さようならドラえもんの巻

Template:Infobox Television episodeさようならドラえもんの巻』(さようならドラえもんのまき)は藤子・F・不二雄(放送時は藤子不二雄名義)の『ドラえもん』を原作とする日本テレビ動画によって製作された『ドラえもん(TV第1シリーズ)』第52話(通算26回)のサブタイトル。日本テレビ系で1973年9月30日に初回放送された。

アニメ版ドラえもんにおける放送終了に伴い正式に製作された幻の最終回であるアニメ第2作1期は2005年に大幅にリニュアールという形で「ドラえもんに休日を?!」(2005年3月18日放送)が最後の回として描かれているが、原作を改変したほぼオリジナルのエピソードとなっているほか、「オールキャラ夢の大集合」という最終回らしい展開は成されたもの、ドラえもんとのび太の「別れ」は、やはり描かれ無いまま、26年に渡る放送は終了している。。

1978年以降この回の再放送は行われておらず、2014年現在、この回を視聴するのは一切不可能である現在までソフト化されていない。 。

この第26回のマスターテープは日本テレビでの管理期間終了後に散逸していた。放送局にはVTRテープも存在せず、以後、数十年に渡りネガ、コピーポジフィルム共に保管先が不明とされていた。しかし、2007年に映画秘宝洋泉社)誌上で隔月連載された安藤健二ルポ記事により、本作の現像を担当していた東洋現像所(現・IMAGICA)に最終回のネガフィルムが保管されていたことが明らかになった映画秘宝(洋泉社)2007年7月号「封印作品の憂鬱」第1回。

概要

ドラえもんのアニメは、現在放映されている1979年に放送開始されたテレビ朝日版(現在は2期)以外に、1973年に放送された日本テレビ版があり、このシリーズは2クール(26週)52話で完結したため、「最終回」が描かれている。

ドラえもんの最終回と言えば、てんとう虫コミックス第6巻収録「さようなら、ドラえもん」が有名で、そして、本エピソードのサブタイトルも「さようならドラえもんの巻」だが、原作の「さようなら、ドラえもん」と全く異なる内容である原作漫画で描かれたいくつかの最終回の中から長年未収録であった『小学四年生』1972年3月号掲載の『ドラえもんがいなくなっちゃう!?』(藤子・F・不二雄大全集第1巻収録)を原作に製作された。。

ストーリー

のび太が家に帰るとドラえもんセワシが何か話している。セワシは何かを話そうとするが、ドラえもんに「僕が話すから」と止められ、「きっとだよ」と言い残し未来に帰って行った。ドラえもんは浮かない顔で何かを話そうとするが、そこへデパートから最新型の自転車が届く。のび太はしずか達とサイクリングに行く約束をしたものの、自転車に乗れないので安直にドラえもんを頼ろうとしていたのだ。

しかし、ドラえもんはいつもの調子で甘えるのび太を冷たく突き放す。いつもと様子が違うドラえもんだったが、のび太は「いざとなったらいつものようにきっと何とかしてくれる」と気にも留めなかった。思い切って何かを打ち明けようと決心したドラえもん。しかし、のび太に差し出されたおやつのどら焼きに心を奪われ、更に「この世に君がいなかったら僕は一人で生きていけない」という彼の言葉に動揺し、そのまま家を飛び出してしまった。

ドラえもんは、頼りっきりなのび太の自立心を養うために未来へ帰ろうと考えていたが、優しくしてくれるのび太にそれを言い出せず悩んでいたのだった。落ち込んでいた所へ、偶然会ったガチャ子に相談する事にしたドラえもん。そして、ガチャ子のアイディアで未来に帰る嘘の口実を作る事になった。

「ドラえもんの体の様子がおかしい」とガチャ子から聞かされたのび太。慌てて駆け付けると、そこには狂ったように苦しみ始めたドラえもんがいた。「未来に連れて帰って治さないといけない」と言われ、嘘を信じ込んでいたのび太は泣き出してしまう。それでも、「ドラえもんがいなくなったら困るけど、ドラえもんが治る為なら我慢する。だから自分に構わず帰って欲しい」とドラえもんに訴えた。

優しい言葉に感涙したドラえもんは嘘をついた事を打ち明け、自分に頼り過ぎてダメな人間になりそうなのび太が心配で、強い人間になって欲しいが為に未来の国に帰る事にしたと本心を告げる。のび太は「僕の事は心配しなくていいよ」と彼の気持ちを受け入れた様子で愛想笑いを浮かべた。

その後、仲間らは広場に集い送別会を開く。ジャイアンスネ夫、しずかも涙ながらにドラえもんとの別れを惜しみ、のび太と共にどら焼きをプレゼントする。喜ぶドラえもんの丸い手から黄色い小鳥が飛び立っていく。テーマソング『ドラえもん』に合わせて仲間らに家まで送って貰ったドラえもんは、のび助玉子とも別れの挨拶を交わした。

そしてドラえもんとのび太は、いつかの再会を誓い、最後の別れを告げる。「未来の国でいつも君を応援しているからね」そう言い残したドラえもんは机の引き出しに入り、未来へ帰って行った。ドラえもんがいなくなった現実に、のび太は「本当は、ずっと居てもらいたかったのに…」と号泣してしまう。するとドラえもんが、再度引き出しから現れた。のび太は唖然とするが、プレゼントのどら焼きを持ち帰るのを忘れていたという。改めて別れの挨拶を交わした二人。去り際にのび太にエールを送ったドラえもんは、今度こそ帰って来る事はなかった。

「もうドラえもんの力に頼らない」―――何度転んでも起き上がり、自転車に乗れるようにひたむきに頑張り続ける。そんなのび太の姿を、ドラえもんはセワシと一緒にタイムテレビで未来から温かく見守っていた。「ドラえもーん!見てくれよー!」夕焼け空に向かってそう叫ぶのび太の声と共に、物語は幕を閉じる。

備考

  • 1973年に放送された本作は諸般の事情で、公の場では決して見ることができない封印作品とされている。詳細は「ドラえもん (1973年のテレビアニメ)」を参照されたい。
  • ちなみにこの回が最後の放送だったにもかかわらず、エンドカードでは前週までの「次週をお楽しみに」を踏襲した「次回をお楽しみに」と表記された。これは手抜きやミスではなく、日本テレビ動画の再建と続編の製作、「再びいつかドラえもんのアニメを」という希望を込めたものである。
  • これに対し、アニメ第2作では第1話に“ドラえもんが未来からやって来る”という原作第1話のエピソード『未来の国からはるばると』を避け、『ゆめの町ノビタランド』とした。これが普通に本編から始まっている所からも、まるで第1作の続編を意識したかのような形がとられ、両者の間で受け渡しがあったかのような構図になっている。なおドラえもんがやってくるエピソードは後に特番で番外編的に描かれた。
  • 原作には未登場だったジャイアン・スネ夫・しずか・パパ・ママが登場し、ドラえもんとの別れを惜しんでいた。
  • ドラえもんの嘘に協力するのはセワシではなくガチャ子になっている。
  • ガチャ子は原作と違い、日本テレビ版アニメではレギュラーキャラクターとして多くのエピソードに登場していた。この最終回でドラえもんが未来に帰るときにも、ガチャ子は、まだしばらくこっち(20世紀)にいると発言している。
  • ドラえもんの丸い手から黄色い小鳥が飛び立っていくシーンがあり、これには続編製作の希望として「再会」の意味が込められている。ヒントに下崎が昔見た映画で「無事に帰って来て」という願いが黄色いリボンで描写されていたことに由来するポップスグループ・ドーンが1973年にリリースしたシングル幸せの黄色いリボンのことか。。
  • 本作の脚本を担当した鈴木良武は本作の方向性に、「何につけてもドラえもん頼みである原作のび太の性格に、もう少し自主性を持たせる少年にする方向で始めた番組」と明かしており、この最終回のラストシーンでは、ドラえもんに頼らず転げ落ちながらも自転車の練習をする“自立したのび太“が見事に描かれている。
  • この最終回は、原作漫画で描かれたいくつかの最終回の中から、制作主任を担当していた下崎闊が提案した。これは下崎が幼いころ、板金塗装会社に勤めていた父親を浦和駅まで迎えに行くために、自転車を練習した思い出と重なったからだという<ref name="sankei-090112">【幻のドラえもん】(下)突然の最終回、セル画は河川敷で燃やされた (2/3ページ) - MSN産経ニュース、2009年1月12日(インターネット・アーカイブ)。
  • 過去に3本描かれたドラえもん最終回のうち、2番目に発表された話のアニメ化だが、このエピソードは長年単行本未収録であった。なお最終回が3本あるのは学年各誌に連載していたためである。なお学年誌は、「読者が進級する毎年3月号が最終回で、新読者が読み始める4月号が第1話」という約束事があり、3本の「ドラえもんの最終回」もこの法則に則って描かれた物語であるため、実際には連載は終了していない。
  • 安藤健二の取材によると1995年当時のIMAGICAでオープニング、エンディングと最終話を含む16話分の本編のネガフィルムが発見され、保管されているという。
  • 資料は残された元スタッフらが灯油をかけ、焼却処分した。よって本作の資料は、ほとんど現存しないがため情報に乏しく、現在も「幻のテレビシリーズ」とされている。
  • 動画投稿サイトYouTubeに2010年5月27日、当時の視聴者が本放映時にオープンリールで録音したという最終回全編の音声がアップロードされた録音されていた音声は制作局である日本テレビで放送されたもの。 。
  • 1979年7月24日から富山テレビ(フジテレビ系)で本作の再放送が行われていたが、1979年8月3日の9回目の放送で突然打ち切られた。これは藤子Fが小学館を通じて放送中止の警告状を送ったのが真相とされる。以降、この最終回及び本シリーズの存在は抹消されたかの如く、現在に至るまで再放送は元よりメディアにも、まったく取り上げられていない。

打ち切りの経緯

本作は、日本テレビ動画新倉雅美(渡邊清)らが企画を立ち上げた。元々、新倉は硬派任侠物の『少年次郎長三国志』のアニメ化を切望したが企画自体が頓挫。つなぎとして本作が放映されることになった経緯がある。

当初、視聴率こそ苦戦したが、テコ入れを図った甲斐もあり、徐々に視聴率も上がり、収益自体も黒字で、1年延長の予定があったという。しかし、2クール終了間際の1973年8月に社長の新倉雅美が突如失踪した1986年5月に拳銃密輸で逮捕される。逮捕後の報道は無く以後の消息は不明。なぜ、彼が突然失踪したのか理由や動機は未だに闇の中にある。。引き継いだ会長は全くアニメの経営に興味がなく、「もう止めよう」の一言で会社自体が解散することになった。

会社の解散という混乱の中、わずか2週間で製作されたという、この「さようならドラえもんの巻」を作り上げ最終回とし、半年で終了となった。

最終回の放送は、奇しくも日本テレビ動画が解散した9月30日であったとされる。

キャスト

所属事務所別では青二プロダクションテアトル・エコーが協力している。

スタッフ

  • 原作 - 藤子不二雄作品初期は、まだ藤子Fと藤子Aの作品ごとの分業が完全に確立しておらず、藤子Aとその関連スタッフも本作品に若干関わっていたとされる。(小学館学習雑誌連載中)
  • 企画構成 - 新倉雅美放映中に失踪しており最終回には事実上不参加。、佐々木一雄(日本テレビ動画)
  • 企画協力 - 藤井賢祐(日本テレビ)
  • チーフディレクター - 上梨満雄
  • プロデューサー - 川口晴年、米沢孝雄(日本テレビ)、佐々木一雄
  • 演出・絵コンテ - 岡迫和之、腰繁男
  • 音楽 - 越部信義
  • 選曲 - 宮下滋
  • 脚本 - ?本作を担当していた脚本陣(山崎晴哉鈴木良武、井上知士、吉原幸栄、馬嶋満、園屁蔵士)の内、誰か。
  • 原画 - 日本テレビ動画新潟スタジオ、スタジオジョーク、ほか
  • 動画 - スタジオジョーク、ほか
  • 作画監督 - 鈴木満、村田四郎、宇田川一彦、生頼昭憲、白川忠志
  • 美術監督 - 鈴木森繁、川本征平
  • 撮影監督 - 菅谷信行(株式会社珊瑚礁)
  • 撮影 - 菅谷正昭(株式会社 珊瑚礁)
  • 効果 - 片岡陽三
  • 文芸 - 徳丸正夫
  • 現像 - 東洋現像所
  • 録音 - 番町スタジオ
  • 編集 - 西出栄子
  • ネガ編集 - スタジオ・ゼロ
  • 音響演出 - 近森啓祐
  • 音響制作 - E&Mプランニングセンター 
  • 制作進行 - 木沢富士夫、小野忠、増田厚美、 山下一郎
  • 制作事務 - 増田一恵
  • 制作主任 - 下崎闊制作」「製作総指揮」「エグゼクティブ・プロデューサー」に同じ。
  • 制作協力 - スタジオジョーク、スタジオ古留美
  • アニメーション製作 - 日本テレビ動画
  • 制作 - 日本テレビ放送網

主題歌

オープニングテーマ - 「ドラえもん」
歌 - 内藤はるみ劇団NLT / 作詞 - 藤子不二雄 / 作曲・編曲 - 越部信義
この曲を採用しているカラオケメーカーがある。曲名は「ドラえもん(旧)」という表記が用いられている。
なお、本放送時では音色とテンポがフルコーラス版と異なる。
エンディングテーマ - 「ドラえもんルンバ」
歌 - 内藤はるみ / 作詞 - 横山陽一 / 作曲・編曲 - 越部信義
クイーカの「合いの手」が多用されたルンバ風の曲。「ドラえもんのルンバ」と表記されることもある。

脚注

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関連項目

外部リンク

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最終更新:2014年03月26日 13:54
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