英霊スバル~その軌跡~
本章Ⅰ“Shout your despair”前編
―――歌声が響いていた。
石造りの荘厳なカタコンベ――おそらくは過去に建造された地下共同墓地。
広々とした回廊の果てに、その儀式の場はあった。
地下空間に描かれた“それ”は、幾重にも敷かれた大魔方陣であった。
毒々しく虹彩を焼く混色の魔術光は、凄まじい時空反応を起こして泡と消える。
霊脈から取り出された膨大なエネルギーは、時空をねじ曲げる召喚門の原料だ。
その外周部に立つのは無数の人影……神を嘲笑う声を放つ異形の影だった。
『謳え……神を殺す歌を』
ソレは無貌の闇。
『哀哭せよ、我ら神に呪われし永劫の血族なり』
ソレは人にあらざる者どもの声。
『寄る辺なき亡者の群れ、忘却の海に沈む種の記憶、産声を上げる魔の同胞』
ソレは異界の術理を表した混沌。
『狂え……この捻れ狂う螺旋で』
ソレは失われた世界へ捧げる叫び声。
『誓約し吹くがいい、神をも殺す破滅の喇叭を』
爛れ、捻れ、ぐるりぐるりと曲がり壊れる世界を犯す狂気。
呪いのような言霊は時空の歪曲を加速させ、人類の叡智の及ばない高次元“座”より、
人を超えた存在たる“英霊”を招来(ダウンロード)―――架空元素の身体という枷で傀儡へ仕立て上げる。
遠き次元の果ての惑星に住む、神秘を秘匿する魔術師たちが創り上げた業を、
本当に長い歳月を掛けて再現した儀式……すなわち“聖杯”と呼ばれる究極のアーティファクトの模造。
この儀式を執り行う者どもこそ……かつて古代ベルカよりミッドへ移住した次元の彷徨い人の末裔(すえ)だ。
人でありながら人にあらざるモノと血を交えた異形の民は、おぞましい模倣の果てに怪物を生み出そうとしていた。
すなわち、―――神に等しい力を持った存在の再生。忌まわしい儀式を見つめながら、カリム・グラシアは呻いた。
「……神話存在の再構築……しかし、死者を弄ぶのは好きになれません」
「騎士カリム、サーヴァントシステムは隷属を英霊に強いるモノ……なれば、気を強く持たねば」
「わかっているわ……それでも、憂鬱ね……」
ぐるぐると渦を描いていた禍々しい召喚陣は遂に架空元素へ指向性を持たせ、
人間という存在が虫けらに感じられるほどの気配が顕現しようとしていた。
虹色の光が炸裂し、エーテルの激流が強大な魔力を術者“たち”から吸い上げていく。
「お出でませ」
声が響く。
「幽世より、―――我らが下へ」
嘆き呻く大いなる声。
“―――――■■■■■■■■■■■■■■■■? ■■■■■■■■―――”
「我らは貴方の力を必要とする、古より続く盟約の守護者。
反逆者にしてイレギュラー、“英霊スバル・ナカジマ”の排除を何卒……
我らが主――」
此処に誓約は成る。
「―――“聖王陛下”」
“……光あれ”
◇
ひどく―――昔の光景を見ていた。
何故だろう、懐かしい風景と人物が映るだけなのに。
セピア色の風景は、遠い遠い過去の記憶だった。
『え~ん、え~ん……うぅ、ぢぐじょー』
……涙と鼻水を垂れ流し、しゃくり声が止まらない無様なガキは俺だ。
あの人の名前を受け継ぐと決める前の俺は、稚拙な魔法しか使えない孤児で何処にも属せない弱者。
ああ、それでも―――いや、だからこそあの力強い背中に憧れたのだ。
泣いている男の子に気づいたのか、大振りな漆黒の槍――魔術的に途方もない品だそうだ――を背負い、
壮年の武芸者といった佇まいの大男が左手をあげて声を掛けてくる。筋骨隆々の割に、顔は童顔で優しげだ。
『どうした、■■? お前らしくないぞ?』
『うぐっ……お師匠、オレ、オレ……また喧嘩で負けちまったんだ……お師匠の弟子なのに……』
……俺がそう言うと、当代最強と謳われた古代ベルカ式魔導師――“騎士”は、ニカッと笑う。
彼はとても大きな槍の使い手で、どんな魔導師よりも強くて、武器の強大な力に溺れない意志の人で、
■■・グランガイツが誰よりも尊敬する、最高の師匠だった。
師匠は大きな掌で俺の頭を撫でながら、遠い過去を反芻するように言った。
『ばーか、泣くな。俺もな、昔は弱かった……親父から引き継ぐ名前に耐えられず、逃げ出そうとしたこともあった。
でもな―――何時かお前にもわかるよ。男の子は本当に護りたいものを見つけりゃさ、
神さまだってぶん殴れる勇気が身につくんだぜ?』
……あのときの俺には少々難しい話だったように思う。つくづく馬鹿なガキだったのだ、俺は。
それでも師匠が俺のことを叱るでもなく励ましたのが嬉しくて、俺は泣き止んでいた。
そして、深く考えずにこう言いはなったのだ。
『……決めた! オレ、師匠みたいな強い騎士になってさ――』
『おう……!』
きっとアレは少年の日だから言えた妄言だ。
それでも、とても懐かしくて誇らしい。
『―――無敵の騎士“ゼスト”の名前を受け継いで、その【ゼストの槍】も使いこなしてみせる!』
『……おいおい、大きく出たな■■。ま、そんじゃたっぷり鍛えてやるからな!!』
師匠は――最後の使い手“ゼスト”はそう言って俺を元気づけると、
二度と見られないような綺麗な笑顔で笑ったんだ……。
◇
「……」
起きてみれば外は鉛色の雲に覆われた灰色の風景だった。
埃っぽい空気を誤魔化すために開け放った窓からは蒸し暑い夏の風が吹き込み、
迷い込んだ虫が自らの周りをぐるぐると旋回飛行していた。
やがてゼストの枯れ果てた肉体に見切りをつけたのか、虫は外へと飛び立っていった。
「―――ずいぶんと、懐かしい夢だ」
もう何十年も前の記憶……最後の“ゼスト”の継承者、英雄ゼスト・クルスィアは、もうこの世界に存在しない。
紛争地帯で牙持たぬ人々を救い続けたその在り方は、最後まで英雄的であり少年が騎士を志すに十分な理想だった。
少年は信じていた。何時までも、何時までも師の力強い背中を追いかけていられると――そう、愚直に思い込んでいた。
永遠など存在しないということを忘れ、少しずつ老いていく師の背中を悟れず、彼から何も継げなかった間抜けだ。
今でも後悔しか残らないこの手が、いったい何を掴めるのだろう……いや、
そもそも――“ゼスト”の名も【ゼストの槍】も、己には相応しいものでは無かったはず。
だというのに英雄という言葉の甘美に踊らされ、その果てが無惨に殺された部下たちという現実だった。
……俺に相応しいのは蘇生などではなかった。煉獄で責め苦に処せられる方が似合いだ……。
そう考えるごとに、ゼストの苦悩は深まるばかりだった。
思考を中断させたのは、別室で湯を沸かしていた小妖精の声。
「旦那ァ~、今日の珈琲は自信作だよ……って、どうしたんだい?」
「……なんでもないさ、昔の――本当に昔の夢を見ていただけだ……」
融合騎アギトからマグカップを受け取りつつ、彼は苦笑した。
男――ゼスト・グランガイツが隠れ潜むのは、先史文明時代の戦争で生まれた廃棄都市だ。
……そう、“ゼスト”の名を名乗る前、己が生まれた貧民街によく似た廃墟のような街並み。
遠い過去に思いを馳せれば――何時だって泣いている少年がいて、大男が手を自分に差し伸べている。
『坊主、生きたいか』
『……おっさん……騎士か?』
もしそうだったら敵わないまでも、とりあえずぶん殴るつもりだ。
騎士の誇りがどうこうとか語る割に、そこいらの貧乏人はゴミだと思ってる、
ある意味において誰よりも正しい”特権階級”の姿。反吐が出るほど嫌いな奴だ。
……両親も兄弟も大金を稼ごうとして、危ないヤマに手を出して死んでしまった。
その日生きるだけでも大変で、俺はもう生きていくのが辛くなっていたのかも知れない。
見たこともない身なりの男だった。このベルカ自治領の貧民のように小汚い衣装ではない。
かといって教会という名前の権力者の集まりのように、格式張った貴族じみた服でもなかった。
この北半球ベルカ自治領に似つかわしくない出で立ち――目深にソフト帽を被り、
真っ黒なスーツに裾の長い灰のコートを身に纏う巨漢は、背中にバカに長い包みを持っていた。
おそらくは武器だ。長さから判断するならば槍のような代物なのだろうが、あるいは違法な銃器の類かも知れない。
いずれにせよとても怪しい奴だった。彼は少年の問い掛けに対し、何処か達観したような笑みを浮かべて言い切った。
『俺か? そうだな――通りすがりの正義の味方だ。
偶然目に止まった坊主に声をかけた、最高にいい加減な奴だが。
もう一度問うぜ、生きたいか?』
……生きたかった。死にたくなかった。その自称ヒーローを信じたかった。
嗚呼、きっと……あの日、俺は救われたのだ。
このクソッタレな現実から剥離した御伽噺に縋って生きる道を教えられて。
どんなに祈っても助けてなんかくれない――それどころか負け犬の生き方だけ教えてくれる――神も、
聖王サマも教会も信じられなかった。代わりに欲したのはもっと俗な、このクソッタレな世界から抜け出す方法。
――そう、正義に■■・グランガイツという男は救われたのだ。
だがその生涯が為したのは鈍色の地獄。
誰もが悲劇と断ずるであろう惨禍だ。
「……俺は……“ゼスト・グランガイツ”という騎士は、生まれるべきではなかったかもしれん」
「なっ! 旦那は、旦那はあたしをラボから助けてくれたじゃんか! どうして――」
「俺は師匠に憧れて騎士になった。あの人の背中に追いつきたくて、あの人の武器を手に取った。
でもな、アギト……何もかも仮初めだ、俺には真実(ほんとう)がない……」
痛み。痛みだけが過去の過ちを、心から覆い隠してくれる気がした。
「憧れるだけならば良かった、無垢な瞳でその姿を讃えていれば良かった……だが成ろうとしてはいけなかった。
土台……俺に英雄(ゼスト)は無理だったのだ……」
「……旦那ァ」
そう、それはゼストの後悔である。誰かを助けたいという思いは無念へと消え、
今男を動かしているのは友レジアス・ゲイズに向けたどうしようもない感情と、部下たちへの慚愧の念だ。
既に死人の師から受け継いだ【ゼストの槍】も使えず、何が“英雄ゼストの名を継ぐ者”だろう……?
「……すまんな、どうにも――っ!」
そう言った瞬間であったか。失意の中でなお鋭かった戦士の嗅覚は、絶対的な死の塊を知覚した。
尖った硬質な物体――さしずめ“棘”のような飛翔体の弾丸が飛来。
ゼストの身体はアギトを突き飛ばしながら捻り飛び、その右手には【ゼストの槍】が握られ――棘の束を払い落とす。
ガキンガキンガキン、と棘が砕ける音を聞き、目は魔術的強化によって襲撃者を見ながら槍を油断なく構える。
結論から言えば―――それは人影ではあったものの、異形極まりない存在だった。
貌にはスリット以外の隙間がない銀色の仮面、身体全体に生えた甲殻節足動物のように蠢く微細な棘。
まるで人型のハリネズミのような、気色の悪い物体がそこにあった。
「……魔法生物? いや――」
「旦那ァ、こいつ《ランサー》と同じだ!」
《ランサー》……英霊スバル・ナカジマと同じ。
融合騎の目が見ていたのは架空元素(エーテル)の実体化した醜悪な人型である。
古代ベルカ魔術式を組み立てながらの照準――独立炉が生み出す魔力によって顕在化。
アギトが高熱系の魔法を展開、火炎球を投げつけると“それ”は奇声を上げて跳んだ。
“ヒェッヒェッヒェッヒェッヒェッヒェッヒェ!”
火焔は“それ”の鞭のような右腕によって払われ、浮遊するアギトは後退。
同時にゼストが前進、デバイス・フルドライヴの槍を突き出した。
音速を超えた刺突――魔力の激流によってサーヴァントであろうと仕留められると、
ランサーに言われるレベルまで鍛え上げた槍の一撃だ。
対抗措置――体中から生温い腐敗臭を放つ異形――サーヴァントシステムが喚びだした、
どうしようもなく狂った前衛芸術のような肉塊は身体前面の棘を肥大化させる。
それは瞬時に如何なる魔術的防護も意味を為さない、無数の槍となってゼストを襲った。
精々が数十ミリの棘が、如何なる機構に因ってか一メートルほどの長さの尖鋭たる矛先へと転じるのだ。
人間の身で避けきれるはずもなく、あとにはただ無惨な死体があるのみと――そうサーヴァントが信じた刹那。
「――ユニゾン・イン」
「あいよ!」
融合騎という独立支援型魔導器と、騎士の肉体が完全な融合を果たし――金色の閃光が溢れた。
異形の怪人が放った無数の矛先による刺突――上方から地を這う人間を串刺しにするそれを、
ユニゾンによる爆発的なエネルギーの上昇による瞬間的な横軸のスライド運動は回避せしめる。
ぐるりとその怪物の背面に回り込んだゼスト/アギト……一組の主従は、
黒鉄の刃を持つ【ゼストの槍】に魔力を込めて打ち出す。狙うは“棘”の生えていない背中の一部分。
相手が如何なるクラスのサーヴァントであろうと、何もできずに殺されるなど御免だった。
凄絶な闘志を秘めた騎士は、敵が上半身を捻り撃ち出した棘の弾幕を殆ど一寸で見切り避ける。
「――死ね―――」
吐かれたのは対象への呪詛/憐憫/憎悪――黄泉路から帰った異形に対する嫌悪=同族への哀れみ。
顕在化した架空元素の肉体に向け、遂に槍の先端が食い込んだ。
雷電のような鋭いスパークが起こり、あっけなく矛先は肉を刺し貫いた。
しかし浅い。バケモノは恐るべき俊敏性で天井に張り付くと、傷を気にすることもなく距離を取って地面へ落下した。
着地姿勢は四つん這い。あまりにも不気味な四つ足の獣だ。
「……ちっ」
(旦那ァ、妙だ……さっきからランサーに念話が繋がらない)
……分断作戦というわけか。
おそらく敵はこちらの情報を知り尽くしている。
そうでなければ、ランサーと自分たちを分断する方法など知るわけもないのだ。
思えば、最近のミッドチルダはすべてがおかしい。
ルーテシア・アルピーノの召喚魔法が時空を超えて“サーヴァント”として英霊を呼びだしたことも、
通常の究極召喚ならばまずあり得ないことだったし、ランサーの知る“聖杯戦争”のシステムの一部を切り取ったような、
何処か歪な主従構造もただのエラーと断ずるには、些か偶然が多すぎた。
……多すぎる偶然は必然である。ならば、この狂った舞踏の黒幕は“誰だ?”。
フルフェイスの仮面を被ったサーヴァントは一騎のみだが、
それとてフルドライヴのゼストで漸く攻撃をしのげるほどの威圧感を持っている。
長丁場になれば確実に殺されるだろう。そう判断し、フルドライヴの瞬間加速システムによって突撃せんとしたとき。
――くぐもった男の声が響いた。
「見ちゃいられないな《アサシン》、たかだか小僧っ子一人に何を手こずってる?」
「っ!」
ゼストの機転――突撃しかけた右足を軸に反転し、槍を勢いをつけて振り回す。
慣性制御によって加速した刃が禍々しい漆黒を煌めかせ、背後の敵へ向けて一直線に突き進む――!
まさしく必殺と、彼らが信じた一撃。音速超過の刺突――いける、と信じた。
だが、
「―――遅い」
理解など超える――それが神速。
常識など捨てる――それが英霊。
幸福など求めぬ――それが英雄。
―――剣閃。
「がぁっ!」
一筋の閃光が奔ったと知覚した刹那、大型トラックに跳ね飛ばされたような衝撃。
何が起こったかもわからぬまま、ゼストとアギトのユニゾン体は吹き飛ばされていた。
廃屋の壁をぶち破り粉塵を巻き上げ、路上へ叩きつけられる。
辛うじて上体を起こし漸く、騎士の目は新たな敵を捉えた。
「弱い、弱い。その程度で【ゼストの槍】の使い手か? アサシン、お前は陛下の護衛にいけ。
あのイレギュラー・サーヴァントはなかなかに手強い……このような半人前に二騎は必要無い」
『了解した』
アサシンと呼ばれていた異形が跳躍によって飛蝗のように飛び去ると、残ったのは二つの人影だ。
そいつはまるで人型の鴉。翼のような擦り切れたマント、四肢に装着された鋼の装身具。
全身に硬質なプロテクターを纏い、顔はベルカにおける“死神”の意匠が施された仮面で覆われている。
仮面から覗く両の瞳だけが生者のものである。鬼のような形相、口から飛び出した牙。
人魂を喰らう悪鬼の風情――その右腕には大型の剣槍(グレイブ)が握られ、禍々しい模様が蠢く黒刃を鈍く輝かせる。
フルドライヴによって黄金色に染まった騎士ゼストは、その異形の黒騎士を睨みながら立ち上がった。
「アギト。ユニゾン維持限界は?」
(残り208秒――旦那の身体じゃ……)
「そうか」
ならば十分だろう。どの道、此処で倒せなければ死ぬのは自分たちだ。
男は【ゼストの槍】を構え、低く通る声で言った。
「……ゼスト・グランガイツ、参る」
対し、黒い仮面の騎士も名乗った。
「……クラスは《セイバー》。今宵、逝くが良い」
二騎は出会う。
二騎は運命である。
二騎は避けられぬ宿業なり。
―――なれば。
これより始まる神話の断章として……この物語(サーガ)を語ろうではないか。
最終更新:2009年12月05日 11:41