満月に照らされる丘を、一人の女が歩く。

そこはマヨヒガの住人しか知らない、幻想郷でも穴場な、小高い丘。


そこからは、とても綺麗に月が見える。

満月の日の夜、式としての仕事が無ければ、彼女は必ずこの丘に来ていた。


椅子代わりの岩に腰掛け、じっと月を見つめる。

彼女の頬を伝う涙は、月の光で反射し。
そして闇夜に溢れる。


「…○○」


かつて愛した青年の名と共に。
ぽたり、ぽたりと。



彼女は八雲紫の式ではあるが、無理矢理そうされた訳では無い。

これは流浪の旅の末、藍自身が志願した事。
屈指の賢者にして大妖怪である紫の教えを請う代わりに、自ら彼女の式となった。

「○○を探し出す力が欲しい。」

切っ掛けは、そんな理由からだった。


しかし現実は残酷であり。

式となり数百年経つが、新たに力を得ても、やはり手掛かりは無く。


いつからか、半ば諦めにも近い感情に至り。

根は優しいが胡散臭く、手の掛かる主人と、自らの式・橙との生活に、その居場所を見い出していた。


博麗大結界を形成する時は、紫に「本当に、もう探さなくていいの?」と問われたが。

「大丈夫です。今の私には、この生活が生き甲斐ですから。」と、笑いながら返した。
自らに、そう思い込ませて。



ただ、満月の日だけは、どうしても彼の記憶を思い出してしまい。
その時だけは、こうしてこの丘で泣くのだった。


“せめて、同じ月が見えていたらいい。”

そう願いながら。



紫は呆然と考えていた。

藍は式とは言え、紫にとっては娘同然である。
やはり心配なのだ。

彼女は今日も、洗い物を済ませた後、出掛けて行った。
その後ろ姿に、心が痛んだ。

「…どうにかしてあげられないかしらね。」

紫は一つ、溜め息をついた。




転機とは、突然訪れるものである。




幻想郷の管理者という立場上、たまに天狗の長や、閻魔などと会合をする事がある。
いつもは秘密裏に行う為、スキマを使い、彼等をマヨヒガに招いて行う事が殆んどである。


が、今日は違った。

ちょっとした事情から、天狗の長の屋敷で行われる事になったのだ。



「藍、ちょっと内密な話をするから、席を外してくれる?

…そうね、たまには気晴らしに、天狗の里でも見てくると良いわ。
この札が許可証らしいから、これを腕に貼れば大丈夫よ。」

そう言って、紫は藍に外出を促した。


“あまり気にしてはいなかったが、そういえば、天狗の里には入った事が無いな。

絶景が多いと聞くし、たまには悪くないだろう。”

そう思い、藍は里を歩く事にした。





「ったく、せっかくの非番に、何で俺がバカ犬のお守りなんぞ…。」

××は不満そうに漏らす。

「えー!!お守りって言い方はひどいです!!あとバカ犬も!!

休みはいつもだらだらしてる先輩の為に、こうして連れ出してあげたんじゃないですかー。」

「おーおー、人が気持ち良く寝てたのを叩き起こしてくれてな。」


今日は二人共、非番である。

「休日は、惰眠と酒の為にある。」

そう豪語する程だらけた休日を愛する××だったが、今日は違った。


朝からけたたましいノックに叩き起こされ、出てみれば、いたのは椛。


「丁度紅葉の綺麗な時期ですし、たまには出掛けましょうよ。

いつも働いて寝て呑んでだけじゃダメです!!」


“こりゃダメだ、こうなったらこのバカは聞かない。
…さらば、俺の愛しい布団と休日。”

椛の性格を理解している××は、観念する事にした。

“…ま、たまには可愛い妹分の我儘に付き合ってやってもいいか。”

そう思いながら、嬉しそうに先を行く椛の後を歩いていた。




藍は天狗の里の名所を回る事にした。

季節は秋。
辺りは紅葉で赤く染まっている。

自然豊かな幻想郷でも、中々お目にかかれない程の鮮やかさに、藍は暫し見とれていた。


“ここに○○がいたら、より鮮やかに見えたろうか?”
「…あり得ないか。」

藍は寂しげに微笑む。


幻想郷には、美しい風景が多い。

まだ○○を探し回っていた時は、それらを彼と見て回る事を、何よりの夢にしていた。


紅葉を一枚手に取る。

葉は生え変わるが故に、地面に落ちる。
しかし、土に還るのも、また時間が掛かる。

その紅は、付け根が切れた事に気付かぬように、鮮やかで。
土に還る事を、拒んでいるかのよう。


「はは…まるで私みたいだな。」
藍は苦笑する。


もう途切れたつもりでも、やはり彼の存在は鮮やかで。
いつまでも、この感情を土に還せずにいる。


あれから今までの暮らしで、何度か違う恋に触れようとした事もあった。
一抹の寂しさから、一夜の夜伽を重ねた事も、何度かある。

心を揺らがせてしまいたくなる程の、それだけの時間が過ぎていた。

だけど、それでも空白は埋まらずに。
今日まで生きてきた。


“いつかこの想いも土に還せれば、また芽吹くだろうか。”


そう思いながら、視線を林のずっと奥に動かした先に_____


例え遠くにあろうと見紛う筈もない、彼の姿があった。



藍は歓喜とも驚愕ともつかない感情に震えた。



“…生きていた。
生きていたのだ!!
どうして天狗になっているのかは解らないが、確かに彼だ!! ”


藍は走り出す。


“ああ…何から話そうか。
伝えたい事も、謝りたい事も、いっぱいあるんだ。

許して貰えなくても良い。
ただ、もう一度話がしたい。

出来れば、抱き締めて欲しい。”



藍は、力一杯彼の名を叫ぶ。
遠くても、届くように。



「○○ー!!」




_______________






「見てくださいよー。
こんなに綺麗ですよ!」


××と椛は、紅葉の林の中にいた。

一面の、鮮やかな紅。

休日はぐーたらと過ごし、特に季節感を気にする事無く過ごしていた××にとっては。
意識して四季の移ろいを見るのは、久々の事だった。


紅葉を一枚手に取る。

“枯れ落ちても尚、土にも還らず鮮やかに、ね。

…ったく、誰かさんみたいに、未練がましいこって。”

未だ残る自分の感情と重ね、思わず苦笑した。


そうして思考の海に沈んでいると…


“バサッ”


上から大量の紅葉を掛けられた。



「あははははははは!!」

向き直ると、椛はけらけらと××を指差して笑っていた。


「……なーにしてくれんのかなぁ、もーみーじーちゃあああああん!!」

「こんな美人を放置して、ぼーっとしてる方が悪いんじゃないですかー。」

「あー?もうちょい女らしさを身に付けてから言えよ。
胸とか、主に胸とか。」

「ひどいです!!文さんにセクハラで言い付けますよ!!」

「すいませんでした。」

「解ればよろしい。」



“シバく、絶対今度こいつシバく。”

最近何かと反抗期な後輩の再教育を誓っていると、椛が言った。


「でもこうして見ると、先輩、紅葉に包まれてるみたいですね。
よく似合ってますよ。」

「へーへー、人を葉っぱまみれにしといてよく言えます事。

…漢字一文字変えるだけで、ちっこいお前がいっぱい纏わりついてるみてーになってこえーがな。」

「可愛いじゃないですか。」

「すっげえうるさそう。」

「えー。」


「…でもまあ、これも春が来るまでには、全部土に還るんだよな。

これだけ散っても、全然真っ赤なのにな。」

「寂しいんですか?」

「いーや、ちょっと思っただけだ。」

「そうですね。

…だけど、この葉が土に還れば、またそこから花が咲くんですよ?
いつまでもあるのも、次が無いみたいで、何か悲しいじゃないですか。」


「…なるほど、ちげえねえ。」


枯れるのを拒む紅葉。
それは土にも還らず、次に花を咲かせる事も無い。

まさに、過去に囚われた××の心情そのものだ。


“…まさかこいつに、ハッとさせられるとはな。

こいつも少しは成長したって事かねぇ。

今度からは、バカ狼ぐらいには昇格してやるか。”


「…ったく、言うようになったじゃねえか。」

わしわしと頭を撫でてやる。

「わわっ!?何するんですか!
…もう。」

「ま、可愛い妹分の成長が嬉しくてね。

お前さん、その内良い男捕まえられると思うぜ?

挙式のスピーチは俺に任せなぁ。
未来の旦那様の前で、ある事ねえ事言ってやるから。ひひひ。」


そう言って××は一人歩を進める。
しかし、椛からの返事は無い。


「“…あの時は本当に彼女はバカ犬で~”…って、どした?」


振り返ると、椛は先程の場所から立ち止まったまま。
“何だぁ?腹でも痛めたか?”

そう思い椛に近付いた時。



「○○ー!!」



忘れる筈は無い、その澄んだ声。

そして、とうに捨てた筈の名前。

その声でその名を呼ぶのは、一人しかいない。



「藍…?」



後ろからの、その声の方に振り向こうとした。


そして彼の目には。




________________





今日は運良く、彼も非番です。


これはチャンスだと思い、先輩を連れ出す事にしました。
早速先輩の家に向かいます。

先輩はお寝坊さんなので、まだ寝ているはずです。
ドアをノックして起こしましょう。

本当は彼の寝顔を直接見て、優しく起こしてあげたいけど。
…鍵を壊したら、怒られちゃいますもんね。

…はっ、妄想していたら、つい何度も叩いてしまいました。
近所迷惑だったかな。


「ったく、うるせえなぁ…はいはーい?
ん?椛か。」

先輩が出て来ました。

はだけた寝巻に、私と同じ白い髪は、寝癖でぼさぼさ。
まだぼーっとしているのか、耳も垂れています。

…何だか子供みたいで、かわいいです。

「で、何よ?
今日は崇高で神聖なる怠惰記念日だから、睡眠という名の祈りを神に捧げてたんだけど?」

そんな日はありません。まだ寝ぼけているのでしょうか。

「丁度紅葉の綺麗な時期ですし、たまには出掛けましょうよ。

いつも働いて寝て呑んでだけじゃダメです!!」

先輩は少し考えて…

「…わーったよ。ちょっと着替えてくるから待ってな。」

よし。

「ったく、せっかくの非番に、何で俺がバカ犬のお守りなんぞ…。」

お守りなんてひどいです。
せっかくのデートなんですよ?思わず怒っちゃいました。

でも良いんです。
こうして先輩と二人っきりで休日を過ごせているだけで、幸せなんです。
本当は嬉しいのを隠しているのを、私は知っているんです。


紅葉の林に着きました。今年も、綺麗に紅くなっっています。

「見てくださいよー。
こんなに綺麗ですよ!」

「そうだな」

「そうですよ、せんぱ…」

彼は紅葉を一枚手に取り、じっと見つめていました。
普段あまり見せない真剣な顔に、思わず見とれてしまいます。

先輩が、少し笑いました。
…だけど、それは藍さんの事を考えている時の、あの切なげな笑顔でした。

面白くないです。
些細な事で、彼の心はまだ藍さんでいっぱいになってしまう。

…今目の前にいるのは私なのに、どうしてそんな顔をするんですか。忌々しい。
だから、いたずらをする事にしました。

両手いっぱいに紅葉を抱えて…


“バサッ”


思いっきり掛けてあげました。

成功です。
実に紅葉まみれです。私まみれです。
思わず笑っちゃいました。


「……なーにしてくれんのかなぁ、もーみーじーちゃあああああん!!」

先輩がニヤッと笑って凄んできます。
ちょっと怖いけど、何だかゾクゾクしちゃいます。

「こんな美人を放置して、ぼーっとしてる方が悪いんじゃないですかー。」

「あー?もうちょい女らしさを身に付けてから言えよ。
胸とか、主に胸とか。」

む。また子供扱い。
私だってもうちょっとすれば、きっと大きく…ってセクハラですよ。
文さんに言いつけちゃいますよ?


「すいませんでした。」

「解ればよろしい。」


意外と脅すと素直です。もっと素直になればいいのに。


でもこうして見ると、先輩には、紅葉の紅がよく似合います。
…藍色みたいな暗い色より、ずっと似合うと思います。

「へーへー、人を葉っぱまみれにしといてよく言えます事。

…漢字一文字変えるだけで、ちっこいお前がいっぱい纏わりついてるみてーになってこえーがな。」

…ああ、いいじゃないですか。
いっぱいの私で包まれる先輩。

例え話じゃなく、本当に私で包み込んで、いっぱいにしてあげたいです。

うるさい金色の尻尾じゃなく、先輩と同じ、私の白い尻尾で。
九本はいやだけど、八本ぐらいあったらいいのにな。


「…でもまあ、これも春が来るまでには、全部土に還るんだよな。

これだけ散っても、全然真っ赤なのにな。」

「寂しいんですか?」

「いーや、ちょっと思っただけだ。」

はぐらかすけど、またあの顔。
それも、さっきより切なそうな。

もう、何であの女の事ばかり思い出すんですか?

枯葉の紅よりも、目の前の私で心がいっぱいになればいいんです。
私の名前も、椛なんですから。


「そうですね。

…だけど、この葉が土に還れば、またそこから花が咲くんですよ?
いつまでもあるのも、次が無いみたいで、何か悲しいじゃないですか。」


「…なるほど、ちげえねえ。」

そうですよ。
もう過去なんですから。千切れた葉は、土に還るんですから。

さっさと忘れてくださいよ。
そしたら、私が先輩に咲いてあげますから。
枯れないぐらい、深く。

「…ったく、言うようになったじゃねえか。」

急に頭を撫でられました。びっくりしました。
でも、気持ち良いです。
…あ、離れちゃった。




「ま、可愛い妹分の成長が嬉しくてね。

お前さん、その内良い男捕まえられると思うぜ?

挙式のスピーチは俺に任せなぁ。
未来の旦那様の前で、ある事ねえ事言ってやるから。ひひひ。」




その言葉を聞いた時。
私の中に、冷たいものが走りました。



『妹分』



今、一番聞きたくなかった言葉です。

…何でですか。
何で、いつまでも、一人の女の子として見てくれないんですか。
私が、あなたから見れば子供だからですか?
悲しいです。
つらいです。
あなたは、私と歩んではくれないのですか?
思わず立ち止まってしまって、先輩の背中が、すごく遠くに見えました。


そう、遠く。
私の目は、千里を見通せる。
だけど、それより遠く感じて。


そうして向こうまで先輩の背中を見つめていたら。

__ずっと遠くの方に、忌々しい金色が見えました。



…ああ、そうだ。

舞い上がって忘れてたけど、今日は先輩に、解らせてあげるつもりだったんです。
私が、一人の女だって事を。


九尾が先輩に気付いたみたいです。
物凄く嬉しそうな顔をしています。
何でここにいるのでしょう。侵入者は撃退しなきゃ。


彼の姿はもう立派な天狗なのに、それでも後ろ姿だけで解るなんて。
なんて未練たらしいのでしょう。

あれだけ先輩を苦しめたのに、今更近付こうだなんて。
なんて図々しいのでしょう。

やっぱり先輩には、紅葉が似合いますね。
だけど、あのうるさい色合いの金色は、実際に見ると、尚更先輩には似合いません。


九尾が近付いてきます。
ああ、見れば見るほど品の無い色。


「○○ー!!」


金切り声は、森の静寂には合いませんね。
大体、○○って誰ですか。
彼は白狼天狗の××ですよ?
八雲紫の式とあろう者が、人違いとは失礼ですよ。


先輩、なんで立ち止まるんですか。
なんでそんな、驚いた顔をしてるんですか。
あなたの名前は××でしょう?

だめ。

振り向かないで。

私だけを見て。

私だけを見ていて。


「藍…?」


その名を呼ばないで。
それ以上、その名を呼ばないで。
私はそんな名前じゃない。
あなたの前にいるのは、この森の色と同じ名前。

私はここにいるんです。
あれはただの害獣です。


…ああ、そうだ。
丁度いいじゃないか。
彼は私のもの、彼の今を知るのは私。


だから、見せ付けてあげるんです。


過去の亡霊を追い払う魔法を。

彼を開放する魔法を。



そう、振り返ろうとする彼の腕を掴んで。
彼に顔を近付けて。



“ちゅっ…”



これが、その魔法です。



どうしました?金色の亡霊さん。
そんな、魚みたいに口をぱくぱくさせて。





__私の、勝ちです。






_______________





つづく。





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最終更新:2011年11月17日 12:11