鳥は巣を持ち。
そして必ずそこへと帰る。
しかし、それは人と同じように、出入りの自由な家として。
飼い主に愛されたが故に、鳥は篭へと入れられる。
篭の中の空。
そこに、飼い主の偽り無き愛情はあれど。
果たして、鳥自身の幸福はあるのか?
ハナノトリカゴ・第三章
紅魔湖。
紅魔館の近くにあり、また、妖精の溜まり場でもある場所。
ある事を思い付いた○○は、ここに来ていた。
妖怪としてはまだまだ若く。
また、外の世界の山は、戦いとは無縁な場所であったせいか。
○○は弾幕は打てず、まだ特殊能力の開花もしていなかった。
あるのはせいぜい、妖怪としての筋力と、自慢の翼と飛行能力。
幽香のストレス解消に手合わせする事も、何か能力を使って幽香を喜ばせる事も、まだまだ出来ない。
先程慌てて家を飛び出した後。
近頃様子のおかしい幽香の為に何かをしたいと考えてはいたが、やはりこれでは厳しい。
“幻想郷に来て思ったけど、やっぱり俺って半人前だよなぁ。
はぁ…。”
そうして未熟な自分の不甲斐無さに、半ば落ち込み掛けていた時。
丁度、上空から紅魔湖が目に入った。
“そうだ。
それでも力と、速く飛べる羽根はあるじゃないか。
後は今日、あいつがいれば…。”
「あ、いた。
チルノー。」
「あ、○○。なあに?」
「ちょっと頼みがあるんだけど…」
少年少女会議中...
「…それならあたいに任せて!!
すぐ出来るから、ちょっと待っててね。」
「ありがとう、良かったぁ。」
どうやら作戦は上手く行きそうだ。
“さて、後はどれだけ速く飛ぶかだな。
柔軟柔軟、っと。
幽香、喜んでくれるといいなぁ。”
「今日は夕方でも暑いわね…うちの中。」
幽香は自宅でへばっていた。
大妖怪の力を以てすれば、自分は暑さを感じなくするぐらいは容易いのだが。
植物と太陽を愛するが故か、彼女はあまりそれを好まなかった。
“あー…でも、意地を張るのも限界かも。
…何枚か○○の羽毟って、団扇でも作ろうかしら。”
そうして相変わらずサディスティックな事を考えていた矢先…
「よっ、と。
ただいまー。
幽香ー、ちょっと手え塞がってるから、開けてくれる?」
幽香の耳に入ってきたのは、○○の声。
“?
何か持ってるのかしら。”
「おかえり。今開けるわね。
…まあ。」
「…へへ。
どう?すごいでしょ。
チルノに作ってもらったんだ。
今日はこれで涼めればって思って。」
彼の腕には、かなりの大きさの氷塊があった。
「……。
うん、生き返るわ。」
氷水を一杯煽る。
幻想郷では氷は貴重品。
ましてやすぐに作れるのはチルノぐらいしかいないので、彼女は夏は引っ張り蛸なのだが。
今日は運が良かった。
「野菜もそろそろ冷えたんじゃないかな?」
「そうね。
今日はそのままいただきましょ。」
久々に得た涼に、団欒は弾んだ。
最近少し陰りが見えた幽香の笑顔も、今夜は幾ばくか晴れやかだった。
「でも急にどうしたの?
幾ら妖怪の力でも、抱えて飛ぶのは大変だったでしょうに。」
「んー。
最近幽香暑そうにしてたし、ぼーっとしてる事も多かったでしょ?
だから、元気出してくれたらいいなって思って。
俺半人前だからさ、これぐらいしか出来ないけど。」
「そう…ありがとう、○○。」
「へへ…
あれ、幽香?
わっ…」
幽香は正面から○○を抱き締めた。
「…ぐすっ。
ありがとう…ありがとうね…○○…。」
「幽香、どうしちゃったの?
…もう。」
例え些細な事とはいえ。
思えば、他者の優しさに触れた事など、いつ以来だったろう。
ずっと孤独だった。
ただ強くあれば、何もかも忘れられると思っていた。
たが、それはきっと、砂の城に過ぎなかった。
幽香はただ○○を抱き締めたまま、涙を流していた。
人前で抑え込んだ感情を解き放ったのは、数百年振りの事だった。
夜。
幽香の隣では、○○が寝息を立てている。
“ふふ、ぐっすり眠っちゃって。
やっぱり疲れちゃったわよね?
お疲れ様。”
○○を起こさぬように自らの胸に抱き寄せ、髪を撫ぜる。
“…はぁ。
この子は私に頼ってばかりだって思ってるみたいだけど。
依存しきってるのは、きっと私の方ね。
私にとって、この子は何なのかしら?
家族?
それとも異性として?
…いえ、きっと両方ね。
こうしていると、身体は確かに疼くもの。
…じゃあ、この子にとっての私は?
朱鷺子って子の事もあるし、やっぱり家族なのかしら。
そうよね…この子はまだ、100年ちょっとしか生きてない。
さすがに親とは思われてないけど、お姉さんかしらね?
この前の話、誤魔化したつもりだろうけど、バレバレよ?
あの子の事になると、ちょっと声が変わるんだもの。
…でも、まだあの子を異性としては好きになってないみたいね。
……………。”
何処からともなく、蔦が延びる。
その蔦は、彼らの眠るベッドの周囲を包む。
まるで、鳥籠の様に。
“私はまるで、自分を鳥籠か鉢に押し込めてるみたいね。
ただ飛ぶだけなら出来るわ。
だけど、私の心は花。
結局、根で自分を縛り付けて、太陽を見上げるだけだもの。
だから、夏と向日葵が好き。
私と同じ様に動けないけど、それでも太陽の生き写しみたいに咲くあの子達が。
○○。
あなたは、枯れない向日葵みたいね。
………。
…ねえ。
ずっと、私に咲いていてくれる?
あなたが咲く土は、ここにだけあるの。
ここにだけ、咲いていて欲しいの。
誰にも。
そう、誰にも刈り取らせたくはないの。
他の誰の目にも触れない、私の側にだけ咲く向日葵。”
蔦は更に伸び、感触すら感じさせない優しさで、二人を包む。
“だけど、あなたは鳥。
きっと花も小さく見えるぐらい、高く飛んで行く。
だから。
あなたの為の鳥籠を作る。
逃がさない様に。
誰もあなたを奪えないように。
永遠に、私と共に在るように。
ふたりの為の鳥籠を。
ふたりの為の、花の鳥籠を。
ずっと、押し込めていたわ。
最近は特にそうだった。
無意識に変な行動を取ってしまう程には。
だけどね。
もう、無理なのよ。
この気持ちに、気付いてしまった以上は。
あなたが私と共に咲いてくれないのなら。
私はもう、枯れていくだけなのだから。
花泥棒の小鳥はね。
追い返すものなのよ。
花を食べる動物達も、追い返すもの。
あなたは悲しむだろうから、あいつらを殺しはしないわ。
ただ、しばらく動かないでいて貰うだけ。
私だけの向日葵を。
私だけの太陽を。
私だけの、あなたを。
誰にも、渡さない。”
パンッ!!
凄まじい速度で、蔦が引いて行った。
いつも通りの部屋と。
いつも通りの静寂と。
いつもとは違う、密着したふたりの影と。
ここにあるのは、それだけ。
幽香は。
まだ眠る彼の唇に、自らの唇を重ねた。
それは。
獲物を少しずつ喰らうかの様な、ゆっくりと、しかし深いくちづけ。
彼女の昏く、強い決意を宿した瞳だけが。
暗い寝室の中で。
ただ一つ光を、宿していた。
ある日書かれた、射命丸文のメモより。
『連続事故多発・暑さによる不注意に注意せよ。
先週人里の守護者・上白沢慧音氏が倒木により怪我をしたのを切っ掛けに、最近幻想郷では何かしらの事故が相次いでいる。
冥界・白玉楼の庭師、魂魄妖夢さんが、天ぷら用の食材の中に誤って混入した毒草を食べてしまい、入院。
また、博麗神社の巫女・博麗霊夢さんが自宅を出る際、玄関の取手に伸びていた猛毒植物に触れ、一時意識不明の重体となった。
他にも不注意による事故の怪我人が相次ぎ、現在永遠亭の入院患者は従来の2倍となっている。
今年は記録的な猛暑でもあり、暑さによる不注意が原因というのが主な見方とされている。
かく言う筆者である私、射命丸文も現在入院中の身であり、病室にてこの文を書いている。
先日ある崖の傍で蔦に足を取られ、転落。
現在右足踵と大腿骨の複雑骨折・全身打撲により入院中である。
この連続する事故に関して、不審な点が幾つかある。
1.事故に遭ったのは、全て妖怪などの人外の者。或いは何かしらの特殊能力者。
人間の被害者は、現在博麗の巫女のみでもある。
2.大木に直撃する、誤って毒草を食す、崖近くで蔦に足を取られ転落など。
全ての事故に、何かしらの形で植物が関わっている。
3.死者は幸い0であるが、人外や特殊能力者達が全員、一月以上の入院を要するほどの重症でもある。
そして、4。
これら事故に遭った者達全員が、直接・間接を問わず、ある者と関わりがある。
最近幻想郷入りした鳥妖怪の少年・○○である。
彼は幻想入りした当時、四季のフラワーマスター・風見幽香に保護され、そのまま彼女と同居している。
これらの事実を元にした際、事故は彼女の操る植物によるものと言う発想は、真っ先に浮かぶ。
しかし証拠が無く。
また、元来大規模な戦闘と殺戮を好む彼女が、この様な闇討ち紛いの手で、それも殺さずに他者を攻撃する動機も無い。
仮に風見幽香が犯人と仮定した場合、何か裏があると私は考える。
被害者を一定期間動けなくする必要と、殺せない事情がある。
そこに至る動機とは?
やはり、あの少年が鍵となるのであろうか。
しかし明確な証拠が無い以上、これも憶測の範疇を出ない考察である。
今はただ、自分の治療に専念し、これ以上不幸な事故が起こらない事を願うばかりである。
○月○日 射命丸文』
“しかし退屈ね、病院のベッドって…。
あの少年が、何か災難に遭わなければいいのだけど。”
病室の退屈な風景に目をやり、文はメモを閉じた。
「朱鷺子ー、聞いた?
今度は文さんが怪我で入院したって。」
「聞いたわ。
最近、本当に事故が多いわね。」
「ここも木の上だし、朱鷺子も気を付けな?」
「ちょっと脅さないでよ…。」
○○は、少し久しぶりに朱鷺子の家に来ていた。
最近は幽香に留守番を頼まれる事が何回かあり、出掛ける頻度が少し減っていた。
「それじゃ、またねー。」
「うん、また。」
朱鷺子の家がある大木から降りた時。
○○は、この場所では見ない、数点の花や植物を見付けた。
“あれ、なんでこんなところにこれが生えてるんだろ?
時期はバラバラだって聞いたのに。
クロユリ、メハジキ、イラクサ、パセリ…あれ、向日葵も一本だけ生えてる。
…変なの。”
幽香に教わり、植物の知識は最近少しずつ身につけている。
ただ、彼が解るのは、単に種類のみでしかない。
そう、花言葉までは。
それらの花言葉。
呪い。
憎悪。
悪意。
死の前兆。
そして、向日葵の持つ花言葉の一つ。
「あなたを見つめる。」
彼が飛び去った後を、向日葵だけがその首を動かし、見つめていた。
そして、他の植物たちは。
確かに朱鷺子の家だけを向いて。
夕方。
幽香の家。
「あれ、出掛けるの?」
「ちょっと用事があってね。」
「ふーん。
どうしたの?」
「それは秘密。
女は秘密を着飾って美しくなるものよ?
あなたはまだ解らないだろうけど、聞くのは野暮ってものね。
それじゃ、早めに戻るから留守番お願いね。」
「…うん。」
幽香を見送った後、○○はベッドに横たわり、ひたすら考えていた。
時刻は気付けば夜。
“あの時は先延ばしにしてたけど。
俺、やっぱり朱鷺子の事が…
そうだ、明日会いに行こう。
ちゃんと伝えなきゃ。
うん、決めた。”
「たらいまー。」
「あ、幽香おかえり…って酒くさっ!?」
「えー?ぜんじぇん酔ってらいわよー?
んふふ…○○ー、だっこー」
「抱きつくなって!!
もう、さっさと寝なさい!!ほら、ベッドこっちだから。」
「やらー、○○もいっしょにねるー」
「いでででででで!!
本気で抱きつくなよもう!!しょうがないなあ。」
幽香にしっかりホールドされてしまい、仕方ないので○○はそのまま眠る事にした。
“はあ、こんなんで明日大丈夫かなあ。”
「あだだ、幽香、ちょっと本当に痛いから…」
翌日。
「うわぁ…これは我ながら…」
鏡に向かう○○は、自らの憔悴しきった顔にげんなりしていた。
“幽香の奴、俺をガチガチに固めたまんま寝ちゃったからなぁ。
おかげで寝不足だ…。
だけど気合い入れなきゃ。
よし!!”
パンッ、と自らの顔に気合いを入れ、出掛ける事にした。
朱鷺子の家は、林の大木の上にある。
“読書の邪魔されたくないから、せいぜい飛べる奴しか入れない位置にしてるの。”
そう言って、一番高い木の上に作られた家。
○○はいつも、その木を目印にしていたが…
“あれ、あの辺なんだけだどな…”
遠目では、何故か今日は見付けられずにいた。
一度近くに降り、林を歩く。
“え…?”
馴染みの道を歩き、彼の目に入った光景。
不自然にひしゃげた大木。
辺りに散らばる瓦礫。
その惨状の中、血塗れで横たわる少女。
「朱鷺子!!」
「○○…」
「どうしてこんな…」
「わからないわ…急に…木が倒れて…」
「くっ!
待ってろ、すぐ永遠亭に連れてく!!」
「ありがとう…
ッ!?
あ…
○○…気をつけて…
もしかしたら…○○も…」
「朱鷺子?
はは…目え開けてよ、ねえ…。
朱鷺子!!!!!!!!」
永遠亭。
「取り敢えず一命は取り留めたわ。
ただ、目を覚ますかは正直解らない。
残酷だけど、彼女の生きる力を信じるしか出来ないわね。」
「そう、ですか…。」
「あなたが早く彼女を運んでくれなかったら、きっと手遅れだったわ。
気に病む事は無いわよ。
後は私達に任せて。
そうね、あっちに休憩室があるから、一度気を落ち着けて来なさい。」
「…はい。」
○○が病室を出た後には、永琳と鈴仙が残された。
「…師匠、幾らなんでもおかしいです。
骨折や打撲で、妖怪であるこの子が意識不明にまでなるなんて…。」
「あなたもそう思う?
これは彼には黙っていたのだけど…怪我じゃないのよ、この子が意識不明になった原因は。
妖怪や人間で、同じ症状でも、効く薬が変わるのは知ってるでしょう?」
「はい。
!!
…まさか。」
「そう、それは毒に対しても当てはまる。
この子の首筋に、ある植物の棘が刺さっていたの。
これは妖怪にはかなりキツい毒で、特に、まだ若い妖怪にとっては劇薬。
刺さり所が悪ければ、昏睡状態にさえ陥るものよ。
遅効性だから、すぐには解らないのもタチが悪いわね。
あの場所には生えていないはずだから、誰かが刺した、って考えるのが自然でしょう。」
「まさか○○君が…」
「それは無いわ。
発症のタイミングが合わないもの。
ただ、あの事故に関わっている誰かが仕込んだって考えるのが、自然ではあるわね。
最近の一連の事故も、人為的なものなのかもしれないわ。」
“尤もそんな芸当が出来るのは、彼の保護者しかいないでしょうけど。
…彼の周囲の存在を消して、一体何をする気?風見幽香。”
朱鷺子は絶対安静の為、傍にいる事も叶わず。
○○は帰宅していた。
“妖怪は精神に依る生き物、か。
こんな時に俺まで動けないなんて、何が妖怪だよ。
チクショウ。”
精神的なショックからか、帰宅してからどうにも体調が悪い。
妖怪の身故に、人間以上に気が落ち込む程不調は増すが。
それでも思考は止まらずにいた。
「○○、大丈夫?」
「幽香…
…ごめん、ちょっとだけ甘えていい?」
○○は幽香の胸に抱き付き。
今日起きた事を、ようやく彼女に話した。
「俺…ちゃんと好きだって言おうと思って…
そしたらあんな事になってて、もう朱鷺子は起きないかもしれないって…」
「…そう。
辛かったわね。
○○、あなたも暫く休んだ方が良いわ。
あなたも妖怪なのだから、あんまり自分を責めすぎると死んじゃうわよ?
今日はこうしててあげるから、今は泣きたいだけ泣きなさい。
大丈夫。
きっと目を覚ますから、あなたがしっかりしてなきゃ。」
「うん…。」
幽香はより深く、○○をその胸に抱き締めた。
そう。
○○の位置からは、彼女の表情を伺えない程深く。
“そうよ…『殺してはいない』わ。誰も。
ただね。
あの泥棒鳥にだけは、ずっと眠っていて貰わなきゃ困るのよ。
ふふ…甘えるこの子も可愛いわね。
もうすぐよ。
もうすぐ、あなたと私の為の鳥籠を…。”
○○からは見えない、彼女の表情。
その微笑は、狂人のそれと同じものだった。
続く。
最終更新:2011年11月11日 23:54