嘉門達夫

{{Infobox Musician | Name = 嘉門 達夫 | Img = | Img_capt = | Img_size = | Landscape = | Background = singer | Birth_name = 鳥飼 達夫 | Alias = 笑福亭 笑光 | Blood = A型 | School_background = 大阪府立春日丘高等学校 | Born = Template:生年月日と年齢 | Died = | Origin = Template:JPN 大阪府茨木市 | Instrument = ボーカル
ギター | Genre = 歌謡曲
コミックソング | Occupation = シンガーソングライター | Years_active = 1983年 - 現在
1975年 - 1980年落語家時代) | Label = クラッチ. | Production = さくら咲く
クラッチ.(業務提携) | Associated_acts = 新田一郎
中町俊自
水戸華之介
工藤隆 | Influences = | URL = 嘉門達夫オフィシャルサイト | Notable_instruments = }}

嘉門 達夫(かもん たつお、男性、1959年3月25日 - )は、日本シンガーソングライターさくら咲く所属。大阪府茨木市出身。血液型A型。本名:鳥飼 達夫(とりかい たつお)。

略歴

  • 1959年3月25日大阪府茨木市に生まれる。
  • 茨木市立中条小学校茨木市立養精中学校大阪府立春日丘高等学校卒業。
  • 1975年 - 大阪府立春日丘高等学校在学中(当時16歳)、笑福亭鶴光(当時27歳)に弟子入り。友人が運転するカブで鶴光を追跡し、弟子入りを志願。弟子入りが決まった当時は高校在学中だったので、鶴光の勧めもあって、最初は放課後師匠の家に行く「通い弟子」の形を取っていた。高校卒業後は鶴光邸に住み込み、“笑福亭 笑光”(しょうふくてい しょうこう)の名を貰う。所属事務所松竹芸能
  • 1978年 - 『MBSヤングタウン』(以下ヤンタン)にレギュラー出演。
  • 1980年 - 笑福亭鶴光から破門を宣告され、松竹芸能との専属契約を解除される。担当番組も全て降板。その後、「自らを見つめ直す」という理由で程なくして日本放浪の旅へ。与論島やスキー場でアルバイトをしながら今のコミックソングのスタイルに行き着き、自らの目指す方向性を確立する。
  • 1981年 - 日本を放浪の後に「次は海外へ放浪しようか」と考えていた頃、偶然にもスキー場で作った曲が芸能プロダクション・アミューズ大里洋吉会長(当時)の耳に止まり、サザンオールスターズの「チャコの海岸物語」をアミューズの契約社員として有線等への営業回りの仕事をする事に。この時の縁がきっかけでサザンのコンサートの打ち上げ等にも参加する事もあり、バンドフロントマンの桑田佳祐とも面識が出来る。その後桑田とも親しくなり、桑田に自らの芸名を考えて欲しいと依頼(桑田に依頼した理由は、所ジョージの芸名の名付け親がミュージシャンの宇崎竜童だったという話に起因していると後に本人が語っている)。最初、桑田は“カメリア・ダイヤモンド”という名前を考えたが、嘉門が却下。その後、桑田が別の活動の時に使用していた“嘉門雄三”の苗字を譲り受ける。以降、“嘉門 達夫”と名乗るようになった。その後、ヤンタンにも復帰する。
  • 1983年 - シンガーソングライターデビューし、「ヤンキーの兄ちゃんのうた」をリリース。読売テレビ有線放送大賞(大阪有線主催)とTBS有線大賞(キャンシステム主催)で新人賞受賞。
  • 1984年 - 6月 『水曜スペシャル 川口浩探検隊』のパロディソング「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」をリリース。
  • 1989年 - 7月 代官山プロダクション(以下代プロ)へ移籍。同時に、レコード会社も日本コロムビアからビクター音楽産業へ移籍。
  • 1991年 - 「替え唄メドレー」が82万枚<ref name=hochi>[長寿のヒミツ]音楽と笑い融合嘉門達夫バカソング一筋25年スポーツ報知、2008年6月10日。のセールスを記録。自身最大のヒット曲となる。
  • 1992年 - 『第43回NHK紅白歌合戦』に「替え唄メドレー〜紅白バージョン」で出場。
  • 1994年 - 1月1日に発売した「スモーキンブギレディース」を皮切りに、月に1枚のペースでシングルやアルバムを発売するという「マンスリーCDリリース計画」を敢行。
  • 1997年 - ビクターから代プロの自社ブランド・DAIPRO-Xへ移籍。移籍第1弾「新・替え唄メドレー」をリリース。
  • 1999年 - アルバム『お前はまちがっとる!』をリリース。
  • 2000年 - トレードマークであった黒髪のオールバックから金髪へとイメージチェンジ。
  • 2002年 - 後にはなわに盗作疑惑がかかるという「ガッツ石松伝説」をリリース。
  • 2003年 - 4月 デビュー20周年記念アルバム『達人伝説』をリリース。
  • 2003年 - 6月 初のDVDメディア作品『達人伝説』をリリース。
  • 2004年 - 11月 『嘉門達夫シングルベストコレクション+3 2002〜2004』をリリース。
  • 2005年 - 1月5日 ニューヨークアポロ・シアター「アマチュアナイト」に出演するが、歌い始める前のパフォーマンスでブーイングを受けて退場。
  • 2005年 - 1月 コロムビア時代の曲を集めたアルバム『嘉門達夫ゴールデン☆ベスト -オールシングルス&爆笑セレクション 1983〜1989-』をリリース。
  • 2005年 - 4月 東京都立翔陽高等学校校歌「はばたけ!未来へ」の作詞・作曲を担当。
  • 2006年 - 4月 「働くオジサン宣言〜関白宣言〜」など収録したアルバム『笑撃王』をリリース。
  • 2006年 - 7月 GyaOの番組『嘉門達夫のナリキン投稿天国』から誕生した“嘉門達夫とナリ天ボーイズ”が歌う「恋のチャルメラ ププッピ ドゥー!」をリリース。
  • 2008年6月現在、シングルとアルバムを合わせた累計売上は847万枚<ref name=hochi />。
  • 2009年 - 9月 個人事務所・さくら咲くを設立し、独立同月には、所属していた芸能事務所・代官山プロダクションが倒産している。。また、大阪府内の芸能事務所・クラッチ.に業務提携の形で所属している。

人物

  • テレビのトーク番組などに出演する際、番組の司会者たちと会談する時には普通の眼鏡を、替え唄を披露する時(即興は除く)には小さい丸縁のサングラスを装着する。
  • CDレンタルに対しては否定的な姿勢を持ち、露骨に嫌悪感を示している。本人がかつてパーソナリティを務めていた『爆裂スーパーファンタジー』などにおいて「借りると呪われる」と主張していた(後に同番組のもう一人のパーソナリティ鈴木彩子の説得により「18歳以上の人が借りると呪われる」と番組内のみだが変更された)。番組後期の放送内などでは、「レンタルで借りる人をあまり悪く言うのも…」といった言動も見られる事となった。『怒りのグルーヴ』では腹の立つファンの事例として「いつもCD、借りて聞いてます」と話しかけてくるファンを挙げている。また、『アホが見るブタのケツ・2』の間奏部分でも「お金を出して買ったあなただけが参加できるこのコーナー」・「レンタルのキミは参加するなよ」というセリフがある。
  • 「替え歌を作るたびに本人の所に出向いて曲の使用許可を得ていた」とテレビ番組に出演した際に語っていた。
  • 多くの人に「頭髪を後ろで結っていた時期が過去にあった」という誤解をされているからか、「あれ、後ろで結んでいた髪、切ったんですか?とよく言われてしまう」とラジオ番組などで度々述べている。本人曰く「あまりにも綺麗なストレートヘアでオールバックだから後ろで留めている(結んでいる)と思われた」とのこと。
  • 自身の楽曲が宝塚女優によく聞かれていたため、嘉門自身宝塚歌劇団へ出前ライブに行くこともあった。また、この出前ライブを通して宝塚女優とも親交があり、アルバム『天賦の才能』のライナーノーツにこの事が記されている。

少年時代・1970年代のエピソード

  • 幼少時代に日本万国博覧会(大阪万博)が近所で行われた際には頻繁に通い(計21回)、万博の記念バッジを貰ってコレクションしていた。『開運!なんでも鑑定団』に出演した際にそのバッジを鑑定してもらった所、15万円の鑑定額が付いた。嘉門は「このバッジは1000万円積まれても売らない」と言ったくらいそのバッジは大事に保管している。2005年に行われた愛・地球博や、2010年に行われた上海万博にも出向き、ここでも多くのバッジを獲得している。また、大阪万博での思い出を歌った『太陽の塔』という歌もリリースしている。
  • 元々嘉門曰くの「ケッタイなモン」に対する収集欲は強く、「三ッ扇サイダー」を始めとするバッタモノドリンクや、ホテルや旅館の客室にある使い捨て小型チューブ歯磨き粉に、寿司の折り詰めに付いてくる小さな醤油の入れ物等も収集している。
  • 番組で「万博のグッズが5万円で売れた」と言い、リスナーから「なんでも鑑定団では、10万て言ってなかったですか?」といったハガキが来て嘉門本人が「君、そりゃバッジやがな、俺が売ったんはステッカーや」と突っ込んでいた。
  • 少年時代は、大阪万博と小学校当時担任だった先生の国語の授業に多大な影響を受ける(以後国語の成績は、常にトップクラスだったらしい)。また、山口百恵の大ファンで、追っかけをしていた高校生当時には、彼女が在籍する学校まで足を運んだ事もある。
  • 嘉門自身がラジオの深夜放送にのめり込みだしたのは中学生になってからで、後に嘉門は『ヤンタン』のレギュラー出演者になるのだが、中学生頃の嘉門自身がヤンタンのヘビーリスナーであった。番組宛てにネタを投稿するハガキ職人として活躍していた。そしてこの頃から、ラジオのパーソナリティになりたいという夢を抱く様になる。
  • 高校の卒業式では答辞を務めたが、羽織袴でギャグを挟みながら生徒から集めたアンケートを元にディスクジョッキー式の答辞を行うという大胆な行動を取った。しかし春日丘高校は進学校で、このような答辞は前代未聞であったことから、最後の締めをマジメに行こうと思ったところで、違うクラスの担任から「お前の答辞はふざけすぎだ!!」と強制退場させられそうになるが、本人は最後まで務めた。傷心で舞台を降りようとしたとき、出席していた保護者の一人が「よかったよ」と握手を求めてきたという。この件に対しては生徒が署名を集めたり、別の学校の先生から「君らの考えは甘い」と意見されたりなど、かなり大きな問題となってしまった(かつて発行していた嘉門達夫FC会報・タットタンCLUBにてその詳細が語られている)。
  • 鶴光に弟子入りした理由は、落語には元々興味が無かったが、当時嘉門は桂三枝に憧れていたものの桂という屋号には魅力を感じず、同時に叔父弟子の笑福亭仁鶴が出演していたラジオ番組『ABCヤングリクエスト』も良く聞いており、笑福亭という屋号には強い憧れがあったとのこと。しかし、仁鶴には既に多くの弟子が居たために、同じ笑福亭という屋号で当時ラジオで人気急上昇中だった鶴光に弟子入りを申し込んだ。なお、もし仁鶴に弟子入りしていたら、名前を“笑福亭 加仁”(しょうふくてい かに)にしたいと妄想していた。鶴光に弟子入りした際に“笑福亭 光茶”(しょうふくてい こうちゃ)と名乗ろうとしたが、こちらは大師匠の笑福亭松鶴(6代目、仁鶴・鶴光の師匠)に却下された。

1980年代のエピソード

  • 笑福亭鶴光に破門された原因について嘉門自身は多くを語らず、「いきなり、師匠からの破門と事務所からのクビを言い渡され、その場で社屋からつまみ出された」といった話しかしない。元々落語自体にはあまり興味が無かった嘉門は、鶴光へ一切報告せず落語以外の新しい仕事を増やし続けていたという。そのうち、嘉門自身が本当にやりたい事と落語家の弟子という立場が乖離しはじめ、またさらに鶴光の自宅へ行かなかった事や渡辺一雄著『ヤンタンの時代』より。、鶴光と仕事観を巡って対立したために松竹芸能から一方的に専属契約を解除されてしまう。
  • しかしながら現在も鶴光と共演する時や、偶然同じ放送局で仕事をする事になった際には、必ず楽屋を訪ね挨拶を欠かさない。(『ニッポン全国ラジベガス』出演時のコメントより)。
  • ブラックユーモアとして「破門の理由は『サル自慰行為を教えると死ぬまでやり続ける』という俗説の真偽を確かめるため、師匠のペットのサルを実験台にした事である」などという架空のエピソードを語っている。
  • 『ヤンキーの兄ちゃんのうた』以前の1982年に『寿限無No.1!』という幻のデビュー曲を発表しているが、売れたのは200枚だけだった。
  • 1989年11月21日発売のアルバム『バルセロナ』に『ハンバーガーショップ』という曲が収録されているが、元々は1989年頃にライブやテレビ放映で披露していた『マクドナルドキラー』という歌。ハンバーガー店のマニュアル教育上がりの店員に来客が戦いを挑むというシチュエーションを風刺した内容であったが(これに加え美容室バージョンも存在)、名指しであったためタイトルと歌詞の一部を変えた『ハンバーガーショップ』としてリリースすることとなった。その人気を経て『血液型別ハンバーガーショップ』や『ハンバーガーショップ(国会編)』などの続編も作られている。なお、1995年12月1日に『激突!ハンバーガーショップ』というタイトルで歌詞を一部変更してシングルとしてリリースされている。

1990年代前半のエピソード

  • 『替え唄メドレー』シリーズは多数の楽曲を扱っているが、中には著作権の問題などでCD化に至らない曲やCD化の際に歌詞が差し替えられる曲も多い。詳しくは替え唄メドレーを参照。
  • 一方、同シリーズ内で歌われた都市や観光名所(津市下呂温泉など)からは、「地元の宣伝をしてもらえた」ということで感謝の意を表されることもあった。当時嘉門が出演していた中京テレビの深夜番組『ラジごめII金曜日の王様』1992年1月10日放送分では、下呂町役場の観光協会事務局長からの感謝状が番組宛てに届いていた。
  • サザエさんを題材にした曲『サザエさんグラフィティ』は80年代頃からライブ等で披露していたが、原作者長谷川町子の存命中はCD化の許可が得られず、リリースはまず無理だろうと思われていた。しかし、歌詞にあるきつい下ネタ部分などを一部差し替えた上で、後にこの曲が『NIPPONのサザエさん』としてCD化された。ライブでは今もこの曲を非認可バージョンの歌詞で歌う(こともある模様)。
  • 出身校・春日丘高等学校の後輩に槇原敬之がいる。嘉門と槇原でどちらが先に年末のNHK紅白歌合戦』に出場するかを競ったが、槇原は1991年の紅白に出場が決定し、先を越される(嘉門は1992年の紅白に出場)。
  • 1992年、一般人の女性と婚約するが、仕事が多忙を極めていた嘉門と婚約者のすれ違いが多くなり、結局婚約解消となっている(後述)。同年末に紅白歌合戦で彼が着用していたステージ衣装は、結婚式のために用意していた物だった。
  • 1993年以降は、自身が看板のラジオ番組の仕事とライブイベントなどの地方営業の仕事が中心となっており、テレビ番組への出演は一時期に比べると少なくなってきている。全国ネット番組への出演は特に少なく、あるとしてもゲスト出演で呼ばれることが殆どである。なお、2000年代からはインターネットラジオインターネットテレビで看板番組を持つことが多くなってきている。
  • 1994年、「マンスリーCDリリース計画」と題し、月に1枚のペースでCDをリリースする活動を行なった。この企画でリリースされたCDはシングル10枚、オリジナルアルバム1枚、ベストアルバム1枚。

阪神・淡路大震災でのエピソード

  • 1995年1月17日、神戸市内のホテルに宿泊中、阪神・淡路大震災に遭う。当時、ホテルはパニック状態であったが、彼が芸能人であるという事に殆どの宿泊客が気付かぬ状況下で一宿泊客として自制を呼びかけ、その場を鎮めた。
  • 2日後、被災地から関西国際空港へフェリーで移動中に船内のテレビを見て、それまで断片的にしか分からなかった被害の全容を知り、大きな衝撃を受ける。その際、友人の北野誠に電話で「誠、俺は…。もうこれは世界の終わりや。一体どうなってしまうんや。もう俺自身はお金を持っていても意味はない」と胸の内を吐露し、即断で500万円の義援金を被災地に送る。
  • その後、さらに、新築の自宅を売却して捻出した3000万円の義援金を被災地に送った。そして、この時の経験を基に書いた「怒りのグルーヴ 〜震災篇〜」をチャリティーシングルとしてリリースした。レコーディングには、同じく被災者救済を訴えていた泉谷しげる大江千里も参加。曲中では、「村山総理が来たのはスイスの(災害救助)犬より遅かった、首相官邸はスイスより遠いんか(当時の首相村山富市)」や「白髪のニュースキャスターは焼け跡をバックに『まるで温泉場のようです』何ぬかすんじゃ(筑紫哲也)」などと批判している。

1997年以降の活動

  • 1997年、所属事務所の代官山プロダクションが嘉門が所属していたレコード会社のビクターと提携して別途設立したDAIPRO-X(ダイプロ・エックス)へと移籍する。
  • 41歳を迎えた2000年、下顎の贅肉のたぷつき具合を指摘されたのを機にダイエットに挑戦。穀物を控え、蒸しモヤシにおかずを乗せて食べるという食生活を続けたところ、1ヶ月で体重が7kg落ち見事ダイエットに成功。現在もそのスタイルを維持しており、また、これを機に黒髪のオールバックから金髪へと変えた(以前からの定番だった黒服・サングラスのスタイルはそのまま継続)。始めた当初、すでに芸能界を引退していた上岡龍太郎に「たった2キロでもつらいのに上岡さんはすごい。でも、体重を絞るために続けます」というメールを入れたところ、「君はジョギングを冒涜している。動物は楽しければ走りたくなる。何かの為に走るというのは走ること自体を馬鹿にしている」という返信で一喝された。ただしメールの最後は「楽しく走ろうというなら協力する、ジョギングのことなら何でも質問してくれ」と結ばれており、後に嘉門が「走ることが楽しくなってきた」と送ったところ「君こそ真のランナーだ」という称賛の返事が届いたという。
  • ビクター時代のCDは、シングル・オリジナルアルバム共に現在全て廃盤となっている。2005年、そのビクター時代の音源を集めたベストアルバムが発売された。これは通常のレコード・CD店では扱っておらず、主に高速道路の各サービスエリア内にて販売されている。
  • 2005年1月5日(現地時間)、アメリカ合衆国ニューヨークライブハウスアポロシアターのステージに立つが観客からのブーイングによって強制退場させられた上、半年間出入り禁止のペナルティを受ける(これはブーイングが一定を越えた時の番組で設定されているルールであり、嘉門が特別受けたペナルティという訳ではない)。しかし、本人は再びチャレンジするつもりである。
  • 音楽以外の活動としては、2005年3月7日から始めたコラム連載(デイリースポーツ『嘉門達夫のオモシロ人間交友録』 - 毎週月曜掲載、2006年10月からは毎週木曜掲載)、その他執筆活動がある。また、以前に自分の半生を描く演劇の企画が持ち上がった時は自身がその役を演じた。
  • 2006年には、JR西日本イメージキャラクターに採用された。

家族

  • 49歳まで独身だったが、2008年11月30日に都内の大学病院に勤務する43歳の眼科医と結婚した。2人とも初婚である。
30代の頃からずっと独身をネタにしていたが、実際は1992年に一般の女性と婚約するに至るまで進展した時期があった。当時、その女性を自身のコンサートに招待したり、自身の担当する番組『ラジごめII金曜日の王様』にも呼んで出演させたりしていた。しかし、当時「替え唄メドレー」や「鼻から牛乳」等のヒットによって多忙を極めていた彼との間に、お互いの微妙なズレが段々と出てしまったことにより婚約を解消。このチャンスを逃したせいか、それ以降は結婚に関する話題は長期間にわたって出なかった。
未婚のままでいた理由としては、「家庭に入りたいという女性を好きにならない」、かと言って「向上心が強い女性は自分第一だからダメ」といった自身の矛盾した価値観を挙げている。好きな女性のタイプは、「刺激を与えてくれる人」や「お互いに向上しあったりする人」とのこと。
2009年2月15日に東京都内で、2月21日には大阪府の日本万国博覧会会場跡にあるホテルで結婚披露宴が行われた。これは嘉門が自他共に認める「万博フリーク」であるからである。
  • 自身は大阪府茨木市で生まれ育ったが、父は兵庫県西宮市の出身で、母は島根県大田市の出身である。
  • 兄弟は、弟と妹がいる。父親の顔に黒子が多く、その影響からか兄弟全員顔に黒子が多い。この事から、地元では評判の「判子家族」だった様だ。弟妹共に一般人なのだが、妹の方は一時期嘉門のファンクラブの会報に寄稿したり、当時嘉門が担当していたラジオ番組にゲストで出演したりした事がある。
  • かつて「銭湯に行く」と言って外出したまま行方不明になった祖父をいつか捜しに行きたい、と嘉門は語っている。

嘉門達夫の楽曲カテゴライズ

本人によると、自身の発表する楽曲は概ね以下の3つにカテゴリ化できるという。

  1. あるあるネタと俗に呼ばれる、特定の法則や日常ありがちな現象などの指摘
    • サザエさんグラフィティ(NIPPONのサザエさん)
    • アホが見るブタのケツ
    • 小市民シリーズ
    • ハンバーガーショップシリーズ - 「国会編」や「血液型別」、初代のリメイクである「激突!ハンバーガーショップ」がある。
    • 鼻から牛乳 - バッハの『トッカータとフーガニ短調』を流用。
    • マーフィーの法則シリーズ
    • GO!GO!スクールメイツ
    • オーマイガー! - 主よ、人の望みの喜びよを流用。いわゆる失敗・残念な出来事ネタ(例:カップラーメンに湯を注いだら、具の袋がプカプカ浮いとった。オーマイガー!)。
      • 「スキスキお菓子バージョン」では、お菓子の食べ方のあるあるネタになっている(前者の「オーマイガー!」の叫びが「美味しい!」となっている)。
  2. 言葉遊び(駄洒落や替え唄など)
  3. 反実仮想(「もしもこんな物事が実際にあったら」的なネタ)
  4. その他(特定の番組や人物に対する風刺ネタ曲、およびコミックソングではない通常の恋愛もののバラードなど)
    • ゆけ!ゆけ!川口浩!! - 当時放送されていたテレビ番組『水曜スペシャル 川口浩探検隊』を風刺したもの。
    • ゆけ!ゆけ!川口順子!! - 当時の国会川口順子外務大臣を風刺した、上記の別歌詞バージョン。
    • ゆけ!ゆけ!高倉義和!! - 他界した親友を歌った曲、上記の別歌詞バージョン。
    • ゆけ!ゆけ!嘉門達夫!! - ニューギンCR嘉門達夫のたのしい昔話での大当り中に流れる曲の1つ。「行け!行け!川口浩!!」の「川口浩」を「嘉門達夫」に変えたバージョン。
    • タンバでルンバ
    • ガッツ石松伝説
    • 働くオジサン宣言 - 「関白宣言」の替え唄。みのもんた明石家さんま美輪明宏さだまさしの4人を歌っている。
    • バイバイスクールデイズ
    • 君がいた季節
    • 何かいいこと起こりそう
    • 明るい未来
    • 怒りのグルーヴ - 元々は当たり前すぎる注意書き(例:水虫薬の「目には使用しないでください」)などに対する怒りを歌ったもの。阪神・淡路大震災でのマスコミ関係者やオウム真理教とその関係者などを風刺したバージョンあり。おとぎ話篇・童謡篇は風刺ではなくおとぎ話の筋書きや童謡の歌詞へツッコむ形のネタ的内容。
    • 毎日が文化祭 - 嘉門達夫初のミュージカルビデオ「健康を損なう恐れがあります」に収録、その後アルバム「劇的な日常」に収録
    • マジメな歌 - アルバム「笑う女」に収録、当初嘉門本人は「振り向けば君が」というタイトルにしたかったがプロデューサーの一声でマジメな歌に決定

楽曲によってはこれらが組み合わされた楽曲や、コント的なものにこれらを合わせた作品なども存在する。-->

ディスコグラフィ

シングル

太字の曲名はA面扱いを示す。

シングルタイトル
B/W・C/W
作詞 作曲 編曲 その他 発売年 レーベル 備考
寿限無No.1!
真冬のロンリー・ビーチ
森雪之丞 芹澤廣明 ミンツ(コーラス) 1982年12月21日 コロムビアレコード 前者は『寿限無さん』というアニメの企画のために作られた曲(その後、企画自体が無くなっている)。公式のディスコグラフィには載っていない。2曲とも長年CD化されていなかったが、ベストアルバム『嘉門達夫 ゴールデン☆ベスト -オールシングルス&爆笑セレクション 1983〜1989-』とCD-BOX『嘉門達夫豪華盤〜Columbia years〜』の「お調子者で行こう」のボーナストラックでCD化されて入手可能。
ヤンキーの兄ちゃんのうた
アタシはばってら
嘉門達夫 嘉門達夫 嘉門達夫 1983年7月21日 正式なデビューシングル。B面の「アタシはばってら」はシングルではギター弾き語りで録音されているが、アルバムでは「私はバッテラ」と改題し、歌詞も一部変えての演歌調アレンジがされている。ベストアルバム『嘉門達夫 ゴールデン☆ベスト -オールシングルス&爆笑セレクション 1983〜1989-』とCD-BOX『嘉門達夫豪華盤〜Columbia years〜』の「お調子者で行こう」のボーナストラックでCD化されて入手可能。
ゆけ!ゆけ!川口浩!!
あったらコワイセレナーデ
嘉門達夫・青木一郎
嘉門達夫
新田一郎
嘉門達夫
1984年6月21日 *当時、『オレたちひょうきん族』の「ひょうきんベストテン」において披露されている。B面の「あったらコワイセレナーデ」は大阪市梅田の阪神デパート屋上でのライブ録音。
  • 2009年にアニメ『そらのおとしもの』第5話のエンディングに、新録したものが使用された。
アホが見るブタのケツ
あったらコワイセレナーデ2
嘉門達夫 新田一郎 1985年4月1日
哀愁の黒乳首
ペンション
新田一郎
戸田誠司
富田靖子(声の出演) 1985年12月1日 両A面シングル。「哀愁の黒乳首」はテレビでCMも流れた。
ユカイなモッコリ
アホが見るブタのケツ・2
戸田誠司
新田一郎
EVE(コーラス)
なぎら健壱(コーラス)
1986年7月1日 B面の「アホが見るブタのケツ・2」は2012年3月28日にマキシシングルで発売される。
タンバでルンバ
ウシ
嘉門達夫
嘉門達夫・水野重之
新田一郎 1987年12月21日 ベストアルバム『嘉門達夫 ゴールデン☆ベスト -オールシングルス&爆笑セレクション 1983〜1989-』とCD-BOX『嘉門達夫豪華盤〜Columbia years〜』の「お調子者で行こう」のボーナストラックでCD化されて入手可能。
小市民
ほっといてくれよ!
嘉門達夫 渡辺茂樹
新田一郎
with小倉久寛 1988年9月1日 B面の「ほっといてくれよ!」は嘉門単独曲。当初はB面に「サザエさんグラフティ」を収録する予定で録音まで行ったが、諸事情により急遽変更された。
小市民2
AWAN AWAN!!
嘉門達夫
杉本つよし
渡辺茂樹 with小倉久寛 1989年3月21日 シングルはアルバムよりも短い。2曲ともベストアルバム『嘉門達夫 ゴールデン☆ベスト -オールシングルス&爆笑セレクション 1983〜1989-』とCD-BOX『嘉門達夫豪華盤〜Columbia years〜』の「お調子者で行こう」のボーナストラックでCD化されて入手可能。
結婚しようよ -彼女はもうすぐ26-
ドッヂボール
結婚しようよ -彼女はもうすぐ26-(オリジナル・カラオケ)
ドッヂボール(オリジナル・カラオケ)
吉田拓郎・嘉門達夫
嘉門達夫
吉田拓郎・嘉門達夫
嘉門達夫
工藤隆
嘉門達夫 & Mother Goose
1989年9月21日 ビクター音楽産業 吉田拓郎のヒット曲「結婚しようよ」をサビに使用し、新たにAメロBメロを加えて構成された曲。
タリラリラーン ロックンロールフジテレビ系アニメ『平成天才バカボン』オープニングテーマ)
その日は朝から夜だった(フジテレビ系アニメ『平成天才バカボン』エンディングテーマ)
タリラリラーン ロックンロール(オリジナル・カラオケ)
その日は朝から夜だった(オリジナル・カラオケ)
嘉門達夫 嘉門達夫 工藤隆 富田耕生林原めぐみ増山江威子坂本千夏千葉繁田原アルノ (声の出演) 1990年2月1日 現在までオリジナルアルバムやベストアルバムに収録された事はない。現在は、赤塚不二夫が原作漫画を手掛けたアニメ作品のテーマ曲を集めたアルバム『爆笑! アカツカ TVショー 〜赤塚不二夫 アニメ大全〜』にシングルのカップリングとしても収められたEDテーマの「その日は朝から夜だった」と共に収録されて入手可能である。
FUTAMATA(女性編)〜アッシー君とツクシンボ〜
FUTAMATA(男性編)〜あの娘はファースト、彼女はセカンド〜
FUTAMATA(女性編)〜アッシー君とツクシンボ〜(オリジナル・カラオケ)
FUTAMATA(男性編)〜あの娘はファースト、彼女はセカンド〜(替え唄用カラオケ)
嘉門達夫・ぜんじろう
嘉門達夫
嘉門達夫 1990年3月21日 アルバム『バルセロナ』からのシングルカット。歌詞はシングル用に一部変更。
勝手にシンドバット
夏のサマー
勝手にシンドバット(オリジナル・カラオケ)
夏のサマー(オリジナル・カラオケ)
桑田佳祐・嘉門達夫
嘉門達夫
桑田佳祐
嘉門達夫
1990年7月4日 アルバム『リゾート計画』と同時発売。
やってミソ!カルビー「ポテトチップス辛みそソース味」CMソング)
ジミー&ハデー(リゾート編)(川鉄商事「リゾート篇」CMソング)
嘉門達夫 嘉門達夫 米光亮
嘉門達夫 & Mother Goose
1990年10月21日 「やってミソ!」のPVで南流石が振り付けをした。
カップリング曲はアルバム『リゾート計画』からのシングルカット。アルバムではカットされたネタが追加されている完全版。
カラオケNo.1
カラオケNo.1(オリジナル・カラオケ)
カラオケNo.1(ロングバージョン)
工藤隆 with 原田さとみ 1991年2月21日 「ロングバージョン」には、通常のカラオケNo.1の前にカラオケを題材にしたコントトラックが挿入されている。
替え唄メドレー
バイバイスクールデイズ
替え唄メドレー(オリジナル・カラオケ)
バイバイスクールデイズ(オリジナル・カラオケ)
嘉門達夫(「脚色」としてクレジット)
嘉門達夫
(替え唄であるためにクレジットは無し)
嘉門達夫
新田一郎
工藤隆
1991年5月21日 「バイバイスクールデイズ」はアルバム『』からのシングルカット。
替え唄メドレー2
血液型ハンバーガーショップ
替え唄メドレー2(オリジナル・カラオケ)
血液型ハンバーガーショップ(オリジナル・カラオケ)
嘉門達夫(脚色)
嘉門達夫、桝野幸宏
嘉門達夫(c/w) 新田一郎
工藤隆
1991年9月21日 「血液型別ハンバーガーショップ」はアルバム『宴』からのシングルカット。
替え唄メドレー3(完結篇)
んなアホな!
替え唄メドレー3(完結篇)(オリジナル・カラオケ)
んなアホな!(オリジナル・カラオケ)
嘉門達夫(脚色)
嘉門達夫 & ラジゴメオールスターズ
工藤隆(c/w) 新田一郎
工藤隆
荒井注(ゲストボーカル) 1992年1月1日 アルバム『天賦の才能』と同時発売。
鼻から牛乳
帰って来た替え唄メドレー4
鼻から牛乳(オリジナル・カラオケ)
帰って来た替え唄メドレー4(オリジナル・カラオケ)
嘉門達夫
嘉門達夫(脚色)
嘉門達夫(鼻から牛乳) 工藤隆
新田一郎
1992年4月21日 両曲メイン扱い
「鼻から牛乳」はアルバム『天賦の才能』からのシングルカット。
鼻から牛乳 -第2章-
ショートソング・メドレー
鼻から牛乳 -第2章-(オリジナル・カラオケ)
ショートソング・メドレー(オリジナル・カラオケ)
嘉門達夫
嘉門達夫、杉本つよし、
堺宗大、高野孝敏
嘉門達夫
嘉門達夫、工藤隆
工藤隆 1992年7月22日
デュエット替え唄メドレー
ひとりぼっちのクリスマス(シングルバージョン)
デュエット替え唄メドレー(オリジナル・カラオケ)
ひとりぼっちのクリスマス(シングルバージョン)(オリジナル・カラオケ)
嘉門達夫(脚色)
嘉門達夫(原案)
新田一郎
高田弘
with 浅田美代子
和田弘とマヒナスターズ(コーラス)
1992年12月2日 冒頭に浅田のヒット曲「赤い風船」の替え歌が挿入されている。
カップリングの「ひとりぼっちのクリスマス」はアルバム『怒濤の達人』からのシングルカット。「シングルバージョン」として冒頭のドラマがカットされている。
GO!GO!スクールメイツ福武書店進研ゼミ中学講座」CMソング)
替え唄メドレー -紅白バージョン-
GO!GO!スクールメイツ(オリジナル・カラオケ)
替え唄メドレー -紅白バージョン-(オリジナル・カラオケ)
嘉門達夫、YOSSHI
嘉門達夫(脚色)
嘉門達夫、新田一郎(GO!GO!スクールメイツ) 新田一郎、兼崎順一(ブラスアレンジ)
新田一郎
1993年3月24日 振り付けをラッキィ池田が担当しており、ミュージカルビデオ『健康を損なう恐れがあります』の特典映像にて本人が振り付けの解説をしている。
カップリングの「替え唄メドレー -紅白バージョン-」は1992年の紅白で披露したバージョン。
NIPPONのサザエさん
ひねりなさい2(UHA味覚糖CMソング)
NIPPONのサザエさん(オリジナル・カラオケ)
ひねりなさい2(オリジナル・カラオケ)
嘉門達夫
嘉門達夫とラジゴメオールスターズ
嘉門達夫
工藤隆
嘉門達夫と大名行列
工藤隆
1993年8月21日 前述の「小市民」のB面になる予定だった「サザエさんグラフティ」をバージョンアップさせたもの。
カップリングの「ひねりなさい2」(「ひねりなさいひねりなさい」と読む)はアルバム『怒濤の達人』収録の「ワッチャー&ひねりなさい」と同じカラオケを使っている。
  • スモーキン・ブギ レディース(1994年1月1日)
  • マーフィーの法則(1994年2月2日)
  • 君がいた季節/カラオケならOK(1994年3月2日) - 福武書店「進研ゼミ中学講座」CMソング。
  • WE ARE ROCKMAN(1994年5月11日) - カプコンロックマンズサッカー』CMイメージソング。
  • 続・マーフィーの法則(1994年6月1日)
  • あわんあわん音頭(1994年7月21日)
  • アイしてりんこスキりんこ(1994年8月24日) - 日清食品「日清ラーメンこってりんこ」CMイメージソング。
  • サザン替え唄大メドレー(1994年9月21日)
  • ネコニャンニャンニャン[達夫&伸郎バージョン](1994年10月21日)
  • ススメ(1994年11月23日) - 大正製薬「大正漢方胃腸薬」CMイメージソング。
  • 怒りのグルーヴ 〜震災篇〜(1995年7月21日)
  • 激突!ハンバーガーショップ(1995年12年1日)
  • TK替え唄メドレー(1996年4月24日)
  • TK替え唄メドレー2(1996年9月28日)
  • 新・替え唄メドレー(1997年3月21日)
  • ソリャニャーゼ セニョリータ(1997年6月21日)
  • 替え唄クラシックメドレー(1997年9月22日)
  • アニメ替え唄スーパーメドレー(1997年12月17日)
  • ワールドカップだぜぃ!(1998年3月21日)
  • ザッツ・替え唄メドレー(1998年8月5日)
  • 男に逃げられた(1998年10月21日)
  • 誰がそこまでガンバレ!言うた(1999年2月24日)
  • ええ奴やんか(1999年5月21日)
  • それはまるで(2000年1月21日)
  • 替え唄メドレードラゴン(2000年1月21日)
  • ミレニアムの法則(2000年8月23日)
  • 鼻から牛乳〜世紀末バージョン〜(2000年11月1日)
  • これは何かの陰謀だスペシャル(2001年1月24日)
  • 替え唄メドレー2001(2001年4月21日)
  • 特選・替え唄メドレー〜DANCE MIX〜(2001年7月25日)
  • CM替え唄メドレー(2001年10月24日)
  • CHAU!CHAU!CHAU!/THE ENKA 替え唄メドレー(2002年3月21日)
  • ガッツ石松伝説(2002年6月21日)
  • 夢・ドリーム(2002年9月21日)
  • 青春 フォーク替え唄メドレー(2003年1月22日)
  • 明るい未来〜シングルバージョン〜(2003年4月23日)
  • ひとりぼっちのクリスマス/NIPPONのお正月(2003年11月21日)
  • 少年はいつの日もバカ!/ジ・アンサーソング〜テツ&トモに捧ぐ〜(2004年4月21日)
  • ワリカンがイヤだって言ってるんじゃないのよ!(2005年4月21日)
  • 替え唄メドレー2005(2005年10月21日)
  • 働くオジサン宣言〜関白宣言〜(2006年4月21日)
  • 恋のチャルメラ ププッピ ドゥー!(2006年7月26日)
  • 新・鼻から牛乳(2006年10月25日)
  • 続・アニメ替え唄スーパーメドレー(2007年4月25日)
  • あったらコワイセレナーデ〜ベスト・オブ・エロコワ〜/〜ベスト・オブ・最近〜(2007年10月24日)
  • さくら咲く(2010年1月20日)
  • 風が吹いてる〜炭坑があった町〜(2010年10月6日)
  • 希望のマーチ(2011年5月25日)
  • うな太郎の大冒険(2011年7月21日)
  • アホが見るブタのケツ〜ベスト〜/鼻から牛乳〜キッズバージョン〜(2011年12月14日)
  • アホが見るブタのケツ・2(2012年3月28日)

アルバム

  • お調子者で行こう(1985年6月12日) - 実は、発売直前当時のレコード倫理審査会(レコ倫)からアルバムに収録予定だった「業界人間ベム」と「一発屋ブルース」内容はいわゆる一発屋と言われた歌手や芸能人の曲や台詞を約1フレーズ歌い、その後に嘉門が中傷と取られかねない風刺を入れるというもの。当時担当していたラジオ番組『カモンコンピュート』でフルコーラスで流された。の2曲にクレームが付き、発売が1度延期になった経緯がある。「業界人間ベム」は歌詞を一部差し替えただけで済んだが、「一発屋ブルース」に関してはアルバム収録そのものがNGとなってお蔵入りした。ちなみに「一発屋ブルース」の代わりに収録されたのが、5曲目の「お前らには負けへんで」である。またLPジャケット写真は、サザンオールスターズのアルバム『人気者で行こう』のパロディになっている。
  • 日常〜COM'ON!超B級娯楽音楽〜(1986年2月21日)
  • 小市民宣言(1988年11月21日)
  • 小市民大全集(1989年3月21日)
  • バルセロナ(1989年11月21日)
  • リゾート計画(1990年7月21日)
  • (1991年3月21日)
  • 天賦の才能(1992年1月1日)
  • 怒濤の達人(1992年9月9日)
  • NIPPONの楽しみ(1993年9月22日)
  • 娯楽の殿堂(1995年1月1日)
  • 伝家の宝刀(1996年1月1日)
  • Oh!My God(1997年4月9日)
  • 壺(1997年10月1日)
  • 笑う女(1998年4月1日)
  • ジャングル ウッキー!!(1998年11月6日)
  • お前はまちがっとる!(1999年5月21日)
  • かもたつ(2000年1月21日)
  • 図星でしょ☆(2000年11月21日)
  • 劇的な日常(2001年4月21日)
  • 絶対キレイになってやる!(2002年3月21日)
  • 症候群(2002年9月21日)
  • 達人伝説〜20周年記念アルバム〜(2003年4月23日)
  • 人類はいつの日もバカ!(2004年4月21日)
  • 残念なお知らせ 〜世の独身女性に捧ぐ〜(2005年4月21日)
  • 元気が出るCD!!(2005年10月21日)
  • 笑撃王(2006年4月21日)
  • アホダラ王国物語(2006年10月25日)
  • 言葉のチカラ!(2007年4月25日)
  • 「これさえあればゴハン何杯でも食べられる」と言って2杯で限界になっているアナタへ(2007年10月24日)
  • 帰ってイモ食うて屁こいて寝よ!(2008年5月21日)

ベストアルバム

  • エエトコドリ!(1988年1月21日)
  • 嘉門達夫全曲集(1989年12月1日)
  • 平成天才バカボン 平成音楽大全集(1990年2月21日)
  • 嘉門達夫金色大全集(1991年6月21日)
  • THE BEST OF KAMON TATSUO(1991年11月1日)
  • THE BEST OF KAMON TATSUO II(1994年4月6日)
  • The Very Best Of KAEUTAMEDLEY(1996年9月28日)
  • 嘉門達夫シングルベストコレクション+1 1997-2001(2001年10月24日)
  • 嘉門達夫シングルベストコレクション+3 2002〜2004(2004年11月21日)
  • 嘉門達夫ゴールデン☆ベスト -オールシングルス&爆笑セレクション 1983〜1989-(2005年1月26日)
  • TATSUO KAMON 25th anniversary SELF COVER BEST!(2008年11月19日)
  • 嘉門達夫ゴールデン☆ベスト〜BEST OF 替え唄&ヒットソングス 1989-1996〜(2009年9月16日)
  • “笑い”のさくら咲く〜ギャグセレクション〜(2010年3月24日)
  • “恋”のさくら咲く〜恋愛セレクション〜(2010年4月21日)
  • “青春”のさくら咲く〜スクールセレクション〜(2011年3月23日)

著書

  • お嬢さま99の謎 玉の輿にのるための攻略法(ワニブックス、1986年3月10日、ISBN 978-4-8470-3019-2) - 「嘉門達夫とニセモノクラブ」名義で上梓。
  • 日常〜COM'ON!超B級娯楽世界〜(大阪書籍、1986年7月20日、ISBN 978-4-7548-9018-6)
  • 小市民ハンドブック(勁文社、1989年3月5日、ISBN 978-4-7669-0897-8)
  • 嘉門達夫の中学生日記 いつでも思春期(毎日新聞社、1999年6月20日、ISBN 978-4-620-31344-3)
  • 嘉門達夫の美味すぎ!ニッポン旅ガラス〜旅で出会った人と味〜(TOKIMEKIパブリッシング、2004年5月21日、ISBN 978-4-04-894527-1)
  • た・か・く・ら(扶桑社、2007年11月30日、ISBN 978-4-594-05538-7) - 自身初の小説。この作品は『余命3ヶ月を、生きる』と題してテレビドラマ化され、2011年3月26日にフジテレビで放送。陣内孝則が嘉門達夫役を演じた。

出演

テレビ番組

ここではレギュラーで出演していた番組のみを列記する。

テレビドラマ

ラジオ番組

ここではレギュラーで出演していた番組のみを列記する。

CM

その他

関連芸能人

  • 明石家さんま - 親戚弟子に当たる。プライベートでも世話になっている。
  • 浅田美代子 - 1992年、『デュエット替え唄メドレー』で共演。
  • あのねのね - 売れない時期、面倒を見てもらっている。その後、代プロ(厳密にはDAIPRO-X)に所属していた。
  • 荒井注 - 替え唄の歌詞の中に名前が何度も登場するほか、『替え歌メドレー3(完結編)』では特別出演している。
  • 神谷明 - ベテラン声優の一人。当時嘉門が『ヤンタン』に出演していた頃、同じく神谷が『オールナイトニッポン』で「ギネスに挑戦!」というコーナーをやっていたため、嘉門もその当時は同じようなコーナーをやっていたことから、互いの番組投稿者の縁で親交を持つ。
  • アル・ヤンコビック
  • 伊藤秀志 - 『ヤンタン』にて共演。自称「嘉門達夫評論家」。「少年はいつの日もバカ!」にある「好きな娘のジャージを床に並べ重なって寝てみた」という歌詞は彼の実体験に基づいている。
  • 原田さとみ - 『ラジごめ』等多くの作品で共演。惣領弟子のような存在。
  • イノキン - かつての事務所の後輩。
  • いんぐりもんぐり(→INGRY'S→THE INGRY'S→FoolyouS) - 代プロ時代の後輩であったが、弟子のような存在。
  • 小倉久寛 - 1988年に「小市民」、翌年に「小市民2」にて共演。
  • 上岡龍太郎
  • 北野誠桂雀々 - 同世代の友人、過去に3人で組んでラジオ番組を務めていた。北野は嘉門のいくつかの楽曲にネタを提供。
  • 桑田佳祐 - 芸名の名付け親。嘉門はサザンのベストアルバム『すいか』のTVCMに出演したり、嘉門が出すサザンオールスターズの曲の替え歌も容認している。替え歌を作ったら先ず桑田の自宅に電話し、電話越しに替え歌を唄って聴かせ、桑田は苦笑した後に「いいよいいよ」の一言でOKを出すという。また、アミューズ時代の先輩にあたる。
  • 小室哲哉 - 同じ「TK」のイニシャル同士のよしみで「TK替え歌メドレー」シリーズを快諾。
  • SAICO(鈴木彩子) - 代プロ時代の後輩で、弟子格にあたる。嘉門のアルバム『宴』および『怒濤の達人』にゲストで参加し、その後『爆裂スーパーファンタジー』で共演した。
  • 笑福亭笑瓶 - 従兄弟弟子に当たる。
  • 笑福亭鶴光 - 元・師匠。
  • 笑福亭鶴瓶 - 叔父弟子に当たる。売れない時期から眼を掛けてもらっていた。
  • 笑福亭学光 - 元兄弟子。
  • ぜんじろう - 『ヤンタン』時代の共演者で、嘉門はアメリカの劇場へ行く際にぜんじろうからアドバイスを受けている。詳細はぜんじろうのブログを参照。
  • 田中義剛 - 『笑っていいとも!』と『ヤンタン』で共演。
  • 丹波哲郎 - 「タンバでルンバ」は彼の大霊界語録が元ネタであり、気に入った丹波がTBSのドラマ『結婚してシマッタ!』(1988年)で自分の秘書役で嘉門を起用した。
  • 新田一郎 - 代プロ社長で、師匠格。
  • 久本雅美 - 下積み時代からの友人。
  • ブリーフ&トランクス - 事務所の元後輩。アルバム『笑う女』収録の「残尿感」で共演。
  • 細木数子 - 『ズバリ言うわよ!』(2006年12月12日放送分)内で嘉門曰く「20年ぶりに再会した」。同番組で嘉門が当時独身だった頃に細木から未婚の理由と女性への価値観があまりにも矛盾している事を指摘され、「七変化の女性が欲しいのでは」と批判された。細木は「頭が良すぎて人を小バカにするものが出てくる。自分がもう1つランクの気持ちを下げれば本当にいい人にも遭遇してるはず。だから結婚しなきゃダメ。来年(2007年)からものすごいいい年になるから」とのアドバイスを授けられたことがある。また、同時に「芸名を“嘉門”から“加門”へ改名しないと絶対人気が出ない」(改めると画数が13画になる)と言われたが、結局改名はしなかった。
  • 前田日明 - 親交があり、アルバム『宴』に収録されている曲「宅配ピザ」に参加。
  • 槇原敬之 - 春日丘高校の先輩後輩関係。嘉門が出演していた当時の『ヤンタン』火曜日に、自身最初のヒット曲「どんなときも。」のプロモーションで訪れたり(槇原が出演した当時は「どんなときも。」が発売されて間もなくの時だったので、槇原自身は世間的には全くの無名の頃だった)、1991年末に紅白への出場を果たした後も『ラジごめII金曜日の王様』にゲストで訪れたりしていた。また、嘉門出演のテレビの特番にも、配達ピザ店のコスプレをして1度だけ出演した事がある。
  • 宮地佑紀生矢野きよ実 - 別々の曜日ではあったが互いに『ラジオDEごめん』のパーソナリティを務めていた時代から親交があり、現在でも名古屋にキャンペーンに訪れた際には両名司会の生番組『どですか!』(メ〜テレ)にゲスト出演・新ネタ披露することがある。
  • 美輪明宏
  • 吉田拓郎 - 最初に作った替え唄は、吉田拓郎のアルバム『元気です。』に収録された「せんこう花火」をもじった「蚊取り線香」という曲嘉門達夫 | OGな人びとVol.27 - OCN TODAY
  • ヨハン・ゼバスティアン・バッハ - 「鼻から牛乳」のサビの部分は、バッハの有名なオルガン曲「トッカータとフーガニ短調」に詞を付けたものである。

脚注

外部リンク

Template:嘉門達夫 Template:探偵!ナイトスクープ Template:DEFAULTSORT:かもん たつお









タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2013年01月04日 21:48
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。