無限の欲望の生み出せし神々の遊戯盤―――
盤上が今宵、闘争の庭として用意した地は海鳴町であり、冬木市であり
そのどちらでもないゴーストタウン。
中に放り込まれた駒は二つ。
その性能は戦略兵器に匹敵するとまで言われるミッドチルダSランク魔導士。
その中においても若き英雄と謳われる空戦のエース。
不敗の神話と聖剣伝説を築きし稀代の剣士。
騎士の頂点に立つ「騎士王」の称号を授かりながらも非業の最期を迎えた王。
―――そこに、世界を塗り潰す不確定要素として飛び込んだイレギュラーが一つ。
古代に君臨せし最強の魔人。
かつて世界をその手に収めた半人半神の英霊。
人類最古の英雄王。
共に絶大な力を持つ、時代を築きし者達が織り成す戦いという名の輪舞。
地上、建造物の至る所に突き立った宝剣。 倒壊した大地。
町の景観は夥しい数の弾痕や斬傷で見る影もない。
まさに熾烈極まりない闘争の余波で、既にフィールドの4分の1が焦土と化している。
その大地にて―――――
時空を超え、次元を超えて………再び対峙する二対の宝具。
「…………」
眉目秀麗な騎士の少女が敵を見据えて立つ。
その身体のどこを探しても傷を負っていない箇所など無い。
だというのに、まるで瀕死である事を感じさせない威風堂々たる姿で、彼女は悠然と佇む。
もはや一言も発する事のない口は決意の意と共に固く引き結ばれ
その体の中央で両の手に構えた、黄金に輝く剣に―――己が全てを委ねる彼女。
「もはや何も言うまい―――」
対するは黄金の豪奢な鎧に身を包んだ灼眼の男。
少女の強大な戦意を余す事無く受け止め、まるで揺るがぬ最強の英霊に恥じぬサーヴァント。
王が達観と共に呟く。
己に向けられた殺気……光り輝く人類最強の聖剣を前にして
彼もまた自身の宝物庫から一振りの剣を取り出した。
まるで以前からの約束であったかのような、まるで術技立てられた様式美のような
そんな自然さで、両者は手に持つ剣と剣を突き合わせる。
所詮、今までの攻防など茶番―――
そう……この対峙こそが二人の戦いの全て。
騎士王と英雄王の戦いの縮図そのものであったのだ。
――――――
だがその縮図こそ―――そのまま二人の圧倒的な力の差を映し出している。
それは「聖剣では覇王剣を打ち破る事は出来ない」という事実。
このままでは騎士王は英雄王に屈服せざるを得ないという覆しようの無い真理。
――――故にあと一手。 戦況を根底から覆す、あと一手が必要だった。
…………
その最強の敵を打破し得る一打とは――――
即ち騎士の少女に祝福をもたらす「勝利の鍵」を差し込む事。
二人の対峙――その趨勢を見守る白き天使が
遥か上空にて、聖剣の担い手に福音を降らせんと翼をはためかせる。
三者を取り巻く空気が彼らの膨大な力の奔流によって軋み始める。
黄金の柱と、鈍色の赤き風と、桃色の波光とが世界を三つに斬り分ける。
震える大地。 翻弄される大気が――――
この壮絶な戦いの最終ラウンドの開始を告げる戦唄となるのであった。
――――――
数刻前――――
「セイバーさん! セイバーさんッッ!!」
雷鳴渦巻く暗雲と闇に閉ざされた空の下に、一人の女性の声が響き渡る。
白がベースの清楚なデザインの法衣を纏った栗色のツインテールの女性。
その長い髪の先がくたびれているのは、突如として彼女を襲ったいつ終わるとも知れない激戦のせいであろう。
彼女は魔導士。
それも並の脅威では傷一つ負う事の無い、ケタ外れの技量を持つ時空管理局のエース級魔導士。
類稀なる才能と己が力に溺れぬ努力の末に身につけた珠玉の戦技。
それによってもたらされた数々の偉業により、彼女は若くして「エースの中のエース」と呼ばれる存在となる。
しかしてその彼女が、今―――
荒い息を整える事すら出来ずに壁に寄りかかり
折れそうになる体を支えながらに必死の呼びかけを続ける。
見ればその髪だけではない。
彼女の纏う法衣の所々に斬り裂かれた跡があり、焼け焦げた跡があり
白い生地には赤く滲んだ箇所が随所に見られる。
彼女が纏っているのは、次元世界ミッドチルダの科学力が誇る汎用魔力強化型戦闘装束・バリアジャケット(BJ)。
堅い物理防御に加え、体表面を覆う反物質コーティング(フィールド)を備えた、魔力で編まれた不可侵の鎧である。
それがここまでボロボロになる事が、今の彼女を襲った脅威の凄まじさを如実に物語っていた。
魔導士―――高町なのはの前には、立ちはだかる敵がいた。
戦技無双を誇る彼女をして攻略の目処の全く立たない、規格外の強敵。
術の限りを尽くしてなお微塵の突破口すら見出せず
彼女は自身、数えるほどしか陥った事のない絶望的状況に追い込まれていた。
その魔導士の立つ横には………一人の少女がぐったりと倒れ付していた。
銀色の鮮やかな甲冑。
その下に青を基調とした戦装束に身を包む、西洋の騎士然とした金の髪の少女。
なのはより頭一つ小柄な肢体。 その体中に大小様々な傷があった。
肩口からバッサリと断たれた切傷を筆頭に、裂傷、擦過傷から貫通された跡まで―――
ここまでの負傷を受ければ常人ならば激痛でショック死しているであろう。
此度の戦いにおいて少女は迫る敵を前になのはの前線を務め
白刃に晒されながら後衛の彼女を守って戦い
そして相手の埒外の攻撃の前に力尽き―――その身を地につけた。
応急の手当てすらままならないこの状況では傷口を洗ってやる事も出来ない。
一刻も早く男の包囲網を抜け、少女に適切な処置を施さなければ、という思いが、冷静な教導官の思考に焦りの影を落とす。
おもむろにセイバーの傷口―――赤黒く腫れた箇所に手を当てるなのは。
専門的な心得は無い彼女であったが基本的な触診くらいなら施せる。
指の頭で微妙に強弱をつけて傷口を押す。
…………………
(これは………本当に急がないと…)
なのはの顔がやおら青ざめた。
痛覚に位置するそれを刺激してやっても、少女の身体はピクリとも反応しなかったから。
もう…………感覚すら無いのだ。少女の肉体は。
この少女はもはや戦えない。
高町なのはを驚嘆せしめた剣技が、スピードが再び発揮される事は無い……
「セイバーさん……どうしてあんな無茶を…」
その呟きには言い知れぬ感情が篭っていた。
無謀としか思えない中央突破。
血飛沫を撒き散らしながらケモノのように咆哮し、西洋人形を思わせる美しい貌を歪ませて
牙を剥き出しにしながら敵に飛び掛ったあの狂態。
なのはとて十分に分かっている。
この騎士は自分が貶められただけではああいう風にはならないだろう。
きっと心の奥底で最も大事にしていたもの、もしくは人……そういった類のものを傷つけられたのだ。
騎士は誇りを抱いて生きるもの。 その誇りを汚された時、命を賭して守ろうとするのもまた事実。
理解していた……そして自分が口出しするような事ではないことも。
「でも、それでも……」
トクン、と―――
「死んじゃったら、おしまいなんだよ…?」
魔導士の胸の鼓動が高くなった気がした。
諸共に疼いてしまう―――過去の傷跡。
自分の眼下で無残に倒れ伏している血染めの少女と
かつてその無茶な行動から命を落としかけ、ヴォルケンリッター鉄槌の騎士に抱かれる自分の姿がフィードバックする。
あれ以来、心に決めた。
無茶はしない――無謀な行為を何よりも自重する。
自分にも、そして仲間にも。
その誓い………小さな胸のしこり。
なのはの心中に生じた微かな揺らぎ。
その異物を彼女は―――今は無理やりにでも胸の奥に仕舞い込むより他にないのだった。
――――――
闇夜に始まったこの戦いは数刻を経過し、空は雲に覆われてはいるものの
微かに白み始め―――確実に明けの兆しを見せている。
この世に明けない夜は無い。
いつまでも暗い曇天が続くわけではない。
だが、とあるビルの屋上にて傷だらけの身を寄せ合う二人の戦士。
高町なのはとセイバーは―――このままでは夜明けを迎える事は出来ない。
魔導士が空を見上げる。 その眼前に広がるのは、星だった。
曇りのはずの空にまるでプラネタリウムのように大小様々な星が光沢を放ち、存在を主張している。
…………………………
……言うまでもない矛盾。
曇天に輝く星など無い。
よって今、夜空を照らす星光など見える筈もなく
無数の星屑は、そう見えるだけの別の物でなくてはならない。
果たしてそれは――――――無限の宇宙に広がる星々に見える………
――― 刃だった ―――
そう、空には今、数百を超える刃の群れがあった。
鈍色の赤に染まった空間から幾多の波紋が起こり、中から彼らは貌を覗かせる。
各々が確固たる意思を持って無限に広がる上空一帯に鎮座する。
そのあまりの威容―――百戦錬磨のエースをして戦慄を感じざるを得ないほどの絶景。
獰猛な異彩を放つ刃の群れが余さず彼女達を見ている。
空を、自分達を悔しげに睨む白き魔導士を嘲笑う。
お前らはここで斬り刻まれ、貫かれて果てるしかない
絶対に逃がさない
まるで刃の一本一本が口を揃えて、その殺意を叩きつけてくるかのようなおぞましい光景。
実際には刃に意思が灯る事などは無い。
ならば今、彼女達に降り注ぐ悪意の塊のような意思こそ――二人の前に立ちはだかった「敵」の放つものに他ならない。
未だ敵の姿は見えず、追撃の兆しはない。
だが、彼が一度その侵攻を開始すれば―――
一度号令を下せば、上空を覆う凶刃の群は彼女らに一斉に降り注ぎ、全てを終わらせる。
言わば自分達は手の平の上で遊ばされている虫も同然の身。
相手がその手を握り込めば、二人は抵抗も出来ずに無残に握り潰されるのみなのだから―――
「…………考えるんだ」
常人ならば恐怖に押し潰されてしまうそんな状況下で、余計な事を考えている暇などない。
負の感情。ネガティブな可能性。そして芽生えそうになった騎士の少女に対する――
その他一切のノイズを振り払い、魔導士高町なのはは限界まで思考を巡らせる。
「突破口は必ずある……諦めちゃったら、そこでお終いだ…」
居並ぶ凶刃。その威容をキッと見据えるなのは。
蒼白な顔で気を失っているセイバーの頬に手をやる。
高町なのはの表情にいつもの戦意――千の味方を鼓舞させる気勢が蘇る。
絶望の中にあって絶望に溺れず、遥かな底に見える希望に向かってただ一心に手を伸ばす。
そうやって幾多の者を、世界を救ってきた彼女こそ――不屈のエースと呼ばれた空の英雄に他ならないのだから。
――――――
現状においてあの相手を自分一人の手で退けるのはどうするか?
一体どのような戦術を取るべきか? またどれほどの事をせねばならないのか?
エースオブエース高町なのはをして、思考するにつれて
その端麗な顔が苦渋に歪むのも無理からぬ事だろう。
10年における戦歴において数多くの敵を圧倒してきたなのは。
彼女の戦闘スタイルの根源はまず敵の攻撃を受け止めて撃ち返す所から始まる。
謂わばガチンコの力比べ。それで押し通せれば良し。
ぶつかった結果、敵の力が自分以上であるならば、それに対応した戦術で相手を絡め取ってまくる。
それらの戦法の支柱となるのが突出した自身の火力と出力と防御力であるのは言うまでもない。
だが今、そのうちの一つ―――防御力に全く頼れない戦況……
いつもの戦い方を推し通せない―――
それが自然、魔導士の戦闘スタイルに大きな影を落とし
本来の性能の70%しか発揮出来ない状況を作ってしまっている。
―― 戦いにおいてこれさえあれば無敵などというものはそうそう無い ――
それは彼女の長きに渡る求道の末に培った「戦いの基本概念」とも言うべきもの。
信念であり、彼女の戦術の骨子たるものでもあった。
だが今、彼女は―――限りなく無敵に近いモノを相手にせねばならない。
ゲートオブバビロン―――
奇しくも自分と同じ射撃武装でありながら、その範囲・射程・速射性能諸々がケタ違いの全門掃射攻撃。
まるで戦艦の一斉射を髣髴とさせるが如き射撃は、弾切れ、リロード、その他一切の制限がないというデタラメ仕様。
威力は弾丸1発1発でさえ彼女のシールドを脅かす程……つまり一発の被弾=致命傷である事は疑いようが無い。
また不幸にも、かつて高町なのはが教え子と模擬戦を行った際の出来事を見ると
なのはの防御を曲がりなりにも一番初めに破ったエリオ・モンディアルの持つ槍のように
「貫」というのは「斬」「打」「砲」等の他の諸々攻撃手段と比べても最も盾を抜くのに効率が良い。
ならばギルガメッシュの宝具斉射こそ――高町なのはの防壁にとって鬼門以外の何物でもない事はもはや明白だった。
魔導士は思考する。
攻防共に付け入る隙を与えない武器を持つ相手。 これを突き崩すには―――
その10年に渡る戦いの中で培った、自分以上の力を持つ相手と戦った場合の対処法。
それに対抗する手段を残らず引き出し、模索していく。
「隙を見出すとしたら武装の方じゃなく………使用者…」
ガチン、ガチン、と―――彼女の思考がパズルのように組み上がっていく。
そう、武装の攻略がままならないのであれば武器の使用者を崩す以外に道は無い。
言うまでもなく極めて厳しい道であるが、だがそんな戦況であるにも関わらず、なのははそこに一筋の光明を見た。
敵がセイバーであったならこんな戦術は取らない。
何故ならそれは、彼女が手に持つ武装に勝るほどの使い手であるからだ。
決して崩れない、思考の隙を突き難い相手に対してほぼ来ないチャンスを待って戦うなど自殺行為である。
「でも、何と言うか………あの人は…)
そう、騎士王セイバーに比べるまでもなく、英雄王ギルガメッシュは……
朧げながら、か細い糸を手繰るように勝利への道を模索する魔導士。
その思考が勝算という名の蜘蛛の糸に手が届く―――
―――――ナノハ…
―――寸前………
その耳に消え入りそうな小さな音が響く。
なのはがハッと目を見開く。
半ば自身の思考の渦に入り込んでいた彼女の横から、弱々しい―――
掠れた声をかける者がいた――――
――――――
「ナノハ」
静かな―――それは消え入りそうなほどに静かな声だった。
かつて古の戦場に響き渡った美しき王の声は、凛とした鳥の嘶きに例えられた。
そんな力強くも心地良かった騎士の声。
だが今、なのはの耳に届いたものにその面影は全くない……
絶え絶えの息の合間に懸命に搾り出されたようなその呟き。
それは紛れもなく――死の淵に立つ者のそれだった。
「セイバー、さん………良かった」
だがなのはの心中に初めに広がったのは、兎にも角にも安堵。
下手をすればこのまま……という可能性すら考えていた魔導士にとって、その言葉は――
意識を取り戻してくれたという事実は何よりの励みだったに違いない。
知らず、ホッと胸を撫で下ろす白衣の魔導士。
緊迫した空気が何よりの朗報に一瞬、弛緩する。
だが………そんな高町なのはの耳に―――
「―――私に、考えがあります…」
―――信じられない言葉がかけられたのだ。
全身を紅に染め上げられた歪なアート。
目尻から滴り落ちる赤い液体が頬を伝い、まるで血涙のように少女の白い肌を汚している。
「ちょっと待って……? まさかセイバーさん…」
まだ戦うつもり?と言葉を続けるまでもなかった。
そんな瀕死の状態だというのに、彼女の瞳は――紛れもない戦闘継続の意思を示していたのだから。
「迷惑をかけた………済まない。
この失態は必ず我が剣で払って見せます…」
血染めのマリオネットが、切り裂かれた全身などまるでお構いなしに立ち上がろうとして――
「ハァ、ハァ………う…」
「無理だよセイバーさん! もう戦える状態じゃない!!」
なのはにその身を抑えられ、再び床に寝かされる。
「ナノハ―――それは侮辱だ。
我々サーヴァントを人間と同じように見て貰っては困る。」
瞳に抗議の色を灯すセイバー。
だが、なのはには騎士の言葉など聞く気は無い。
(こんな…こんな体で……)
あの力強かった少女の肉体は今や見る影もない。
自分の膂力にすら抗えず、押さえ付けられてしまうのだ。
そんな死に体の身で、彼女は再び戦場に出ると言う―――
「さしたる問題ではありません。
多少この身を切り裂かれたとて、頭と心臓をやられなければ戦える。
この肉体は……普通の人間のそれとは根本的に違うのですから」
トクン、―――――
その時、なのはの鼓動が先程と同じように……乱れた。
こんな事を言われて重症者を「はいそうですか」と戦いの場に出す魔導士ではなかったが故に。
「……………だからあんな無茶したの?」
必死に抑えていた。
それは彼女の行動理念に反する行為。
自身の心の最も深い部分に刻まれたトラウマでもある―――
騎士の言動はそれを刺激するに余りある行為であったのだ。
なのはの表情からスゥ、と感情が消えていく。
それは己を省みず無謀な行動をしたセイバーに対する―――怒りによってのもの。
「ナノハ………あの男は強大だ。
無茶もせず命も賭けずに勝てる相手ではない」
「じゃあ聞くけど、さっきのは明確な勝算があっての行動?」
「そ、それは……」
痛い所を突かれたセイバーが言葉に詰まる。
ただひたすらに煮えたぎるような感情を叩きつけていた
憎しみと怒りに駆られ、狂戦士と化した先程の自分。
そこに明確な勝算や正当性があったかなど―――聞くまでもない……
「全然、らしくないよ……セイバーさん。
何をそんなに躍起になっているの?」
「…………」
両者の間をえも言われぬ緊張が支配する。
「それは言えない。 だからこそ――不実はこの身を賭して注ぎたい」
「この身を賭して? 命を捨ててって事…?」
「はい。 貴方の作ってくれた勝機を生かせず、敵を討ち取り損ね……
こうして窮地を招いてしまったのは私の落ち度だ。
その不明、我が誇りに賭けて再び勝利への道を切り開く事で償いとしたい。」
「出来るの? そんな体で。
戦えるの? そんな傷だらけの状態であの人と。」
「確かに速度や膂力を維持するのは難しい。 だからこそ――」
「自業自得だよ」
……………
騎士の血に濡れた顔が……一瞬、唖然とする。
予想だにしなかった魔導士の剣呑な物言い。
その薄緑の瞳が、人懐こい笑みを常に称えていた、あどけなささえ残した彼女の―――
高町なのはの、まるで血が凍ったかのような冷徹な表情を映し出す。
「聞いてくれナノハ……私は貴方に、」
「いいよ。その先は言わなくても」
まるで対照的な二人の相貌を、屋上に吹く風が静かに撫でていた。
ここが火急の戦場だという事すら忘れて、セイバーが呆然とパートナーの顔を見る。
「ナ、ナノハ……」
予想だにしなかった突然の魔導士の拒絶。
――― 今のセイバーさんとは肩を並べて戦えない ―――
と、その目が告げていた。
情緒に溢れた女性だと、慎ましくも確かな友愛を感じさせた彼女。
常に人を率いて戦うが常だったアーサー王。
故に誰かの指揮で戦場を駆ける事に一抹の不安を覚えていたこの身が、高町なのはの指揮で動く事には心地良ささえ感じていた。
その彼女の突然の豹変は、セイバーの脳裏にかの虚ろな光景を去来させる。
即ちアーサー王の落日――
かつて友だと思っていた者たちが皆、自分を残して円卓を去っていった光景。
信じて、守って、尽くして、背中を預けた筈の仲間に背中から斬り付けられた―――
――― アーサー王は人の心が分からない ―――
自分が信じて突き進んだ道は皆の描く願いとはまるで違っていて
全てが滅びゆくその瞬間までそれに気づけなかった自分。
こんな不明な己だからこそ、愚かな自分だからこそ――――少女は悟る。
「―――信に足らないという事か………無理もありません」
セイバーの瞳に一瞬、悲しげな光が灯り―――
そして、それを相手に悟られまいと顔を伏せ、表向きは毅然とした口調で返答を返す。
そう………冷静になって考えてみれば無理も無い事だ。
元々は何の義理もない行きずりの関係だったのだ。
助力を申し出てくれたのも彼女の「管理局」という立場上、そうする必要があったから。
だがしかし、それも命あっての物種である。
今の自分の有様。
そして完全に勝機の潰えた戦況。
自分の不明で好機を潰してしまった事実。
彼女がここへきて踏み止まり、自分に手を貸してくれる理由は皆無―――見捨てられて当然。
その不明を濯ぐため、無理やりにでも意識を叩き起こした騎士であったが
パートナー同士の信頼……否、利害が費えた今、もはや何を言っても詮無い事であろう。
「――――――――分かりました。
ならば当初の予定通り、貴方はこの場から離れて下さい。
貴方の技量ならばこの状況を切り抜け、逃げ切る事も可能でしょう。」
ならば今の騎士に出来る事はただ一つ。
凛とした声に悲哀の色は微塵もない。
元々、この戦いは自分の物だ。
それをここまで助力してくれた魔導士に感謝こそすれ、恨む筋合いはない。
その彼女が撤退するというのなら―――自分は追いすがる敵を押し留め、隙を作るのみ。
サーヴァントの肉体には強い治癒能力がある。
その恩恵で先程に比べ、行動を起こせる程には回復していた。
少女が荒い息を何とか整え、重い体を無理にでも起こす。
そして短いながらも共に闘ってくれた魔道士に別れの言葉を―――
「セイバーさんは動かないで」
………………
「あとは私が何とかするから」
………………
「……………………」
「……………………」
二人の間にたゆたう時間が――――止まった。
――――――
セイバーの表情が固まる。
何を言われたかまるで理解出来ず、身を起こそうとしたその姿勢のまま
ポカンとした様相で、なのはの冷徹な表情を見つめている。
「聞こえなかった? なら、もう一度言うけれど………
私が一人で闘うからセイバーさんはじっとしててって、そう言ったんだよ。」
対して単語の一つ一つを吟味するように、まるで聞き分けのない子供に接するように
セイバーに言って聞かせる高町なのは。
騎士の呆然とした表情が次第に怪訝なそれへと変化していく。
「―――――何を言っているのです?」
「何か問題あるのかな…? 今のセイバーさんは心身ともにまるで使い物にならない状態。
そんな人を連れていっても足手まといになるから残って欲しいって……別におかしな事じゃないでしょう?」
「……………気は確かですか?」
「確かも何も普通の判断だと思うけど。」
「ナノハ」
おぼつかない足取りながら剣を支えに立ち上がり、魔導士と向かい合うセイバー。
その目には先程までの弱々しさはなく――まるで敵を前にした時のような眼光を称えている。
「駄目だよセイバーさん。大人しくしていて」
「貴方は私に何を求めている?
我が不手際に対する謝罪の言葉か?」
「………」
「それとも、先の醜態の理由を包み隠さず話せと?
いくら問い詰められようと私とて言えぬ事はある。
それを無理に掘り下げる権利が貴方にあるのですか?」
「別にそこに興味があるわけじゃない。今はむしろどうでもいい事だよ…
でも言ってセイバーさんの気が済むなら聞くけど?」
「っ、」
ギリっ、と騎士の歯が鳴る音がした。
「フ―――これは意外でした……案外、陰湿な性格なのですね。
何が気に入らないのか私には分りかねるが
わけの分からない駄々をこねて人を困らせるのも時と場合を選んで欲しいものだ。」
「私の言おうとしてること……分からないの?」
「分かる筈が無い。 あの男は本来、私の敵で貴方は部外者に過ぎない。
だのに何故、私を差し置いて貴方が一人で死地に赴くという結論になる?」
互いに昂ぶった感情のままに相対する二人。
そのまま一気にまくし立てるセイバーである。
「言っている事が滅茶苦茶だ!
貴方がみすみす死にに行くのを私が認めるとでも思っているのか!?
人を嬲るのも大概にして欲しい!」
「そうだね。そんなの許せるわけないよね。
………………………私も同じだよ。」
バチバチ、と――まるで火花が飛んでいるかのような視線のぶつかり合いは続く。
「じゃあ、はっきり言うけど………今のセイバーさんはまるで抜け殻だよ。
自分を盾にして、もし死んじゃっても構わないってそう思ってる。
何としても生き残るっていう気概がまるで無い。」
「理想論ですね―――相手はあの英雄王で、しかもこの戦況。
何の犠牲も払わずに流れを変えられると思っているのですか?
それに私は騎士だ……死ぬ事など恐れはしない。」
「何度でも言うけど、今のセイバーさんじゃ盾にすらならない。
私を圧倒した時とは全然違う。
下らない妄執で動いてるだけの未熟な剣士にしか見えないよ。」
なのはのその見立て―――
期せずして今のセイバーの状態を完全に見抜いていた。
アロンダイトの斬撃は騎士王の肉体より心を壊す。
それによって負ったセイバーのダメージは心身にまで及び、知らず思考に死の影を落としていたのだ。
そんなパートナーを戦いの場に出すわけにはいかない―――それこそが高町なのはの本意。
「私を愚弄するのか―――取り消して下さい」
「取り消さないよ。貴方は自己満足に浸ってカッコ良く散ればそれで満足かも知れない。
でも目の前で死なれる方の気持ちを考えたことはある?」
言葉についには殺気が篭るセイバー。
だがそれを正面から受けて、なのはも一歩も引かない。
このような事をしている場合でない―――
そんな事は百も承知の筈の、冷静な二人らしからぬ仲違い。
二人とも、その胸の奥にしまっていたトラウマを抉られ、つい心のブレーキが効かずに感傷的になってしまう。
「…………もう――――よい」
鼻で大きな溜息を漏らし、乱れた息を沈めながらにセイバーは魔導士に背を向ける。
「これ以上は無意味です。 どうやら貴方とは決定的に価値観が違うようだ……
去るが良い。情報の収集を求めるならば、後日改めて―――」
「行かせないよ」
「―――――ほう」
何とこの場にてレイジングハートを騎士に向ける高町なのは。
それを背中越しに見やるセイバーの双眸にも危険な色が灯る。
「今、行かせたらセイバーさんに後日なんて無いもの。
それでも行くっていうなら止める……たとえ貴方を叩きのめしてでも。」
「メイガス―――私の頬を二度も張れると思っているのか?」
一触即発の危険な香りが漂う。
エースオブエースと騎士王の殺気が屋上に充満する。
共に一騎当千の者同士の一触即発のやり取りだ。
常人が居合わせようものならストレスで胃腸が擦り切れてしまうだろう。
だが―――それは言葉ほどに剣呑なやり取りではなく
見るものが見たら恐怖どころか微笑ましいものすら感じたかも知れない……
何故ならばその喧嘩は価値観が違うというものではなく、どちらもその根底にあるものは同じ。
互いを心配する余り、その行動を否定されたばかりに語気が荒くなってしまっているだけなのだから。
要するに―――似たもの同士なのだ。
見る者が見ればどう見ても「喧嘩するほど何とやら」なやり取り。
何と馬鹿馬鹿しい、そして微笑ましい意地の張り合いであろう。
だがそれは放っておけばおく程に収集がつかなくなり、もはやいつまで続くとも知れぬ千日戦争の様相を呈していた。
故に彼女らに勝手に冷戦じみた口喧嘩を始められて、一番所在がなくなる者は―――言うまでもない。
「―――――人類の歴史が紐解かれてより幾星霜」
「「っ!!」」
そんなやり取りを初めは歪な笑みと共に見守っていた黄金の超越者だったが
流石のウルクの王もついぞ痺れを切らして呆れ顔で水を差さざるを得ない。
「この我を前に仲違いを始めるマヌケ共など……貴様らが最初で最後であろうな」
ビルの屋上――――
給水塔の上で頬杖をしながら男は二人のじゃれ合いを観覧していた。
互いに息遣いが感じられる程に顔を寄せ合い、唸りあっていた両者が戦慄に固まる。
今現在、自分らが置かれている現実に引き戻され、その声の主…………倒すべき敵に向かって身構えるのだった。
「――――いつから、そこにいた?」
「たわけ――今更、威嚇などしてどうするというのだ?
我がその気ならセイバー。 貴様は既に186回死んでいたわ。」
「ッ、! そうか………ならば、あと100回分ほど待たせる事になりそうだ。
こちらはまた話がついていない。」
「男子に対してただ待て、と? つくづく行儀の悪い女よな」
クク、と笑う英雄王に対して浮き足立つのも一瞬。
兎にも角にも敵と対峙してしまった以上、剣の英霊のやる事は一つ。
黄金の王に対してその身を半身に切って構える。
正直、この時点で自分の考案した作戦を魔導士に話していなければならなかったのだ。
作戦を練れる十分な時間があったにも関わらず、それを言い争いに回してしまったのは痛すぎる。
もはや、いちかばちかの玉砕戦法より他に取るべき道がない―――
「ダメだよ……セイバーさん。」
だが、何とここに来てまだ自分を静止してくる魔導士。
流石の少女もげんなりとした表情を隠せない。
「ナノハ―――この期に及んでまだ貴方は!」
「違う……このままじゃダメなの。
さっきまでと同じ事をしてたら私達は勝てない
あの人の戦術に飲み込まれて……二人ともここで終わる」
「―――――」
耳の端でなのはの言葉を聞いていたセイバーだったが
その言葉に巨大な違和感を感じ、彼女は異論を挟まずにはいられなかった。
「ナノハ。あの男に戦術などありません」
「あるよ……凄い戦術
ううん、もしかしたら戦略レベルかも知れないほど。」
「いや……アーチャーの事なら私の方がよく知っている。
あの男の頭の中にあるのは愉悦と自己顕示欲だけです。」
「だからそれも戦術なんだよ………きっと」
「バカな……有り得ない。 何を言っている?」
「あの人も……本人も意識してやってるわけじゃないのかも知れない。
でも、それが結果的に戦略になっている。
本当の生まれ持った素養っていうんだろうね……こういうのを。」
敵が目前なのだ。 その男の一声でもはや自分たちは風前の灯火なのだ。
話をしている余裕など無い筈………
だというのに、セイバーは―――焦る気持ちと裏腹に魔導士の言葉に耳が離せない。
「勝つ人っていうのは勝つべくして勝ってる。 その行動には全て意味があるの……
愉悦や自分を強大に見せる言動、そして挑発。 その全てが戦略だとしたら?」
「…………」
「セイバーさん。 貴方がさっきやられた事は戦略……
貴方を先に潰そうと画策したあの人が最も効果的な手段を以って相対したに過ぎないの。
決して愉悦や、こっちをバカにしての行動っていう事だけじゃない。」
「―――――」
まるで意図の読めないパートナーの言動。
敵の行動を「戦略」として定義付けた、それが今―――
危険を冒してまで必要なやり取りだったのか?
(あの男が―――英雄王が戦術? いや、それは無い………無い筈、)
セイバーには分からない。
魔導士の断言にはまるで信憑性も無く、ギルガメッシュをよく知る騎士を納得させるには至らない。
だが、少女の思考に入り込んだなのはの言葉は彼女の心中でまるで予期せぬ効用をもたらした。
(物は言い様とは言うが………そういう見方も、あるのか?)
友の剣を愚弄され、未だ胸の奥に憤怒の残る騎士。
その敵のあまりにも無頼な行動。
しかし、それを戦略として置き換える事で――
まるで違った方面から見る事で―――
セイバーの心の闇……その呪いじみた傷痕を抉られた怒りが和らぎ、冷静さを取り戻すきっかけとなっていたのだ。
(―――この女……)
黙って聞いていたギルガメッシュが微かながら驚嘆する。
それは高町なのはなりのパートナーに対する精神的なケアだった。
幾多のチームを組んでの任務を数多くこなして来た彼女にとっては
ダメージを受けてズタズタになった仲間や部下の士気を回復する事もまた
教導官として部隊の隊長としての、彼女のスキルの一つであったのだ。
完膚なきまでに砕いた騎士王の魂が蘇っていく―――
今一度、アロンダイトを抜けば恐らくセイバーは容易く堕ちたであろう。
しかしてそんな陥落寸前の騎士王の精神に、魔導士は期せずして防波堤を張ったのだ。
心底でチッと舌打ちを漏らす英雄王。
口先三寸と言われればそれまでだが―――この人心掌握の術には少々驚かされた男である。
「雑種―――誰が我を評する事を許したか」
趨勢を見守っていたギルガメッシュがここで動く。
今までまるで眼中に無かった魔導士に少し興味が沸いたのだ。
「王を前にしてしゃあしゃあと―――
その矮小な思考で我を計る事など不可能と未だ気づかぬか?」
「いい加減、その雑種っていうの……やめて欲しいんだけど?」
「雑種であろうが? 初手から貴様はそのみすぼらしい思考で我を計り、悉く己が秤の無能を痛感したのであろう?
で、ありながら未だ懲りずに我を型に収めようと努めている。
その愚鈍さ―――雑種と言わずして何と呼ぶ?」
「そうだね。確かに上をいかれてる……
正直、私のスキルではまだ貴方の力の天井が見えて来ない。
でも、それでも私はこういうやり方しか出来ないから……それにすがって戦うしかない。」
「笑止ッ! 自らの矮小を認め、反発すらせぬ者がこの英雄王と相対するとは!!
己が強大さを誇らずにどうして敵を圧滅出来ようか!?
雑種―――やはり貴様は我とセイバーの間に立つ資格などないわ!」
「力不足なのは否定しないよ…………でも」
世界を手中に収めた最古の王と高町なのはの舌戦が続く。
剣を構えたセイバーが固唾を呑んでその趨勢を見守る中――
「貴方は案外、あっけなく堕とせそうな気がするよ」
なのはが爆弾を投下した。 全くの予備動作無しに―――
(なっ!!??)
両者を仰げる位置で構えていたセイバーが思わず目を剥いてしまう。
先ほど身を以って味わったが―――
このメイガスはおっとりとした態度から一転、いきなり剃刀のように切り込んで来る。
そのあまりの急襲っぷりに百戦錬磨のサーヴァントをして怯まずにはいられない。
「少なくとも私にとってはセイバーさんの方が何倍もやりにくかった。」
「ナノハッ! もういい! やめろッ!!」
明らかに踏み込みすぎ…!
王の常に余裕の笑みを微塵も崩すことの無かった顔から―――
―――― 表情が消えた ――――
「――――――」
世界が凍りつくとはこういう事を言うのか。
シン、と静まり返った上空30mに位置する屋上にて―――
「―――――――ク、ククク」
心臓を握り潰すかのような殺気と共に、地の底から響くような恐ろしい笑い声が男の口から漏れ出る。
「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハ
ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ
ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――――」
まるで堪え切れないといった風に男は笑い転げる。
その紅い瞳が裏返るほどに天を仰いで笑い転げる。
額に手を当てていつまでもいつまでも――
「……………」
「っ、!!」
なのはが無言で、セイバーが戦慄を以って相対する中
その狂笑が――――ピタリと止まった。
瞬間、なのはがセイバーに向かって走り出す!
「ナ、ナノハ!」
「飛ぶよッ!!」
「――――端女が」
魔導士が騎士を抱き抱え、ドンッ!という地を蹴る音を残してその場を離陸する。
と同時に上空一杯に広がった刃の行列の一部が屋上に降り注ぐ!
その屋外スペースが宝具の襲撃を受けて一瞬にして倒壊する中―――
白き翼が魔弾降り注ぐ屋上から飛び降り一気に急降下。
フルブーストで地面スレスレにまで高度を落とし、そのまま向かいの影に飛び込む。
重武装をケタ違いの推進力で飛ばすなのはのマニューバは暴れ馬に乗ってるのと対して違いが無い。
いきなり襲い来るGに翻弄され、顔をしかめていたセイバー。
騎乗スキルを持つ彼女をして驚かされる猛馬っぷりである。
「はぁ――――危なかったね…」
あまりにもあっけらかんとしている高町なのはの顔を見て
思わず「ガーッ!」と叫びたい衝動に駆られるセイバーである。
「な、何を考えているのです! あの状況であんな挑発をして…
殺してくれと言っている様なものだ!」
「はは……でも、ああしないと逃げるタイミング掴めなかったし」
ジト目でなのはを見上げていたセイバーだったが
流石にこの魔導士が何の計算もなく売り言葉に買い言葉であんな挑発をしたわけでない事くらい分かる。
ノーモーションで降り注ぐゲートオブバビロンに完全に囲まれていたあの現状。
射出を視認してからの回避では絶対に間に合わない。
恐らくは敢えて挑発して、その逃げるきっかけを作ったという事だろう。
「分かっていると思いますが――」
「そうだね……確かに本気を出されてたらタイミングも何もない。」
だがしかし、魔導士の自嘲気味な呟きこそ的を射たもの。
そう、相手の怒りを誘って何とかタイミングを計ったとはいえ―――
もし本当に完璧に逆上させてしまい、上空の刃全てを降らされていたら………ゲームオーバーだった。
所詮、今の攻撃など男にとっては、無礼を働いた目の前の虫を癇癪紛れに払い飛ばしたくらいのニュアンスなのだろう。
「全く人に無茶をするなと言っておきながら
貴方の行動を見ていると心臓がいくつあっても足らない……」
「そうかな? これでも一応考えているんだけど……」
それにしても、今度は端女、か……」
呆れ顔のセイバーだが、そんな当の本人は逃げ掛けに放たれた男の言葉に対し
今頃、ショボンと肩を落として傷ついたような仕草を見せている。
鉄のように強靭だったり、いきなり萎れたり―――彼女の本質はどちらなのか判断に苦しむ騎士だった。
「あの男の言葉など気にしたら負けです。ナノハ」
「うん……いい加減、慣れてきた。
本当はもっと突っ込みたいんだけど、徐々に流してる自分が少し情けない…」
「いえ、流せるならばそれに越した事はありません」
「……………」
「……………」
――――途切れる会話
元々は寡黙な二人だ。
無駄話に鼻を咲かせるタイプではない。
「―――――私は未だに慣れませんが」
そんな中、思わずポロリと本音が出るセイバー。
なのはが「あらら、」という顔で隣の騎士の横顔を見やる。
そこには年相当の少女の―――口を尖らせ、憮然としたふくれっ面があった。
両者の目と目が合った瞬間――
二人はどちらからともなく笑みを漏らしていた。
クスクス、とも微笑とも取れない他愛ない笑い合い。
そんな場合ではないというのに、どうしてこんなにリラックスしているのか?
考えれば考えるほどについ可笑しくなってしまう。
「そろそろ……かな?」
ともあれ、なのはが一言―――確認の意を込めて呟いた。
セイバーもコクリと頷く。
「お気遣い感謝します。 戦闘に支障はありません。
流石に全快というわけにはいかないが……」
「………凄いね。 本当に回復してる」
この時間稼ぎで少しでも体力の回復が出来れば御の字だった。
ことにセイバーは時間が立てば立つほど、損傷した身体が本来の力を取り戻す。
敵が本気で攻めて来ないというのならこちらは精々、十分な反撃の態勢が整うまで――のらりくらりと敵の追撃をかわすだけの事だ。
「でも凄い回復力があるからって……
もうさっきみたいな無茶はしないでね。 約束。」
「肝に銘じます。 フフ……貴方を怒らせると後が怖いですから」
「もう………真面目な話だよ」
微笑交じりに返すセイバーと怒った素振りを見せるなのは。
まるで10年来の親友同士のようなやり取りだ。
ついぞ、会話の応酬を楽しんでしまう二人だったが―――こんな時間ももうすぐ終わる。
「ナノハ」
敵もこれ以上は待ってはくれないだろう。
反撃出来るだけの余力も整ってきた。
なら――――再び動き出すなら今!
「うん……」
次に戦闘に突入したらこんな風に言葉を交わす事は無いであろう。
だからこそ、これが騎士の最後の問いだった。
「―――――恐ろしくはないのですか?」
「…………」
同じ戦士に対して、礼儀を欠いた問いかけであったかも知れない。
だが、それでも騎士は問わずにはいられない。
自分を、そしてあの英雄王を相手にまるで物怖じしない彼女に対して。
サーヴァントを相手に2連戦―――
身も心も擦り切れて参ってしまっても不思議ではないのだ。
だというのに、この不屈の精神力は何なのか?
緑色の瞳に真剣な光を称え、白き魔導士の顔を見つめる騎士に対し、なのはも問い返す。
「セイバーさんは?」
「私ですか?」
「うん……」
「先程も言ったが……私は騎士です。
国を背負い民を救うと決めたその時から、戦い死ぬも定めと考えています。
この道を選び、剣を執った事に後悔は無いし、命が惜しいと思った事もない。」
何の迷いもなく答えるセイバー。
なのはが瞳の奥を覗き込むように騎士の目を見ている。
「―――とはいえ、誤解しないで欲しい。
いつ死んでも構わないというわけではないのだ。
私とて叶えたい願いがあり、守りたいものがあった――」
「……うん」
「それが自分が倒れる事によって潰えてしまう―――
我が後ろにいる者を守れなくなってしまう―――
それを考えると……」
「……………うん」
感情の読めぬ目を称えて少女の顔を見ていたなのは。
「じゃあ、私と同じだね。
ふふ……同じだ同じだ♪」
その表情が―――柔らかな微笑を作る。
「白状すると………セイバーさんとあの人の前に立つの、少し恐かった。」
屈託のない、自分の腹の底を全てさらけ出すかのような笑顔でなのははセイバーに語る。
「自分がここで終わっちゃって、友達や大事な人達を悲しませる結果になるのはとても恐い。
自分のために泣いてくれる人が一人でもいるのなら、その命は自分だけのものじゃないから…」
自分が死ぬ事で大事な人の人生すら狂わせてしまう事もある。
そんな悲しい出来事を見てきたなのはだからこそ―――
「だからこそ自分が生き残るために最善を尽くすんだよ。
怖いから……何よりも死んでしまう事が怖いから。」
死にたくない。悲しませたくない。
だからこそ彼女は己を鍛え上げたのだ。
拷問に等しい鍛錬を己に課して、お世辞にも頑健とはいえぬ体を磨き上げたのだ。
恐怖に押し潰されて、不安に負けて、何も出来なくなる事のないように。
その根底―――決して折れないダイヤモンドの如き、彼女を最強足らしめる力。 それが「不屈」。
(彼女の言っている事は正しい―――)
というより非の打ち所のない正論だった。
セイバーのみならず、戦場に出る者ならば誰しもが思い抱くこと。
だが、それを出来る者と出来ない者がいるからこそ―――戦場で人は死ぬ。
理性を総動員して抑え込んでも巨大な本能に負けてしまう。
そう、死に対する恐怖という本能に。
結果、恐慌に陥り冷静な判断が出来なくなる者や己が可愛さに敵に寝返る者が出てくる。
だからこそ時には味方を斬り、厳しい処罰を与えて、兵士の本能の暴走を縛り付けながら戦争における行軍は行われる。
しかし彼女は――その最も難しい事を当然のように出来るのだ。
戦いに対する心構えが半端ではない。
戦乱の世に生まれた者でさえここまで強固な意志を持つ者は稀であろう。
彼女は言った。
―― 勝つ人間は勝つべくして勝っている ――
その言葉を他ならぬ、この魔導士自身が一番体現している。
彼女と相対した際の攻めても攻めても突き崩せないあの感覚。
打破したと思った瞬間に巻き返されている、人外の粘り強さ。
手強いはずだ……抗ってくるはずだ……
当たり前の事を当たり前のようにやって勝つ。
それこそがこのメイガス――高町なのはの強さの秘密だったのだから。
セイバーの胸にふつふつと熱い何かがこみ上げてくる。
目の前の魔導士が垣間見せた勇気の心――レイジングハート。
戦いに生きる者で相棒にこれだけの物を示されて魂が震えぬ者はいない。
万夫不当の英雄王を相手にしているのだ。 未だ事態は全く好転していないのだ。
だというのに………今、自分は――――
――― まるで負ける気がしない ―――
(恥すべき事だ………)
顔を伏せるセイバー。
味方に勝利をもたらす剣。主を守護するサーヴァント。
その力を以って自陣を鼓舞し、勝利の風を呼び込むのは本来自分の役目のはずだった。
だのにこれではまるで立場があべこべではないか?
「――――貴方が敵のマスターでなくてよかった」
「え?」
「何でもありません」
小さな声でボソリと―――少女は今、心の底から感じている事を吐露する。
もしこの魔術師が敵のサーヴァントを従えて眼前に立ち塞がったなら、自分は果たして士郎を勝たせる事が出来ただろうか?
その心情は即ち、セイバーがこの高町なのはという人物に対して最上級の評価を持ったということだ。
信に足るどころではない。 このメイガスは己が剣を任せられる器―――
「ナノハ。 今一度―――私に考えがあります」
「うん………聞く。」
屋上で言いそびれた、その決意と共に紡いだ作戦を再度なのはに進言しようとするセイバー。
なのはも今度は少女の言葉を阻まない。 阻む理由は既にない。
それは騎士の瞳に強い――先の戦いで自分を射抜いたあの力強い眼光が再び輝いていたから。
高町なのはを圧倒した騎士王セイバーが蘇っていたから。
「聖剣を―――使います」
しかして少女のその口が、鈴のような声が―――
次の攻撃に………己が全てを出し尽くす事を、ここに誓ったのだった。
――――――
―――――男は神代の時代を生きた王である
人間の父と女神の母を持つ彼は、神魔や幻想種の跋扈する世界にて暴君として君臨した最強の英雄だった。
故に英傑や人知を超えた力などは見飽きている。
ほんの少し人間離れした程度の力やそれを持つ者など、そこらの雑種と何ら変わりはない。
だから今、剣の英霊の周囲に纏わりつく目障りな魔術師―――
あの程度のちっぽけな力で自分の前に立つ事。それ自体が不遜と断ずる思考には未だ些かの陰りもない。
「――――安いな」
プライドの高い男である。
先程の無礼に対し、突発的とはいえ怒りの感情を見せてしまった。
些かとはいえ心胆を揺るがされた事自体が失態―――
だが、彼の口調の微妙な変化。
高町なのはを「雑種」でなく「端女」と呼び変えた事に果たして何の意味があったのであろう?
「――――あの端女はどうした? セイバー」
先程の宝具斉射によって崩壊した屋上から降り、見晴らしの良い交差点にて佇む英雄王の前に―――
たった今、姿を現したのは騎士セイバーただ一人であった。
「袂を別った。 アーチャー……貴方との決着をつけるのに―――
もはやあのメイガスは邪魔でしかない。」
きっぱりと言い放つ騎士王。
邪魔な者は捨ててきた……存分に剣を交えようというその顔に―――迷いは無い。
「相変わらず虚言の弄せぬ女よな――」
だが、それを受けて含み笑いを漏らすギルガメッシュ。
義や侠に何よりも重きを置く騎士である。
その鏡たるセイバーの、パートナーに対する無体な言葉はあからさまに不自然。
この騎士は味方に対しては勿論、たとえ敵でも―――その誇りを汚すような事は言わない。
「……ナノハの事は眼中にないのではなかったのか?」
「それは未だ変わらぬが、なに……我を前にあそこまで繰言を吐いたのだ。
お前の従女を務める程度の才くらいは認めてやっても良いかと思ってな。
アレは―――――なかなかに変種よ。」
男は王である。
生誕した頃より世界の頂点に立つ存在である事はもはや宿命。
100億を超える雑種どもの恐れ、妬み、崇拝を一身に受ける存在。
「珍種と言っても良いか……力こそ有象無象だが
稀に、万人に一人の割合で生まれ出づるものなのだ。
王を前にして何故、平伏するのかも解さぬ、生まれながらの痴れ者がな。」
自分と対等、もしくはそれに髄する力を持っているわけでもない。
こちらに生殺与奪を握られる程の実力差でありながら、まさに神に比する力を持つ自分を前にして―――
恐れもなければ気負いも無く、市井の者同士が他愛のない会話をするかの如く接してきた者は男の記憶をまさぐってなお例がない。
あの女の心は確実にどこかがおかしい。
人間の感受性を司る大事な部分がコワれていると言っても過言ではないだろう。
だからこそ王の中では「雑種」でなく「端女」―――
これはある意味、ギルガメッシュの中でランクが少し上がった事になるのだが……それをなのはに喜べというのも酷な話であろう。
「さて―――」
だが、そのような心境の変化こそ些細なものだ。
関心の外にあったモノがたまたま思いの外の変り種だった。
男にとってはただ、それだけの事―――
やはりこの男の最大の関心は騎士王。求めるべきはセイバーのみ。
時は再び動き出す。
サーヴァントの自然治癒能力で動けるほどには回復している騎士の少女。
しかし英雄王の攻撃に晒され続けた肉体の損傷はそんなに安くはない。
今の彼女の有様はまるで血化粧を施されたかのような酷いものであった。
白銀の後光を纏いし闘神。彼女が駆けてきた戦場にて敵の刃は―――その御身体に触れる事すら出来なかったというのに……
「しかしつくづく――――みすぼらしい姿よな。
まるでどこぞの捨てられた犬ではないか?」
戦いで負った傷を誇るなど弱者の愉悦。
強者は常に一傷も負わずに勝つが常。
傷だらけで掴み取る勝利……泥臭さの中にある強さなど男には永遠に理解出来ない。
「だが、お前はそれでも別だセイバー。 貴様は孤高の花よ。
傷つけば傷つくほど、失えば失うほどに、濡れた花弁は月光の如き美しさを醸し出す。
心得よアーサー王―――お前はその身一つで立っている時がもっとも強い光を放っているのだ。」
「………これより先」
「―――、!」
「言葉は意味を為さない。 我らの邂逅の結末―――
全てはこの剣にて語ろう……英雄王よ。」
ギルガメッシュの紅い瞳が見開かれる。
それは脅威によるものか、はたまた歓喜か――
完膚なきまでに打ちのめしたはずの彼女の気勢が充実しているのが分かる。
その戦意が、覚悟が漲っているのが分かる。
「――ならば、もはや何も言うまい」
―――煽る必要もなくなった
今のセイバーには間違いなく、かつての輝きが戻りつつあるのだから。
「出番だエア」
その輝きを今一度、完膚なきまでに叩き潰し、我が眼前に這い蹲らせる事。
これこそ英雄王が求めていたカタチ。
故に――――男はその宝物蔵から一本の剣を取り出した
古今の英雄が持つあらゆる宝具。
その原典を持つ英雄王ギルガメッシュ。
だが今、彼が手にしている一本こそ―――世界を統べる王にのみ許された彼だけの一振り。
其はあらゆる死の国の原典と言われし
生命の記憶の原初にして真実を識るもの
天地が創造される以前、星があらゆる生命の存在を許さなかった初まりの姿
それは紛れもない地獄というべき世界であった
世界の真実を識り、何者も存在する事の出来ない地獄を具現化させるものこそ、、
―――乖離剣・エア
―――最強の想念すらも容易く打ち消す、この世ならざる世界より齎された覇王の剣
「ッ、――――――」
男の正面にて構えるセイバーの身体が青白い光に包まれる!
彼女が己が全てを宝具に注いでいるのが分かる。
まるで恒星が生まれ出ずるかのような熱気が伝わってくる。
幾多の人々の想念を背負った騎士王と聖剣が―――全てを解放しようとしている!
そしてあの光を、セイバーの輝きを認めた男だからこそ
それを上回る力を示して勝たねば意味がないのだ!
故に聖剣エクスカリバーにはエアを―――
それはセイバーに対しギルガメッシュが交わす約束事のようなもの!
「はああああァァァァァァァッッッッ!!!」
剣を中央で構えたセイバーが己が肉体から絞り出すような咆哮を上げた!
「ク、―――」
対して男が嘲う。
その胸の中が踊るのが分かる。
そう、それこそがギルガメッシュをして震撼させ得る数少ない存在の一つ。
全てを薙ぎ払う最強の光。
フィールドの上空まで貫く黄金の柱と共に―――
騎士王の約束された勝利の剣がその姿を現したのである!
――――――
(これがセイバーさんの本気……!)
その全身に鳥肌が立つ。
背中に冷たい汗が滲み出ているのが分かる。
自分の切り札―――集束砲と激突した先程のそれと比べて、なお巨大!
あまりにもケタ外れの魔力の奔流。
恒星と見紛うばかりのエネルギー。
アレに拮抗するのにどれだけのカートリッジを次ぎ込めばいいのだろう…?
(こんなモノを一方的に打ち消す………? 有り得ない…)
そして―――少女の言葉がなのはの脳裏に蘇る……
――― 聖剣を使います ―――
先程、騎士から高町なのはにもたらされた事実。
かぶりを振ってそれを否定したい気持ちに駆られてしまう魔導士である。
ナノハ……聞いて欲しい
私は聖剣を放つ
しかしそれでは―――恐らく勝てないでしょう
先ほどの貴方の見解は非常に面白く、興味も惹かれましたが
もしアーチャーがただ勝つために戦略を立てるのなら……
今までの過程――ここまでの拮抗は成り立っていない
僅か一振りで―――
全てが終わっていたのです
(……………)
なのはの顔に深い苦渋が刻まれていた。
絶望に絶望を上乗せされた心境だ。
だからこそ………セイバーは今まで聖剣を出さなかったのだ。
相手が愉悦に浸り遊んでいるその間隙を縫って勝負を決めてしまいたかったのだ。
彼は未だ、その恐るべき切り札を出していない……
乖離剣エア―――――
我が聖剣を遥かに上回る出力を秘めた宝具こそ奴の切り札
それを今まで使わなかったのは……
あの男の愉悦、慢心――何よりその自尊心に重きを置いたが故の事でしょう
王としての己を象徴する唯一無二の宝具
それを自分の認めた相手以外に、相応しいもの以外に振るう事こそ拭えぬ恥と断ずる男です
そして奴の認めるものの中に辛うじて入っているのが我が聖剣エクスカリバー
故に我が全霊の一撃に対して奴は必ずその切り札を出してくる
敵の注意は全て私に向き、エア発動時はゲートオブバビロンの斉射も無い
つまりは完全無防備状態
――― 最高の囮 ―――
その無防備な相手の腹を、貴方の一撃で撃ち抜いて欲しい―――
「…………セイバーさん」
それはどう考えても危険極まりない作戦だった。
一方的に打ち負けるという事はその力の奔流をモロに受けるという事。
当然、顔色を変えて難色を示したなのはだったが―――戦意に満ち溢れた顔でセイバーは答える。
――――――
「おかしな事を言う……
貴方とて先程、我が身を呈して英雄王と打ち合ったではありませんか?
あれには大概、肝を冷やしたものです。」
「でも、あれとこれとでは危険の度合いのケタが違うよ……」
「ナノハ。 先程、私は飛び出して間に入りたい身体を必死に抑え、機を待った。
全ては貴方を信じたが故に―――ならば、今度は貴方が私を信じて欲しい。」
「っ…………」
「大丈夫です。 さっきの話ではないが―――私とて命は惜しい。
勝算の無い事はしません……この剣に賭けて誓う。」
――――――
――― 私は死なない……ですから ―――
相手の案を跳ねつけるだけの要素――――
今の戦況を引っくり返す力も代案も示せない自分が、それを否定する権利など持ち合わせる筈がない。
(…………何も、言えなかった…)
だからこそ今は自分に出来る事をやるしかない。
騎士に報いるためにも失敗は絶対に許されない。
なのはの位置する上空―――
その凱下にて翻っていた強大な柱。
セイバーの放っていた魔力と聖剣の光。
その力が………消える。
否、立ち消えたように見えるほどに流麗に――両手に構えた剣に全てが集約される!
(…………来る!)
なのはの体に緊張が走る!
セイバーの儀礼のように体の中央で構えた剣――それがブルッと震える!
否、震えたのはセイバーの身体!!!
全身の筋肉を蠕動させるように剣を下段に構えなおし、その勢いで一気に肩口上段に振り上げる!
黄金の剣閃がその軌道を縫って騎士の体に纏わり付く!
それは凄絶にして華麗な光の剣舞のよう!!
コンマ一秒にも満たぬその初動から最上段に振り上げられた聖剣。
―――その収束された光が今……!
「エクスッッ…………!!」
約束された勝利の剣―――
騎士王セイバーの渾身の一撃が―――
「……カリバァァァァッッッ!!!!!!」
―――――放たれる!!!
――――――
その場を凝視していた高町なのはの視界が次元違いの光彩を目に入れてしまい、危うく目を潰されそうになる。
(す、凄いッッ!!)
闇夜に輝く黄金の太陽。
直視すればするほどにそれは網膜を焼き、彼女の目の端から涙を滲ませる。
だが眼を瞑るわけにはいかない―――
その瞬間を見逃すわけにはいかない―――!
彼女はラストショットを任された狙撃主。
なのはの砲撃に勝敗の全てがかかっているのだ。
己が運命を託してくれた騎士の信頼に答えるためにも――
(絶対に決めてみせる!)
心の中で猛る高町なのはの集中力が研ぎ澄まされていく!
――――――
太陽の如き剣閃を前にした英雄王。
男の切り札はそんな恒星じみた出力を誇るセイバーの聖剣をも上回る――
――――歪な円柱状の剣であった……
既にその剣は起動を開始。
連なった円柱が何か巨大なうねりを思わせる濁音を響かせながら回転を始める。
音と共に集まっていくのは―――
――― 赤き倶風 ―――
男の右手から赤黒い鈍色の風が吹き荒ぶ。
螺旋状に天高く伸びたそれは、セイバーの魔力を黄金の柱とするならば――まるで巨大な竜巻の如し!
「エヌマ―――――」
まるで荒れ狂う嵐を模倣したかのような力は
右手を中心に起こる、全てを虚空へ吹き飛ばす暴風!
そんな竜巻の如き力を―――
「―――――エリシュ!」
男は前方に開放!!!!
迫り来る光の束に向かって咆哮一閃!
横薙ぎの軌道にて力の限りに叩きつける!!!!
――――――
「今ッッ! レイジングハート!!!!」
そして―――そしてここが全ての分岐点!
選ぶ時。
勝利か敗北か。
生か死か。
地上にてその姿を現す黄金の柱と赤き竜巻。
それを受けて夜空にも――巨大な星の光が現れる!
エースオブエースが動いた!
桃色の魔力を放出し、彼女は世界に呼びかける!
周囲に散った魔力の残滓がざわめき、号令の元に集う。
夜空にたゆたう雲がまるで彼女から逃げていくかのように散っていく。
目を閉じ、瞑想に入る高町なのは。
全てを託された一撃……ここで放つ技はただ一つ。
彼女最大の砲撃魔法―――
――― スターライトブレイカー ―――
明星を思わせる輝きを放ち、夜空を照らしながら―――
エースの名を冠する魔導士が放つのは集束砲によるブレイクシュート!
膨大な魔力を秘めた三者の力が翻り―――
その日、世界は……三つに割れた―――
――――――
地上――――まず初めに激突するは光の剣閃と赤き竜巻。
騎士王と英雄王。
その二人が立つ中央にて、エクスカリバーとエヌマエリシュが衝突したのだ!
―――――、!!と、音に表現すら出来ない、この世の果てまで届き兼ねない炸裂音。
閃光は夜空一面をまるで太陽のように照らす。
中央でぶつかった力と力の奔流の力場は
もはやどの次元世界のあらゆる計測器を以ってしても測定不可能の域だろう。
その熱量、エネルギーが辺りにあるビル。地面。雑木。
全ての有象無象のオブジェを溶かし、吹き飛ばしていく。
「ぐ、うぅ――――ッッ……!!」
「―――――ク、」
だが、互いに神域にある攻撃ながら
放った両者のそれは互角の拮抗とは程遠いもの。
(そんな……こんなに差があるなんて…)
集束砲のチャージを開始したなのはの表情が呆然とする。
この奇襲―――相手に気づかれてしまえば全てが台無し。
敵が警戒する剣は一つでなければならない。
恐らくあの相手は魔導士がエクスカリバーに匹する武器をその身に秘めている事など思いもしないであろう。
故にチャージ開始は英雄王がその全力の一撃を放った直後しかない。
気づかれればこの打ち合いは成立しない―――
上空の異変を感じ取った英雄王によるバビロンの一斉射で二人とも串刺しになるだけだ。
だからこそベストのタイミングで集束砲のスタートを切った高町なのは。
しかし―――眼下に展開する聖剣と乖離剣……その拮抗が崩れるのが、あまりにも早すぎる!
(頑張って……セイバーさん!!)
先の戦いで一度撃ってしまった集束砲は一度目に比して、集められる魔力は確実に減少しているだろう。
チャージ時間も10秒フル稼動というわけにはいかない。
そして赤き魔風はみるみるうちにセイバーに迫りつつある。
ここからでは騎士の表情は見えないが、自分を信じて……その援護を待っているはずだ。
だからこそ、全ての力を今ここに――――
「レイジングハート! 先行発射!! 命中と同時に全力全開ッ!!!」
詠唱を中途でカットし、なのはがこの時点で集束させた魔力を眼前に掲げてレイジングハートの砲身にセットした!
そして己が最強の魔法の射出体勢に入る!
男の放つ竜巻が光の剣を打ち消しつつある!
もはやセイバーが飲み込まれるのに一刻の猶予も無い!
「モード・リリースの準備……!」
<Master...>
「これしか無い……足りない分はブーストとカートリッジで上乗せするしか…
ここで決めなきゃ全部、無駄になっちゃうッ!」
高町なのはが自らに科した安全弁を開放。
限界突破・ブラスターモードの使用を決意する。
ブラスターモード――――
謂わずと知れた高町なのはの最終決戦形態。
魔力回路を自己ブーストさせる事によって通常を遥かに超えた高出力を叩き出す。
瞬間的に叩き出されるその出力はカートリッジの併用と合わせて2倍、3倍にも膨れ上がると言われる規格外のバーストモード。
だがしかし……ブーストとは、そのエネルギー流通の圧縮比を高める事によって無理やり出力を高める行為。
故に他の全ての機能―――
耐久力。フレーム。精密度etcを犠牲にする諸刃の剣。
それを人体で行うという事がどういう事なのか……想像に難くないであろう。
まさに一撃必殺の威力と引き換えに命そのものを削ってしまう玉砕戦法。
それがブラスターモードなのだ。
当然、これは最後の切り札であり使いどころが極めて難しい
格下の相手、防戦に徹する相手を一気に攻め落とす場合――
決められた作戦時間内で、残り時間を考慮して一気に捻じ込む場合――
前衛がいる状態での一発のブレイクシュート限定という条件での使用――
それらに反して、このオーバードライブ。
最も使用が困難な状況が―――格上の相手を前にした場合だ。
短時間しか持たない決戦モードを遥かに力の上回る相手に使う。
力の上限すら計れない埒外の相手に使用する。
これはハイリスクどころの話ではない。
どれだけの攻撃を叩き込めば相手が沈むのか見当もつかない状態でモードリリースした場合――
相手を倒し切れずに己の全てを使い果たしてオーバーヒートなどしたら目も当てられない。
もはや歩く事すらままならないその肉体を相手に晒す事になるのだ。
だからこそこの戦い、高機動力のエクシードモードに終始し
ブラスターの使用の機会を虎視眈々と伺いながらも一線を越える事をどこかで躊躇ってきたなのは。
自分より強い敵を相手に余力を残したまま敗北したなど笑い話にもならない。
どこかで……どこかで使う必要があった。
戦局を左右する場面で、不利な状況を一気にまくるために―――
(セイバーさん……今、助けるから持ち堪えてッ!!)
―――――それは今まさにここ!!!
騎士の体が赤き奔流に飲み込まれて消えようとしている!
全ての工程をカットし―――今、魔導士が手に集めた巨大な力の塊を放つ!
「スターライトォォォ……ブレイカァァァーーーーッ!!!」
猛き黄金の剣閃が相手の暴風によって全てを打ち消され
セイバーの白銀の肢体が上空高くに跳ね上げられる―――と同時
巨大な星の破光が、雲を突き抜け、英雄王の頭上に一片の容赦なく―――
降り注いでいた!!
――――――
…………………
―――辺り一面が暗闇に染まっている
―――赤と黒に支配された景色
―――黒は暗闇
その眼に血液が回っていない事の証拠―――
―――赤は血の赤
体内の毛細血管の破裂に次ぐ破裂によるレッドアウトの証―――
損傷に次ぐ損傷……
手足がビクン、と小刻みに痙攣を繰り返す。
エアによって巻き上げられたその身体は、いくばくかの回復をしていた少女の体力を再び削り取り
彼女は今、完全な戦闘不能状態へと落ち込んでいた。
その命とも言うべき剣士の利き腕が千切れる寸前にまで裂けている。
魔風と激突し、撃ち負けた――それが代償だった。
横たわる大地に血だまりを作る。
指一本動かせずに横たわる身体の、視線だけが辛うじて動く。
その目を左右に動かして――今の状況を懸命にを認識しようとする。
かくしてその目に―――白い法衣
パートナーの白い背中を辛うじて認める事が出来た。
「ナ、ノハ……」
ヒュ、ヒュ、という苦しげな呼吸音と共に
少女は消え入りそうな声を懸命に搾り出し――ー
「やった、の……ですか―――?」
その背中に答えを求めていた。
だが――――――魔導士は答えなかった……
その背中が、小刻みに震えている。
騎士からは見えなかったが、その腕も、足も、抑えきれない感情で全身を震わせている。
そう、魔道士は少女に対して背中を向けている。
一刻も早く介抱しなければならない重傷を負った少女に対してである。
それは一体、何を意味するのか? 言うまでもない。
それはつまり……自分ではない誰かと対峙しているという事。
傷つき動けない自分を守るために、その身体を盾に、誰かと向き合っているという事。
答えは―――考えるまでも無い事だった………
――――――
「………、めん…」
魔導士の声が嗚咽に震える。
「………ご、めん……取り返し、つかない…」
悔しさから、不甲斐無さから、血が滲むほどに唇を噛み締め
謝罪の言葉を繰り返し紡ぐ高町なのは。
(――――ダメ、だったのか…)
騎士が首だけを何とか動かす。 それすらも今の少女には重労働。
その目に何事も無く悠然と佇む黄金の鎧を認めて――
この戦いが、自分達の敗北に終わった事を知る……
身を引き裂いてしまいたい程の後悔に震える高町なのは。
エースとして絶対に失敗出来ない場面での痛恨のミスショット。
結果として言うと―――彼女はブラスターモードを使っていない。
……使えなかったのだ。
スターライトブレイカー射出時、ブラスター起動&発射の工程を辿るにはエアとエクスカリバーの拮抗が短すぎた。
故に咄嗟の判断で、命中後の「上乗せ」という形で全ての力をぶつけるという選択をしたなのは。
その結果―――エヌマエリシュの魔風が前方のセイバーを巻き上げ、払い飛ばした直後
ギルガメッシュは横一文字の薙ぎ払いの勢いを殺さぬフォームでその遠心力のままに後方に180度向き直り――
エアを上空から降り注ぐ巨大な集束砲に横殴りに叩きつけたのだ!!!
「――――ぬううぅぅあッッッッッ!!!」
英雄王が吼えた!
世界に君臨する傲岸不遜な王の猛り!
世界を掌中に収めた魔人の如き男の紛れも無い本気の咆哮!
「直撃させてから上乗せ」という高町なのはの選択―――
その上乗せする時間を……男は微塵も許さなかった。
まるで空間を削り取るかのような、横一閃に薙ぎ払ったエアの切り払いが一瞬で真っ二つに切り裂いていたのだ。
なのはの最終奥義を。 あのスターライトブレイカーを………
――――――
足りなかったというのか―――
条件的に10全のものとは程遠いとはいえ、SLBが一瞬の拮抗すら許さず掻き消される―――
そこまでの埒外の展開をも視野に入れなければならなかったというのか…?
どうすればよかったのか…?
セイバーが完全に吹き飛ばされるのを承知の上でブラスター3を開放→発射の工程を取るべきだったのか?
否、それでは意味が無い。
切り札を発動させている相手の腹に打ち込んでこそ意味があったのだ。
あれ以上遅かったら、こちらが打つ前に体制を立て直した男の宝具射出によって
なのはは確実に仕留められていただろう。
ならば、セイバーとギルガメッシュが対峙していた時に既にブラスター状態にしておけばよかったのか?
限界突破のリスクを考えた保険と、命中しなかった場合の事を考えた対処が裏目に出たのか?
こうすれば、ああすれば、という考えがなのはの頭の中にまるで泡のように沸いては消える。
だが、もはやそれも無駄な思考。
「せめて全て、出し尽くしていれば……」
彼女の臨界を越えた臨界域にて放たれた星光で砕けぬものなど無い筈―――
故にこれは全て自分の責任だ。 ブラスター3を出し切れなかった自分の未熟。
全力全開で撃っておけばここまで容易く斬り払われる事は無かったかもしれない。
後悔してもし尽くせない魔導士の嗚咽の言葉。
この失態を償えるのなら何でもする、という悲痛な表情。
だが、もう―――
「――――――端女よ」
その時、苦渋の極みにあった高町なのはに声をかけたのは意外にも英雄王であった。
「気に病む事はない。もはやあの時点で貴様がどうあろうと結果は変わらぬ。」
むしろ咎があるとすれば………お前だセイバー」
魔導士と、息も絶え絶えな騎士にかけられる王の言葉。
「……どういう、ことだ?」
「セイバーさん……動いちゃ駄目…」
セイバーがその体を起こそうとし、苦痛に顔を歪める。
どうやら敵は今すぐにこちらに止めを刺す気はない―――
そう悟った魔導士が、後ろ手に庇った少女の身体を介抱する。
「お前の咎だと言ったのだセイバー。
最大の敗因は―――この我を倒そうなどと思いあがった事だが……
何にせよ欲張りすぎたのだ貴様らは。
今ので我を打破せんと姑息な策に頼り、力を分散させた。」
王の独演が続く。
その表情が侮蔑に染まっていた。
愚かに過ぎる、と。 話にもならない、と。
「お前の聖剣とそこの端女の魔術……同方向から束ねて撃っていれば相殺は成っていたやも知れん。
被害は二人揃って無様に宙を舞う程度で済んだのだ。
少なくとも <この最悪の結果> にはならなかったであろうな――」
否、男の怒りは別のところにあった。
それはセイバーが聖剣を囮に使った事――
二人の決着の場にて、こともあろうに自らの剣でなく他者を頼りにしていたという事。
もっともどの道、聖剣はエアに打ち消されていたのだからその怒りは男のエゴ以外の何者でもないのだが。
「セイバー……まさかとは思うが――」
だが男は言葉を続ける。
責めるように。 敗者を踏みにじるように――
「いつぞやお前に撃ったあれが―――エヌマ・エリシュだとでも思ったか?」
「――――」
………………………
己の期待を裏切り、惨めに這う騎士王に止めの言葉を放つ。
「呆けるなセイバー。 今一度問う―――
あの時のアレが我の本気とでも思ったか、と聞いている。」
「―――――、え?」
………………………
――――――その場を支配する静寂。
男の言葉の意味が分からず、その真意が理解できず、唖然とするセイバー。
「な、何を、何を言って―――ぐっ……」
咽ぶ様に言葉を出しかけて、ゲホッと咳き込む少女。
その口からの大量の吐血。
「喋っちゃダメ!!」
支えているなのはが青ざめる。
だがしかし、少女は止まらない。
「バカな………有り得ない!
貴様はあの時、確かに言った筈だ!
本気で撃ったと……手加減するべきだったと……」
肺から漏れ出る苦しげな呼吸は折れた骨が内部を傷つけているのだろう。
そんな状態で少女は、精一杯の反論を男にぶつける。
対してギルガメッシュが首を傾げた。
何のことか?と記憶をまさぐるような表情を作った後―――
「ああ、あれか」
まるで些細な事だと言わんばかりの表情で――
「あれは慈悲だ」
騎士王を奈落に突き落とす最後の一言を吐き捨てたのだ。
――――――
「な、んだと……」
「背負ったのであろう? 全ての民の期待を。騎士どもの羨望を。国という重圧を。
その健気な想いをアリの如く踏み躙る……
流石の我とてそれは躊躇われた―――それだけの事よ」
セイバーの表情が完全に凍りついた。
あまりにも信じたくない、己の根底を揺さぶる事実。
「――――バカな……そんな…バカ、な」
「何を驚く? お前は我の后となる女ぞ。
その女が我の賜り物として築いてきた輝き――
全てを完膚なきまでに打ち砕くほど我は鬼畜ではないのだぞ?」
ワナワナと震える少女の体。
確かに乖離剣エアはエクスカリバーより上位に位置する存在だ。
それはセイバー自身も納得していた。
だが、それでも―――聖剣の担い手としての誇りを支えるギリギリの譲歩というものがあった。
あの邂逅は互いに全力で撃った勝負においての結果……そう信じて疑っていなかった
己が身を体現する最強の聖剣。
全幅の信頼をかけている約束された勝利の剣が―――
――― まさか赤子の手を捻るように返されていたなどと ―――
彼女が受け入れられる筈が無かったのだ。
もはや完全に動けないその身。
そして虚ろな目で、屈辱に耐えるより他にないセイバー。
それを見下ろすギルガメッシュの低いくぐもった笑いが
少女の耳にいつまでも張り付いていたのだった。
――――――
この時、ギルガメッシュは真実を語らなかった―――
それがセイバーを完全に打ちのめすためのものだったのかは定かではないが……
エクスカリバーとエアの激突―――その真実。
かつての激突の際、男は手加減したと言い放ったが――それは少し違う。
やはり本気で撃っていたのだ。
ギルガメッシュはエアの最大出力――
エヌマエリシュを確かに発動させ、セイバーの聖剣と激突させた。
結果は此度のそれと全く同じ。
セイバーは相殺適わずその身を魔風に舞い上げられ、完全な敗北を喫する事となった。
だが、そこに互いの大きな齟齬があった。
結果、あまりにも強大な覇王剣の力に驚愕するしかないセイバー。
それに対し、英雄王もまた……嘲笑ながらに密かに戦慄を感じていた。
何故なら―――セイバーは「相殺」には成功していたのだから。
――― 即ち「エヌマ・エリシュ」の相殺を ―――
吹き荒れる魔風のほとんどを黄金の剣閃で薙ぎ払い「それ」の発生を止め
エアが放出した暴風による破壊「のみ」で留めた。
それはセイバー本人の与り知らぬ大きな快挙。
負傷したとはいえ、エアの最大出力の大半を止めたのだから―――
エアがその比肩せぬ威力を示したように、エクスカリバーもまた……
人類最強の聖剣の名に恥じぬ力を証明していたのだ。
故に今回、男が満を持して放ったエアの最大出力は英雄王の全力「以上」のものだった。
その時、ギルガメッシュの所持する宝物蔵の内部にて20を超える宝具が起動していた。
それは英雄王の身体能力を高め、属性付加、地形効果を最大限まで引き上げる。
つまりは――宝具のバックアップによる威力の上乗せ。
それに対し、傷つき万全に程遠いセイバーの聖剣の一撃がかち合った。
その結果が前回と違うのはむしろ自明の理であったのだ。
それを英雄王が語る事はなく、知るものもいない今
この場を支配するのは聖剣、そして集束砲の圧倒的敗北―――その事実のみ
そして……英雄王の言う最大の咎。
それはエアを過小評価した事。
何としても相殺するべきだったという事。
その「風」が全てを切り裂く前に―――
今、最も重要な事実
――― 此度は相殺できなかったという事 ―――
その事による最悪の未来は――むしろこれから………
――――――
「なに。気落ちする事はないぞセイバー。
我はお前を認めている―――故に見せるのだ。
エヌマ・エリシュ………天地乖離す開闢の星を!」
まるで自由の利かない身体であっても彼女はその剣だけは離さなかった。
幾多の戦いを共に乗り切ってきた聖剣の柄を―――今ある精一杯の握力で握り締めるセイバー。
その行動……介抱するなのはの腕にも彼女の無念と悔しさが伝わってくる。
その瓦解しかかる精神と肉体を何とか保たせているのは、横で支えている魔導士――
なのはに自身の無様な姿を見せて心配をさせたくないという騎士の誇りと意地のみ。
だが、今―――英霊二人のやり取りを聞いていた高町なのはは全く違う光景……別の思考に至っていた。
確かにラストショットを達成出来なかったショックは未だに残っている。
だが、そんなものにいつまでも苛まれているエースではない。
それよりも気になる事が多すぎて立ち直らざるを得なかったというのもある。
まず、相手がこちらの戦術を愚策と断じた件―――
言うまでも無く、これが実質最後の攻撃だった。
だからこそセイバーは己を犠牲にして死力を尽くして相手の隙を作ろうとしたのだ。
その攻防で―――敵を撃ち抜こうとした選択が間違っているとは思えない。
たとえ同方向から束ねて撃ったとしてもあの相手の出力――とてもあの男を倒し切れたとは思えない。
エアを完璧に相殺したとして、撃ち合いで力尽きた二人は余力を残した敵になぶり殺しにされていただろう。
ならば、今の状況はまだマシなのではないか?
だのにこの相手は………今、騎士が受けたダメージを「二人して受けていた方がまだマシだった」と言っている。
何かおかしい
何か変だ
その相手の態度。言葉の端々。
そしてそれに伴う違和感。
男の発した「最悪の結果」という言葉。
(これは最悪の結果……これが…)
今の攻撃は自分達の実質、ラストチャンスだった。
なのに相手に――何の傷も与えられなかった。
だが、それにしても相手のこの余裕は何だろう…?
(エヌマ…エリシュを見せる? 「見せた」ではなく?)
なのはに、その言葉の意味の全ては分からないが
そのニュアンスから何かが違う事だけは分かる。
―――そして目の前の男の背後に、もはや居並ぶ刃の群は無かった。
全てをしまい込んで既に終わったかのような姿勢を見せている。
(まだ、私達に止めも刺していないのに…?)
―――隙だらけなのだ。
まるで警戒心を解き、無防備でその身を晒している英雄王。
それは今、なのはがデバイスを男の胸に突き立てようと踏み込めば
あっさりとそれが成ってしまうのではないか?という錯覚すら起こさせた。
だが今、なのはは安易に踏み込む事が出来ない……
その目を釘付けにしているのは、英雄王の横に払った剣閃。
その軌道によって描かれた―――
―――― 線 ――――
その異様な光景―――――
三次元で構成された世界は全ての物体が縦幅、横幅、奥行きによって形成される。
だから厳密に言えば「線」という概念はこの世界には存在しない。
だというのなら……今眼前にある
世界にラクガキをしたかのような「線」は何なのか?
あの帯状に見えるモノは何を意味する?――――
スターライトブレイカーを切り裂かれた光景を、なのはは脳内で巻き戻し、再生する。
自分の砲撃を切り裂いたモノはセイバーの聖剣を薙ぎ払った風とは明らかに別のモノだった。
まるで空間ごと裂いたかのような剣閃にて自分の砲撃は、拮抗すら出来ずに真っ二つにされたのだ。
それこそ今、目の前にたゆたう帯状の切り口にその魔力ごと切り分けられたかのように―――
「セイバー、さん……」
「…………」
なのはが掠れる声でセイバーに声をかける。
が、混乱した思考のままに発した声がセイバーの耳に届く事はなかった。
「大儀である―――セイバーとその端女よ。
ク、此度もなかなかに楽しい宴であった。」
そして―――やおら自分達から背をむけて、この場を去ろうとするギルガメッシュ。
かけられたのは労をねぎらうかのような……別離の言葉。
「あ、………」
なのはが尽きせぬ戦慄を感じ―――その呼吸が荒くなる。
心臓がバクン、バクン、と早鐘のように打ち鳴らされる。
それは津波を前にした海岸に立ち尽くすかのような―――猛烈な悪寒によって齎されたもの。
「セイバーさん……」
最悪の未来は、むしろこれから――――
「掴まってッ!! まだ終わってないっっっっ!!」
セイバーを腕に抱える高町なのは。
全身を引き裂いた傷は、下手に動かせば命にかかわる。
それでも―――悠長な事は言っていられなかった!
今までなのはが凝視していた「線」が――
それが、ゆっくりと、上下に分かたれて――
まるで生き物の口のように開いていく!!!!!???
イイイイイイイイイイイイイ―――、という神経を圧迫する様な
巨大なヤスリ同士を擦るような、そんな音と共に!
――――――
ここに始まるは――
―――即ち、天地の乖離と創造である
――――――
二人の眼前でゆっくりと雄大に―――それは起こった。
先程から見えていた歪な線。
それは乖離剣エアが完全に発動した証拠。
「くっ……セイバーさんッ!!」
ゴゴゴゴ、―――と、深き所から鳴り響く地鳴りのような音。
魔導士の感が特大の警報を鳴らす。
何か……とんでもない事が起ころうとしている!
それを察知したなのはがセイバーを抱えて共に空へ離脱しようと試み―――
「えっ…!??」
愕然とする………
「どうしたのレイジングハート!? フライアーフィンを!」
そう、彼女に空を教えてくれた空戦魔導士の命ともいうべき―――――翼が、
翼が開かないのだ!!!
<I do not exercise it>
慣れ親しんだ女性型デバイスの音声がその異常に対して答えた。
―― 発動不可能 ――
、と。
魔導士の顔が蒼白になる。
「ッッ…フラッシュムーブ!!」
<I do not exercise it>
「プ、プロテクション!!」
<I do not exercise it>
「どうしてッ!!? レイジングハートッ!?」
今までどんな苦しい時でも、ピンチにも自分を支えてくれた魔法の力。
それがここに来て彼女を助けない! 呼びかけに答えない!?
ミッド式魔法―――
独自の技術にて形成されたプログラムによって世界に干渉し、それは発動する。
故に発動が妨げられるという事は……世界に自分の声が届かないか、あるいは―――
その干渉する世界が―――
――― 死んでしまっている時 ―――
英雄王の持つ切り札――乖離剣エア。
それはこの世に二つとない死界の原典。
――― 対界宝具 ―――
城をも一瞬で消し去る対城宝具を以ってなお、同じ計りに乗る事すら阻まれる規格外EXランク。
その能力は言葉通りの―――
――― 世界を斬る ―――
ならば高町なのはの発動させる魔法に必要となる
その地盤となる世界が切り裂かれてしまったのならどうする?
―――どうにもならない…
空の英雄、航空戦技教導隊のSランク魔導士が……
あの無敵のエース・高町なのはが……その力を完全に殺されたのだ…!
「何だ……これは――!?」
「アルカンシェル……ううん、違う。
違うけど、でもこれ…」
魔法を使えないなのはが、自分の足で立つ事も出来ないセイバーが
その眼前の光景―――変貌……否、コワれていく世界を前に絶句する。
天地の乖離現象―――
セイバーの聖剣を掻き消した吹き荒れる高出力の暴風ですら、エアに取っては前段階に過ぎない。
その真髄は、極限まで編み上げた魔風が世界を切り裂いた事によって発生する「空間断層」。
高町なのはの集束砲すら真っ二つに引き裂く、既存の力学の全く作用しない断層に敵を落とし込み、消滅させる。
これこそが英雄王の誇るエヌマ・エリシュ―――その真の姿だったのだ!
――――――
「ぐ、ぁ……ッッッッ!??」
「う、ううぅッ!?」
そして二人に襲い掛かる、まるで全身を引き裂かれるような圧力。
押し潰されるような引力に捕らわれ、もはや二人は動けない。
例え両者が万全だったとしても……一旦、発動してしまったエヌマ・エリシュ――
乖離現象に捕らわれて逃げ延びる事は不可能だ。
分け放たれた天と地、その狭間に存在する断層から発生する強大な引力。
吸い寄せられる体を必死につなぎ止め、互いの体を必死に支え、大地に伏せて耐える騎士と魔導士。
「セイバーさん! 手を離しちゃダメッ!!」
「………ッ!」
(―――何てことだ……これではナノハの足手纏いに…!)
彼女達を取り巻く世界。
その光景はもはや現世のそれにあらず。
視界を覆うは分け放たれた天地と、その間にある地獄のみ。
二人は今宵、世界の断面が傷んだ橙色である事を知る―――
ビルが。雑木林が。停留していた車が。ありとあらゆるものがその断層に消えていく。
そして最後に二人の踏みしめる大地そのものが倒壊し、消えた瞬間――
なのはとセイバーの必死の抵抗は、その全てが無意味と化す。
創世の礎となる破壊の前に、あまりにも無力ななのはとセイバー。
舞い上げられた体が断層の只中に落ち込み―――
全てが、飲み込まれていた―――
――――――
巨大な竜巻の前で。天を衝く津波の前で。大地震の前で。
人は悲しいほどに無力である。
自然――つまりは天が与えたもうた人への罰。
その前ではちっぽけな人間の叡智などは何の役にも立たない。
今、ここに立ち向かうは英霊の座に名を刻まれし最強の騎士と
どんな災害、災厄の中においても任務を全うすると言われるSランク魔導士。
無力で翻弄されるだけの人間では断じてないとはいえ……
――― 天地創造 ―――
原初の破壊と再生を司る天地乖離の儀式がこの大地に具現化されたのだ。
その現象はどこか、あのブラックホール。
超新星爆発によって生成した重力の塊にどこか似ていた。
もっとも今、このフィールドに起こっているのは風の奔流による擬似的な空間断裂。
宇宙にその存在をたゆたわせる黒き孔とは性質も何も全く違う。
それでも、あえて黒孔と今眼前に巻き起こる現象に共通点を見出すとするならば―――
―――それは中に落ち込んだ生物が辿る末路のみ
百戦錬磨の二人をして、これ程の現象に立ち会った事などあるはずがない。
しかも騎士は度重なる攻撃に晒され半死半生。
魔導士は今、己を支え続けてくれた魔法を封じられた状態。
この強大な破滅を前に、二人は抵抗する術も逃げる事も、そして互いを守る事すら出来ない。
舞い上げられた両者が、断層の引力に翻弄されて漆黒の裂け目に堕ちていく。
あれほどの強さ。あれほどの輝きを持った騎士と魔導士の、あまりにも無残で無慈悲な姿。
この強大な天の裁きの前では二人とて無力な人間と何ら変わらない。
断裂した空間に完全にその身が落ち込む、その瞬間――
「ッッッッ!!!」
「!? ナ、ナノハ!」
戦う事も、飛ぶ事も、もう何も出来ない。
あらゆる術を失った高町なのはが―――
――― 最期に取った行動 ―――
少女の頭をぎゅっと両手で包み込むように
決して大きくない自身の体で、一回り小さい騎士の全身に覆いかぶさるように
迫り来る亜空間に自身の背中を向けて――傷つき動けぬセイバーをその身に抱きしめていたのだ……
それは己が身を盾にしてでも少女を守ろうとする行為に他ならない。
「…………、」
「バ、バカな!? サーヴァントの盾に――」
声を上げ、抵抗しようとするセイバーだったが手足が動かない。
その白い法衣の胸中に為すがままに顔を伏せられ言葉を遮られる。
物凄い力だった――膂力の問題ではなく。
振り絞るような、それは彼女の全力全開の力だったから。
まるで親が子供を身を挺して守るような、そんな必死さに溢れていたから。
それが彼女の出来た―――この世で最後の行為だったから……!
手に抱かれるセイバーが、彼女の両腕が小刻みに震えている事に気づく。
もはや覆らない。どうにもならない結末。逃れえぬ死を前にして―――
魔導士はその無念に震え、年相応の弱さを曝け出す。
だというのに 、自分も恐くてたまらないのに……
それでも彼女はせめて目の前の少女だけでも救おうと――助けようとしたのだ。
―― 誰かの役に立ちたい ――
その一心で己を磨き、苦難に耐え、高く高く飛び続けて来た彼女は
その夢の終わりにあってなお、彼女で在り続けたのだ―――
「ッ!!???? ぁ、あ、ッ!!」
少女を懐に囲い込んだ状態で亀のように体を丸めて
目を固く瞑っていたなのはが、その双眸を見開いて呻き――
「きゃあああッッ!? ああああぁぁぁあああッッッッ……!!!」
喉の奥が張り裂けん限りの悲鳴をあげる。
破滅の空間に晒された魔導士の肉体を襲った人知を超えるような負荷。
それは今まで彼女が耐えて来たどんな攻撃とも違う。
そこは空間断層という無限の刃が飛び交い、天と地の重さがそのまま圧力となって存在する異空間。
落ち込んだ物体を、ミキサーのように切り刻み、カンナのように一皮一皮削り尽くし、雑巾を絞り上げるような湾曲した重力にて捻り潰す。
不抜と言われたエースオブエースのバリアジャケットが背中から、まるで紙の様に破砕して空間に消えていく。
そして鎧を剥がされた人間の女性に過ぎない彼女の体が……無残にも―――
「ナ、ナノハッ!! 駄目だッ!!」
悲痛な叫びをあげるセイバー。
自分を抱え込んでいた腕から伝わる衝撃を今、彼女は全て「直」に受けているのだ。
ザクリ、ザクリと腕を、足を、体を裂いていく空間。
ミチミチと全身の骨を、内蔵を潰していく圧力。
「あ、……ぁ、…」
だというのに、自分は何も出来ない……
赤子のように守られているだけ――
その崇高なる想いを秘めた魔導士が、高町なのはの気高い心が余さず砕かれる。
彼女という存在―――その全てが水泡と帰す。
なのはのあげた断末魔の悲鳴も、セイバーの悲痛な叫びも全て虚空に掻き消される。
乖離現象によって生じた全てを滅ぼす空間全体に、イイイイイイイイイイ―――、という
天と地が擦れ合い、軋む時に生ずる音が木霊し、それ以外の音を全て消し去った。
そして……最期まで必死に騎士を抱きしめていた高町なのはの全身から―――
――― 力が抜ける ―――
パク、パク、と口をつくなのはの言葉――
それが音になって誰かの耳に残る事はない。
滅びは、別れの言葉を残す事も許さない。
「………っ!」
だが―――セイバーの耳には確かに届いた。
音にならずとも、その強き想いが、直向な気持ちが――確かに届いたのだ。
お願い……
、と。
せめて、、セイバーさんだけでも……
、と。
その全身から生気が抜け、口から一筋の血の雫が垂れ、死に行く魔導士の今わの際に出た言葉は
自分を巻き込んだ騎士に対する恨みの言葉でも、理不尽な敵に対する怒りでも、突如降って沸いた死に対する恐怖でもなく―――
――― ただ一心に騎士の少女の身を案ずる言葉 ―――
――――――
薄い緑の瞳から一筋の涙が零れ落ちる。
最期まで我が身を呈して己を守ってくれた魔導士。
友の名を汚され、聖剣を辱められ、そして今――
心優しい友――そう、盟友の命を眼前で散らされようとしている。
何が―――剣の英霊か
何が―――騎士王か
少女は慟哭する。
あまりにも何も出来ない自分自身に。
聖剣よ――――私に力を
私はどうなっても構わない
ナノハだけでも、彼女だけでも助ける力を
私に貸してくれ……お願いだ
ポロポロと止め処なく落ちる涙。
既に世界は音を司る機能すら停止し
彼女の言葉が「言葉」になる事はなかった。
だが構わず――騎士は懇願する。
かつて世界に救済を求めた、その時に負けないくらいの想いで
エクスカリバー!! 我が声を聞き届けてくれッ!!
だが、その思いすら虚空に消えていく。
乖離された世界において、その存在を許されるのは開闢の星たるギルガメッシュのみ。
それ以外の何もがここでは何の意味を持つ事もない。
セイバーの体にも崩壊が始まる。
全身を切り裂かれるような奔流と捻じ切られるような圧痛が傷ついた身体を磨り潰さんとする。
だが――――
…………
―――痛くない。
想像を絶する激痛に苛まれている筈なのに、体が苦痛を訴えてくる事はなかった。
何故なら―――――痛いのは心だったから。
滅び行く肉体を苛む苦痛の何倍、いや何十倍も心が軋んでいたから。
高町なのははこんな苦痛の中、最期まで自分を離さなかった。
その命の灯火の尽きる直前まで、自分の身を案じてくれていた。
その魔導士の手がゆっくりと―――抱えていた騎士の頭から離れていく。
そして既に亡骸も同然のなのはの肢体が、まるで水辺に投げ出されたボロ布のように虚空に吸い寄せられていく。
待ってくれ! 待ってッ!!
エアの直撃で千切れかけた腕を伸ばし、なのはの体を必死に掴んで引き寄せるセイバー。
グッタリと力無いその肢体はもはや息をしているのかさえ分からない。
未だ収まらぬ滅びの放流。
闇が見える――底の見えない深き断層。
魔導士も、そして今、辛うじて意識を保っている騎士も
あと数刻を待たずして粉々に分解され塵芥と化すであろう。
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これがこの戦い―――
エースオブエースと騎士王。
そして英雄王ギルガメッシュとの戦い。
その結末―――
二人は乖離剣が作り出した断層の中で無残に掻き混ぜられ、終局を迎える。
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あらゆるものが虚空に消え失せた空間の中で―――
残ったのは静寂。
空間が軋む歪んだ音と、寂しげな風。
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そして
いずれそれらも飲み込まれ
完全なる無となり――――ここに舞台は幕を閉じる。
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……………
ここは終わった世界―――
何者の存在も許さぬ役者の去った舞台。
だからもう―――何も無い。
演じる者も見物する者も全てが退席した空間。
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―――――その消え往く世界の隅に
何故、あんなものが残っているのか?
どうして―――
全てを消し去る虚空の中で―――
あんな光が灯っているのだろうか? ―――
――――――
乖離剣エア―――
規格外の評を受ける事を許されたその宝具の真髄こそ、世界を切り裂く「対界」という力。
その最大出力、エヌマ・エリシュに飲み込まれた者に待つのは絶対の破滅。
何者も、どのような力も、この死の原典が紡ぎ出す世界では存在を許されない。
、、、
しかし、その絶対の神話を打ち砕いた者が――過去、一人だけ存在した。
否、それは過去と呼んでも良いものか。
時空を超え、幾多の運命の糸に手繰り寄せられ
人類最古の英雄王の眼前に立ちはだかった………
かの者こそブリテンの騎士王――アーサー王。
そう、今……滅びゆくセイバーの胸に灯る熱き光。
どうして忘れていたのだろう……
何故、記憶の底に沈んでいたのだろう……
ガチャリ、ガチャリ、と――「ナイト」を縛る鎖が次々と外れていく。
騎士の声にならぬ叫びをまるで世界が聞き届けてくれたかのように
「それ」は確かにセイバーの中にあった。
灯る一条の光は温かく――何よりも大きな存在感を伴って、そこに在ろうと輝きを増す。
全てを消し去る地獄の中で天上天下に唯一存在を許される開闢の星・ギルガメッシュ。
だが、長きに渡る星の記憶の中でセイバーだけが―――その隣に立つ事を許された。
――― EXランクに拮抗するEXランク ―――
規格外の前に立ち塞がる規格外。
少女の体内でドクンと脈打ち、静かに始動を始めるそれは―――
――― アーサー王が最終宝具 ―――
……死なせない
かつての友の剣で打ちのめされ、心身ともに砕かれた。
……貴方を決して死なせない
己が存在そのものと言える聖剣を完全に打ち破られた。
……そして英雄王
友を傷つけられ、今―――目の前で死に至らしめようとしている。
……貴様には絶対に負けない!!
ギルガメッシュの、セイバーにのみ的を絞った執拗な攻撃。
それは裏を返せば知っていたから――
男がかつて、全力でぶつかり競った唯一の友。
この目の前の女が、あるいはそれに並び兼ねない「もの」を持っているから。
ボロボロに嬲られ蹂躙され、地に叩きつけられ、泥に塗れて伏せようとも
この騎士王が決して屈服しない事を知っていたから。
この方向感覚すら狂った断層の中で―――
「アーチャー…」
セイバーはありったけの思いを込めて叫ぶ。
「たとえ貴様が、世界の全てを手にするほどに強大でもッ――!!!」
魂すら揺さぶる絶叫。
「決してその手の届かぬものがあると知れッッッッッ!!!!」
そう、音すら死んだ世界にてセイバーは確かに叫んだ。
彼女の内から漏れる小さな光がその輝きを増し、騎士を取り巻くような大きな破光を伴って――
それは一つのカタチとして現界しようとしている!
少女の中心にゆるりと回転しながら現れる
目を覆うばかりに光を放つ、それは―――鞘。
右手に傷つき息絶えようとしている魔導士をしかと抱き寄せ
左手に胎動する自らの宝具を翳し……騎士はその鞘の真名を叫ぶ!
渾身で、喉が潰れかねないほどに叫ぶ、万世不当のその力こそ、即ち―――
「――― アヴァロンッッッッッ!!!! ―――」
万感の想いを込めた叫びを「世界」は確かに聞き届ける!
死で彩られた地獄の上に新たなる世界が誕生する!
この死と滅びに満ちた空間ですら「ソレ」だけは否定出来ない!
五つの魔法すら届かぬ絶対の領域。
アーサー王が死後、辿り着くとされる、決して届かぬ光の大地。
――― 遥か遠き理想郷 ―――
それが今、ここに具現化するのだった―――
――――――
無重力の空間を彷徨う―――そんな感覚が彼女を支配する。
肉体の檻から抜け出した魂魄が現世を彷徨うとはこういう事か。
高町なのはは――――死んだ
齢にして20年。
抗い続け、飛び続け、戦い続けた生涯の果ての光景を今、彼女はその目に映す。
ぼんやりと視界に映った景観はこの世のものとは思えない。
周囲を囲む傷んだ橙色の天井と大地は、そこにありながら決して手の届かない所にある。
そして中央には天地を分ける漆黒の裂け目があった。
それはまさに地獄のような光景。
だが、そんな中にあって―――
今、自分を取り巻く大気だけが何か違っていた。
感じるのは安らぎ。温もり。優しさ。
地獄に似つかわしくない、まるで包み込むような柔らかな空気。
地獄に落ちた人間がこんな安らぎを感じる事など有り得ない。
だからここが天国なのか地獄なのか、彼女には分からない。
気だるげな意識は彼女のカミソリのような思考をほとんど停止してしまっている。
でもきっと、ここは天国だ。
ひたすらに誰かを救うために頑張った。
自分を犠牲にして誰かのために飛び続けた。
そんな彼女が地獄に落ちるはずがない。
だって彼女の霞む視界には……一人の天使がいたのだから。
風になびく金の髪に綺麗な薄緑の瞳。
人の身に到底纏う事の出来ない神々しい光を称えて
金髪の天使は彼女……高町なのはを抱いている。
とても心地良かった。
とはいえ、自分を抱く天使の腕の手甲の固さだけが
後頭部の骨と擦れ合い、不快といえば不快だったが……
その銀の甲冑を着た――騎士のような様相の天使が
必死で何事か叫んでいるのを、なのはは混濁した意識の中で―――
「あ…………」
否、その意識をゆっくりと覚醒させていた。
瞳孔の開き変えた双眸に再び光が灯り
閉じかけた瞼をゆっくりと開けて
その身を起こそうとして―――全身を襲う猛烈な激痛に顔をしかめる。
「うッッッ…………痛ぅ…」
だが、痛みがあるという事は―――自分はまだ生きているという事で…
「……………私……生きてるの?」
その事実を、咄嗟に受け止められない高町なのはである。
まだ生きている…? そんな筈はなかった。
命を取り留められるような傷では到底なかったはずだ。
その耳は確かに――自身の体が砕ける音を、内蔵の潰れる音を聞いた。
だが目の前にいる騎士は決して、自分の脳内で再生された幻ではなく現実のものだ。
自身も傷だらけの体で、瀕死の自分に必死に呼びかけていた小さな少女。
「ナノハ…………」
意識を取り戻した魔導士を見て少女が破顔する。
ギルガメッシュの放つ最大の攻撃。
エヌマエリシュ――天地乖離の地獄の空間の中で……
「もう……大丈夫です。
危ない所でしたが――それが貴方の傷を癒してくれる。」
そう、二人は―――何とか生き残っていた。
見ればなのはの胸の上
目を覆うばかりの輝きを放つ白き鞘が浮かんでいる。
魔導士には何が起こったのかまるで理解出来ない。
出来ないが、どうやらこの鞘―――恐らくはこれにより、一命を取り留めたのは間違いないようだ。
今の高町なのはに知る由もないが、これこそ聖剣の鞘の加護。
エクスカリバーの真の力―――
アーサー王の無敗の伝説を打ち立てたのがその刀身であるのなら、この鞘は王の不死の伝説を担うものであった。
外部からの脅威を完全に遮断し、命に届くほどの傷をたちどころに治すこの鞘によって
ミッドのどのような回復魔法ですら手遅れだと思われた取り返しのつかない傷がみるみるうちに塞がっていく。
視界が幾分回復してきたなのはが自分を見下ろしてくる騎士の顔をまじまじと見る。
そのセイバーの目元は―――赤く腫れていた。
「もしかして………泣いてくれてたの?」
「―――――、は?」
魔導士のいきなりの問いに完全に不意をつかれた少女である。
しばらくポカンとした後―――
少女の頬が唐突にカァ、と……淡いピンク色に染まる。
「―――傷の、加減でしょう……」
ツイ、と顔を背けるセイバー。
最強の騎士のそんな可愛らしい様子を見てクス、――と笑いを含んでしまうなのは。
「………はは。 さっきとあべこべだね」
完全に駄目かと思った。
その死の淵から拾い上げてくれた騎士に対し――
「ありがとう……」
なのはは千の思いを込めて感謝の言葉を送る。
「…………」
今更の事だ。 先の魔導士の言葉通り、さっきはこちらが助けてもらった。
互いに危機が迫った時は双方、命を賭してそれを守る。
仲間として戦友として当然の事をやっているに過ぎない。
心の底からそう考えている騎士と魔導士だからこそ――出会って間もないながらも二人は最高のパートナーであったのだ。
「それにしても……」
改めて周囲を見る魔導士。
未だ周りは凄まじい光景が広がっていた。
「つくづく、しぶといよね……私達。」
セイバーに助け起こされ、何とか立ち上がったなのはが苦笑交じりに呟く。
「む………」
「凄く長い時間、戦ってる気がする。
これだけ粘られると、相手する方は疲れちゃうよね……」
「確かに――サーヴァント戦において、ここまでの長丁場になるケースは珍しい。」
「それ、セイバーさんの場合
すぐに相手を倒しちゃうからじゃないかな…?」
「いえ。私はこの通り、剣しか取り得が無い者です。
どちらかというと接戦になる事が多いのですが――」
「スゴイね……貴方と互角に打ち合える人なんているんだ…」
「………」
「………」
程なく二人の間に沈黙が流れる。
だがそれは言葉を出しあぐねているのではなく
互いに考えている事が分かるから――
「そろそろ―――反撃しよっか…?」
ビリっと空気が震えた。
沈黙を破ったのはなのは。
決意の篭った眼差し。
短いながらも、その言葉の意味を履き違えるセイバーではない。
「私も……次で最後にするつもりでした」
フ、と不適に笑うセイバー。
それは奇しくも第5次の再現。
攻防全てに隙の無いあの最強の英霊。
その彼の、唯一にして決定的となる隙が出来るのは――
――― エアの発動後 ―――
ゆっくりとその身を起こす騎士王。
彼女の銀の鎧が――光の粒子となって消えていく。
鎧に残った魔力すら聖剣に集め、黄金に光る剣を掲げた少女が悠然と立つ。
その横、白い法衣をはためかせ、肩を並べて立つは無敵のエース高町なのは。
「次がファイナルショット……もうたいして大きいのは撃てないけれど
それでも手数が多い方が成功する確率は高くなる…」
セイバーが一瞬、戸惑った表情を見せるが―――もはや詮無い事だ。
戦士として認め合った彼女たち。
この全てが決まる局面にて、肩を並べて戦う友として
危険だから控えていろ、などと口が裂けても言えるはずがない。
「最後までやらせて……セイバーさん」
「はい―――勝ちましょう……ナノハ!」
空間の裂け目のその向こう―――
未だ強大な姿にて佇んでいるであろう黄金の王に向けて二人は気勢を飛ばす。
「生き残ろう……セイバーさん!」
右構えのセイバーと左構えのなのは。
肩を寄せ合い、並んで構える。
その杖と剣の先が、コツンと交わった時―――
二人の戦意が、闘志が、不屈の心が―――
何者をも貫く……最強を冠する英雄王をも打破する矛となる!
――― その瞬間が近づいてくる ―――
結末は、戦いを仕組んだ盤上の神々ですら分からない。
誰もが予想だにしなかったその終局―――
今………全てが決まろうとしていた。
最終更新:2010年03月31日 09:43