仕事の後に家でさきいかをつまみながら酒を飲む事を至福としていた○○は、
それが切れている事に気付き、近くのコンビニに買いに出かけ、
店外に出た瞬間、なぜか森のど真ん中にいた。訳も分からず突っ立ていた○○は、
通り掛かりの人に発見され、近くの人里に保護された。
○○は、そこの守護者である上白沢慧音に説明を受けた。
慧音曰く、ここは幻想郷、妖怪変化や神が存在する場所で、
○○のような外界から来た人達は、外来人と呼ばれており、
元の世界に戻るには、結界の要である博麗神社の巫女にお布施を払わなければならない、と言うのだ。
夢の様な話だったが、ここが自分のいた世界ではない事は確かだ、と○○は思った。
○○は、博麗の巫女に払うお布施を稼ぐべく、しばらく幻想郷に留まる事になった。
幻想郷内の日雇いの仕事は、思いの外高収入だった。
妖怪の恐ろしさを知っている原住の里人達にとって、紅魔館や永遠亭など、
幻想郷のパワーバランスを担う存在のいる場所へは、例え報酬がよくても行きたがらない。
そのため、人外に恐怖を抱かない外来人にとっては、割のいい仕事だった。
幻想郷に来て、最初に手に入れた金で、○○は濁酒を買った。
昨日はさきいかを食い損なったので、これで一杯やろうという算段である。
さきいかの袋を開け、一口食べようとすると、急に地面が揺れだした。
地震か、と思い外に出ると、外は揺れていなかった。
不審に思いながら中に戻ると、床に大穴が開き、
その傍でつまみを頬張り、濁酒を飲んでる女が目に入った。
「あんた、一体なにしてるんだ!」
思わず声を掛け、息を呑んだ。長い金の髪に紅い瞳。それだけならまだ良かった。
目が行ったのは、額に生える一本の紅い角だった。
「あんた、誰だ……?」
「おや、人に名を尋ねるなら、まず自分から名乗るのが礼儀じゃないか?」
「……俺は昨日ここに来たばかりの外来人の○○だ。
というか、勝手に人の家に上がりこんでるあんたに言われたくない」
「そうかいそうかい。じゃあ改めて、私は星熊勇儀。見ての通り、鬼だよ」
「鬼……ねぇ。……その鬼が、こんな所でいったいなにをしてるんだ?」
「いやね、河童に頼まれて、発明品のテストに付き合ってたんだよ」
勇儀はそう言って、床に置いてある手袋を指差した。
「モグモグ穴ホール、っていう力を使わなくても簡単に穴が掘れる代物だ」
「……ネーミングセンス悪っ……って、そんな事はどうでもいい。
なんでつまみと酒を食べてるんだよ!」
「あぁ、穴を掘って外に出たら偶然ここに出てさぁ。
そしたら目の前につまみと酒があって、
おぉ、こいつぁ仏様の施しだな、と思ってありがたく……」
「なんで仏が鬼に施しなんてするんだよ!それは俺のつまみと酒だ!」
「鬼権差別するなよ。まぁ、なんだ、その、私が悪かったよ。ほら、酒でも飲め。
……半分以上飲んじまったけど……」
「……もういいよ……」
これが○○と勇儀の出会いだった。
勇儀が、過去に『山の四天王』と呼ばれた大物である、
と○○が知るのはかなり後の事である。
その日を境にして、酒飲みとして、他人のつまみだけでなく、
酒にまで手を出してしまった無礼を詫びるのは当然だ、
と勇儀が開通した穴を通して長屋にやって来るようになった。
本当の目的は○○の持っているつまみだったが。
「勇儀、いい加減に人のつまみに手を出すの止めてくれないか」
「そんなケチ臭い事言わなくていいじゃないか。
こっちだって地底から珍しい酒を持ってきてるんだからおあいこだろ」
「そっちは限りがなくても、こっちには限りがあるんだよ。
さきいかなんて、海のない幻想郷では作る事なんて不可能だろ」
「その時は、妖怪の賢者様に頼んで買ってきてもらうよ。
酒虫一匹ぐらいでこんな美味いもんが食えるなら安いもんだ」
「全く、この飲兵衛は……」
「はははははは」
酔っ払った勇儀が肩を組んできた。豊かな胸が顔に当る。
○○は、苦笑いしながらも、勇儀の持ってきた珍酒に舌鼓を打っていた。
そんなこんなで一ヶ月ぐらい時が流れた。いつもの様に穴から勇儀がやって来た。
ただ、いつもと違い、勇儀は顔を赤らめ、興奮しているようだった。
「○○、遂に見付けたんだ!」
「見付けたって、なにを?」
「イカの代わりになるものが見付かったんだ!」
勇儀は○○の手を握り、ぶんぶんと上下に振った。
鬼の怪力で、腕が外れそうになる。その事を言うと、勇儀はすぐに手を離した。
「すまん○○、大丈夫か……」
「出来ればもう少し力を抜いてくれよ、勇儀。俺はお前みたいに頑丈じゃないんだから」
「そっ……そうだな。次からは気を付けるよ。……はははっ」
勇儀の謝罪の言葉は、心ここにあらずだったが、
幻想郷ではこれが普通であるので、○○は気にしなかった。
「っで、わざわざそれを伝えるために来たんじゃないんだろ?用はなんだ?」
「あぁ、そうだった。じつは試しにさきいかを作ってみたんだが、
それをお前に食べてもらいたくて。最初に持ってきたのはお前だからな」
「そうか、それじゃあ行ってみるか。……っで、地底ってのは安全なのか?」
「その点は大丈夫だ。この私がいる限り、○○には指一本触れさせないから」
「決まりだな。そんじゃあ、地底旅行に行くとしますか」
○○は、勇儀に抱えられながら、地底へと向かった。
○○の想像以上に、地底の町は明るく、騒がしい所だった。
あちらこちらで鬼達がどんちゃん騒ぎ。
そんな喧騒の道を○○は勇儀の手を繋ぎながら進んだ。
着いた先は、町の外れの森ある大きな屋敷だった。
「ここが私の家なんだ」
照れくさそうに言う勇儀に通され、待っていると、
大皿に盛られたさきいかが運ばれて来た。
早速手に取り、口に入れた。それは味も歯ごたえも素晴らしいものだった。
気になった○○は、さきいかを一本手に取り聞いた。
「勇儀、物凄く美味いけど、これはいったいなんなんだ?」
「それはね……」
微笑んだ勇儀の口から、牙が覗いた。
その笑顔は、どこか歪んでいるように見えた。
「鬼の……肉なんだ……」
○○の持っていたさきいかが、地面に落ちた。
勇儀がなにを言っているのか分からなかった。勇儀は鬼のまとめ役である。
勇儀がそんな事をするはずがない。
聞き間違いに違いないと思い、再び聞き返すと、
「本当だよ。それは殺した鬼の肉を血抜きして、
日陰で干して作ったんだ。味付けにはかなり苦労したんだ」
鮮やかな紅が、黒く淀んでいた。
「人が妖怪の肉を食べるとね、妖気を吸収して、妖怪になってしまうんだ。だから……」
そこから先は聞きたくないとばかりに、○○は急いで屋敷から逃げ出そうとした。
「○○、外に出ない方がいいよ。出たら、死ぬよ」
「えっ……」
「町で鬼達が○○に手を出さなかったのは、私が○○の隣にいたから。
地底では、力のない奴は、食われてしまうのが掟なんだ。
力もなにもない○○が外に出れば、骨の一片も残らず食い尽くされてしまうよ」
「そんな……」
○○はその場に座り込んだ。
「大丈夫だよ、○○」
柔らかく、甘い匂いが○○を覆った。
「○○も鬼になれば、襲われる事もないし、
なにより、ずっと一緒に入れる。……さぁ、食べよう」
勇儀が、さきいかを○○の口に運んだ。
○○は、もう抵抗しなかった。
少しずつ少しずつ、自分が人間でなくなるのを感じながら、
勇儀の愛に○○は堕ちていった。
朝起きると、○○は勇儀と同じ布団にいた。
お互いに裸だったから、なにがあったのかは察しが付く。
額を触ってみると、一本の角が生えていた。
「……本当に鬼になっちまったんだな……」
ただ酒を飲んで、外の世界の話とかをしてただけの関係である勇儀に、
強制的に鬼にされてしまった。なんとも言えず、○○は溜め息を吐いた。
「……○○……、起きたのか?」
目を覚ました勇儀が、○○を見つめた。布団で胸元を隠す仕草に、
鬼の要素は全くなかった。
「勇儀、一つだけ聞かせてくれ。なんで俺なんだ?
俺みたいな平凡な奴じゃなくて、もっといいのがいただろう」
「…………」
○○としては、これだけはどうしても聞いておきたかったのだ。
どうせここまで来てしまったのだから、受け入れるしかない。
しかし、やはり納得をしたい。
重苦しい雰囲気を破ったのは、勇儀だった。
「嬉しかったんだ……」
「はぁ?」
「私が昔、『山の四天王』と呼ばれていたという話は前にしただろ。
もう山とか川とか関係ないのに、今でもそれが続いているんだ。
誰も私の事を敬いはするけど、親しんでくれる奴はいない。
私は、自分を装うだけで精一杯だった……」
勇儀は自由だった。でも、本当は不自由だった。
周りのために、自分を偽っていたのだ。嘘の嫌いな鬼なのに。
「だけど、○○は違った。鬼の私を初めて見ても驚かなかった。
四天王の事を話しても特別視しなかった。こんな事初めてだった。
だから、話していく内に、○○の事が……」
「はぁ……」
「でも……、○○は人間で、いずれは死んでしまう……。
○○がいなくなったら、私はまた一人になってしまう。それだけは嫌だった。
だから、○○に鬼の肉を……」
「もう、いいよ」
遮るように○○の手が、勇儀の頭に乗せられた。
「こんな俺でよかったら、ずっと一緒にいてやるよ。
あんたみたいなべっぴんさんなら、文句なしだ」
「○……○……」
「これからよろしくな、勇儀」
「……うん!」
幻想郷は全てを受け入れる。それはそれで残酷ではあるが。
どこかの隙間妖怪が言った言葉だ。
だが、その残酷は全ての人が全員残酷というのではない。
それを幸福という人もいるのだ。
最終更新:2011年11月25日 05:59