高須光聖

{{ActorActress | 芸名 = 高須 光聖 | ふりがな = たかす みつよし | 画像ファイル = | 画像サイズ = | 画像コメント = | 本名 = 同じ | 別名 = 御影屋 聖(ペンネーム) | 出生地 = Template:Flagicon兵庫県尼崎市 | 国籍 = Template:Flagicon日本 | 民族 = | 血液型 = B+ | 生年 = 1963 | 生月 = 12 | 生日 = 24 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 職業 = 放送作家
脚本家
作家
ラジオパーソナリティ | ジャンル = テレビ(バラエティ)
映画
| 活動期間 = 1987年-現在 | 活動内容 = 1987年:「4時」で放送作家デビュー
1991年:「ごっつ」を担当
2007年:「大日本人」で映画脚本
| 配偶者 = 増田みのり| | 公式サイト = 御影屋 | 主な作品 = ダウンタウンDX
リンカーン
HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP
ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!
ジャンクSPORTS
めちゃ×2イケてるッ!
ロンドンハーツ
やりすぎコージー
虎の門
新堂本兄弟
いきなり!黄金伝説。
恋するハニカミ! | 備考 = 2003年:「日経エンタテイメント」放送作家ランキング1位 }}

高須 光聖(たかす みつよし、1963年12月24日 - ) は、兵庫県尼崎市出身の放送作家。他に、作詞家脚本家ラジオパーソナリティなど、幅広いジャンルで活躍している。自ら運営する会社・カイト所属。

妻はニッポン放送所属のアナウンサー増田みのり

来歴

ダウンタウンの2人とは幼少時からの付き合いで浜田雅功と同じ幼稚園、浜田・松本人志と同じ小・中学校に通った後、兵庫県立尼崎小田高等学校を経て龍谷大学経済学部を卒業し、1987年に劇団『ウディガベビースターズ』を旗揚げ。1991年に上京。単身東京でナベプロに出入りしたりしていたが、その後本格的に放送作家を目指し、たまたま東京で松本と会う機会があったので、話を持ちかけた。その際、松本に「ダウンタウンのブレーンやったらええやん」と言われ、高須は「ブレーンって何?」と思いながらも話を合わせていたが、言った松本の方も実はよくわかっていなかった。

その後、放送作家としてのキャリアを積み、2003年には日経エンタテインメント放送作家ランキング1位(当時、19時から23時までの時間帯で最も多くの番組を担当していたため)となった。また、放送作家業界ではおちまさと鈴木おさむ都築浩海老克哉らを押さえ、担当番組数トップに君臨する。人気作家ゆえ、担当する番組の放送時間がバッティングすることが多々ある。2010年10月10日に、ニッポン放送所属のアナウンサーで元フジテレビアナウンサー増田明男の娘である増田みのりと結婚した。ちなみに、忙しい高須が覚えやすい日付にした。

人物

幼少期のエピソード

  • クリスマスイブに生まれたので、この名前になった。元々、父親が聖光(よしみつ)と付けたのだが、役所の人が間違えて光聖(みつよし)となった。あだ名は、「高須ちゃん(たかっちゃん)」「みっちゃん」など。松本からは「バラエティの父」とも「おもんないグループの4番目」(全く面白くない奴は1周回って面白いこともあるが、4番目は本当に救いようのない面白くない奴、という意味)とも呼ばれている。
  • 祖先は高須藩のお姫様であり、武士家であった(ラジオにて本人談)。ちなみに、両親は尼崎の果物屋「御影屋」の経営者で、共に愛知県出身(母ミチコの旧姓はスギウラ)。光聖の生まれる前、父マサユキが神戸に遊びに行った際に財布をスラれたため、小金稼ぎのためにアルバイトとして入った神戸の果物屋をそのまま続け、後に「御影屋」として暖簾分けしてもらい、現在に至る。
  • 小学校時代は勉強が出来なかったが(ダウンタウンの2人と同じ程度であった、と自身が述べている)、中学時代に勉強に目覚め、成績を一気に上げた。また、松本の家庭より経済的余裕があったという見解を持っていることに対して、貧乏の同族意識のあった松本はショックを受けている。
  • 高校は、松本が通っていた兵庫県立尼崎工業高等学校の隣にあったが、高校時代に松本とは交流がほとんどなかった。男子校の松本は、共学の高須の高校が非常に羨ましかったという。高校時代、別の高校でミスになった彼女がいた。初デートは、中学2年生の頃。
  • サッカー部に所属していた。そのため、サッカーには明るく興味がある。
  • 兄弟は弟が1人(通称・まぁと)おり、現在は上記果物屋の店主。弟は妻子持ちであり、甥っ子の彼らは祖父母(高須の両親)と共に東京の高須の家に遊びに来たことがあるが、仕事が忙しく清潔好きの高須は迷惑だと頭を抱えた。浜田が、地元尼崎でロケ中に、高須があげた「LOVELOVEあいしてる」のTシャツを着て「はまちゃん! はまちゃん!」と乱入して来たことがあり、スタッフは「『LOVELOVEあいしてる』のTシャツを着た高須さんそっくりの男が現れてからんできた」と恐れたという。
  • 風呂上りに「お先にご無礼しました」と言うのが、家庭の習慣だったという。

作家になるまでのエピソード

  • 大学時代には、就職活動は一切しなかった。しかし、当時から放送作家志望だったわけではない。当時は、フリーターという肩書きすらない時代だったため、大学の同期が一流企業に内定する中、肩身の狭い思いをしたという。
  • 放送作家になる前、中野坂上のデニーズに松本を呼び出し、作家になりたい旨を伝え、現在は吉本興業取締役社長で、当時ダウンタウンのマネージャー的存在だった大崎洋と面会し、作家としての人生をスタートした。この出来事をラジオで松本は「デニーズに行くつもりはなかったが、フラッと行ってしまった。運命だったのかもしれない」と語っている。
  • 作家として活動し始めた頃の「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」のギャラは1万円だった。当時は東京に家を持っていなかったため、会議が終わったら大阪行きの新幹線に乗ることが習慣であったが、会議が終電までに終わることはほとんど無いことに加え、途中で抜け出せるほどの立場ではなかったため、ギャラの1万円を使って宿泊先を探すしかなかった、と述べている(新幹線チケットは、放送局から支給されていた)。
  • ダウンタウンの2人が上京直後に頻繁に口にしていた「キツイ、キッツイ」(想像したくない、或いはとんでもなくシャレにならないモノを見たときに発せられる表現)も、最初は本人がよく口にしていた言葉のひとつである。
  • 作家になった直後、ラジオ番組などで紹介されるときには必ず松本に「彼女がブサイク」と言われていた。また、松本と一緒に東京でタクシーに乗った際、あまりに無礼な運転手に「東京ででかいツラしてんじゃねぇカッペ」と罵られ、ブチ切れたエピソードを暴露された。このエピソードは、後に放送室でも語られている。高須は「降りろオラ!」と大声で怒鳴ってドアを蹴った(靴のつま先に金属のカバーが内臓された安全靴を履いていた)が、その運転手はタクシーから降りず「田舎もん」と罵り走り去ったという。

人気作家になってからのエピソード

  • 調和型で社交性のある性格。学生時代に、関西テレビ鶴瓶と花の女子大生」にアルバイトで出演したこともある。数々のバラエティ番組を手がける彼であるが、カメラが苦手らしく、基本的にメディアの表舞台に出るのは苦手、とは本人談(その割に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』などでテレビ出演はしており、放送作家としては顔が知られている方である)。収録現場ではタレントに指示を出すことが多く、松本は「高須に騙されて死んでいった(ギャグがうけなかった)芸人は山ほどいてる」とギャグにしている(ラジオ放送室)。
  • 一方、無神経な舎弟を泣かすくらい怒るときもある。これは舎弟が高須のマンションを訪れた際、仕事をする高須を尻目にくつろいだ上に浴室を散らかす等したため、「こういう細かい部分に気づけない無神経な人間は笑いなんて作れない」と泣くまで説教したもの。説教した後は2人でビールを飲み和解したが、高須が「もう寝よう」と言った際、自分のビールの缶を片付けようとも、どこに捨てればいいのかを聞きもせずに寝室に向かったため「おまえは俺の言っていることを何もわかってない!」と再び激怒した。2度泣いた舎弟はショックだったらしいが、就寝後直ぐにいびきをかいて寝ていたという。
  • 電波少年」を製作したことで知られる日本テレビのプロデューサー、土屋敏男にも説教したことがある。土屋の知り合いのアーティスト達と食事をした高須と土屋は、彼らがあまりにもテレビの現状に難癖を付けたことに憤慨し、「土屋さん! なんで番組をつくらないんですか! 昔はそんな(保守的な)人じゃなかったでしょう! スベってもいい。2時間の特番だけでもいい。俺は土屋さんの作る番組が見たい。テレビを変えてほしい」と熱弁した。土屋はその時感動し、番組を作ることを約束したと言う。
  • 基本的にスケジュールはタイトで深夜まで会議を行い、後日午前中に出勤ということが多いという。平均睡眠時間は5時間と語っている。特に特番シーズンになると、ダウンタウン関連の番組と合わせ他の企画にも参加することや、スタジオにしか行かないタレントと違い、作家は放送局・制作会社などを日に何回も移動しなくてはならないため、ほとんどと言っていい程、休みはないという。
  • 自身のラジオ番組で、愛車は3代目ランドローバー・レンジローバーヴォーグ(新車価格1,300万円)であると発言。上京したての頃は、ヒンドゥスタン・モーターズのアンバサダーに乗っていたが、路上で原因不明のエンストが2回などの度重なる故障の末、1年半で手放した。ラジオで松本から「走るスラムだった」と揶揄されている。
  • 厄年の計算を間違え、1年早く厄払いに行ってしまったことがある。
  • サッカーコートほどの広さの数千円の月の土地をプレゼントされたことがある。
  • 杉田かおるの家に招かれたことがあり、杉田の母から「高須さんだったらイイわね〜」と、強制的に仲を取り持たれたことがある。松本は、「(ロンドンハーツで起用した杉田との)公私混同」と嘲笑し、しきりに杉田とベッドを共にするように仕向けるが、高須は何も無いと必死に否定した。
  • 基本的にダウンタウンよりも後輩の芸人にはタメ口・呼び捨てで喋り、後輩芸人も高須には敬語で「さん」付けで喋る。笑福亭鶴瓶のことは「べー師匠」、今田耕司を「今ちゃん」、板尾創路を「板尾さん」と呼ぶ。木村祐一を3人称で呼ぶ場合フルネームで呼ぶことが多い。
  • 松本に、「生涯年収は高須のほうが稼ぐんちゃうか?」と言われているが、本人は否定しており、貯金も無いと語っている。
  • 2008年、「R30」にゲスト出演した際には、司会の国分太一井ノ原快彦に作家になった経緯や「放送室」の裏話などを真面目にトークした。それを松本のスタイリスト(高堂のりこ)に「高須さんはほんとツマらなかった」「全然笑いを取りにいかなかった」と酷評された(「放送室」より)。

その他のエピソード

  • 松本のように(他人にとっては)理不尽な理由で怒ることはないが、何かあった場合に実際に激怒するのは、松本よりも早いという。
  • 以前は中野区に住んでいた。その時、同じマンションにウド鈴木も住んでいた。
  • 30歳までは喫煙者だったが、現在は禁煙している。しかし、健康面に関して松本からは病弱と言われることも多く、「ガキの使いやあらへんで!!」の会議も、多忙による疲労からか、年に数回風邪で欠席するという。2006年頃には、バリウム検査で胃に突起物が見つかり、2人の祖父を胃癌で亡くしているため、高須はがんの可能性を心配したが、その後受けた内視鏡検査でがんでないことがわかった(バリウム検査から内視鏡検査までは1週間のブランクがあり、その1週間は生きている心地がしなかったと語っている)。
  • 昔は酒飲みで、30歳前後の頃は毎晩のように飲みに行っていたが、最近はあまり飲んでいないと語っている。
  • ウルフルズジョン・B・チョッパーウルフルケイスケは、昔のアルバイト先(インド喫茶、カンテ・グランデの梅田丸ビル店)の後輩にあたり、その縁でトータス松本サンコンJr.も今でも仲良くしている。ウルフルズが低迷していた時、高須も友人としてよく相談を受けており、あるデモテープを聴かされて「お前らもっとがんばらなアカン! このもらったテープも、正直俺はピンとけえへん!」と斬って捨てたが、その曲こそウルフルズ大ブレイクのきっかけになった『ガッツだぜ!!』であった。
  • 海外旅行が好きで、ヨーロッパや東南アジアなどを歴訪しており、南米にも行きたいと話している。飛行機の座席はビジネスクラスを愛用しているらしく、フライト中にワインで酔っ払うのが至福の時だと語っている。しかし外国人恐怖症の一面もあり、アメリカへ出張した際、自分の英語力の無さに愕然とした。
  • 血液型はB型(RHプラス)。趣味は海外旅行(祭り見物)、金魚グッズ収集、食べ歩き、サッカー。特技のヒッチハイクは、金のない状況で東京〜大阪間を行き来するのに身につけた技で、高速道路のSAなどで長距離トラックに乗せてもらう方法を会得した。
  • 携帯電話のメモリーは、1,400件だという[1]。
  • 「チキチキ!!高須光聖七変化」では、人気放送作家らしからぬ最下位となってしまった。同番組で彼に行われた「テレクラドッキリ」以降、私生活でおいしいことがあると「ドッキリなのでは…」と思ってしまうほどトラウマになっている。初期ではしばしば企画等に登場していたが、最近では七変化シリーズで姿を見せる(企画会議中という設定)程度である。

出演番組

  • 松本人志の放送室』(TOKYO FM製作・JFN系列) - 松本と共にパーソナリティを務める。幼馴染みならではの昔話の他、会話の中で自然とミニコントが発生したり、最近のバラエティ番組に対する考察などを聞くことができ、笑いに対する2人の姿勢が垣間みえる。2003年12月には「高須ちゃん生誕40周年祭り」と称し、ラジオ番組としては異例の日本武道館での公開録音が行われた。2001年10月4日から2009年3月28日まで放送。全391回。
  • 『御影のツボ』(ヨシモトファンダンゴTV) - 「第三のツボ」からリニューアル。吉本の芸人を招いて、ゲストにまつわるDVDを見ながらトークする番組。サウナ風呂のロビーなど、トーク番組なのにロケが多い。ゲストは、若手芸人が多い。最初のゲストだった板尾創路は、出演以後レギュラーパーソナリティとなった。
  • THE 放送サッカーズ』(ニッポン放送) - 月曜日担当パーソナリティ。現在の妻である増田みのりと競演。2006年10月2日から2007年3月29日まで放送。全25回。
  • 『松本人志の大人間論』(NHK)2007年7月放送の特別番組。前述の「松本人志の放送室」収録終わりから登場。松本と劇場で、出身地の尼崎市潮江の映像写真を鑑賞。写真によると、潮小学校には高須の楷書体のネームプレートがあった。
  • 『ドキュメント考える〜クリエイティブディレクター・箭内道彦〜』(NHK総合)2008年5月9日放送の特別番組。2008年5月3日、翌日5月10日放送分のラジオ番組『風とロック』(TOKYO FM)のゲスト出演収録の様子。
  • R30』(TBS)2008年7月10日ゲスト出演。
  • 『高須光聖の御影流』(TOKYO FM)
  • トップランナー』 -TOP RUNNER-(NHK総合)2010年12月11日ゲスト出演。
  • THE MANZAI 2011(フジテレビ,2011年12月17日放送)では審査員の一人として出演。
  • オトナノの!』(TBS 2012年2月1日・2月8日放送分)に河村隆一と供にゲスト出演。

担当番組

ダウンタウンの出演番組

ダウンタウン以外の番組

「御影屋聖」名義の担当番組

御影屋 聖(みかげや ひじり)とは、高須のペンネームである。元々は、実家の果物屋の屋号「御影屋」に由来するもので、『めちゃモテ』で使い始めた。

2005年4月7日に、『サルヂエ』と『いきなり! 黄金伝説。スペシャル』の放送時間がかぶった時は、サルヂエは通常とは違い「御影屋聖」、黄金伝説は通常通り「高須光聖」名義だった。

これまでの担当番組

脚本

監督作品

CM

連載

著書

  • 『御影屋』(糸井重里ウルフルズテイトウワ近藤サト電気グルーヴ、ダウンタウンなどとの対談集。ビクターブックス、1996年7月、ISBN 4893891170)
  • 『友達(ツレ)』(書き起こしエッセー。竹書房、1996年6月、ISBN 4812401682)
  • 『放送作家になろう!』佐竹大心とポトマックス・著(同文書院)※インタビュー収録
  • 『放送室の裏』(松本との共著。ワニブックス、2003年7月26日、ISBN 4847015150)
  • 『放送室 その2』(同上。TOKYO FM出版、2005年2月、ISBN 4887451199)
  • 『放送室 その三』(同上、2006年4月22日、ISBN 488745158X)
  • 『あまりかん。』(KKベストセラーズ、2007年4月10日)「放送室」で、松本が放った「アマリカンドリーム」というフレーズにインスパイアされたタイトル。

作詞

外部リンク

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最終更新:2013年01月21日 09:04
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