用に一通りの分野に精通できる事が唯一の取り柄である自分に特化した素質があったとは考えにくい
仲間に比べて力強さも頑健さも持ち合わせていなかった自分

でも、それだけは誰にも負けたくなかった
誰にも負けたくなかった――

真っ先に誰よりも速く、救いを求める人の下に行ってその手を掴みたい

その思いだけは誰にも負けたくなかったのだ――


その一途な思いが―――

――― 彼女を「こう」した ―――


「……バルディッシュ」

<Yes Sir...stand by――>


その彼女の至った境地こそ――

「オール・パージ……ソニックフォーム」


――― 最速 ―――

誰もが動けぬはずの紅い世界
怪物の魔眼の呪縛に犯されたこの大地に――


真なる雷光が――――爆ぜた


――――――

「――――む、!?」

それが視認出来なかったと―――
初め、彼女は「そう」認識することはなかった

あの邪魔な騎士を排除してから存分に相手をしてやろうと思っていた金色の雀
後方より必死に健気に打ち込んでくる戦斧を
子供をあやすかのように払い、はたいて飛ばす

確かにこちらに追随するほどの脚を持つ獲物だったが
その体も手足も既にクモの巣に絡まり動けない
捨て置いてももはや彼女には何も出来ない筈だったのだ

だから―――今、目の前でこちらに射殺さんほどの眼光をぶつけてくる
黒き魔道士の姿を見ている自身の瞳が信じられない

百舌の早贄えのように木に串刺しになって果てるはずだった女騎士を小脇に抱え、
金の髪を憤然と逆立たせて佇む彼女の姿に意外の念を抱いたとしても無理からぬ事

「……先にそちらを片付けたかったのですが」

弱々しく咳き込み、苦しそうに彼女に抱かれる剣士の姿を見て言う騎兵

「テ、スタ……」

「シグナム、、もう、大丈夫です」

「馬鹿、な……
 止めろ、、それは…」

「大丈夫」

半死半生で掠れるような声を魔道士にかける剣士だったが
フェイトは優しく微笑み、その身を抱いて木陰に寝かせる

「少し休んでいて下さい」

何かが――何かが違う…

こちらに背を向けるほどの余裕
しかしてその背から発する凄み
全身から放電するプラズマのような魔力が彼女の心を如実に表す

「―――、」

どうやら更なるスイッチを入れてしまったらしい

恐らく隠し持っていた戦力
秘めた力を開放したのだろう
この状況下で切るカードがまだあったという事だ

こういう事はよくあること
ことに邪神などをやっている身としては
正義側の不思議覚醒超パワーなどはしばしば目にするものである

だが、所詮は消える前の蝋燭――
圧倒的な力差を都合よく埋めてくれるものなど現実にはありはしない

少し驚いたが、、どれほどの力を秘めていようと
この神殿の中で我が身を脅かすものであるとは到底思えない
そんなものを人間が保有しているはずが――

「――――、!?」

などと考えを及ばす事が、
この騎兵がほんの少しでもたじろいでいた証だったのかも知れない

ライダーの顔が――瞬間、弾け飛んだ!

「く、ふ、――!?」

視界が爆発したように揺れて
のけぞる全身が横にずれる

露になった両の眼が驚愕に見開かれる

先ほどの意外の念――こちらの……勘違いではなかった

ありえない事ゆえ失念していたのか?
この敵は今度こそ――
自分の眼前においてこちらの視認から、、消えた

一条の光がこの身の横を通り過ぎ
瞬間、危機を感じて真横に飛び、致命傷を避けたが――

その頬につう、と鋭利な刃物で裂かれた傷が浮かぶ
顔に傷をつけられた事に一瞬、激しい怒りを感じたが
今はそれよりも驚愕が勝る

急場の回避により聊か体制を崩しながらも即座に後方を見やると
今しがたこの身を通り過ぎ、切り抜けた肢体が変わらず背中を向けていた

「あり得ない――この神殿の内で…
 何故、貴方は私よりも速く動けるのです!?」

「………」

捕食者は捕食対象に脅威を抱かない――

それは敵がこちらを脅かす可能性など皆無であり
あくまで一方的に蹂躙し、捕食する対象であるからだ

しかし、、

もし捕食者が、対象に逆に食われる事態に遭遇したらどうなる?

海の中に引きずりこんでおきながら、サメが鷲に引き裂かれるような事態に陥った時、
果たして取り乱さないサメがいるだろうか?
そう、怯えよりも旋律よりも真っ先に彼らの思考を占めるのは――混乱であろう

こんな状況であっても彼女は
相手を出来るだけ殺傷しないように努力はするだろう

だが感情を称えぬその顔は、つまりは彼女最大級の怒りを表す
それは研ぎ澄まされた剃刀と同じ
どこまでもシャープに鋭く――対象を撫で斬りにする極上の凶器に他ならない

保証は出来ない――
もはや相手の安全など――!

「こ、――小癪なッ!!」

その凶器――

「最速」という名の稲妻が
負けるはずのなかった騎兵を今、、、、脅かす


――――――

血のように真っ赤に染まった世界の中
どろりとした大気を切り裂いて金の閃光と紫の長髪が乱れ飛ぶ

未だ驚きと動揺を隠せないライダー
この脅速の攻防事態はサーヴァントであれば日常茶飯事
彼女らにとっては慣れたものだ

だが、、、それをこの空間内
己が神殿内にて繰り広げることになろうとは夢にも思わなかった

敵が動けるはずが無いのだ――
もはや決した勝負のはずだ――

この必勝の空間を作り上げた時点で
戦いなど成り立つ状況に無いはずだ

なのに、、、なのに、どうして自分は今こうして敵と切り結んでいる?
相手との交戦が成り立っているというのだ?

八の字を描いて交錯し、ガチン、ガチンとぶつかり合う二対の光
直撃こそ許さないまでも、抜ける度にライダーの皮膚が切り裂かれていく

理解できない――

疾走するが騎兵の本分
こういう戦いこそ彼女のもっとも得意とするところであり
超高速併走戦においてはサーヴァント随一であるライダーのサーヴァント

トップスピードに乗った騎兵に付いていける者など上位英霊の中にも何人いるかも怪しいものだ
それが、競り負けている――? この騎兵が…!?

美しき金の魔道士の姿は先ほどまでと、どこか違っていて
半身を覆う白いマントもタイトなスカートも纏ってはいなかった
肌にジャストフィットしたスパッツのようなもので最低限の箇所を覆っただけのその格好
先の凛々しい威厳を伴った魔術師然とした姿に比べ、一見みすぼらしい姿に見える

だが、もうそんなものは関係が無い

姿そのものが立ち消えて目で追えないというのに
みすぼらしいも何もあったものではないだろう

騎兵の鼻先に金髪の凛々しい顔が一息で飛び込んでくる
その表情は特に感情に歪んではいないが
目には隠しようのない大いなる怒りを称え、こちらの視線を真っ向から受ける

(私を追い立てると言うのですか…? どこまでも貴方という人は!)

ライダーとて余裕など初めからない
ブラッドフォート、キュベレイの魔眼の併せ技は本来の自分の切り札
いわば必勝のカードであり、それに比例して魔力消費も膨大極まりない
故に彼女は今、全ての手札を切って相手にトドメを刺そうとしているようなもの
これを凌がれる事など考えてもいない

(よもやペガサスを呼ぶ羽目に――いや…)

騎英の手綱に手をかけようとするライダーだったが、すぐに思いとどまる
いくらその身に魔力が充実しているとはいえ
それでも三つの宝具を重ねるのは彼女自身、到達した事のない未知の領域だ

先に「本来の」と記した通り、鮮血神殿、石化の魔眼は
確かに邪神メドゥーサの宝具と呼ぶべきものである
に対し、騎英の手綱はあまりにも異色――根本的に「本来」の彼女とは違うモノだ

伝承において悪神メドゥーサが天馬にまたがり敵を屠ったという記述はない――

それは即ち、騎兵……「ライダー」のクラスに招聘された事によって
彼女にカスタマイズされたいわば英霊としての武装

英霊ライダーの宝具と、邪神の主力である前二つ
抱き合わせて食い合わせが悪いのはむしろ必然である

第一、どこの世界に自分の家の中で暴れ馬を疾走させる阿呆がいる…?
互換性以前に常識的に有り得ない
シュール過ぎる……見るからに最悪の光景だ

「おのれ…」

紅き神殿にて二つの最速の影が止まらない
えもすれば地の果てまで一瞬で到達してしまいそうな二人の疾走は
まだまだレッドゾーンを拝む事は無い

ことにフェイトが凄まじすぎる!
本当に魔眼が効いているのか?
まさかあまりの速度に呪縛すら置き去りにしているなんて事は……そんな非常識な事があるはずが――

埒外の塊である英霊にさえ常識を問われるほどに今の彼女はメーターを振り切っている
一見、際限なく上がっていく昇り竜はどこか危うい光を称えて騎兵を切り刻みながらに飛ぶのだ

「このまま真ソニックに繋げる」

<No Sir...energy does,nt pile up...>

「っ…」

オーバードライブに移行し、一気に決めようと思い立つフェイトテスタロッサハラオウン

であったのだが、ここで誤算
あらゆるステータスが万全でなければアレは制御するどころか発動さえ困難だ

――限界突破に至るための魔力を得られない

体内で高めても高めても、底に穴が開いた袋のように魔力が外へ出て行ってしまうのだ
防御機構に軒並み回している魔力も下手に使えない
これを裂いてしまっては、謎の呪縛に苛まれ、この体は一瞬で動かなくなる

だから今、フェイトが使えるのはこれだけ――
かつて 「カミカゼ特攻モード」 と、恐れと苦笑交じりの異名を付けられた
この旧ソニックフォームで凌ぐしかない

騎兵の心胆を震わせるこのフェイトの奥の手は種を明かせば実に簡単無比なものだった
己が身に纏っているBJをパージし、ほぼ装甲無しの状態で全開飛行を行う
ただ、それだけの事である

攻撃に使う出力すらカットして、その手に握られるはバルディッシュ待機モードである戦斧のみ
ありとあらゆる兵装を極限まで削ぎ落とした状態が、今の彼女の全容だ

こんな事で埒外のスピードを得られるのなら誰もがやるはずである
だが、誰もやらない――それは何故か?

簡単である……

―― デメリットの方が遥かに大きいからだ ――

魔道士がBJを捨てるという事は、敵の攻撃を食らえば一撃でゲームオーバーだという事と同義
あくまで彼らは生身の人間――
その身体は鉄でもなければコーディネイトされた人工皮膚でもない

故に砲撃を受ければ熱で皮膚が焼け焦げ
刃の直撃を受ければ容易くその身は両断され
障害物や壁に接触するだけで五体はあっさり砕け散る

こんな状態で制御ギリギリの速度で飛び
あまつさえドッグファイトを敢行するなど誰がやるのか?
自殺行為以外の何物でもない愚行、、誰もがそう認める所業

だからこそ―――この魔道士が天才と言われるのだ

なのはの空間把握能力は感覚的な才能であるが
それとは対を成す、膨大なデータと地形計算によって自身を完璧に制御できる演算能力の「センス」
それを有する彼女だからこそ可能にした、この超々高速飛行戦闘モードの完全解放

(私の反応速度を超え始めた――!!?)

神話の騎兵を驚嘆に焦燥に落とし込む所業
もはや常人には狂気の域だ

ものは使いよう――応用次第とは言うが、こんな事は誰もやらない

使い古しでも使う者がスペシャルならば主力武器に随する効能を得られると言うが
ものには限度というものがあるだろう…!

ライダーの体に次々と打ち込まれる戦斧
明らかにスピードで競り負け始めた騎兵は
すれ違い様に首を飛ばされないよう防御するのが精一杯だった

金色の流星は、紫紺の英霊と切り結ぶ瞬間
更に、更に、シャープにソリッドに加速して斬り抜け始めていた
そして彼女が駆け抜けた後にカラン、と――空薬莢が落ちる

カートリッジシステム―――

あの高町なのはを一段上のステージへと引き上げるきっかけとなった古代ベルカ禁断の技法
この技術を――フェイトもまた保有していた
そして今、ソニックモード中に更にカートリッジを叩き込む事によって
一瞬ではあるが限界を更に二桁は超えた魔速を叩きだし
ライダーをして視認出来ない領域へと飛び込んでいるのだ

(このまま押さえ込む…)

怒りだけではない
冷静な判断を同時に併せ持つ彼女の出した結論

ここで、ここで踏み止まらねば自分達はもう終わる
シグナムもそして自分も抵抗する術をもぎ取られ、たちどころに殺されてしまう

前衛である烈火の将が堕ちた以上、自分が何としてでも踏ん張らなければならない
執務官として幾多の戦場を駆けてきた彼女がここに最後の背水の陣を敷いたのだ

「く、くぅ……フェイトッッ!!!」

「ライダァーーッ!!!」

もはや最速の騎兵のプライドはズタズタだ
明らかに走りで負けている現状
英霊らしい尊大な態度など見せられるはずが無い

金の光と交錯する度に自身の肌に刻まれる屈辱の証
自分の住処にあってこんな狼藉を許すなど恥辱の極み

「シァァッッ!!」

蛇が発する威嚇音のような声と共にがむしゃらに金の稲妻にぶち当たる
もはやライダーとて奢りも余力も無い渾身
接触の度に頬に、脇腹に、肩口に熱い感触が残り、そこからじわ、と血が滲む
もう無傷の勝利など望むべくもないどころか――このままでは本当に、負ける?

手に持つ杭剣で黒い鉄隗を全力で打ち返し――
体勢など知った事ではない
蹴りと呼ぶのもおこがましいフォームで、しなやかな脚を本能の赴くままに振り回す

これもまた恐るべき身体能力の賜物だ
視えぬ相手にそれでも反応し、敵の刃に最低限の受身を取り
宙空で前後不覚同然の体勢から、それでも反撃に移行するのだから

しかして角度を問わぬ女描の烈脚――当たらない
柔軟な股関節がしなるような鞭の如き蹴撃を繰り出すが――当たらない

こちらは被弾し、向こうには傷一つつけられない
こんな体験は彼女は初めてだった

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2009年11月11日 11:21