自慢の日傘を片手に、幽香は通りを歩く。

何人かの人とすれ違い、それを特には気に留めず。


彼女は微笑を浮かべ、通りを歩く。

そしてある女性とすれ違い、そのまま通り過ぎようとした時。






「どれだけ囲っても、鳥は羽ばたきを求めるものよ。

あなたは巣ではあっても、篭になってはいけない。
まだ、間に合うわ。」






“こいつ…!”





しかし幽香が振り返った後には、誰もいなかった。

まるで、その一瞬だけが。
違う時間であったかのように。










ハナノトリカゴ・終章












朱鷺子の身を襲った“事故”から翌日。

暫く休むよう幽香に言われた○○は、部屋で呆然としていた。



“朱鷺子…。”


目を覚ますのだろうか。
今、彼女は寂しくないのだろうか。



まだ少し残る不調の中。
彼の思考には、朱鷺子の事ばかり浮かぶ。


青銀色の髪。
まだ少し幼さの残る、高い声。
自分の目線より、少し低い背。



そして。
いつも嬉しそうに本の話をする時の、笑顔。



揺れるカーテンの隙間からだけ、光が射し込む部屋で。
彼の頬を、一筋の涙が伝った。






花の世話をする為外へ出た幽香は、畑のある一角に来ていた。

その一角は、まだ何も植えられていない土だけがある。


幽香は自らの掌から種を出し。
それを土へと撒いた。


それは一瞬で開花し。
黄色い花を咲かせる。


誰も見た事の無い、黄色い花を。






「師匠…この子はどうすれば、目を覚ますのでしょうか。」

「今は解らないわね。

この毒の解毒剤を作る事は、まだ誰も成功した事が無いもの。

だから、私達がやるのよ。
目の前の患者が人であろうと妖怪であろうと、必ず助けるのが、私の薬師としての、医師としてのプライドだもの。

私達にも。
そしてこの子にも、まだまだ時間はある。


だから、何年掛かってもやり遂げるのよ。

鈴仙、まずは血清の開発から始めるわ。
この子の採血をお願いしていい?」



「師匠…。

はい!!」




一か月が過ぎた。

季節は秋へと変わり始め、向日葵の変わりに、今は秋の花々が開き始めていた。




「おはよ、幽香。」

「あら、何だか浮かない顔ね。」

「んー…何か、変な夢見たんだ。
女の子がずーっと俺を呼んでるんだけど、誰か解らなくてさ。

でも、どっかで会った気がするんだよなぁ…。」


「ふふ…あなたもお年頃かしらね?

でも、誰でしょうね。
未来のお嫁さんだったりして?」

「…な!?ち、違う違う!!
だって夢だよ?」



“…そうだよ。
だって俺には好きな人が…”



顔を赤らめる○○を見て、幽香は優しく彼の頭を撫でた。



その細められた目の奥に、愉悦と昏い感情を隠して。







“黄色い花異変”と呼ばれた事件が起きたのは、その翌週の事。

厳密には、事件と言うよりは事故である。


幽香が花を試験的に品種改良した所、どうやらその改良自体が失敗だったらしく。
花粉を媒介とした異様な繁殖力により、一時は幻想郷中がその花で埋まってしまったのだ。


人妖問わず花粉症による被害が多発した為、一時は鼻水まみれの博麗の巫女と普通の魔法使いが乗り込んで来る事態となったが。


「ごめんなさいね。
あと3日もすれば勝手に枯れるはずだから、もう少し待てば大丈夫よ。」


ある意味幽香らしくない、素直な謝罪の言葉に幕を閉じたのだった。





○○は幽香と花の世話をし、たまに幻想郷を飛び回り。

永琳と鈴仙は、朱鷺子の治療の研究を繰り返し。


それぞれが、それぞれに日々を過ごした。






そして、4年が過ぎ。
季節は6月。




「師匠、出来ましたね。」

「ええ、ついに。

後は彼女が目覚めるのを信じて、効果を証明するだけよ。」






“○○…やっと見付けてくれたんだね。
ずっと、待ってたんだよ?

あれ?
ねえ、何処に行くの?

置いてかないでよ。
あたしを、忘れたの?


ねえ、やだよ。
なんで…なんで…”




「………。」



「目が覚めた?
あなた、4年も眠ってたのよ。」

「ここは…?」

「ここは永遠亭よ。
あの事故の事は覚えてない?」

「…いえ、覚えてないわ。
あたしはそれで眠ってたの?」

「そうよ。
あなた、自分が誰かは解る?」

「それは解るわ。
ただ、その事故の事は覚えてないの。


…っ!!

ねえ、○○は!?
○○は、今どうしてるの!?」



「○○?
ああ、風見幽香の手伝いをしてる鳥妖怪の子かしら。



あれ、でもあなた、何で彼の事を知っているのかしら?

彼は4年前の秋に幻想入りしたはずだけど…。」



“…!!


…そんな、そんなはずは無いわ。

だって○○と出会ったのは、あの夏のはずで…”



「…いえ、何でもありません。」

「そう?

じゃ、少しずつリハビリして行きましょう。
幾ら妖怪でも、4年も眠ってたんだしね。」



約一ヶ月、リハビリは続いた。

旧知の友人達は、次々と見舞いに訪れたが。
○○だけは、最後まで現れる事は無かった。



退院後、新居の用意など色々と慌ただしい日々を送った。

全てが落ち着いたのは、向日葵の咲く、7月半ば。
4年前、朱鷺子が○○と出会った季節の事であった。




朱鷺子は、太陽の畑に足を伸ばしていた。
ここの主の危険性を知る者ならば、誰も不用意には近付かない場所。

全ては、○○に会う為に。



“広いわね…どこにいるのかしら?


わ…”




向日葵畑の中から飛び立つ、美しい黄色い翼。

4年前からは、少しだけ成長した姿。

間違いない、彼だ。



「○○ー!!」

朱鷺子は精一杯叫んだ。


そして降りて来たのは、やはり○○だった。

朱鷺子は思わず彼に抱き付いたが…





「おやおや、君は誰だい?
迷子かな?

女の子にいきなり抱き着かれると、ちょっと照れ臭いんだけど…。」



「…………!?


ねえ、あたしが解らないの?○○…」

「いんや、初対面だからなぁ。
解らないのと言われても。

それより、何で君は俺の名前知ってるの?」


「本当に、覚えてないの?


一緒に読んだあの本も。
あの約束も…」


「いや、夢でも見てたんじゃないの?

だって君の事知らないし…」


「そう……」

「まあ、知らないものは知らないし…んむ!?」



朱鷺子は彼に近付き。
自らの唇を、彼の唇に重ねた。



「…ん。


あ…れ…?頭が…
…とき…こ?」


「思い出したの!?

そうよ、朱鷺子よ!!


…ねえ、○○。
あの時の答え、聞かせて?」

「…ああ、全部思い出したよ。
目、覚めたんだね。良かった。

朱鷺子。
俺は…



……!!」


突然○○は倒れた。


「○○!?」



そして朱鷺子が倒れた○○に近付こうとした時。





ぐしゃっ…





「え…?



がはっ!!」





彼女の腹部を、一筋の光が射抜いた。





「あらあら?
しぶとい泥棒鳥がいたものね。

花を食い荒らす小鳥さんは、ここでは駆除の対象なのだけど。


あなたは眠っていたものね、あの花粉は効かなかったのかしら?」


「やっぱり…あんただったのね…。

みんなに…○○に何をしたの!!」


「ちょっと怪我で大人しくしてもらってる間に、花粉で記憶をいじっただけよ?

あの花を作るのは大変だったわ。
妖力も大分必要だったし。

“あなたと○○の関係と、○○が幻想入りした時期だけを忘れさせる”
そう都合良く作るのはね。

あ、○○に使った花は特別製よ?

“あなたの事だけを、綺麗に忘れる”

そういう風に作ったから。」



「…あんたは間違ってるわ。

そうやって○○を鳥籠に閉じ込めるみたいにして、○○が幸せだと思うの!?

あんたのやってる事なんて、ただの我儘よ!!」


「黙りなさい、泥棒鳥が…!

あなたの猫撫で声で、○○が起きちゃうでしょう?
気の利かない子ねぇ。

そうね、うるさい小鳥さんは、静かにさせましょ。」


「あぐっ…!!」



容赦無く、幽香の蹴りが朱鷺子に降り注ぐ。

圧倒的な暴力の前に、朱鷺子は成す術も無く。
やがて蹴りが止んだ時は、彼女は息も絶え絶えだった。


「ふふ…こんな所かしらね。」


がしり。


足首を掴んだのは、朱鷺子の手。
指も腕も折れ、それでも尚、幽香の足を掴んでいた。

「かえして…○○を…」



「…ふん。」


最後の一撃を加え、朱鷺子を足から離す。

幽香は種を掌から撒き。
そこから咲いた花が、朱鷺子を包み込んだ。


「お腹に穴まで開いて死なないだなんて、大した生命力ね。
お子様でも妖怪って事かしら?

その意地に免じて、殺さないであげるわ。
その代わり、この子の事は全て忘れなさい?


…ごめんなさいね。
この子だけは、譲れないのよ。

例え、何をしてでも。」



痛みと血の味の中、それでも解る甘い香りが、朱鷺子を包む。



“待って…行かないで…。

○○を…かえして…


あ…


あ…れ…?

あの連れてかれるひとは…だれ…?


おもい…だせない…。”



朱鷺子はその後一命を取り留め。

彼女の怪我は、幽香の逆鱗に触れた、不幸な災難として処理された。




彼女に、その時の記憶は無い。



そして、○○の事は。
何一つとして、覚えてはいなかった。







「ん…」

「大丈夫?

畑で急に倒れたのよ、あなた。」

「んー…何とかね。
ごめん、心配掛けちゃったよね。」

「もう…気にしないでいいのよ?
あなたが無事だったんだから。」

「うん、ありがと。」



幽香は○○に唇を重ねた。
○○は、甘んじてそれを受け入れる。


「ん…


幽香…大好きだよ。」


「ええ、私も。

あなたは他の誰でも無い、“私の恋人”なのだから。」


“そうよ。

この子の心を奪った。
この子の身体も奪った。

近付く泥棒鳥も、やっと撃ち落としたわ。”



花の蔓が彼らを取り囲む様に伸び、ある形を作る。

それは、鳥篭に似た形。



その中で、幽香は○○の手足に、そして翼に蔦を絡め。
慈しむ様に彼を抱き締めた。




“…もう離さないわ。

ここが、私とあなたの鳥籠なの。
私だけの向日葵を、永遠に離さない為の鳥籠。


あなたが妖怪で良かったわ。

こうしてさえいれば、これから先、何年も、何百年も。
ずっと、ふたりでいられるもの。



あなたが飛ぶ空は、私の目の中だけでいいのよ?

あなたが帰る巣は、私の胸だけでいい。


ここが。
この畑が。



ふたりの為の。


永遠の、ハナノトリカゴなのだから。”





記憶と心を操り。
幽香は、永遠に彼を篭に閉じ込める事が出来た。


しかし。
心のままに鳴く事も、自由に羽ばたく事も忘れた鳥は。
果たして、鳥と言えるのだろうか?




花の鳥籠の中。
眠る彼を抱き締める、幽香の姿は。



彼女自身の心を、自ら永遠の孤独に閉じ込めたかの様だった。



羽ばたきを忘れた、鳥の脱け殻を抱いて。









ハナノトリカゴ・完














あとがき。

このお話のモチーフは、RURUTIAの『愛し子よ』という曲です。
歪んだ母性と恋慕の情の入り混じる感じが表現出来たかは解りませんが、読んでいただいた方、ありがとうございました。


冒頭で幽香に語りかけた女性は、一体誰だったのでしょうか。

事情を知る赤の他人か。
それとも、幽香の最後の良心だったのか。

全ては、皆様の心の中に。












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最終更新:2011年11月11日 23:55