吉村功

{{基礎情報 アナウンサー |名前= 吉村 功 |ふりがな= よしむら いさお |画像ファイル= |画像サイズ= |画像コメント= |本名= |愛称= |出身地=Template:JPN 東京都中野区 |国籍= |生年月日= Template:生年月日と年齢 |血液型= |最終学歴= 早稲田大学政治経済学部自治行政学科卒業 |所属事務所= フリー |職歴= 東海テレビ放送東海テレビプロダクション |活動期間=1963年 - |ジャンル= スポーツ |配偶者= |家族= |公式サイト= |現在の出演番組= |過去の出演番組= 本文参照 |その他= 中京競馬記者クラブ会友 |備考= }} 吉村 功(よしむら いさお、1941年1月25日 - )は、日本アナウンサーフリーのスポーツアナウンサー、岐阜経済大学非常勤講師で、元東海テレビ放送のアナウンサー。東京都中野区出身。現在は岐阜県在住。

人物・履歴

東京都立大泉高等学校を経て早稲田大学卒業後、1963年東海テレビに入社。東海テレビではスポーツ中継担当のアナウンサーとして、プロ野球中日ドラゴンズ戦や名古屋国際女子マラソンプロボクシングファイティング原田世界タイトル戦の中継の実況、『プロ野球ニュース』、競馬中継などを担当した。

60歳を過ぎた後(2001年から)は子会社東海テレビプロダクションに移籍して引き続き嘱託職として残り、2004年度末に退職。退職後は、自宅がある地元の岐阜放送ラジオで毎週月曜18:30 - 20:00放送の番組『吉村功のスポーツ・オブ・ドリーム』でパーソナリティを務めている他、2006年までは不定期で東海テレビがCS衛星放送向けに制作する野球中継の実況などを行っていた(三重テレビナイターには2006年まで出演)。東海テレビで放送される地上波中継からは、2005年9月6日放送のローカルプロ野球中継にて卒業。その放送には、旧知の仲である星野仙一が解説者として駆けつけた。

2009年からは岐阜経済大学経営学部情報メディア学科の非常勤講師を務め、ナレーション、プレゼンテーション技法を指導している。

エピソード

  • 東海テレビ放送開局以来初の日本シリーズ中継(1974年の日本シリーズの第2戦)の実況を担当した。
  • 肘をついて喋るスタイルがお馴染みであるが、カメラがパンすればいつでも肘をつこうとする癖があるため、取材中などは腰の位置ぐらいの手すりに肘を置いていることもある。
  • 1982年、中日ドラゴンズのセ・リーグ優勝を横浜大洋ホエールズ戦で果たし横浜の宿舎で優勝祝賀のビール掛けが行われた時、吉村はインタビュアーとして雨合羽を着て、はしゃぐ選手を捕まえてインタビューを行っていたが、近藤貞雄監督以外の選手達へは全て「くん」付けで呼んで、素になった吉村がいた。
  • 2004年の日本シリーズで、落合博満監督が勝利監督インタビューで「もうナゴヤドームには帰ってこないかもしれない」(3・4・5戦の敵地「西武ドーム」での対戦の内に中日ドラゴンズ・日本一を決めるという意味)と喋って話題になったが、「これは吉村アナの誘導尋問ではなかったのか?」として物議を醸した。
  • 2006年9月には、中日の山本昌投手がナゴヤドームでの阪神戦でノーヒットノーランを達成した試合をJ SPORTSで実況した。
  • 2000メートルのGIIから1200メートルのGIに昇格して最初の高松宮杯(現・高松宮記念)の実況を担当、それが初のGI実況だったという(ただし、グレード制施行前には、1980年中京競馬場で開催された宝塚記念を実況している)。その時の年齢は55歳で、あと数年で定年という年齢になって初めてGIを担当したという例は彼を含めてあまり無い(その年になるまで、勤務している放送局のエリア内にある競馬場にGIレースが存在しなかったということも起因しているかも知れないが)。ちなみに出走馬のうちの一頭であったナリタブライアンが追い上げて来るも、優勝はおろか連対すらままなりそうにも無い様子を「ダメ」と実況したのは、語りぐさになっている(結局、同馬は4着に終わった)。
  • 1991年朝日チャレンジカップ(この年は阪神競馬場改築のため中京競馬場で実施)の中継で2着に入ったイクノディクタスを同枠のダイタクウィナーと勘違いし、ゴール入線時には「ゼッケン10番ダイタクウィナーが粘りました」と実況。スローVTRが流れた時に、「あ、ごめんなさい。イクノディクタスですね」と馬券の対象となる馬を間違えた事もある(ダイタクウィナーは16頭中15着)
  • 競馬中継も長く担当していたことから、元関西テレビの杉本清同様、“地元”マスメディアの競馬記者で作る記者クラブの会友となっている。中継で共演した中日新聞社草野武志も入っている。

実況・名言

  • 「どうしたんでしょう、郭はもう泣いています。マウンド上の郭は早くも泣いています」 - (1988年10月7日中日ドラゴンズvsヤクルトスワローズ、リーグ優勝を目前にした郭源治マウンド上の様子を見て)
  • 「こんな試合今まで見たことない」 - (1989年8月12日中日ドラゴンズvs読売ジャイアンツで、落合博満ノーヒットノーラン目前の斎藤雅樹から逆転サヨナラ3ランホームランを打った際)。なおこの「こんな○○は(今まで)見たことない」は、種目を問わず思わぬ展開になった場面で使用することがあるフレーズだが、中でもこの試合が最も有名である。他にも名古屋国際女子マラソン中継でも、何度かこのフレーズを聞かれた。
  • 競馬において、中京競馬場の第3〜第4コーナーの勝負どころを、競馬場の至近に位置する桶狭間の戦いで知られる桶狭間古戦場跡にちなんで「桶狭間ポイント」と呼ぶことがあるが、その名付け親でもあり、実況でしばしば使用していた。
  • 南井克巳の引退レースでは終始南井の馬(このとき騎乗したのはリキアイワカタカ)のみを実況し続け最後の直線では、「がんばれがんばれ南井克巳」「南井が先頭」と叫んだ。これは引退レースの舞台を当日重賞レースが行われていた中山でも阪神でもなく、自身の地元かつ騎手デビューの地である裏開催の中京を選んでくれた南井の心意気に対する感謝の気持ちがあったようである(レースのスタート前に吉村は解説者にこのことを「ありがたいことですねぇ」と話している)。
  • 1994年10月8日の中日ドラゴンズvs読売ジャイアンツ(通称10.8決戦)は両チームとも69勝60敗となり、勝ったチームがリーグ優勝となる試合。この日は東海テレビにて中継が行われ実況を担当した。試合は読売ジャイアンツが槙原寛己、斎藤雅樹、桑田真澄の3本柱の活躍で勝ち、リーグ優勝を決めたが、中継中「何が起こるかわかりません」を連発。興奮したあまり「何がわかるか起こりません」と言った。
  • 2004年3月14日アテネオリンピックマラソン代表選考を兼ねた名古屋国際女子マラソンでは、土佐礼子がレース終盤の37Km付近で一旦は先を越された田中(現・大島)めぐみを執念でかわして逆転、最初に土佐が瑞穂陸上競技場に帰ってきた。土佐の優勝は濃厚だったが、アテネ五輪代表選出を確実にするためにも、問題はゴールタイムだった。「問題はタイム!なんとか2時間24分を切って23分台で入って欲しい!今2時間23分30秒...今40秒!今50、51、52、53、54、55、56、57!24分を切った!」と、吉村はゴールテープを切るまでカウントダウンをする実況をした。しかも、その後に「こんなレースは見たことがありません」と上述の言葉を発している。
  • 自分の実況にカメラワークや映像のスイッチングが合わないと、「ここでスローが見たいところですが」「どうして今、この選手をとらえるのでしょう」などとと生放送であるにもかかわらず中継車やスタッフを叱るようなコメントをしばしばしていた。

現在の出演番組

ぎふチャン(岐阜放送)
その他

過去の出演番組

外部リンク

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最終更新:2013年01月30日 07:23
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