「お子様をいたぶるのは趣味じゃないが、俺も仕事なんでな。
お嬢様、お命頂戴致します、ってな。」
「ふふ。
私以外、皆気絶させられるなんてね。
やるじゃない?」
「遺言にしては余裕じゃないか?」
「そうね。
ただ、私の遺言じゃないと思うけど。」
「言ってろ、クソガキ。」
崩れた壁が煙って見えないが、決まった筈だ。
自慢の銀のナイフに、肉の感触。
これでこのヤマは終わりで、この辺鄙な世界ともオサラバだ。
「あら?
間近で見るとなかなか良い男じゃない。」
「なっ…!?」
ナイフの先には、ちぎれた腕。
そして声は胸元から。
「生憎と500年生きてるからね。
見た目以外は、あなたよりは幾分大人よ?
気に入ったわ。
普段は少食だけど、頑張ってあげる。」
片腕が優しく肩に絡まり、首筋に軽い痛みが走った。
まずい。
この失血は…
「あのクソガキが…。」
執事服の男はぼやく。
ミイラ取りがミイラになるを地で行く結末。
彼は怪物・人間の両方からの依頼を請け負う殺し屋だったが、それも今や廃業。
紅魔館の新米執事が現在の生業だ。
別世界に人を移動させる“飛ばし屋”にいつも協力を依頼していたが、帰還は仕事の完遂が条件。
とうに失敗した事にされているだろう。
何より、彼はもう一端の吸血鬼である。
元々
レミリア暗殺の依頼主は、外の世界の吸血鬼だったのだが…
「まさか今や依頼主と同じ種族になるとは、随分皮肉だ。
…つくづく、殺し屋失格だな。」
レミリアの眷属とされた事と、殺し屋としてのプライドをズタズタにされた二重苦が、彼の足を館に留めさせていた。
人間の頃に潜入しての殺しもやっていたお陰か、それなりに執事として必要な知識もある。
もはや諦観で生きている、というのが実際の所であろうか。
「○○、紅茶を淹れなさい。」
「畏まりました、お嬢様。
本日のお茶請けはラングドシャとなります。」
「相変わらず良い腕と香りね。
新人とは思えないわ。」
「お褒めに与り、光栄であります。」
「そうそう、咲夜がそろそろ“カフェオレ”が切れるって言ってたから、またよろしくね?」
「はい、3日以内には補充分を揃えますので。」
“カフェオレの調達”
これが彼の重要な任務であり、吸血鬼としての食事の時間。
元々ターゲットの血を見ると落ち着くような殺人マシンだ。
別に迷い込んだ外来人を拐うのに抵抗は無い。
1人は“毒味”として、殺しても良い事になっている。
彼は刃物で外来人を殺し、その傷口から血を啜る。
怪物殺しに愛用していた銀のナイフは今や弱点となったが。
吸血鬼としての彼の歴史を刻む、まだ新しい鋼の刃で。
“こうして任務さえ果たせば、殺し屋としてのプライドは満たされる”
任務と殺し。
例え詭弁でも、今も尚与えられる、殺し屋としての存在意義。
それが更に、彼の諦観を強くしていた。
咲夜でさえ人間のままで従えているレミリアが、何故彼だけを無理矢理眷属に据えたのかは、未だに解らない。
ただ、気紛れで我儘な彼女の興味を引いたのが運の尽き。
○○はそう割り切っていた。
「○○、来てくれたんだね!!」
「ああ、丁度仕事が終わった所でね。
さて、今日は何して遊ぼうか。」
「えっとねー。
まずはどかーんごっこして、それから絵本読んでー!!」
「はは…今日はせめて腕一本で勘弁してくれよ。」
数日に一度、
フランドールと遊んでやるのが、彼のたまの息抜きだ。
フランの存在を知ったのは吸血鬼にされた後、執事とされてからだが。
最初は四肢を吹き飛ばされた挙句、再生の為に数日仕事を休む羽目になったりと、なかなか手を焼いた。
しかし、外面は淑女的な振る舞いの面子だらけの紅魔館に於いて。
○○にとってフランドールは、数少ない素で接する事が出来る相手。
例え危険があっても、つい息抜きに来てしまうのだった。
「しかしフランのお姉さんは、何で俺を眷属にしたのやら。
最初は殺し合った仲なのだから、壊せば良かっただけだったろうに。」
「んー。
きっとね、お姉様は寂しかったんだと思うの。
あと、怖がりなの、あの人は。
わたしが閉じ込められてるのと一緒で、心配性すぎるんだと思うな。」
「そういうものかね。」
“ただの暇潰しだと思うがな…俺もいつ飽きられるのやら。”
眷属の身だが、任務さえ全うすれば、あとはそれなりに自由だ。
その気にさえなれば、恐らく反抗だってできる。
何故レミリアがそうしているのかは、今も解らないままだが。
未だに彼女の意図は図りかねるが、取り敢えず今日はフランドールを寝かし付ける事にし、彼は目を閉じた。
天井に貼り付いた、一匹の小さな蝙蝠には気付かずに。
「一目惚れって本当にあるんだ」って思ったわ。
まさか自分を狩りに来た相手にそうなるなんて、予想外だったけど。
仮にも殺し合いが最初の出会いだったから、普通に仲良くなるなんて無理じゃない?
だから、とにかくまずは繋ぎとめなきゃって焦って。
それでまずは、彼を眷属にしたの。
それからは順調だったわ。
彼の人間としてのアイデンティティは崩したから、まずは執事としての職を与えた。
それと、血液の調達役も。
何か誇りのある者同士だから解る勘、って奴かしら。
殺し屋をやってた訳だから、そのプライドを保ってあげないと、彼は陽光にでも飛び込みかねない。
それは絶対に嫌だったから。
とにかく何か一つでも私に依存させる為、吸血鬼と、紅魔館の住人としてのアイデンティティを与えた。
他に行くあてが考えられなくなる程度に囲ってね。
ただ一つだけ失敗だったのは、思ったよりあっさり諦めて、彼が順応してしまった事ね。
たまに眷属にされた事を愚痴ってるのは知ってるけど、今はそこまで本心じゃないみたいだし。
さっきもフランの面倒を見てるのを覗いてたけど、殺しをしてない時の彼は、本当に優しいもの。
そんな彼も大好き。
…だけど、最初に惹かれたのは、“あの眼”なのよ。
あのターゲットを前にした時の、冷たい眼に惹かれたの。
「眷属にしたら、憎しみであの眼で見てくれるかも」なんて思ってたけど、そうは上手くいかなかった。
操ったら、それこそあの眼は見れないしね。
紅魔館の主たる者が、被虐趣味の気があるなんて、お笑い草かしら?
ただね、もう一度だけ、でいいの。
もう一度だけ、あの眼で私を見て欲しい。
今はそう…あの冷たい眼に、愛を織り交ぜて私を見て欲しいの。
まだ恋人同士じゃないから、無理かしらね。
彼を操って無理矢理そういう関係にしたっていいけど、それじゃ、愛憎混じりに見てくれる事は無いから。
ただの人形には興味無いのよ。
あくまで○○のままで、あの眼を私に向けて欲しいの。
時間はたっぷりあるもの。
そうね、まずは自分の力で彼の心を掴んで、それから…
数年が過ぎた。
いつからか吸血鬼としての生に順応しきっていた○○は。
レミリアに対しての感情も、敗者としての主従と言うよりは、本来的な忠誠に変わっていた。
何より変わったのは。
彼が執事であるのは、“執事服に袖を通している間だけ”に変わった事であろうか。
「○○、いるかしら。」
「お嬢様…いや、今はレミリアと呼ぶ時間か。」
「もう、まだその癖は抜けないの?」
「主従としての時間の方が長いんだ、なかなか急には難しいね。」
「ふふ。そういう所もあなたらしいけど。」
始まりが始まりだっただけに、恋仲になるのはなかなか苦労した。
長い努力により、レミリアはようやく彼の心を手に入れる事が出来た。
その小さな体躯を彼の膝の上に乗せ、胸元に抱きつく。
彼はその身体を片腕で支え、子猫をあやす様にレミリアを撫でる。
“ふふ、幸せだわ。
だけど、まだ足りない。
彼の愛も憎しみも、全部を手に入れたいのだもの。
私にだけでいいのよ?
そこまで深い感情を向けるのは。
そう、まだ“あの眼”で見つめて貰っていないのだから。
だから次は…。”
まだ夕暮れが残る頃。
いつもより早く起きたレミリアは、独り地下室へと向かう。
封印された分厚い扉を開けると、まだ眠っているフランドールの姿。
“そう…彼はこの子を本当の妹として扱っている。
我儘な姉でごめんなさいね、フラン。
本当はこんな真似はしたくないのだけど、私も、もう我慢出来そうにないの。
許してくれなくていいわ。
…今からあなたを傷付けて、利用するのだから。”
「フラン、入るよ。
…!!!!!???」
彼の目に飛び込んできたのは、血まみれのフランドール。
片翼と腕は千切れ、息も絶え絶えだ。
そして倒れ伏すフランドールを見降ろしているのは。
返り血に塗れた最愛の恋人、レミリアだった。
「あら、良い所に来たわね。」
「レミリア、お前どうして…!」
「そうね…ちょっと昔に戻ってみたくなったの。
出会った頃の私とあなたに。
ターゲットとハンターだった頃に、ね。
あの頃のあなたは素敵だったわ…何処までも冷徹で、それでいて獰猛な眼。
」
○○の頬に優しく手を這わせる。
「…触るな。」
彼女の手は、払い除けられた。
そして、レミリアを見つめるその眼は。
「ああ、良いわ…そう、その眼よ。
それが見たかったの。
ほら、もっと間近で見せて?
私を見つめて?」
「レミリア…」
彼の双瞼から、涙がこぼれる。
その瞳に、斑模様に絡んだ感情を乗せて。
「…そう、そうよ!
もっと憎んで!!
もっと悲しんで!!
もっと愛とその感情の間で苦しんで、私でいっぱいになって?
私だけでいいの!あなたの心の全てを埋めるのは!!!!!!」
「…それで、良かったのか?
そんなに、泣きながら笑って。」
「…え?
あれ、なんで…」
「フランが昔言ってた事が解ったよ。
君は確かに寂しがりで、心配性だ。
そうまでしないと、俺を繋ぎとめられないと思ったのか?
憎しみも愛も、全部手に入れないと不安な程に。」
「何を言ってるの?
ただ私は、あの頃のあなたの眼が好きで…」
「誰かの全てを手に入れるって事は、きっとそういう事じゃないさ。
愛も憎しみも過剰に手に入れた所で、それはいつか相反して壊れるだけだ。
少なくとも君への感情は、たった今壊れた。
近い内、フランを連れて出て行くよ。
君の傍には、この子を置いておけない。この子の危険性を抑えるのは、俺がやる。
…例え始まりがああだったとしても、愛していたよ、レミリア。
出来るなら、昨日までの二人のままでいたかった。
殺し屋としてしか生きられなかった俺に。
誰かと生きる喜びをくれたのは、君だったのだから。」
「あ…」
「“恋人として”はさよならです、“お嬢様”。」
「待って…!」
重く扉が閉まる。
その闇の中に、レミリアは独り残された。
「…ふふ、そうね。我儘よね。
確かに寂しかったし、失うのが怖かったわ。
一目惚れしたあの時から、あなたの愛も憎しみも、存在自体も。
あなたの全部を手に入れないと、不安だったの。
…だけどね、○○。
それでも私は、欲しいものは必ず手に入れるのよ。
例え、何をしてでも。」
「フラン…。」
自室でフランドールに治療を施し、眠らせた。
吸血鬼の再生力なら、数日で千切れた翼や腕も生える。
しかし、数百年に渡る幽閉の上、今回は実の姉に重症を負わされたのだ。
その心の傷は、きっと死ぬまで癒えないだろう。
「すまない。
俺が、レミリアの心の闇に気付いてやれていれば…」
せめて深く眠れるように、優しく頭を撫でてやる。
「そうやって触れるのは、私にだけでいいはずよ?○○。」
部屋に入ってきたのは、レミリア。
「お嬢様。
妹様の治療中なのですがっ…!?」
身体が動かない。
何故だ!?まさか…
「あなたに眷属としての命令をするのは初めてよね?
どう?
身体の自由が利かない感覚は。」
やはり、言って聞く奴じゃないのか。
何故ここに…“主従でない関係”は、確かに終わらせたというのに。
「言ったじゃない。
“愛も憎しみも、あなたの全てを手に入れる”って。
そうね、良い方法を思い付いたのよ。
いっそ、あなたと一つになってしまえばいい、ってね。」
腕が勝手に引き出しを開ける。
この手に触れた“それ”からは、焼けるような感覚。
それは人間だった頃に愛用していた、銀のナイフ。
「さあ、一つを寄越しなさい。
あなたの絶望も死も、全てを手に入れるの。
…私の死を、その対価にね。」
「あ…がっ…!?」
言葉が話せない。
身体が言う事を聞かない。
鋭い痛みが一閃。
まずレミリアのナイフが胸を刺し。
そして俺のナイフが、彼女の胸を刺す。
今も生きる殺し屋の勘が、確かに互いの心臓を貫いたのを告げる。
まさか…
「ふふ…これで今まで見てきた全ても…あなたの絶望も死も…私の…ものね。
吸血鬼ってね…死んだら…灰に…なるのよ…。
そう…あなたの全て…を…手に入れて…
灰に…なって…混ざり合…うの…
あなたが隣にいない…世界なんて…興味無い…のよ…
…ダカラ、一緒ノ灰ニナリマショウ?
…くく…ごふっ!!
…ふふ…
あははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!!!!!!!」
身体が崩れていくのを感じる。
目の前のレミリアも崩れていく。
ああ、こうして混ざり合って。
一つの灰になって。
崩れ、混ざり合った部分から。
彼女の感情が伝わってくる。
それは真っ暗な、とても深い孤独。
そんなに、寂しかったのか?
自ら死を選んでまで、俺の全てを手に入れたいと思う程に。
もう…独りにはさせないよ。
互いの身体が崩れる直前、彼女を抱き締め、くちづけを交わした。
最期は。
彼女が俺に惚れた切っ掛けだったという眼をしてやる事は、きっと出来なかったけれど。
吸血鬼の館、紅魔館。
そこの当主は、とても鮮やかな金髪と翼を持つ、妙齢の美しい女性だという。
その当主たるフランドール・スカーレットの部屋には。
一つの石膏像がある。
それは男と女が混ざり合ったデザインの、吸血鬼の像。
毎年決まった日に、彼女はこの像に花を手向ける。
いつもは当主然とした彼女が、唯一涙を流す日。
「お姉様…。
○○…。」
その像に使われた石膏には、ある灰が混ぜられている。
かつてすれ違いながらも愛し合い。
そして一つになった、ある恋人達の灰が。
最終更新:2011年11月12日 00:07