薄暗い、妹様の部屋とはまた違う方向のとある一角。
入ってすぐの鉄格子の中に男が一人。
彼はろくに歩けずに項垂れていた。

「○○…」

私がここでできる事はただ彼を見下ろすこと、食事を与えることしかない。
もうすぐ、この男は血を抜かれ吸血鬼の眷属となるという処分が下ろうとしている。











―――お嬢様が!?何かの間違いですよ!

自分の放った疑問を思い返しても、かえってきた答えは一つだけ。

―――レミィってば、彼にべた惚れのようね、酔狂な…







あの日、何の前触れもなく○○は反旗を翻した。
とても筋のある、私にとっても頼りがいのある、従順のはずだったあの○○が。
○○は事前に紅魔館の構造を調べて、死角になるルートを通っていたのか、私達では気づけなかった。
けれどもお嬢様ただ一人、最後に通るはずの裏口前で待ち構えていた。
当然、銀の短刀を向けられてお嬢様が黙ってはいられない。
どころか、待ち望んだかのように笑っていたそうだ、ようやく屈服させる日が来たと言わんばかりに。
それでも○○は屈しなかったが、私がようやく駆けつけて来たところで予想外の事が起こった。
私が○○に短刀を急所を外して撃ちつけたところ、狩りの時間を邪魔されたくなかったのかお嬢様は助けに来たはずの私に牽制の弾幕を撃った。
私には、信じられなかった。
加勢が来て不利と感じたのか、また別の思惑なのか、程なくして、○○は捕らえられた。












苛立つほどに長ったらしい廊下を延々と渡り続ける。
その途中、二人の妖精メイドとすれ違う。


「もう一人の完全な従者といわれた○○がまさかねえ?」

「あんな狂ってしまったら、お終いよね」

「ただの人間なのにお嬢様に歯向かうなんて、悪霊に取り憑かれたんじゃないかしら」

メイド達の間で話題にならないはずがない。
決して耳にして心地良いものではないけど、私が取り乱したらどうなることやら。
ただ、衝動を理性で抑えつつ通り過ぎるしかない。
誰にも今の私の顔を見せられない、なんて情けないんだ。












―――俺のような人間にとってこの幻想郷が地獄なら、閻魔様の地獄も生温いほうかもしれませんね…





私の胸に残されたのは彼の皮肉だけだった。

「そう思える貴方は、とんだ幸せ者ね」







私は、お嬢様を守るために、お嬢様を信じてこの身を、この命を捧げてきた。
それが今、どうしてこんなことに…
お嬢様が何か考えがあってのことだと、そう自分に言い聞かせるしかない。
それでも拭えない、抱かずにいられない。
己で考えるのをやめた哀れなマリオネッテに何をそこまで求めるの?
その先に恋慕の未来があるというのか。
愛は拘束で縛りつけるものなの?








―――同じ茶葉のはずなのに、俺には苦く感じます






彼は私達の世界をどこか共有しなかった。
もともとは異世界から飛ばされて、食料となりあっさり命を終えたはずなんだ。
それが文字通りの運命の悪戯なのか、初めは奴隷、次に使用人、その次は執事として生き永らえている。
いつかのこことは違う居場所を求めていたのだろう。
もしかしたら、その日まで機会を待っていたに違いない、心の奥底に押し留めて。













私の存在意義は紅魔館の秩序と、お嬢様の安寧―――












だから、その錆びついた扉を開いた、死んだように眠る彼を抱え込んだ。
○○、私は貴方に惹かれていたかもしれない。
ここまでしてあげるんだから生き延びなければ許さないわよ。
そうでなければ、私はこの館に虚ろな吸血鬼を迎えることになっていた。
そしてなにより彼の唇にそっと愛しみを添えたりなんかしなかった。
後は、○○を抱えて時間が永久に許す限り待ち合わせ通りの森の中に急ぐしかない。






たった一人の人間を恐怖と恍惚で縛りつける。
こんなの間違ってる、私がお嬢様を救ってみせる。
蹂躙してまで手に入れる愛なんてお嬢様のためにはならない。
これも全ては気高き吸血鬼のため。
私は、自分の手を汚してでも、お嬢様を不幸にさせたくない。
見つかって首を刎ねられても、私は主のため、深き紅へと帰りましょう。













「こんな事を頼めるのは二人しかいないんです。○○さんのことはお願いします」

かつて弾幕をぶつけ合った好敵手であり、共に日常を分かち合った親友。
この深い暗闇の森の中、前もって二人を招きいれた。
霧雨魔理沙、そして博麗霊夢、二人なら○○を任せられる。

「それでは」

「待って!」

やはり、魔理沙は引き止めるか、無理もない。

「私が死に急ぐと分かっている人を黙って見送るとでも思ってるのかよ?」

答える義理なんてない。
その沈黙を闇に帰して、踵を返した。

「ただ忠義と幻想を貫いてあいつのために死ぬなんて無意味だろう!」

「確かに…、そういう人だっているわ」

でも、そうじゃない人だっている。

「○○さんのことでしょう?それがこのざまだって言いたいの?」

く、腹立たしい。私はもう決めたのに。
決意が錆びつく前に。

「それ以上、何も言わないで」

けど、そうじゃないのよ…。

「咲夜…」

私と魔理沙の言の投げ合いをただ見つめていた霊夢の口が開いた。

「死を恐れないってのは、あの館で暮らしてれば、ねえ…」

その句は重々しく、こちらから視線をはずしている霊夢の表情を、影が塗りつくしている。

「でも咲夜、考え直しなさい。生きる権利を放棄するのとはまた別でしょう!?」

平生の冷静さなど感じられない、博麗の巫女が声を荒げながらも訴える。
霊夢、あなたまでも…
その勢いにたじろぎながらも魔理沙も後に続いた。

「なあ咲夜、だったら○○と一緒に行けばどうだ。それとも私達となら?一人だから、こんな思いつめてしまうんだろう?みんな一緒なら―――」

「駄目よ!○○がどうしてあんな無謀なことを仕出かしたのか、どうなるかも知らずに…」

それだけじゃない。
彼は、他の人間に触れることもなく独りだった。だからお嬢様にも屈しなかったその刃を向けずして、私に屈した。

私に惚れていたとでも言うの、こんな私を―――













「おい、咲夜?正気かよ、咲夜ッ!」

彼の気持ちを考えると―――

いや、もうやめにしよう。
○○を託したんだ、もう思い残すことなんてない。
二人の憂いに振り返ることなく、私は獣道の闇の中に身をゆだねて歩を進めた。




















見えてきた懐かしき館、恋しき赤。
しかし聳え立つその屋敷を通さぬはずの門が、私を通すのか。
それともこれが私のグリーンマイルへのゲートなのだろうか、フフッ、紅魔館なのにね。
今頃、中は大騒ぎだろうか、無理もない。
お嬢様はどんな顔して私を見つめるだろうか。
怒り、驚愕、疑い、呆れ、いずれにしても私の身体を深紅に染め上げるだろうか。
○○に続いて私まで裏切ったんだ、のこのこと戻ってくればどうなるかなんて分かってる。
それでも私は悲しむでもなく逃げる気も起こすこともなく、淡々と、カウントダウンを進める。
























私はもう、逃げられない―――

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最終更新:2011年11月11日 23:43