「帰りましょう――サクラの元に。流石に疲ました…」

ともあれこの身は聖杯戦争を戦うサーヴァント。
いつまでもわけの分からない場所にいられる身ではない。
まずは主の元に戻らねば――

散々たる有様だ。せめてこの出で立ちだけでもどうにかしないと
あの優しいマスターをいたく心配させてしまう。
まあ恐らくその前に、兄の方から不甲斐無い結果を罵倒されまくるのが先だろう。
正直、余裕が無い。あのキーキー声で罵られるのは今は本気で遠慮したい。

「―――、ん……」

頭が、朦朧としている。
つくづく相当のダメージを受けてしまったのだろう。
視界の先がぼやけて蜃気楼のようになっている。

あの蜃気楼の先――あの山を越えて林道を下ったふもとにある町が深山町だ。


ライダーは――――そう信じて、疑わない――――

それはフェイトとシグナムが超えようとして超えられなかった山。
その先に世界を構築していない―――盤上の縁。
ゆらゆらと流れる蜃気楼にまるで夏の虫が飛んで火に入るように近づいていくライダー。

「―――ん、く……」

頭痛が酷い。フラッシュバックする視界。ぐらぐらと揺れる意識。
突如その身を襲う異変にこめかみを抑えて呻くライダー。
―――エキストラは舞台裏を知る必要は無い
一幕限りの脚本を演じ切ったその後に彼らが再び出番を貰える事は無いのだ。

「ソレ」に近づくごとに彼女の体から事切れる寸前のように力が抜けていく。
だのに「ソレ」から目が離せず、破滅に向かって進んでいく身を止められない。
もはやこの世界にお前は用済みだと言うかのように
ナニカ――巨大なナニカがあの奥から手招きしているかのようだった。

「これは……一体――」

手招きに抗えずに吸い込まれていくその肢体を――

―――― 待てっっ!!! ―――

押し留めたのは人の声だった。

「駄目だ! そっちへ行くな!!サーヴァント!」

「―――――、」

遥か後方よりかけられた言葉。ライダーが振り向くよりも早く
その人影は大空を滑空する百舌のように大気を切り裂き――
「堕ち往く」筈だった騎兵の前に立ち、その前進を止めていた。

「サーヴァントライダー…」

「――――、」

その影――短い髪の、女?

「黙って私に付いて来て貰う……
 お前にはもはや他に選択肢は無い。」

深く葛んだ黄金の瞳を向けながら――彼女
戦闘機人トーレはライダーの前に佇みこう言った。


――――――

―――まるで底の見えぬ渓谷

地獄へ通じているのでは?と感じさせる深き岸壁は
林道の山頂からふもと――最下層まで無慈悲に落ちゆく奈落であった。
二人の騎士を飲み込んだ深き深き谷の底。
その深遠の闇は躯二つが転がっている事を容易に想像させて余りある。

しかして騎士はそのような無様な結果を決して受け入れない。
彼らを死地へと誘うのは奈落ではない。
磨き抜かれた互いの刃のみである。

光差さぬ暗澹の中においてさえ、二人の騎士の戦いもまたその多聞に漏れるものではなく
倒した者と倒された者―――双方の勇姿が今はっきりとその影を写している。
そして倒した者が倒された者の胸から深々と突き立った刃――真紅の魔槍をゆっくりと引き抜いた。

「―――、」

それは持ち主の手にさしたる手応えも与えず、スルリと――
弛緩しきった彼女の肢体から容易く引き抜かれる。
四肢をダラリと下げたその相手。
烈火の将の身体が今、死の棘の頸木から解き放たれて地面にドサリと横たわった。

「詮索の必要も無いか――」

魔人の如き太刀。竜神の如き炎を駆使する凄まじい剣士であった。
だがしかし、その光を失った瞳にもはや倒すべき敵が映る事は無い。
その口が再び不敵な言葉を紡ぐ事も無いのだ。

そう、詮索の必要は無い――
その相手に――彼女に――

――― 心臓が、なかった ―――

などという事実を今更詮索して何になる?

槍は確かに心の臓に「近しき」何かに反応し、切っ先は確実にそれを打ち抜いた。
だがどうやらそれはこちらの錯覚か、それとも相手の擬態か。
ともあれ流石の槍とて無いものは穿てない。
狂犬の刃は見事、相手の急所に食いついたはいいが――結果として呪いは不発に終わったと言えよう。

だがゲイボルクの必殺は呪いを退けたくらいでは終わらない。
この槍は体内に突き入れられたが最後、穂先から放たれる棘が内部から全身を貫き
相手の生命力を確実に上回るダメージを与える。

――― 殺しに特化した宝具 ―――

サーヴァントですら恐れる一対一では無敵と称される冥府より齎された槍。
その魔手から命を拾う術は――やはり無いのだ。

「お前の事は忘れねえよ――」

それは短いながらも賞賛と敬意を存分に示した言葉だった。
戦士にとって心を通わせた強敵を屠るという事は恋人との死別に同義する。
命を賭けて殺し(あいし)合った物言わぬ躯。
それが勝者に与えるのはもはや哀愁以外には無いだろう。
力なく横たわる女剣士の横にその身を投げ出している白銀のデバイス。
男はそれに無言で目を向ける。

<、――――、>

散々、自分を痛めつけ、焼き、窮地に陥れた炎の剣。
持ち主の手を離れて地に晒されている魔剣レヴァンティン。
その地に打ち捨てられるにはあまりに惜しい名剣の柄を男は無造作に握ると
仰向けに寝かされている騎士の前に突きたてる。
それは戦士の葬いだ。
どこまでも誇り高く、死ぬまで戦い抜いた証として――
己が命の尽きる時まで握り続けた剣こそ、彼女にとってこの上ない墓標となろう。

踵を返すランサー。
炭化した足で一体どうやって立っているのか余人に知る由も無い。
だが短い弔辞を唱えたならば、勝者はすぐに敗者の躯から離れるべきだ。
それが勝利を収め、敵の命を奪い、生き残った者の戦士としての礼儀であろうから――

それに―――

「………何だてめえは?」

その背後――
岩陰からこちらを見据えて佇む視線に既に男は次なる戦意を向けていた。

その気配は人間のそれとはナニかが違っていた。
元より自分に気づかせずにここまで背後に接近を許したのだ。只者ではない。

男とて馬鹿ではない。
この戦いがもはや聖杯戦争とは違う、何か一線を隔す物だと薄々は感づいている。
そして現れた、影でコソコソと隠れて様子を伺っている輩。
この者が事情を知る者である可能性――決して低くはない。

「人の正面に立てぬ以上、俺に仇為す者と見なすぜ。
 出て来ねえなら問答無用で討ち抜かれると知れ――不埒者!」

先の戦が良い戦いであった事は紛れも無い事実。
だがここに来て男は少々、気が立っていた。
己が意識もまばらな状態の戦で女を討ったという事実。
それは今更ながらに気分の良い物ではない。
何らかの企みの手によるものであるのなら、その首謀者を即刻引きずり出し
洗いざらい吐かせたい衝動に染まっていたとしても不思議ではないだろう。
やがて身を潜ませていた影もこれ以上の隠形を無駄と悟ったのか
決して相手の敵意を刺激しないようにその姿を現した。

「―――女かよ…」

またか、と――槍の穂先を向けながら顔をしかめる槍兵。

「敵意はありません。槍を下ろして下さい。
 どの道、貴方は今私と戦える状態に無い。」

「一人殺るのも二人殺るのも――ってのはいい加減勘弁して欲しいが…
 取りあえず戦れるか戦れないか……試してみるか?」

男の前に現れたのは薄い紫の長髪の女。
特に感情を点さぬ表情の希薄な長身の女性であった。

「戦う気は無いと申しました。
 ともあれお手並み拝見……見事です。
 サーヴァントランサー、私と共に来て頂きたい。」

深々と会釈をする、表情に何ら感情を乗せない女。
群青のボディスーツに身を包んだ戦闘機人の七女セッテが――

「貴方の知りたい事に答えましょう。
 貴方の主も我々の元にいる。」

向けられた槍を意にも介さずに――男にそう言った。


――――――

(………う、動かない…ッ!)

――― 動かない ―――

――― 動かない ―――

指の一本までその身体に動力が戻らない。
それは巨大な岩を背に背負わされたかのよう。
重くなった体を引き摺りながらフェイトは
先の戦いに匹敵するほどの苦難の行脚を強いられる事になった。

当然だ。魔力エンプティとはそういうものなのだ。
魔導士が最大のリスクとして常に頭に入れておかねばならないタブー。
それを犯した体が今やまともに機能するはずがなかった。

「はぁ、……はぁ、……はぁ、」

不規則に紡がれる呼吸を喉から漏らしながら懸命にその体を押していく魔導士。
だが自身の燃料を使い果たした身体はガソリンの入らない自動車と同じ。
動く道理などあるわけが無い。

この場で眠ってしまいたい――
気絶を受け入れればどんなにラクだろう――
そんな弱い心に押し潰されそうになる事もはや数十回を超え、
その度に重い瞼を開けて自身の体に爪を突き立て、意識を残す。

「バルディッシュ……」

<............>

「………やって……お願い」

<.........Yes sir>

デバイスに何事かを呟く執務官。
瞬間、バシュン!!!!!!!―――という何かが破裂したような音が無音の大地に木霊する。

「………、ッ!!!」

痙攣するようにニ、三度跳ね上がるフェイトの肉体。
全身の神経に電気を流して無理やり活を入れたのだ。
ショックで極限まで見開かれた目が、口が再び強い意志を灯して前方を見据え――
魔導士は黒杖を支えにその場に立ち上がる。
ガソリンの無い車だからと立ち往生して、助けが来るのを待っていられる身ではない。
エンジンがかからないのなら―――手で押していくしかないのだ。
ゆっくりと身体を起こして歩を進ませるフェイト。
たたらを踏みながら一歩、転んで、這って、また一歩。
動かぬ四肢を無理やり動かすたびに神経が焼ききれそうになる。
拒絶反応を起こし、喉の奥から競り上がってくる何かを必死に堪え
動くなと警鐘を鳴らし続ける脳の司令を無視して彼女は一歩、一歩、進んでいく。

「はぁ、……はぁ、……はぁ、……」

視点の定まっていない目を前方へ向けて彼女は進む。
やがて眼前についに目的地である崖の姿を見据え――
シグナムと槍の男がもつれ合って転落して行った奈落へと辿り着くフェイト。

<.........!!>

それは一瞬の出来事だった。
寡黙なデバイスが思わず息を呑む(?)のも無視して
闇に続くほぼ直角の傾斜を彼女は躊躇いなく滑り降りる。
―――いや、既に思慮の至らない無意識の行動であったのか

自在に重力を制御し大空を飛び回る空戦魔導士。
エレベーターのシャフトすら無傷で滑り降りる事など朝飯前の彼女であったが
今のフェイトの有様は、それは滑り降りるというより――転がり落ちるといった方が正しかった。
デバイスが必死に彼女を守る。逐電した予備魔力を呼応させ、せめて主の転落死を防ごうと四苦八苦。
朦朧とした意識の中で、身を丸まらせて傾斜を転がっていくその身体。
突起に必死に爪を立てて――人差し指と中指の爪がはがれた――底へ底へとその身を誘わせるフェイト。

一心不乱――とはよく言ったものだ。
その果てに希望が待っていると信じて
その先に助けを求めている仲間がいると信じて


その果てに――


「…………………」


絶望が待っている事を――敢えて考えずに………

彼女は――辿り着いた。


「………………」


かけがえのない戦友の――
その変わり果てた姿の前に


「………………」


左の胸に大きな穴を明けられ
眠るように息を引き取る彼女の前に――辿り着いてしまったのだ。


「……………ぁ、」


もはや吐息とも取れない声を一言上げたのみだった。
それだけで、気力のみで支えていた体から何か決定的な力が抜けていく。

本当に、身体の芯に眠る全てを使い果たし
呆然とその場で膝をつき――脱力するようにフェイトはうつ伏せに倒れ付す。

放心状態で体力の限界で次の言葉すら出てこない。
倒れ付しながら仰向けに寝かされた彼女の――
烈火の将の遺体の身体の上で組まれた手に、フェイトは自らの手を伸ばす。

――― 冷たい ―――

ぶるぶると振るえる手の平が騎士の手の甲を握った
朦朧とした意識が最初に思った感想が――それ…

確かめるまでもない。
亡骸の前に突き立てられた彼女の愛剣レヴァンティンが
もうこの女剣士が、自らを振るう事などないのだと如実に物語っていた。

一縷の望みに全てを託し、辿り着いたのは――最悪の結果

騎兵の言葉を受け、覚悟だけは持っていた。
だがそれでも放心したフェイトの瞳に
その心に今更、くべる火などどこにもありはしない。

やがて寒風吹き荒ぶ奈落の底――

「…………ぅ、、ぅ…」

誰もいない、何もない光すら差さぬ地に残された二人――
否、一人……手と手のみを繋いだままに――

フェイトは頬を泥に塗れさせたまま
肩を震わせて、泣いた―――

「………ぅぅ、、ぁ…」

しゃくり上げ、顔をくしゃくしゃにして
声も出さずに何時までも何時までも――

その声の無い慟哭が光挿さぬ渓谷にいつまでも、いつまでも木霊するのであった。


――――――


―――そうしてどのくらいの時が立ったのか


やがて涙さえも刈れ果てて――
フェイトの肢体からも徐々に体温が失われていく。

「……………」

カラカラに乾いた唇が何かを紡ごうと動くが、それが音になる事はもはやない。

フェイトテスタロッサハラオウンにとって友達とは、仲間とは世界そのものだ。
その一角が崩れて無くなった喪失感。よもやこれほどのものだとは本人すら思っていなかっただろう。

――― このまま死ぬのかな ―――

ぼんやりと、そんな事さえ思ってしまう。

涙で真っ赤に腫らした目尻を拭う事すら出来ない。
自分の体をぼんやりと見下ろす魔導士。
どうしても再び立ち上がる活力が沸いて来ない。

故にゆっくりと、疲労に任せてその瞳を―――閉じるフェイト。

(少しだけ……眠ろう。)

悲しみと絶望に暮れた心身はもはや限界を超えていた。
このまま気を失えば本当に終わりかも知れない。
だけどもう意識を繋ぎ止めておける原動力が無い。
そして瀕死の体に気力が途絶えれば――人は簡単にその呼吸を止めてしまうのだ。

―――眠ろう…

涙に染まった相貌がゆっくりと閉じ
戦友の亡骸に覆い被さるように――肉体が弛緩していく。


――― …………………… ごつんッ


「ッ……」

突然、衝撃にピクン、と――彼女の意識は強制覚醒させられた。

後頭部を襲った突然の痛み。
魔導士の閉じた眼がうっすらと開く。
緩慢に沈みかけた心身に静電気程度の動力が蘇る。


――― おきろ馬鹿……重い ―――


だが、その次の瞬間……!

聞き違いようの無い声が―――
フェイトの耳の奥にまで浸透した時――


――― 隊長、福隊長が揃ってこれでは…… ―――


「………………………ぇ、?」

半開きになった魔導士の口から再び声が漏れ出る。

夢うつつの事かも知れないと―――
恐れ、何度も何度も幻聴を疑い――

頬をずらして声のした方を見ずに、彼女は震える唇でその名を呼ぼうとした。

でも言葉が出てこない。
恐くて、恐ろしくて――
これが夢幻ならば、もしそうならば
自分の抱いたこの希望を呪わずにはいられない。

だからその手を握る。
絡んだ手をぎゅっと、力いっぱい握る。
再び蘇った微かな希望を掴むために―――

するとそれは弱々しくも確かに――呼応するようにフェイトの手を握り返してきたのだ。

「これでは……エリオやキャロに示しがつかんだろう……」

続いて聞こえる声を受けた時――
それがはっきりと鼓膜を揺らした時――

「…………………ああ、…ッ!」

フェイトの感情は―――弾け、制御不能になった。

咽ぶ声が言葉にならない。
だというのにその名を叫びたくて――
パクパクと口を開く様が金魚のように滑稽で――
もはや溢れ出す感情を抑えられずに魔導士は再び、下を向いて肩を嗚咽に震わせる。

「泣くな……馬鹿。」

「シ……シ、グナムっっ!!」

再び顔を上げ、今度こそ彼女の――
かけがえのない戦友の名前を呼ぶ事ができたフェイト。
涙で霞んだ視界の先には将の厳しくも優しいあの笑みが――

「シグナムぅっ!!!」

嗚咽が止まらない。
しゃくり上げる姿はもう子供のようで――
恥も外聞も今の彼女の喜びを阻害する権利は無い。

絶望に染まった涙を拭い去る新たな落涙が
フェイトのくしゃくしゃに歪んだ歓喜の表情から止め処なく溢れ出すのであった。


――――――

それは網の目のように複雑に、幾重にも張られた死の檻を掻い潜る――そんな生還であったのだろう。

必ず心臓を貫く槍はシグナムの左胸、人体における心臓を確かに貫いた。
しかし彼女は厳密な意味での内蔵や骨子を持たぬ「プログラム」
故に第一の絶命・破壊される心臓がそもそもなかったのである。

しかし槍が心臓の代わりに彼女の内に狙ったもの。
ランサーに「確かに打ち抜いた」と錯覚させたものは――シグナムのリンカーコア。
彼女が魔力によって生成された魔導プログラムであるのならコアを破壊されてしまえばひとたまりも無い。
その身はやはり消失せざるを得なかったはずだ。
だが闇の書が消滅し、夜天の主から切り離された事により
彼女らヴォルケンリッターは現在、人の肉を得るに至っていた。
故に「魔力コアの消失が即ち本体の消滅」という魔導生命体の頸木から逃れ、
謂わばヒトの肉体を持ったが故にシグナムは自身を現世に繋ぎ止める事が出来たのだ。

そして死神の槍の最後の魔手――「死棘」と呼ばれる内部破壊。
それは対象の生命力を残らず奪い去る効能と
それに槍の殺傷力を足したダメージを相手に与える恐ろしいものだ。
即ち発動=絶死のニ重苦の最後の関門である。
だが今の烈火の将には奇しくも内にもう一つの命が宿っていた。
―――融合デバイス・剣精アギト
この魔導デバイスと命を同じくしたユニゾンによって
彼女は一なる命の頸木からも外れ、槍の棘による殺傷は分散。
一人を確実に殺す槍も二人分の命を吹き消すには至らなかったのである。

奇跡――知る人が知ればまさに奇跡と呼ばずにはいられない生還劇。
二人があの恐るべき槍の仔細を知るに至り
その胸に打ち込まれた宝具の恐ろしさに身震いする事になるのは大分、先の事である。

「バルディッシュ!」

<...in danger sir>

「いいから…! あとありったけの回復とカンフルを…」

仲間の生存を確認したのだ。
よもやここで倒れてなどいられない。もう一踏ん張りの辛抱だ。
再びその体に電気ショックとありったけの気付けを処そうとするフェイトをシグナムが止める。

「おい……無理はするな。
 ここまで来て死なれては適わんぞ。」

顔をしかめ、満身創痍をおして立ち上がろうとするフェイトを苦笑交じりに見つめる将。
だが彼女にとって傷の痛みなど先の絶望の心の痛みに比べれば何でもない。
まだ少し目に滲む涙をゴシゴシと拭い去り、フェイトは将に肩を貸して担ぎ上げる。
人間の身体とは現金なものだ。
病は気からとよく言うが、どん底にたゆたうような現実が期せずして見せてくれた希望は
千年の病を患う者でさえ踊り出す特効薬に他ならない。

「敵がまだいるかも知れない……早く安全な所へ身を隠しましょう。」

「私はいい。それよりもアギトを…」

懸命にその身を起こそうともがくフェイトを見上げて騎士は一言、静かにそう紡ぐ。
すると弱々しい薄紅の魔力光がシグナムの全身を覆い尽くす。
光は散桜のように飛散。そして胸の上に――傷つき眠る妖精の少女が現れた。
騎士のユニゾンが解けたのだ。
少女の姿は主と同じく凄惨な傷に覆われており
四対の羽が、子供の戯れに引き千切られたトンボのようにズタボロになっている。
痛々しいなんてものじゃない――絶命の危機が去ったと安堵するのはまだ早すぎる。
フェイトもシグナムも、そしてアギトも、早くしかるべき所に移送し処置を施さねばならない事は明らかだ。
こうなると麓まで転がり落ちたのが幸いだった。
こんな身体でせこせこと山を越えるなど出来るはずが無い。

「恐らく岸壁に沿って歩けばふもとの宿につける筈です。」

「無人なのが幸いだったな……ありがたく使わせてもらおう。」

歩き始める二人。

かくして―――

ライトニングの二人の山越えから始まった長い、長い一つの戦いが幕を閉じ
登った峠を満身創痍で再び降りる事となったフェイトとシグナム。
それは期せずして決して鳥篭から逃がさないと断ずる
何か巨大な壁に跳ね返されたような錯覚すら二人に感じさせる。

恐ろしい敵との邂逅。スカリエッティの動向。仲間の安否。
そのどれをも確かめる事叶わずに――
おぼつかない足取りで肩を抱き合いながら歩く魔導士と騎士。
二人は暗雲に覆われし渓谷をもう一度振り返り―――その場を後にする。

その不吉な空が占う二人の運命は――未だ、光を示す事は無かった。


――――――

ライトニングとサーヴァントの初の邂逅から―――はや二週間が過ぎた。

もっとも日が沈んで再び昇る――それがこの世界でも一日と過程出来るならの話だが。
ともあれそれを14回繰り返した頃、ようやくフェイトは力を取り戻しつつあった。
初めは果物すら満足に取れないほどに減退した身体能力も大半が戻り
肉体の過剰運用の代償である筋肉の蠕動、手足の震えもほぼ無くなった。
オーバードライブにも色々種類がある。
もしなのはのブラスターのような、自身の魔力炉を一点集中させて
体内のコアを異常圧縮させて魔力を叩き出すような真似をすれば恐らくこの程度では済まなかっただろう。
下手をしたら自身の魔導士生命を一瞬で奪い去ってしまう――自己ブーストとはそういう類の技だ。
対してフェイトの真ソニックは制御こそ他の追随を許さぬほどの難易度を誇り
失敗すればその稲妻で己を焼く諸刃の剣ではあるが、制御をミスらない限りはなのはほどの負担を負う事は無い。
二つ以上の高炉の同時展開。それが期せずして身体の負担を分散させているのだ。
リンカーコアの異常加熱によるオーバーヒート。総魔力の減少などの後遺症に悩まされない――
それは彼女にとって大きな強みだった

「………」

対してシグナムは――あれから目を覚まさない。
彼女はこのホテルにやっとの思いで付いた瞬間、事切れたように気を失ってしまった。
そのダメージは本来ならばあの地で意識を取り戻せるようなレベルのものではなかったのだ。
だというのに、彼女はせめてフェイトの足手纏いにはなるまいとコワれたソフトを強制起動させた。
誇り高い騎士である彼女らしいと言うしかない。
正体不明の切り札を身に受けたシグナムとアギトの傷は遅々として塞がらない。
本来ならばとっくに治っても良い筈の傷からさえ未だに血が滲んでくる始末――
故に戻ってきた箱庭の町にてパートナーの回復もままならないままにフェイトは立ち往生を余儀なくされていた。

出来るだけ高級なホテルに居を移し(無断で拝借し)騎士の看病をする日が続いた。
リネンを使い放題なのが助かる。タオルや包帯などはいくらあっても足りないのだ。
定期的に荒い息を繰り返し、その身を横たえる烈火の将に全盛の力強さは微塵も無い。
魔導士もあの戦いで限界を超えたが、しかしこの騎士は更に二段、三段とそのリミットを跨ぎ越していたに違いない。
当然、今はとてもじゃないが戦える状態ではなかった。

「僥倖……だったのかな…?」

しかし、そう。それは想像できないほどの幸運。

何故なら―――半ば覚悟はしていたのだ。
ここに到着し……いや、到着するまでの間でもいい。
間違いなく敵の第二波に襲われると思っていたのだから。

あの謎の怪人の襲撃が言わずもがなスカリエッティの手によるものだとしたら見ての通り、効果的面。
あの一戦で自分らは甚大なダメージを被った。
初手としてはこれ以上無い戦果を上げさせられた事は疑うべくも無い。
これで第二派に詰められたら、もはやお手上げ――
戦う術は無く、流石のフェイトも敵の刃にかからざるを得なかっただろう。
いや、酔狂なスカリエッティの事……もしかしたら殺さずにこちらを捕らえてくるかも知れない。
そうなれば虜囚の辱めを受けるだけでなく、あの狂った科学者の事だ。
考えるのもおぞましい仕打ちをこの身に強要してくる事も容易に想像できた。
そして場合によっては自分は――それを甘んじて受けるつもりだったのだ。
ただし動けぬシグナムの命を保証する代わりに、だが。
執務官の経験で培った交渉術をフル活用し、どんなに最悪の状況となっても
常に一縷の望みを残せるように状況を組み立てていくつもりだった。

―――と、そこまでの悲壮な覚悟の元にシミュレーションを立てていただけに……

ここまで敵の襲撃も何事もなく無事でいられた事に些か拍子抜けせざるを得ないフェイトである。

「………」

―――分からない。

―――つくづく敵の狙いは何だったのか…?
―――あの襲撃の意図するものは…?
―――戦闘機人を遥かに超える、あの凄まじい強さを持った敵の正体は…?

「そろそろ動かないと…」

シグナムの看病の片手間でも良い。
そろそろ自分なりに捜査を進めていかないと――何か……嫌な予感がする。
そう思い立った彼女が席を立とうとした時――

「!!? ………何?」

テーブルがコトコトと音を立てて揺れているのを彼女は感知。

(……地震?)

身構えるフェイト。
その揺れは大地の断層同士が擦れ合って生ずる地殻変動に酷似したものなれど彼女は些かも気を緩めない。
この無と化した世界。自分とシグナムしかその影を造らない世界にて
ここでどんな事が起ころうと決して不思議ではないからだ。 やがて――

(………違う……これは?)

ヴヴヴ、――と、
大気を震わす歪な振動をその肌に感じ取り、棚に置かれた缶詰や食器が軒並み地面に落ちる。
この揺れは明らかに地震のそれとは何かが違う…?
これはまるで――そう、フェイトはこの揺れに覚えがあった。

「バルディッシュ……」


――― 次元振 ―――


そうだ。あの次元と次元の狭間が擦れ合う事によって生じる世界の軋み――
管理局が定めた次元災害の中でも最悪レベルの大破壊・次元断層をもたらす、その前触れである揺れ。
フェイトの背筋を冷たい汗が流れ落ちていく。

シグナムは今だ意識不明。そんな彼女を一人にするのは避けたい。
こんな状態の彼女がもし敵に襲われたら、当然一たまりも無いからだ。
しかしもし次元断層が実際に起こるような事があれば――事はそんなレベルですらなくなる。
自分やシグナムがどうとか言う以前に恐らくは地球を含めたこの次元そのものが壊滅的な被害を受ける。
当然、捨て置ける筈がない。

「すぐ戻ります…! どうか…」

今だ己に刻まれた傷と戦っている騎士に謝罪しつつ、意を決したフェイトが部屋を飛び出る。


時刻は――夜半

夕闇の帳が下りるビル街は本来ならば不夜城の如く24時間、人がごった返しているのだろう。
だがこの街は人はおろかネズミ一匹もいはしない。
疾走するフェイトの影のみが夜のネオンを遮って奔る。

「どこだ……揺れの元は…?」

飛翔するその身体があっという間に付近で一番高い20階相当のビルの屋上に舞い上がり
すぐさま彼女は魔力サーチを含めた広域探索を開始。

どんな時空の歪みも決して見逃さない。
そんな意思の元に周囲360度に視界を巡らせた。

「………………」


そして、フェイトは――――


「あれ、は…………」


――――――――――見た。


まずは恐らく揺れの元。空間を裂いたような―――

それはアルカンシェル――管理局の巡洋艦クラス以上に搭載される最強の殲滅兵器。
それが地表に打ち込まれたような現象が目視数km先で起こっているのを確認。

数Kmは離れているにも関わらず余波がこちらに届いている。
この身を飛ばそうと吹き荒んでいるのか深遠に引き寄せているのかすら分からない。
体を締め付けるような歪な力場にフェイトは身を屈ませる。

―― 視線はその一点から、離さずに ――

空間を引き裂くような現象はまるで空に地割れを作ったかのような威容を見せていた。
かなり広域に影響を与えているかのような断層。
あの地で一体何が――?
何が起こり、そしてナニが棲んでいるのか余人には想像も出来ない光景だ。


「……………」


しかしてフェイトはその一点から目を離さない―――

否―――ハ・ナ・セ・ナ・イ

その凄まじい時空の歪みに―――いや、いや違う。

そんなものじゃない。

彼女が先ほどから瞬きすら忘れて
目を見開いて見ているものは、そんな――

――― どうでも良いものではなかった ―――


「………………う、そ…」

カランと手に持ったデバイスを取り落とす。

その目に映っていたもの――
フェイトの思考を余さず占めて占領してしまったもの。

それは、なつかしき……

「時の……庭園…」

彼女の生まれ育った巨大な移動要塞であった。 

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最終更新:2010年02月06日 11:13