私の妻は、生前の記憶が無いという。
私も彼女と同じように、生前の記憶と言うものが存在しない。
私は妻となった女性の屋敷で生活をしている。
死霊の世界の、冥土へ渡る魂達の逗留場。
だが、私と、妻はずっとこの場に留まっている。
彼女の場合は、それがお役目だから。しかし、私はどうしてなのだろうか。
決して咲くことの無い桜の木。
その根本に私の生前の身体が埋まっているという。
遙か昔には、妻の身体が埋められ、その隣りに私の身体が埋められたと言う。
妻と言えば、妖夢君を外界……私が来た場所らしい。そこから春を集めさせているようだ。
事実、桜の木には桜色の気流のようなものが流れ込んでいる。
多分、あれが春なのだろう。何度か止めるよう言ったのだが、私の諫めは大概受け入れてくれる彼女らしくもなく強行されている。
偶には、○○にも外界の香りを楽しんで欲しくてね。
妻の愛おしげな、やはり何かに取り憑かれたような、普段見せない気負いを前に私は引かざるを得なかった。
私は基本的にこの屋敷からは出ない。
妻の願いでもあるし、従者の懇願であるからだ。
特に、外界に出る事を妻達は嫌がった。……それなのに、どうしてだろうか。
極まれにこうした外界をイメージさせるような品物を持ち込んだり、外気を入れたりする。
白黒の魔法使いと戦う妖夢君と、桜の、西行妖の前で紅白巫女と戦う妻を私は見守る。
ある程度身は守れても、積極的に戦えるような力は私にはない。だからこうして見守るしかないのだが。
「二人とも、もう、止めよう」
弾幕の嵐が止まる。私は魔法使いと巫女に深々と頭を下げた。
「私の妻が迷惑をおかけしました。春はお返しするので、どうか矛を収めて頂きたい。
幽々子、こんな事までしなくてもいいんだ。私は、此処に居る。君の傍に居る事が、今の環境が好きなんだ。
今の生活が好きなんだ。忘れてしまった過去を無理に思い返す事はない。だから、もう止めにしよう」
こうして、あの騒動はあっさりと幕を閉じた。外界には無事春が戻ってきたらしい。
だが、少し気になった事があったので、後日連絡に来た巫女に私は1つの問いをした。
何故、戦闘が終わった後なのに、君達は最後まで身構えて居たのかと。
巫女は少しだけ言い辛そうな顔をした後、静かに呟くように言った。
貴方の言葉を耳にした時、あの二人、幽々子と妖夢君は確かに笑顔を浮かべていたと。
まるで、満願が成就したような、極上の獲物を手にした肉食獣の笑みのような、そんな総毛立つ笑顔だったと。
巫女の言う彼女達の笑顔とは何だったのだろうか。
今日も妖夢君は勤勉に家事に勤しみ妻の我が儘に当惑し。
今日も妻は食いしん坊で我が儘で、私の世話を焼き甘えてくる。
私は今の生活を甘受する事にした。
失われた記憶も、何故外界を遠ざけるかも、どうでもいい。
探って今の生活が壊れるようならば、知らぬ方がいい。
今日も白玉楼は、平和だった。
最終更新:2011年11月10日 22:44