セイバー……何故気づかぬ?―――

(黙れ……)


   それは一体誰の言葉だったか………
   頭に響く言葉を彼女は必死で振り払う。


己が言葉の矛盾に―――

(黙れ……黙れ……)


   偽りの世界で偽りの体を引きずって―――


お前は一体、何時の聖杯戦争を―――


   ………戦っているというのだろう?


――――――

ギリ、と―――彼女の奥歯が軋む音がした。

耳障りな言葉が絶え間なく脳漿に染み渡り、全てを肯定・理解してしまいそうになり
かぶりを振って全てを追い出し、否定した。
そして再び幽鬼のように彷徨い続ける。最愛の主の姿を求めてただ一人。

「ハァ……ハァ…」

激戦を終え、とある魔導士と別れた彼女が今、深き森を抜け山道を超えて歩を進める。
その息は尋常でなく荒い。おぼつかない足取りで小さな体がフラフラと夢遊病者のように揺れている。

「く、そ……」

少女―――サーヴァントセイバーは天を仰ぎ見て近くの木に寄りかかったまま
ズルズルと崩れ落ち、大地に尻餅をついてしまう。
額を落ちる滝のような汗が頬を伝い、流麗な顎の線を通って地に滴り落ちる。
焦燥しきった表情。目の下には深いくまが刻まれ、そこには万の敵を震え上がらせる武の威も歴戦の勇者の面影もない。
彼女本来の力強さは今、すっかりと影を潜めてしまっていた。
剣を支えに一歩一歩、体を引きずるように歩を進める姿はまるで敗残兵のよう。
先の戦いで限界以上の魔力を放出した身体であるとはいえ、尋常な事ではない。

(――――、)

蒼白を通り越して真っ白な顔には深い苦渋と共に一抹の懐疑が浮かんでいた。

そう、おかしな話なのだ………

エクスカリバー、アヴァロン、風王結界―――
最強にして最悪の宿敵を前に己が所有する宝具を総動員し、死に物狂いで退けるに至った先の激戦。
その戦いによって彼女は確実に自身の魔力総量の限界ギリギリまでその身を踏み込ませた。
だが………限界以上の魔力行使―――そこにはまだ到っていない筈。

それはサーヴァントにとっての消滅、死を意味する。 
しかして自分はまだ此処に在る。
それはつまり、補充がなされているという事。外部からの魔力供給が少なからず為っているという事。
辛うじて身体を動かせるくらいの極少な補充ではあるが……
それが今、か細い糸となって彼女を現世に繋ぎ止めている事を表しているのだ。

そしてそれはつまり――パスが通っているという確信に繋がる。

それこそが彼女の希望にして、主と彼女を結ぶ唯一の架け橋だった。
この拙い極少の供給こそ、逆に彼女がもっとも安息を感じるもの。
それが――主が「彼」だという確固たる証明であるのだから。

彼女の愛するマスター―――――衛宮士郎

(すぐに……一刻も早くシロウの元に戻らねば…)

この身体の内に脈々と感じる繋がり……
それを辿って行けば必ず令呪の導きが再び彼と引き合わせてくれる――

その揺ぎ無い確信の元に彼女は歩いた……………何千里と。


――――――

「ハァ……ハァ…」

――――――――だというのに……

辿っても辿っても、どれほどに辿っても――――

(…………どうして…)

――――彼女は決して辿り着けなかった……

(どういう事だ……? シロウ……どこだ…?)

焦燥と懐疑の中で騎士は今、ゆっくりと―――限界を迎えようとしている。

(シロウを……感じるのに――――感じない…)

頭が痛む。脳髄が軋む。
それと共に彼女の腕が、存在感が希薄になりつつある。
肉体が崩壊してようとしている。

「っ………!!」

目をぎゅっと瞑り、両の肩を抱きしめて彼女はその場にうずくまる。
消え行く肢体を何とか現世に留まらせたい。この身体を繋ぎ止めたいその一心で。

(こんなところで……こんな…)

そうだ……許されない。
自分は誓った。例えこの身が砕けようと御身を守り抜くと。
だというのに、マスターの与り知らぬ所で傷つき果て、勤めも果たせずに人知れず消えていくなど―――

「シロウ……私は…」

一人の行きずりの魔導士と共に戦った。
粉骨砕身戦った。マスターに委ねるはずの剣―――力の全てを使って戦った。

―――間違っていたのだろうか?

たとえ一時とはいえ、主以外の者と心を通わせたのは誤りであったのか?
介入してきた彼女を見捨てて一人あの場を引くという選択―――
騎士としてあるまじきそのような選択を、サーヴァントとしての責務を鑑みるならば取らなければいけなかったのだろうか?

―― セイバーは間違った事なんてしてないぞ ――

霞む視界に彼女のよく知る人懐っこい人の顔が浮かぶ。
その人影が、そう言って褒めてくれたような気がした。

「シロウ…」

そうだ……彼は自分の行為を決して咎めたりはしないだろう。
困っている他人を、死に行く他の命を救った事を決して咎めたりはしない。
そんな彼だからこそ――――彼の剣として戦う事を決めた。
国を愛し、救国に全てを捧げたあの強い信念。
それに匹敵するほどの想いを彼に抱いた――抱いてしまった。

「マスター………」

会いたかった……誰からも理解されなかった孤独な王が絶望の末に辿りついた――

――― 彼こそが彼女の鞘だったのだから ―――

掠れる声で少女は彼の名を呼び続ける。 
揺らぐ意識が消え行くその瞬間まで―――――


――――――

「―――――――マスター?」

そしてその意識が、強固なる意思が途切れた事により彼女はついに―――

――― 侵入を許してしまう ―――

「リ、ン?」

何故? どうしてそんな仮定が頭を過ぎるのだろう?
決して仮定や夢の類でなく、それは確実な存在感を以って彼女の中にあった。
自分が令呪による従属を許したのは―――1人ではなく……

衛宮士郎。遠坂凛。 キャスター。 そして――

「サク、ラ?」

彼女はついに至ってしまった―――ソコに……………


――――――

ザザザ、ザザ、ザザ、―――

それは彼女の思考を切り刻むノイズの音。
そう、このセイバーの異変・消耗は決して魔力が尽きかけている事によるものではなかった。
何かもっと別の取り返しのつかない何か―――――

ザザ、ザザザ、―――

震えていた。剣の英霊が。
万の軍勢を前にして恐れぬ勇壮なる騎士王が
夢と呼ぶにはあまりにも鮮明な――昏き記憶――に恐怖する。

「あ………ああ――――」

その光り輝く肢体が闇に堕ち、萌葱色の瞳は落ち窪んでくすんだ金色に。
死人のような顔色。全身を汚泥に侵食され、頬の下にまで至る侵食の跡。
それは恐らく鎧に隠された裸身を露にすれば全身に行き渡っている事だろう。
そんな失落の黒騎士が―――

今、地に伏せたセイバーの前に立ち、彼女を見下ろしていた。

(これは――――も、妄念、か……?)

―――それは夢か幻か

太陽の如き黄金の光を放っている筈の聖剣は漆黒に染まり、その姿はあまりにも醜く汚らわしかった。

「はぁ……は、ぁ………や、やめろ…」

堕落した自身の姿にセイバーは嗚咽の声を漏らす。
それは自分と相反する存在であり、それは決して相容れぬものであり
それは彼女にとって容認など出来よう筈も無いものであり―――

そして……どうしようもなく彼女そのものであった。

堕天の騎士王――

分からない……分かりたくもない……
何故、自分の中にこのような記憶があるのか。
何故、突然にして記憶が蘇ってしまったのか。

ワルイユメとしか言いようのない、影絵のセカイの幻に過ぎない筈のソレ。
だが頭にこびり付いたその埒もない悪夢が今………己が身に現実のものとなって――

――― 彼女を侵食する ―――

自分を見下ろしていた漆黒の影がセイバーにゆっくりと近づいてくる。

「ああ………あ、――」

恐怖の声をあげるセイバー。
彼女を知る者ならば耳を疑うであろう、それは生涯においてあらゆる戦場で決して漏らす事のなかった紛う事なき怯えの声。

黒き手甲が彼女の頬に触れ、青白い貌が彼女の顔を覗き込み、穢れた身体が彼女の全身に覆いかぶさる。
その瞬間、騎士のその手が黒く、騎士のその瞳がくすんだ金色に――――

「やめ、ろ……」

彼女の鎧が、そして聖剣が黒く―――その気高き肢体の全てが今、変貌を遂げようとしていたのだ。

「イヤだ……シロ、ウ―――」

もがくように身体を震わせ虚空に手を伸ばす。
救いを求めるように。
得体の知れぬ黒き影に、為す術も無く食い尽くされる己が身に絶望し―――

「や、やめろぉぉぉぉ!!!!!」

―――騎士は声にならない断末魔の叫びをあげる。


――――――

次々とダウンロードされていく―――決して許されざるキオク

黒化し、己がマスターに牙を剥く自分。
旅路の最果てに見つけた自らの鞘を打ち砕く自分。
愛するものを破滅に追いやる自分。

止め処もなく溢れる涙と共に、全ての記憶を共有する事となった彼女は――
その精神を自壊させ―――穢れた汚泥に全てを犯されていった。

それがある一つの逃れえぬ結末―――


――― 終局のカタチ ―――


―――― 検閲 ――――



……………………
……………………
……………………



――――  削除 ――――


「――――、……」

その時、世界を司るもう一つの力が少女の体を包み込む。

吹き荒ぶ風の中――――
騎士の少女はその身を地に横たえる

「――――!!  ……っ!!!」

その薄れ行く意識の中―――
誰かが自分に向かって叫んでいた。
霞む視界に映る、自分の顔を覗き込む瞳の光。

――― 一つしか無い瞳の光 ―――

その記憶を最後に、騎士は……………意識を完全に落としていた。


――――――

SABER,s view ―――

(―――――)

眼前に広がる見知らぬ天井………意識が戻って初めて眼にしたそれを呆と見やりながら―――
朦朧とする頭をくしゃりと掻き上げて行うそれは、果たして何回目の試行錯誤の後だったか。
この身を少し固めのベッドに横たえながら、もはや無駄と悟りつつ……私は己が意識に埋没する。


   サーヴァントセイバーとしてこの世に現界したこの身
   我が名はアルトリア・ペンドラゴン
   選定の剣を引き抜き
   祖国の王として身を捧げたるも
   我が身は国を、万の民を、億の思いを背負うにあたわず
   故に祖国を滅びに導いた………


揺るぎようの無い事実にして、この身に刻まれた確かな記録――記憶


   その運命を覆すべく
   我は世界に願いを託す
   聖杯による救済を望み
   聖杯の存在ある所を求め
   この身が死する瞬間、世界と契約し
   死後の自分を差し出すという形で英霊の座に就く事となる


先ほどから何度も何度も繰り返し、己の記憶を頭の中で反復させている。


   その悠久の時を経て
   辿り着いた時代
   冬木の聖杯
   それを一度目の邂逅にて取り逃がすも
   同地に再び、奇跡的に現界した私は
   前マスター・エミヤキリツグの息子、エミヤシロウと出会い―――


「…………」

……その後、そう……

その後の――――記憶が途切れる。


―――――――どうしても思い出せない………


召還された第5次聖杯戦争をどのように、どのくらい戦ったのか? 今の状況は?
どのような経緯で自分はシロウの元から離されたのか?
この地に降り立つ前、自分は何をしていたのか?

―――分からない………

突如にして見知らぬ大地に立つ事となった私はそこで魔導士タカマチナノハと出会い
まるで吸い寄せられるように剣を交える事となる。

その後、英雄王ギルガメッシュと遭遇。
奇妙な成り行きから先ほどまで戦っていたナノハと共闘し、何とかこれを撃退。
その後、彼女を山小屋に残して――― 

…………………………

―――分からない。 その後、どうなった……?

昼夜刻みのように途切れる記憶はまるで夢うつつの中を歩いているような感覚だ。

―――もどかしい……完全な前後不覚。

己が記憶が頼りにならない状態とはこうも情けないものか。
虚空に目を泳がせながら私は一人、臍を噛む。

先ほど何か――――

――― 重要な事を思い出したような気がするが……… ―――

耐え難いほどの苦痛と憐憫と後悔の果てに
私は確かに何か取り返しのつかないモノを見たような……

―――これも思い出せない……

記憶がザックリと抉り取られているような感覚は、胸の奥に大きな空洞が出来たかのような
確かに何かが在ったその部分はしかし今はただその存在の大きさを感じさせるのみ。

「…………ふぅ…」

繰り返される自問自答が全くの無意味である事を悟った私は
思慮に耽りながらも自分の身体、各所の点検を同時に行う。
己が内に埋没し、その状態を一つ一つ探ってゆく。


   魔力………回復している
   供給源からのパスも正常
   剣は――我が内に在る
   鎧は―― ………外れている?


肉眼で肩下を確認する。今の自分の様相を肉眼で認め―――

(……………)

な、何だこの格好は………?


己が体を見下ろし、間違いなく疑問の種が増えるようなその身を―――
私は言葉もなく見下ろすしかなかった。


――――――

初めは何も纏っていないのかと思った………

それほどに凹凸も意匠もない、素肌に吸い付くような青い着衣は
一瞬、全身の肌が群青になったかのような錯覚を起こさせる。
体の線を浮き彫りにするほどに密着したボディスーツとでもいうべきものは
しかして体を締め付けるような事もなく、むしろ肌の心地は良い。
その上から軽い羽織り物(寝巻きだと思うが下のスーツとはまるで合っていない)を肩からかけた―――それが自分の今の姿。

意識のない自分がこうして家屋の中で見知らぬ衣装に身を包み
整えられた寝具に身を落ち着かせているという事実……誰かが介抱してくれたのか?

「………」

やれやれ……強がってナノハを前に大口を叩いておいて
ほどなく自分で二の舞を演じてしまうとは情けない…
意識を覚醒させて今の状況を知ろうと立ち上がる――――

「…………ッ!!!」

と同時――――体が反応し、私は戦闘体勢を取る!

カタ、カタ、と、それは部屋の外から誰かがこちらへ近づいてくる音に対してのもの。
掛け布の下にある右手はいつでも剣を抜ける状態にしつつ、音の先の正面扉を油断なく見やる。
こちらに害意を及ぼす気なら意識が堕ちている時にされている筈だ。
ならば敵意のある者ではないのだろうが……だが油断は大敵だ。

「……気がついたのか?」

木製の戸と枠が軋む小さな音と共に扉が開かれ―――

柔らかいが張りのある第一声が私の耳に届いた。


――――――

「…………」

凝視していた戸の合い間からスルリと部屋内に入り込む人影。
それは私よりも小柄な、長い銀の髪を背中まで垂らした少女であった。
華奢な肉付きの体に幼さを前面に出した容姿は、美しさというよりむしろ健康的な愛らしさを感じさせる。

「ふふ…」

対面してすぐに、その少女はこちらを興味深げに無遠慮に眺めて忍び笑いを漏らす。
決して邪悪なそれでは無い。そう……これは好奇心か。
ともあれ、あまりにも無遠慮に見据えられると聊か居心地が悪い。

全身を簡素というには余りある青と群青のスーツに身を包み(これは今、自分が着衣しているものと同じものだ)
そしてその上から薄い黒系の着衣を羽織っている。
年頃の娘の服装に似つかわしくないそれは、あらゆる無駄を省いた機能美のみを追求したものであろう。

そして―――10代前半とさえ言える幼い容姿………その顔には目の光が、1つしかなかった。
幼い少女の片目には似つかわしくない無骨な眼帯が施され、その調和を乱しかねないパーツが
皮肉にも彼女の最大の特徴として印象に残ってしまう。

以上が私の、その少女に対する第一印象であった。
注意深く現状を探っていく私と、そんな私を見て柔らかい笑みを浮かべたまま首をかしげる少女が一室にて相対する。

「どうした? 何か欲しいのか?」

「い、いえ……」

広さにして六畳くらいの一室だった。
どちらかというと西洋風の作りの部屋には自分と彼女の二人きり。
それとなく周囲に目を通す自分に、少女は屈託なく話しかけてきた。
油断は出来ないとはいえ、こちらを心配してくる隻眼の瞳には相手に害を及ぼす光などは微塵も感じられない。

「済まない。記憶が混同していて……私は一体?」

「倒れたんだよ。お前は」

情けないほどにしどろもどろな私の言動に、予め答えを用意していたかのように彼女は言った。

「凄く苦しそうだったぞ……ずっとうなされていた。
 半刻前からだいぶ落ち着いたからホッと胸を撫で下ろしてたトコだ。」

………

私はいつでも剣を抜けるように込めていた右手の力を抜く。
油断は出来ないが――彼女がこの身を介抱してくれた事は事実だろう。
その者を相手に懐の剣をいつまでも向けているのは義に反する。

「そうですか……これは貴方が?」

「きつい道中を越えてきたんだろうな。くわえて吹きさらしの中に倒れてたんだ。
 とにかく汚れが酷くてそのまま寝かせられなかったから、洗い場で全身を洗浄させて貰ったぞ。
 鎧は外した時に消えてしまったが問題はあったか?」」

「は……? い、いえ…」

くいっと通路奥の部屋に目配せして(恐らく浴槽だろう)そんな事を言う少女。

「この身に湯浴みを施したというのですか? 貴方が?」

「ん? そうだけど………恥ずかしがる事ないじゃないか? 同じ女性体だろう。
 それに私は洗浄上手でな。そういうのは得意なんだ」

い、いや……そういう事ではなく……

「そ、それでもなお私は寝こけていたと…?」

「……………疲れてたんだろう。相当、な」

………見知らぬ者の接近を受け、その身に接触を許したにも関らず―――この身体がそれを全く知覚しなかった、だと?

何という体たらく……我が身の不調も深刻か……
この不良品同然の体の原因を突き止めなければ聖杯戦争を戦うどころではない。

「重ね重ね迷惑をかけたようだ。不甲斐無い………我が身には――」

しかし今はともかく目の前の少女に謝意を示す時。
まさかそんな事までさせてしまったとは……
完全に脱力した人間というのはとにかく重い。
それを家屋まで運び、介抱して湯浴み、着替えを施すなど小柄な身には有り余る重労働だった筈。

「しかしまあ……」

礼の言葉を述べようとした私であったが、少女はそんな私の言葉頭を抑えるようにずいっとベッドに身を乗り出し
私の体に覆いかぶさるように、目の前にその小さな体ごと接近してきたのだ。

「……なんでしょうか?」

少々息を呑む。
眼前にて、まじまじと人の顔を凝視してくる隻眼。
あまりに間近に少女の顔があったため、知らず少しのけぞってしまう私。
少女はしばらくそのまま私の顔を凝視していたが………
その後、瞳をつつ、と下方に移し―――

「胸、無いよなぁ……お前も」

人の胸元を見下ろして……そんな事を言った。

「は……はい?」

「初めは本当に男かどうか判断に迷ったぞ。
 洗浄してやる時、全部剥いて下を見てようやっと女だと確信した。
 私も体型の事で散々、妹達にかわれたけど……下には下がいるな、うん!」

「な……」

言ってカラカラと笑う少女に対し、カァ、と頬が紅潮するのが自分でも分かる。
ぶ、無礼な……
いきなりな侮辱に声を荒げそうになる私。

であったが―――彼女は仮にも自分を介抱してくれた恩人である。
この程度の事で叱責など出来よう筈も無い。

「いや変な意味じゃないんだぞ? 妹にお前と負けず劣らずの奴がいてなぁ。 
 あいつ性別どっちだよ!?って皆で話し合ってた事を思い出したんだ。なつかしいなぁ…」

「別に構いません……私は騎士です。そのような事を気にした事はありませんし……
 望むならもう少し屈強な肉体であれば、と思い悩んだ事はありますが。」

ニマ、と子供そのものな笑みを向ける少女に内心の憤慨を悟られないように言い返す。
虚言ではない。生前は元より、サーヴァントとして現界した後も自分を女性として扱う気などなかった。
だのに……………

し、仕方がないではないか……
シロウにただの女性として扱われるようになって久しい……
サーヴァントとして自重せねばならないのは百も承知だが……

……………

ともあれ、こうして人と相対しているのにいつまでも床に伏す姿を見せ続けるわけにもいかない。
身体をずらして寝具から起き上がろうとした私だったが――

「駄目だ。まだ寝てろ」

と、無理やり床に縛られてしまう。

「いえ……私はもう」

「いいから。」

まるで有無を言わさない少女。
見た目に寄らず強引であったが不快感はあまり感じない。
介護や世話をするのに慣れているのかも知れない。

「…………」

仕方がない……もう少し言葉に甘えるとしよう。


――――聞きたい事もある………


――――――

カチ、コチ、と――備え付けられた時計の針が動く音だけが部屋に響く。
その中で私は改めて今までの記憶を反芻し、思いを馳せる。

無人の街頭。陽炎のような世界。
英雄王の追撃から逃れるために空を飛び続け、山岳地帯の山小屋に至り、山を下り、この郊外に足を踏み入れた。
その間、異世界の魔導士とアーチャーの他に――それ以外の人影を見かける事すら無かった。

「少女よ」

私の声に小さな体が振り向く。少女は今、私を寝かしつけられた事に安堵したのか……
寝具の横にあった揺り椅子に身体を預けてその身をゆったりと揺らせていた。
度々、こちらをチラチラと見てくる隻眼の瞳にどのような感情があるのかは分からない。

「遅ればせながら、不肖の身を介抱して下さった事にまずは礼をしなくてはいけません。
 この場にて報いる物があればよかったのだが、私は――」

「かしこまらないでいい、剣の英霊………こちらもお前と話したくて来たんだ。」

「……………」

空気が―――ピリっと緊張する。

無人の世界で、こうしてヒトと出会うという事は即ち事態が動く時―――
新たな局面を迎えるという事に他ならない。

――剣の英霊――

今、少女は確かにそう言った。
私は相手に素性を明かすような事はしていない。
にも関わらず、こちらが何者か分かっているという事は――

「貴方は……?」

「私はナンバーズの5。個体名はチンクだ」

まずは話を聞こう。
ナンバーズ――チンクと名乗った少女の言葉に黙って耳を傾ける私に対し――

「単刀直入に言う…………お前の主の元に案内する。」


眼帯の少女は躊躇う事無く―――

私の懐、その奥にまで1足飛びに踏み込んできていた


――――――

――――――

半開きになった窓。
そこから吹く風が音も無く―――対照的な金の髪と銀の髪を揺らしていた。

片や絶世と呼んでも差し支えない美麗な容姿を持つ金の髪の騎士。
片や幼年特有の可愛らしさを醸し出す屈託のない様相の銀の髪の少女。
その片方の両眼が、限界まで見開かれている。

(効果覿面……)

銀の髪の少女が揺り椅子に揺られながら横目で騎士の視線を受け止めている。
初手にて早々にジョーカーを切った緊張はあれど、後悔はない。
短期決戦――いかに詰めるか纏めるか、隻眼の少女のAIがフル回転する。
あとはどう説明するか、どう納得させるかだ。

「それは―――」

先ほどまでの和やかな空気は、騎士の一言――
さっきまでとは別人と見紛うばかりの低い声色によって跡形もなく霧散した。
まるで姉と妹がじゃれ合っているかのような微笑ましい風景もまた一変し
張り詰めた互いの感情が具現したかのような緊張感は、まるで―――戦場。

「我がマスター………エミヤシロウの元に、という事ですか?」

「…………」

「チンクといいましたね……答えてもらおう。
 我がマスターが……貴方の元にいるという事ですか?」

その声色がまた下がる。
みるみるうちに険しくなっていく騎士の表情。
相手の急所――決定的な札を切った以上、少女に待ったをかける事は許されない。

当然だ。今の発言は状況的に、マスターの拉致を示唆した物と取られる可能性が果てしなく高い。
その許し難い暴挙を常に憂慮し彷徨っていた騎士に対して、それを如実に表す言葉を放つという事は
折の中の飢えた獅子に生肉を突きつける行為と同義である。

「剣の英霊。落ち着いて聞いてくれ」

ふう、と大気中の酸素を体に入れる少女。緊張に乾く唇を一舐める。

「私の言う主はそいつの事じゃないと言ったら…………どうする?」

「…………何だと?」

返される騎士の言葉はまるで氷のような鋭さを秘めていた。
掛け布の下にある騎士の右手が再び強く握られ――震えている。
いつ爆発してもおかしくないその感情が少女にも伝わってくる。

(だが……今ここで全てをありのままに話すわけにはいかないんだよな……)

一度に突きつけるには、その事実はあまりにも重過ぎる。
だが下手に転がせば間違いなく致命傷の局面だ。
多大なる魔力、労力を払って具現したこの最強の騎士を―――
札の並べ方次第で瞬く間に潰してしまう事になりかねない。

その少女の焦燥、沈黙をどう取ったのか、騎士の敵意はやがて殺気に―――
その口からまるで獣のような低く唸る音が聞こえた。

聖杯戦争の裏ルールの一つ――
参加している正規の魔術師を殺し、その刻印を剥ぎ取る事でサーヴァントを己が物とする。
外法ではあるが違法ではないそれはこの闘いにおいて……決して少なくない頻度で行われていた事だ。
ならば少女の口から語られた一言が表すもの……それはつまり――――

(―――奪ったという事か? シロウから令呪を……)

少女がその身を介抱したという事実がなければ、この場で剣閃が踊る事になっていたのではないか―――
そう思わせるほどの殺気を両目に孕ませる騎士に対し表情こそ冷静を装っているチンクであったが……
握られた両の手の中は既に大量の汗を握る事となる。

「誤解するな。私が………私たちがその、シロウとか言う奴をどうこうしたわけじゃない。」

記憶の混同。不安定な実体化。この騎士を形作る要因がまるで安定しない理由。
それを話すべきか否か――全てを知った時、この英霊がどのような行動に出るか。
プログラムとして実体化させるには「この」やり方しかなかったとはいえ
これから先、共に闘う仲間になる筈の騎士に酷い苦痛を与えてしまう事となった。
そのせめてもの緩和が出来ないか――所用により、フィールドに降りていた事もあり
岐路につく前に出来るだけの事をしようとしたチンクであったが―――

「とにかくお前は今、凄く危うい状況で……詳しい説明は姉や博士が…」

「シロウはどこだ」

あまりにも取り付く島も無い騎士の激情。
穏やかで物静かな印象を醸し出していた先ほどまでの彼女と比べての――この豹変。
それほどまでに、大事なものなのだ……騎士にとってエミヤシロウという存在は。

気勢に飲まれそうになると同時に彼女に対して尊敬……いや、憧れの念を少女は抱かずにはいられない。
自分とて生みの親である博士を慕う気持ちは誰にも負けないが、機人である自分が同じような状況になった時
目の前の騎士のようにこれほどの想いを……猛りを……示す事が出来るであろうか? 
これほどまでの「揺らぎ」を―――

「一つ問う―――マスターと我が身が引き離されたこの事態……それは貴女らの所業によるものか?」

「そういう事になるかな……」

「先の魔導士や英雄王ギルガメッシュと戦うように仕向けたのは貴女たちか」

「………魔導士に関しては、そうだ」

少しでも緩和を――そんな思いでセイバーに介入した少女であったが、騎士の容態を直に見て後悔せざるを得ない。

(誰かについて来て貰えば良かったな……使える言葉、提示できるカードがあまりにも少ない。
 とはいえ、ウーノ姉は制御室を離れられないとして………クアットロ? 
 いや、あいつはダメだ……説得できる話も壊しかねない。)

思慮に耽り沈黙を続ける少女―――
その時、騎士に被さっていた掛け布がめくれ上がり、目にも止まらぬ速度で具現化された剣が閃く。
あのエースオブエースをして切り結ぶ事すら許さなかったその切っ先が、眼帯の少女の喉元に突きつけられていた。

「……っ!!」

残ったほうの目を見開き唇を噛む少女。
剣は、少女の喉下でピタリと止まっている。

(ヤバイな……くそ…)

「答えよ。チンク」

ピィン、と張り詰めた空気。それはまるで極寒の氷土のようであり――

「シロウは――死んだのか?」

絶対零度の如き冷気を称えたセイバーの声が、僅かに震えた。
抑えようとしても抑え切れぬ騎士の感情はしかし――

「生きてるよ……そいつに関しては一切、手を出してない。」

……………………

沈黙が部屋全体を支配する中―――カチ、コチ、と、時計の針が進む音が妙に響く。

「………その言葉に―――偽りはないか?」

「誓うよ……ウソはつかない」

燃えるような碧眼を向けてくる騎士に対し、あくまで平静を保ち相対する少女。

短い言葉のやり取りだった。
その後、再び場を支配する沈黙であったが――
その一言、その事実だけで、溶岩が急速に冷凍、硬化するように
騎士の激情立ち込める空気が和らぎ、部屋の温度が少し下がった気がした。

(ふう……)

峠は越した、と内心で溜息をつくチンク。

場を支配する緊張が緩和していく――

その時………


   ぐきゅるるるるるるるる 


………………………


「………」

「………」

残った空気をたちどころに霧散させて余りある間の抜けた音が―――部屋一帯に響き渡る。

一瞬、何が起こったのか理解できないチンク。
対して憤怒の獅子の形相を称えていた騎士王の面持ちから一転
「ふあ…!?」という小さな悲鳴と共に苦虫を噛み潰したような顔になるセイバー。

その顔が…………あまりにも少女のツボを――

「………ぷ、」

―――直撃した。

「くく、く……ッ」

「な、何を笑う…!」

「………、ふ………はは、ッはは!」

苛烈なる刃を前にしているという事も忘れて耐え切れなくなってしまう少女。
初めは忍び笑いに過ぎなかった。
それが次第に感情を帯び、フルフルと少女の肩を震わせる。

「あっははははははっ! ははははははははははははははは!!!!
 こりゃいいや傑作だ!! 大技炸裂だぞ英霊!!!」

そしてついに耐え切れなくなった少女が――腹を抱えて大笑いしてしまう。

「わ、我を愚弄するのかッッ!」

「や、やめてくれ!腹がよじれる! 安心したら腹の虫だなんて……ああもう、何だよお前はっ!
 悶えるくらいに可愛いじゃないか! ウチのお転婆どもに見習わせてやりたいなぁ! 
 ………く、くく、ぷはははははははははははははっ!!」

「~~~~~~~~~ッッッッ!!!」

顔を真っ赤にして睨みつける剣のサーヴァント。
だがどれだけ猛ろうともはや格好などつくはずもなく―――

「お腹すいたんだな!? 丁度作り置いていた物がある!持ってきてやるから待ってろ!」

「あ、待て! まだ話は――」

喉元に当てられた剣などまるで意に介さずに部屋を出て行く少女。
この様では主導権を握り続けられる筈もなく、聖剣を突き出した体勢のまま動けないハラペコセイバーが―――

一人残された部屋で―――やがてガクンと肩を落とすのであった……


――――――

(し、醜態だ…)

何もこんな時に、と………羞恥でワナワナと震える騎士王様である。

空気の読めない自分の腹をガツン、と軽く殴る。
扉の向こうではトタトタ、とせわしなく動き回っている音。
そして時を待たず音がこちらへ近づいてくる。

己が羞恥と必死に戦っていたセイバーであったが――その誘惑に勝てそうもない自分が今はひたすら恨めしい。
少女の持ってきてくれるであろうモノにほのかな期待をしてしまっている事がひたすら恥ずかしい。
忠義より食い気……すまないシロウ、とこめかみを抑えてしまうセイバーである。

「待たせたな!」

そしてほどなくして―――勢いよく開け放たれた扉からニコニコ顔で戻ってきたチンク。
もはや大事な問答をする空気ではない。そんな空気は自らの腹がぶち壊した。
騎士の顔は未だに、サクランボの実よりも真っ赤である。

だが、開け放たれた扉より持ってきたモノ
少女の手に持たれている、鼻腔をくすぐるその匂いは――――

「む……」

彼女を羞恥の煉獄より引っ張り上げるに余りあるモノであった。

「む……む?」

そこで誤解を生まぬために言っておくが―――

それは決してお約束どおりの……
良い意味での引き上げではなかった。

「むむ………?」

セイバーが首をかしげる。

――――――――否、これもまたお約束であるのか。

それは匂い、というより臭い………
異臭と呼べるもの。
違和感を感じ、騎士は意識を覚醒せざるを得ない。

やがて少女が右手に持っていた皿をテーブルに置き、食器に盛り付けられたモノ――
それを初めは横目で……凝視する。

「さ、食え!」

自分の目下に置かれたモノを見た時のセイバーの本日最大ともいえる怪訝な表情が……

今の状況を――――如実に語っていた。

「どうした……?」

「………」

「遠慮しなくていいんだぞ?」

ぐつぐつ、と煮立った紫がかった茶色の物体。
荷崩れした何かがプカプカと所在無く浮いており、その刺激臭は鼻を通り越して―――脳にクル。

こんなあからさまに毒々しいモノ………これが食物である筈が無い…
少なくとも、こんなものに口をつける生物などいるはずもないのだが……

(何だ……この暗黒の海から掬ってきたと見紛うばかりの物体は…) 

その、卓上に並べられたダークマターの如き物体に目を向け
セイバーの表情がポカーンと、口を半開きにした間抜けな顔になる。
その工業排水の如き公害スープを食卓に並べた少女の顔が満面の笑みを称えてこちらを見ている。

(た、食べろというのか……これを? バ、バカな………)

「見た目は悪いが今回は自信作なんだ!」

皿に盛られた残り半分の自称・料理……
その物体をレンゲに掬い―――

(なっ!?)

ずいっと騎士の目の前に持ってくる少女。
対してガタン、と息を飲んで後ずさりするセイバー。

「どうした…冷めないうちに食べろ。」

「いえ、私は、その……」

相手の親意に対し、泥を引っ掛けるは無礼の極み。
初めの介抱から、ここに至るまでの数々の施し。
相手の好意を考えるに――ここで拒むは騎士道に反する。

「ささ、騙されたと思って!」

(ま、待て…落ち着けアルトリア……
 だからと言って、このような明らかに食べ辛い物に口をつけなくてはならないという義務は……
 そもそも、この少女は敵かどうかも定かでなくて……)

「さあっ!」

「待って、くれ……今しばし――」

ニコニコ顔でレンゲを薦めてくる少女の満面の笑みが、セイバーには悪魔の手先を連想させたに違いない。

(せ、聖剣よ……)

彼女の右手に添えられた光り輝く勝利の剣。
幾多の戦場を制してきた護り手の加護を今はただ信じ……
剣の英霊は突き出されたレンゲに対し――――――

(クサヤのように見た目と匂いは最悪でも珍味、という例は多々ある…………
 ………………………ええい! ままよっっ!)

観念したようにあーんと口を開けて一口―――

「……………」

期待に胸を膨らませた表情の少女を横目に
眉間に皺を寄せた表情のまま―――もくもく、もくもく、、

もくもく、
もくもくもくもく、
もくもくもくもく、
もくもく―――――――

無言で(無心で、とも言う)口を動かす。

部屋を支配する沈黙に木霊する租借音は一刻―――

期待に胸を膨らませる少女と――そして、

それは例えるならば……
まさに電源の切れたからくりの如き脱力っぷりであった。

まるで軟体動物のように、くにゃり…と、まずは腰からくの字に折れ曲がる。
その後、まるでその脱力が胸、肩、頭と上方に上っていき―――
前方に力なく突っ伏し……………ガターーン!、と顔面から見事に卓上に叩きつけられる。

「あ、あれ……?」

その時間にして1~2秒の壮絶なる光景に、笑みが消えた少女の口から懐疑の声が漏れる

と共に――――顔面をテーブルに打ちつけた反作用でドタン、と後方にぶっ倒れる騎士の王。
無様に天井を仰いだその両目が、ナルトを貼り付けたかのようにクルクルと回っていた。

「うわぁ!? 英霊!? 英霊~~~!!?」

仰天するチンクの叫びが……ただ、ただ遠い―――
チーン、と供養のSEを入れたのは彼女の傍らに侍る聖剣か……

ともあれ最強のサーヴァント・セイバー。


――――――――――――――本日、二度目の気絶である。


――――――

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最終更新:2010年04月03日 14:37