深い山林に囲まれた山の中―――
そこは雨露を辛うじて凌げる古びたコテージ。そのベランダ。

「………」

その取っ手に寄りかかるようにして夜空を見上げる女性が
宙に向かって手を伸ばす。空に煌く瞬きを手で掬おうという仕草。
当然その手は満天に届く筈もない。冷たい夜の空気を掻き回すのみ――
遥か天空に鎮座する星々にその身を届かせる事はおろか
彼女は仲間や親友。それに慣れ親しんだ世界の元に帰る事すら出来ない。

「どったの?」

戸の中から同居人の天衣無縫な魔法使いがヒョコッと顔を出す。
深刻な面持ちの彼女と対照的なその仕草。
それはまるで、この世の悩み事という概念から隔離されているかのような能天気な面持ちだ。

「七並べはお嫌い? じゃUNOにしようか。」

「う、ううん……もういいよ。青子さん強いもの。」

既に一ヶ月を超える同居の士。手持ちの鞄からヒラヒラとカードゲームなどを見せびらかしてくる彼女。
だけど…とてもそんな気分にはなれない魔導士である。
彼女の申し出に作り笑いだけを返し、高町なのはは雲一つ無い夜空を変わらずに見上げる。

「……何ムクれてんのよあのコ?」

「極悪過ぎたんじゃないの? 貴方のハートの9止めが。」

「負けて癇癪起こすなんて案外子供ねぇ。」

何か後ろで好き放題言われている。
人を肴にケラケラと笑っている性悪魔女と白猫を背に――
突如、彼女の胸に去来してきた嫌な小波に……身を竦ませずにはいられない。

焦ったところで出られるわけでもない。方々手を尽くして何の手がかりも無い。
完全なクローズドサークルに閉じ込められてしまった自分。
だが、だからこそ余計に他の仲間の―――親友の安否が気遣われてしまう。

(フェイトちゃん……)

特に今、その心を貫いた嫌な予感は果たして杞憂なのだろうか? この猛烈な胸騒ぎは…
10年片時も離れなかった金の髪の少女との仲。それは既に兄弟同然の絆となって彼女らを結んでいる。
どんなに離れていても、例え星の海に隔てられていようと――彼女達は互いの危機を肌で感じ取る。
そんな非科学的な事が現実にあるのだ……この世界には。
懐のリボン――それは片時も身から離さずに持っている生涯の友との絆の証。
それを今一度握り締め、なのはは言い知れぬ不安にかられた瞳を夜空へと向ける。

奇しくもそれは異なる大地で魔導師の黒衣が――
天翔ける駿馬の放つ、青白い流星に飲み込まれたのと同時刻の事であった――


――――――

「……………」

その刹那の瞬間が――フェイトに全てを理解する時間を与える。

もはや敵に叩き落とす以外に用途を為さぬ稲妻の鉄柱を肩に抱え
迎え撃つは巨大な天馬の飛翔の奔流。
初動に合わせて最強最速の雷電によって斬って落とさんと身構えた華奢な体躯。
そして、そんなこちらの狙いが分かっているだろうに
敵は悠々と絶対の自信を以って最後の激突の火蓋を切ってきた。

「――――、、、」

騎兵の口からフェイトには聞き取れない何かの呪文のような言葉が紡がれる。
同時――相手の腰まで伸びた長髪が一斉に逆立つ。
そしてもはや目視出来るほどの青白い魔力をその場に迸らせるライダー。
果たしてそれは目の前でゼロから時速400kmにまで加速するロケットスタートを切った!

――― 速い! ――

最高速度ならばフェイトの方が上だ。
しかし加速性能はこちらと比較してもほぼ互角!
その逞しい四肢が醸し出す馬力、爆発力は人間の常識を遥かに覆す。
次いでサーヴァントが高らかに――

「――――、!!!」

真名開放と共に全てを曝け出す!
天に地に、謳い上げるように紡いだ彼女の神言――ベルレ、フォーン
次いで眼前に現出した巨大な力は、まるで流星そのもの。
そんな桁違いの魔力の塊を見据えた時――

(………バルディッシュ)

壮絶な決意と怒りと、仲間を救わねばという使命感。
その狭間に追いやられた滓かな理性が――

(ごめん……私間違えた、かも…)

こう呟いた。
それはシグナムと同様、土壇場で致命的なミスを犯したのかも知れない――という予感。

フェイトのオーバードライブは「誰よりも速く」「自身の最強の攻撃を当てる」
この二つのプロセスを成し遂げられるが故に最強たりえる電迅の剣。
だが敵が彼女最高のアドバンテージたるスピードで並んできた場合――
「誰よりも速く」の要素がまず消える。
滑走距離はせいぜい60、70m弱。加速のみの勝負と相成るこの場面。
ここで上位幻想種たる天馬は、雷光に決して劣らぬ疾走を見せる。
加えてこの凄まじい向かい風は恐らくペガサスの疾走が醸し出す圧倒的な質量と圧力の賜物だろう。
その暴風がフェイトのスタートを疎外する。絶好のスタートを阻止する。
故に加速勝負では――良いとこ五分!

では互角の速度を見せる相手である場合
当然、残り一つの要素である「力」を以って敵と凌ぎを削らねばならない。

―――空気が震え、敵が接近してくる。

故に彼女のありったけ――己の出力を限界以上に高めたオーバードライブ・ライオットのみが
彼女の命運を左右する切り札となるのだが…
しかしその邂逅、早撃ちガンマンのように振り向き様に互いの得物を抜いた瞬間
引き金を引くまでの間にのみ、敵の武器の威容を観察出来る時間が双方に与えられる。

ライダーはこちらの武器を見てなお――笑いを崩さなかった。
ライオットブレードを間近で見てそれでも正面から勝負をかけてきた。
それは多分――勝てると確信して来たから。 絶対の自信があったから。

対して今、相手に集約されていく力の凝縮率のあまりの凄まじさに――
怒りも悔しさも戦意すらも凌駕する感情に、一瞬だが確実に溶かされてしまったのはフェイトの方。
何をやってもどうしようもない。 そういった理不尽な力というものはこの世に確実に存在する。

かつて一度だけ――その身をもって体験した……
その奔流を一度、自身の体で受けた……
圧倒的な破壊力を持つ―――とある魔導士の集束砲を……

だからこそ感じ取れてしまう――

(なのはと……なのはの集束砲と同レベル、以上…?)

それは圧壊の力を前にした感覚に他ならない。
肌で感じたAランク宝具というものの威容。
相手を決して許さないと雄々しく立った理性。それとは裏腹に本能に刻まれた恐怖が
全身の筋肉を強張らせ、一瞬でその身に鳥肌と冷たい汗を浮かばせる。

技も技術も用を成さない。
潰し合いにおいて最後にものを言う問答無用の「力」
技術に秀でた自分が唯一持ちえなかった「出力」という力。
それを補うためにデバイスや自身の特性を最大限に生かし
速度と切れ味を極限まで高めた彼女。
であったが、やはり圧倒的な本当の力を前にした場合――その巨大な剣は実はただの誤魔化し…
己がコンプレックスを補うためのハリボテに過ぎないのではないか?と思い悩む事が少なからずあった。

彼女は………過去に何度か思い立った事はあるのだ。
ライオットとなのはのスターライトブレイカーを
どんな形でも良いから今一度、正面からぶつけ合ってみたいと。
局随一とまで噂される規格外の集束砲に果たして自分はどこまで食い下がれるのだろうかと――

もっとも実際、Sランク同士のオーバードライブのぶつけ合いなどそう出来る事ではない。
それは模擬戦ですら危険の伴う所業。
その上、それほどの規模の力場に耐えうる結界を張るだけでも大仕事だ。
故にそう簡単に許可の降りる行いではなかった。

だからこそ今まで実現しなかった親友との本気の再戦であったのだが
正直―――その結果を知りたいと思う反面、知るのを恐れる自分も確かに存在したのだ。
もしあまりにも呆気なく潰されたらやはりショックだろうから。

自重と引きの速さで両断する重さと切れ味を両立させた日本刀さながらの雷光の太刀。
それは果たして隕石の如き圧倒的な密度と質量を持った「力」に通用するのだろうか?
そこには奇跡、覚醒、奮起、友情、そして逆転などという都合の良い要素は無い。
現実の戦いはあくまでロジック通りの結果しか叩き出さない。

そう、刹那の一瞬にて彼女の全身の毛穴を総じて開かせ冷たい汗を噴き出させた
決意と怒りを一瞬にして溶かしていったモノは――

――― 問答無用の「死」の予感 ―――

そしてフェイトに与えられた時間の正体こそ、

――― 走馬灯 ―――

絶命を前にした人間に与えられた
最後の時間であったのだ。


――――――

―――空間が歪む

余剰の力と力をぶつけ合った場合、極稀にこういった現象が起こる事がある。

上空から観測する者がいるならばそれは
金と青白い光が紡ぐ一組の十字架に見えたかも知れない。

紫の残光を尾に引く青白い流星。
黄金のプラズマを場に迸らせる稲妻。
その激突の余波は一瞬で―――


――― 大地を十文字に断ち割った ―――


駆け抜けた二条の影。それらが巻き起こすソニックブームは付近の崖を容易く削り取り
爆心地より立ち昇る二条の魔力は雲を貫くほどに高く聳え立つ。

剣閃一縷にして切り結んだ二人の疾駆者。
耳を劈く轟雷、鼓膜を貫く疾走の余波が――

キィィィィ――――――.........ン

、、と

暫く耳鳴りのように辺りに響き渡る。

やがて耳障りなサウンドが空気に溶けてなくなり
周囲を見渡せる余裕を観測者に齎したこの戦場において――

二つであった人影は――今や一つ。

濛々と立ち込める噴煙の中、彼女はゆっくりと身を起こす。


その長い長い腰まで垂らした髪が………ファサリと、地面を薙いだ。


――――――

それを今わの際の光景と――

一瞬でも思った自分を許せなくて
フェイトは裂けるほどに強く、唇をギリっと噛む。
ここでこんな肝心の場面で一瞬でも弱気に駆られた――引こうとした自分に
サンダーレイジをぶち込んでやりたい気分だった。

相変わらず自分は弱くて、臆病で――
いつだって誰かに助けられたり支えられていなければ立ってもいられない。
それを認めてそれも自分だと受け入れた事もある。

でも―――この手に剣を取った以上
戦いの人生を選んだ以上、それでは済まされない場面が確実にある。
そんな当然の事をいい加減、思い知らなければならないのだ!

負けられない戦いがある。自分の敗北が他者の命をも左右する事がある。
ならばその日、その時だけは―――強くあれ
相手は外道にして人を食らう悪鬼。かけがえの無い友達を傷つけ奪う者。
ならば遠慮する事は無い―――鬼をも食らう雷獣となれ

フェイトの眼前に迫る騎英の疾走――ベルレフォーン
まるで全空域から魔力を集束させている高町なのはを前にしたような絶望感。
それは恐らく、いや間違いなく虚仮脅しではないだろう。
アレがスターライトブレイカーに匹敵するようなものならば――生半なモノでは太刀打ち出来まい。

   ――まだ、大丈夫 
   ――もっと引き付けて

故に恐らく手に持つ剣を同時に放っていたら負けていた。
最大出力の砲撃でも太刀打ち出来なかっただろう。

このまま普通に撃てば自分は殺される――
10年の歳月を経た経験が彼女にそう警告し、踏み止まらせたのだ。
故に僅かながらに許されたこの時間。それは負けを偲ぶためのものでは断じてない。

それは勝利のための滑走路。
0,01秒以下の凝縮された思考にて、フェイトは少しでも、少しでも
敵の「力」に対抗するためのモノを己が引き出しから総ざらいしていく。

超巨大剣ならではの独特の構え。
腰を更に極限まで絞り込み、自身の身体の後ろに隠すように振り被ったその姿勢。
腰に溜めた捻りを更に溜めて、溜めて、待つ――
速度勝負においては必ずしも先に疾駆した者が勝つわけではない。
助走を敢えて捨てて一瞬に全てを集約させる速さもまた存在する。

――即ち、剣術の居合い
後より出でて先に立つ。
その鞘にて極限まで力を溜めて鞘走りと共に一気に解放する超速の秘剣。
その発動は、遅らせ瞬の間に凝縮させればさせるほどに――抜き放った時の速度が増していく。

「………」

チリチリと肌を、全身を焼く感覚がフェイトを襲う。
敵が迫る…! 何という熱量!!
一旦、引いてやり過ごすという選択をしなかったのは正解だ。
あれは到底、背中を見せて逃げられる類のものではない。
掠っただけでも身体の半分を削り取っていく代物だろう。
当然、シールドなどは紙の盾ほどの役にも立つまい。
まさに、まさに、なのはに敗れた時の状況と瓜二つという事だ。

だがバインドで四肢を絡め取られたあの時とは違う。
手は動く。足もだ。抗うための剣も手に入れた。
恐怖に引きつった顔を浮かべて為す術もなく堕とされたあの時とは断じて違うのだ!

   ――まだ、まだ間に合う
   ――極限までひきつけろ
   大丈夫、初速で遅れを取る事は無い――!

自身に残ったカートリッジを全て叩き込む。
意識が遠のき、内から破裂するような感覚。漏れる嗚咽を必死に噛み殺す。
つくづくこのシステムは高町なのはにとっては天啓のような武装だと思う。
彼女ならここにきて二倍、三倍の出力増強という苛烈な追い込みも可能だっただろうに。
だが自分はダメだ。いわば銃の口径のようなもの。
市販のベレッタでマグナムの弾を撃てば当然、銃身は吹っ飛ぶ。
一度の放出量の細さをこれほど恨めしいと思った事は無い。
限界のコップに更に水増しをするカートリッジ――それを叩き込めた数はせいぜい二発

何の、それがどうした。それで上等。
少しでも、少しずつでもいい。
足りない部分を埋めろ。
出来る事は何でもやるんだ!
重さで適わないなら切れ味を上げろ。
もっともっと速度を上げて全てを断ち切れ。

刀でダイヤを斬る行為は無謀で物理的に有り得ない?
否、極限の技と修練の果てに―――それを成し遂げる者もいるのだ!

神々しいまでに輝く天馬とそれに跨る美しき邪神が鼻先にまで迫る。
それでも未だに微動だにしないフェイト。
だがその瞳、その佇まいから――無限の宇宙に匹敵する
神域に届くほどの気勢と気迫が充満していくのを感じる。

そしてフェイトとライダーが互いの顔を認識できるほどの距離にまで迫った時――

殺劇の空間に身を委ね、魔導士の身体が圧倒的な熱に覆われた瞬間
青白い流星に包まれながらフェイトはゆっくりと目を閉じる。

足りるのか――届くのか――果たして自身の全てを賭けた剣は
強大な暴力に当たって砕けぬ頑健強固の切れ味を得られたのか?
分からない……もはや我が手に収めてきたものの中でも例を見ぬ
空前絶後の真っ向勝負。どれだけのものなのか自身、見当もつかない。
故にあとは、そう――あとは自分との戦い
これほどに練磨した心でも完全に消す事は出来ぬ過去の敗北の記憶。
あのスターライトブレイカーに刻み付けられたトラウマを今、踏み越えよ!

自分の10年が試される――さあいよいよだ…!
その一歩を今、踏み出そう!!

「疾風……迅雷…」

常に彼女の内にあり、彼女に力を与えてくれる大事な人達。
その顔を一人一人思い出し、一心に込めてフェイトは目を見開き――己が全力の言葉を口に出す。

そして、、


二つの疾駆が―――次元を切り裂いた


――――――

巨大なグランドクルスが刻み付けられた
荒廃に破壊を塗りこめたような大地に――

残された人影は、一つ――


濛々と立ち込める噴煙の中、ゆっくりと身を起こす。

その長い長い腰まで垂らした髪が――ファサリと、地面を薙いだ。


「…………、」

――――全てが終わり、

雄大な翼を広げた天馬はもう、いない。

二条の光に切り裂かれた世界はもはや無音。
その只中において――


頬を撫でる―――――「金」の髪が


泥に汚れ、苦悶に喘ぐ美麗な顔を……覆って隠す。

「は………ぁ、………うぅ…」

苦しげな吐息で空っぽになった肺に空気を流し込む彼女。
荒れ果て、蹂躙の限りを尽くされた大地にその身を横たえ
弱々しい呻きを漏らしたのは――
黒衣のBJを完全に欠損し、柔肌の半分以上を晒している
両サイドで留めた髪がほどけ、長髪を腰まで垂らした金髪の魔導士――

「……………生き、て……る」

フェイトテスタロッサハラオウンその人であったのだ。


酷い有様だった。
今やその四肢、その指一本に至るまで満足に動かせない。
不規則に乱れた挙動を以って、ありとあらゆる内蔵が内から彼女を責め苛む。

「勝った……勝った、のか………?」

脳震盪を起こしたその頭が状況を正しく整理するにはまだ数十秒の時を要し
喉の奥からひり出す様な不自然な呼吸のままに紡がれる言葉は掠れて音にならない。
暫く呆然と、その場に横たわり空を見上げるフェイト。

信じられない―――
言葉にならない浮遊感にも似た、実感の伴わぬ達成感。
それを彼女は未だに受け止め切れない。
本当に自分はあの凄まじい力に打ち勝てたというのか?
自分がこうして存命している事が何よりの証なれど――
本当に、本当に自分はあのスターライトブレイカー並の一撃に並べたというのだろうか?

寒気すら感じない麻痺した肉体。その心身は
燃え盛る炎の中に、迫り来る津波にその身を躍らせて生還したようなものだ。
今更ながらに彼女の心が凄まじい恐怖を訴える。しかしそれでも――

(よかった……)

それでも、生を拾えた事が素直に嬉しい。

自分はここで死ぬわけにはいかないのだから。
ここで何としてでもあの強力な相手を退けなければならなかったのだから。
何故なら自分は今、窮地に陥っているであろう仲間を助けに――

助けに――

「………ッ!!!」

ビクンと半分失神しかけていた体が跳ね上がる。

「あ……ぐ、、!」

直後、半強制的な覚醒に際し、麻痺していた身体各種神経が軒並み目を覚ます。
それに伴う苦痛にフェイトは盛大に顔をしかめる。
全身を苛む激痛から逃れるように自身の肩を抱き、身を縮めて寝返りを打つ。
その一動作だけで彼女は残った体力を総動員しなければならない。
それは当然の事――フェイトも重々承知の上。

魔力エンプティに陥った身体。それは当たり前のようにこうなってしまう。
しかもオーバードライブ解放その他各種様々な追い込みを以って放った一刀。
その代償は――決して軽くは無い。

そう……もはやこの身体は動けない。
動力を伝える機関が軒並み焼きついてしまっている。
最低限の回復まで少なくとも数日以上の時間を費やさねばならないだろう。

そう、動けない――動かない
だというのに―――

「う……ぐうう…!」

ここで意識を覚醒せざるを得ない事情が彼女にはある。
ここで倒れ付し、眠るわけにはいかない事情が彼女にはあるのだ。

「シ、シグ……ナム。」

残酷なる現実。 倒れ、気絶するのは救助を待つ――
待てる人間にのみ許された行為だ。
今のフェイトは、違う。彼女は救助される側ではなくする側。
槍で貫かれ、崖に落ちていった騎士を救う為に彼女は騎兵の宝具すら凌駕し、踏み超えたのだから。

「シグナ、ム……ッ!」

(待ってて下さい……今…)

今、助けに行く――彼女の心を占めるはその一念のみ。
ズリズリと地面に爪を立てて這いながらに進む。
華麗、美麗の名を欲しいままにしたSランク空戦魔導士の成れの果て。
荒地の凹凸に身が擦れる度に全身に激痛が走る。
まるで体内の神経がむき出しになったかのようだ。
何の……それくらいが丁度良い。その痛みが手放しそうになる意識を繋ぎ止めてくれる。

美しき戦乙女――ヴァルキュリア同士の戦いは
黄金の稲妻纏う黒衣の女神の勝利に終わった……?
だがしかし勝者の姿は落ち伸びる武者のそれと相違なく――

奈落へと落ちた烈火の将シグナムを求めて
彼女が安息に身を委ねるにはまだ早急に過ぎる事であったのだ。


――――――

それは次元を裂きし創生の光の如し。
魔力の奔流より分け放たれて
逆の方角へと飛び荒ぶ事になった影と影。

地を這い、遠き奈落へとその身を向かわせるフェイト。
そんな魔導士から遠ざかるように「彼女」もまた――巨大な影となりて上空を飛ぶ。

「――――、」

しかし威容と呼ぶに相応しい神々しい御姿は成りを潜め
大気を余さず掬い取る様なはばたきにも力が無い。
そも、その背に雄大に抱えていた純白の羽が――片方、ごっそりと抉り裂かれていた。
弱々しい嘶きと共にやっとの思いで宙を翔ける幻想に生ける駿馬。
その背には――これまた右半身に無残な傷を負った彼の主の姿があった。

「――――、ペガサス…」

魔導士を落ちた武者と例えたが、こちらもまた見るからに大概な有様だ。
歩兵(飛兵というべきか)と騎兵の違いこそあれ、彼女らは共に戦力の全てを使い果たしていた。
双方共に戦場から落ち延びる武者に例えられて然るべきのその姿。

「貴方――どういう、つもりです…?」

駿馬の白い背に背負われ、もたれかかるように
その身を預けていたライダーの口から紡がれる――
それは憤怒の色を灯した懐疑の言葉であった。

そう、言うまでもない――
彼女の言葉はこの「不可解」な結果に対してのもの。
共に強大な力を携えた者同士の全力の疾走。それは返す返すも術者に生還の余地を残さない。
それは力の劣る方がその激突の余波を一身に受け――確実に塵と化すはず。
間違いなくどちらかが死ぬ勝負であったのだ。
だのに双方がこうして生きている。この結果が示す事はもはや一つしかなく――

「……無様な―――」

引いたのだ――どちらかが。
いや「どちらか」などと遠まわしな言い方はすまい。

絶対の自信を以ってAランク宝具を解放した騎兵の方が正面衝突する筈だった軌道を――外した。
真芯を外した激突はどちらか一方に叩き込まれる衝撃を脇に逃がし
辛うじて双方、互いの側面を切り抜ける余裕――隙間を残していた。

結果――淀まぬ太刀筋にて真芯を切り抜けたフェイトと異なり
側面を向けた……引いてしまったライダーは分散した力の余波を側面に貰い
こうして右半身に多大な損傷を負ってしまったのである。

「私の真名解放に逆らった―――違いますね……
 ペガサス……貴方は…」

だがいかに幻想種と言えど騎兵の手綱が発動してから抗う事は出来ない。
故に初めから―――その疾走が始まる前から彼は全霊をかけて軌道を逸らしていた。
結果、自分らは惨敗。見事な羽は無残に削り取られ
ライダーもすれ違い様に高圧電流の塊のような剣に焼かれて完全に右半身を喪失。

「く、―――」

予想だにしなかった事態。
全幅の信頼を置いていた使い魔のまさかの裏切り。
流石のライダーも動揺を隠せない。

今もなお手綱に支配された四肢に逆らうかのように泡を吹いて離脱していく天馬。
英霊としての一騎打ちを挑んでおいて、よりにもよって騎兵が騎馬に裏切られるとは…
この無様な結果。所詮、自分は尋常な果し合いなどをする輩とは程遠い――
一騎打ちを望めるような者とは一線を画す存在だとでもいうのか?

―― 原因は、何となくだが理解している ――

何故そんな光景が幻視されたのか分からないが、奇しくも今日と全く同じ状況で
自分はあのような光の剣閃に幾度と無くその身を焼かれ――敗れ去ったのではなかったか?
あの金髪の乙女が極大の剣を構えた時、一瞬だが確かに垣間見た決定的敗北のデジャビュ。

金髪の――剣士の――ヒカリノ――剣閃―――――

その白昼悪夢の如き既視感を、駿馬も共に見ていたのだとしたら――

「―――馬鹿な…」

それこそ愚かなことだった。
そんな妄執、振り切って然るべき事だったのだ。

確かに決闘とは言った。だが自分は下手な博打などを打って酔狂に楽しむ趣味はない。
断言する。勝機はこちらにあった。
あの剣は確かにデウスの雷撃の如き凄まじいものではあったが、それでも聖剣の一撃には及ばなかった筈だ。

かつて我が疾走を真正面から斬って捨てたアレこそは、星の瞬きが生み出した最強の神造兵器の性能と
あのセイバーの凄まじい剣戟が合わさって初めて――地上に並ぶ者なき古今無双の破壊力を発揮する。

対して此度、相手は生粋の剣士では無かった。多大な深手を負わせてもいた。
セイバーのエクスカリバーと同等以上のモノを出せるわけがない。
あのまま突っ込んでいれば――競り負ける要素は皆無だった筈だ。

―――ライダーの遠目が遥か後方を見やる

遠のいていく荒野に、地に四肢を這わせている相手の姿があった。
見る見るうちに遠ざかる、その愛しき獲物の姿。
今からでも戻ってその首筋に牙を突きたてれば――こちらの勝ち。
だのに今の騎兵には地を駆ける逞しい脚力も
疾走する天馬を御する力も残ってはいない。

「無念……という言葉の意味が理解できましたよ。
 フェイト―――悔しい結果です。」

不条理な結果に歯噛みするライダー。
土壇場で臆したペガサスの首筋にギリリ、と爪を立てる。
皮肉なものである。
今世最大の疾走者同士の戦いは寸でのところで――互いの自己のトラウマを揺り動かす事態となり
苦しくもそれを踏み越えた者と踏み止まってしまった者の差が勝敗を決める事になったのだから。
勝敗の悔しさに身を震わせる。彼女をしてこんな感情は初めての事ではないだろうか?
蛇神の化身は屈辱を決して忘れない。 いつか、いつかまた相見えたその時は――

突き立つ剣のように尖った牙を噛み鳴らせ、敗辱に震えるその身を抱く。
そんな今は憤怒と復讐に燃える瞳が――

――― ペガサスは臆したのではない ―――

あの騎士王の忌わしき黄金の剣に何度と無く薙ぎ払われたその記憶によって
「黄金の剣には決して勝てない」という既成事実を植えつけられた駿馬。

主を背に頂いておきながら御身を跡形もなく薙ぎ払われた。
己を愛してくれる騎手を討たれた駿馬の無念――いかほどのものか計り知れるものではないだろう。

彼は今わの際に思ったのだ。
次は、絶対に主を守る。
あのような危機に決して主を飛び込ませはしないと――

――― この駿馬は宝具の縛りにすら逆らって……主を守ろうとしたのだという事に ―――

改めて騎兵が理解するのは………もう少し後の事である。

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最終更新:2010年02月06日 09:49