今日は日曜日。
紅魔館では、館に住まう者達が一堂に集い、夕食を楽しむ習慣が出来ていた。
その習慣を作り出した青年、○○は紅魔館の厨房で一心不乱に料理を作っていた。
時間はまだ1時過ぎ程度なのだが、それでも厨房には湯気と調理する音で満たされている。
鳳凰拌盤(鳳凰を象った冷菜盛り合わせ)
形良く切り抜かれたり細工包丁を施された冷菜が大皿に盛りつけられていく。
ニンジンと野菜で作られた伝説の鳥鳳凰像を中心に、羽を広げるように美しく盛りつけられていく。
実際、この鳳凰像はよく似ていた。何しろ、図書館の図解で実物を見たからだ。
パチュリーは、些か集中力の欠けた状態で読書をしていた。
5分ごとに時計を見てしまう。午後六時の夕食会が楽しみでならないからだ。
しかし、実際にその時間を迎えてしまうと憂鬱と苛立ちも同居する事になる。
(○○が、私の為だけに食事を作ってくれたら。私と○○だけで食事を出来たなら)
何故、全員で集まらなければならないのかと。
あんなギスギスした、探り合うような空気では○○手ずからの料理が不味くなってしまう。
(本当、二人っきりで食べれたならどれ程いいものか……)
ふと、控えていた
小悪魔と目が合った。何故か牽制じみた雰囲気が張り詰め、同時に目を逸らした。
蟹手八燕窩(ツバメの巣のカニ肉あんかけ)
たっぷりの蟹肉と希少な珍味である燕の巣のあんかけ料理。
妖怪の賢者のツテで手に入れたという材料を惜しみなく使った餡は、見るからに食欲をそそる。
日曜日の門番終業時間は楽しみでもあり、気鬱でもある。
日曜だけ早上がりをし、夕食会に参加できるのは嬉しい。
出身地方の高級料理を食べれるのも嬉しいし、彼の笑顔を見れるのも愉しい。
(あれが、○○さんと二人っきりであれば、ですけどねー)
何時からだろうか。住人達で集まって食事するのが苦痛になって来たのは。
自分の笑顔が、○○に阿った、貼り付けたような笑顔になってしまうのは。
(ホント、どうしてでしょうかねー)
紅鈴は、○○には、本当の笑顔でこういいたかった。「○○さん、とても美味しいですよ」と。
糖醋鯉魚(鯉の丸揚げ甘酢あんかけ)
霧の湖で獲れた巨大鯉を三枚におろし、身を油でダイナミックに上げ、野菜がタップリ入った甘酢あんと和える。
幻想郷産のせいか体長が1m越えしているので、とても見映えの良い豪快な料理。
幾つかに切り分けた鯉の切り身に打ち粉し、ぶら下げるようにして油を掛けてから揚げていく。
オールマイティには自信がある咲夜でも惚れ惚れするような技量である。
実際、料理を作ることに打ち込んでいる○○の顔を見るのが、彼女にとって楽しみの1つだった。
(○○、とても真剣に料理を作るのね……)
普段の長閑な態度とは裏腹な動作で材料を刻み焼き揚げ煮込み料理を次々と仕上げていく○○。
(○○は、お屋敷全員の料理を作るのが好き。だから、あれだけ真剣に料理を作る)
料理人○○は、料理は食べる人を心身共々喜ばせるもの、をモットーにしていた。
夕食会でみんなが愉しく自分の料理を食べる光景を心から願って料理をしているのだろう。
(でもね、それは多分もう無理……○○が幾ら願っても叶わないわ)
彼の調理アシスタントをしつつ、咲夜は確信する。
今日の夕食会の空気はいつも通りだろうと。○○の望んだ空気とは程遠いだろうと。
咲夜は本心から○○に申し訳ないと思った。何故なら、彼女もその空気を作り出す一因だからだ。
仏跳牆(ファッテューチョン)
上質な清湯をベースにフカヒレ、アワビ、干し貝柱、中国ハム等の高級食材を壺で長時間かけて蒸し上げたスープ。
禁欲を命じられた坊主ですら我慢出来ず堀を飛び越えてくる最上の美味とされるスープだ。
厨房の入り口から、フランは○○の調理する姿をこっそり見ていた。
あの大きな壷はスープだ。濡れた薄紙で蓋をし、巨大な蒸篭に入れて作るものだ。
以前質問した時に○○が教えてくれたから覚えている。
(○○は凄いよね……)
フランは壊す事に何の疑問も抱かなかった。彼女にとって壊す事は当たり前だったからだ。
そんな彼女の前に○○は現れた。○○は凄い男だった。
あらゆる材料を使い、あらゆる料理を創造出来る料理人だった。
壊す事しか知らない彼女にとって、食べる端からあらゆる料理を作り出せる○○は凄い存在だった。
彼女が食べるという形で料理を壊しても、○○は嬉しそうだった。
ただ、料理で遊んだり零すととても悲しそうな顔をした。
それ以来、フランは少なくとも料理を壊すのを止めた。
今の彼女はとても純粋だ。仏跳牆の様に澄んでいて夕食会の空気にすら悪い意味で感化しない。
その為か、張り詰めた卓上にあって普段通りに食事をし○○を賛辞するフランの存在は○○にとって救いだった。
フランと○○は知らない。しかし、他のものは知っていた。
○○と出会ってから、フランが徐々に成長している事に。
その事実が姉を焦らせている事に。
フランが幼女である事を止めた時、この夕食会は続いているだろうか。
富貴鶏(鳥の蓮の葉包み蒸し焼き)
調味料と香辛料を擦り込んだ鳥を一匹丸ごと蓮の葉と土で包み、蒸し焼きにするメインディッシュ。
良い丸鶏が見つからなかったので、咲夜に捕まえて貰った夜雀で代用。
丸鶏と比べてサイズがかなり大きいが、○○は適切な焼き加減で蒸し焼きを始めた。
豪奢な当主の部屋で、当主である
レミリアはぼんやりと四時半を指す柱時計を見詰めていた。
冷め切った紅茶には口を付ける気にもならないし、今から咲夜を呼ぶのも気が進まない。
(楽しみだなぁ……でも、気が進まないなぁ……)
夕食会は紅魔館の主にとって至福の時間であるし、苦痛に満ちた時間でもあった。
友人もその従者も、門番も自分の従者も、妹も同席する席。
彼女は再確認されるのだ。自分が想って止まない男が、彼女達にも想われている事を。
妹に到っては成長すらしている。ただの、人間1人の為だけにあの妹が、だ。
パキンと、ティーカップが割れる音が響く。
何故だ。何故こうなってしまったのか。
最初は○○の提案で初めた食事会の筈だったのに。
いつの間にか楽しさは掻き消え、残ったのは張り詰めた緊張感と牽制の空気。
○○とフラン以外は殆ど喋らない静かな食卓は、レミリアにとっても苦痛だった。
何故だ。何故こうなってしまったのかとレミリアは嘆く。
夕食会の度に、自分は○○の事を女として愛してると自覚してしまうのだ。
夕食会の度に、みんなが○○を女の目で見ていることを見せつけられてしまうのだ。
夕食会の度に、○○が原因で紅魔館の関係に無数の罅が入っている事を理解させられてしまうのだ。
夕食会の度に、妹の成長を見せつけられ、やがて女である事を自覚した彼女に○○を取られないか不安に苛まれるのだ。
ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン。
知らぬ間に、時間は五時になっていた。そろそろ夕食会の着付けの為に咲夜がやってくるだろう。
ノロノロと椅子から腰を上げ、レミリアはクローゼットルームの方を見やる。
一時間後には、自分は貼り付けた普段通りの不敵な笑みを浮かべ、○○に褒めて貰ったドレスを着て夕食会に参加するのだろうと。
それはまさに運命だった。運命を操る彼女の意志すらねじ伏せる、絶対の運命の筋書きだった。
雕塑西瓜豆腐
丸ごと一個のスイカを美麗な彫刻を施した贅沢な器にし、中に杏仁豆腐と西瓜の果実を入れたデザート。
某丘に住まう家政夫(同じ外来人)から譲って貰った超巨大な西瓜で作られたデザートは一見の価値があるだろう。
○○は願いを込めて料理を作り続ける。
本当はもう何度か夕食会を止めた方がいいと思った。
仲の良いはずだった友人達が、黙々と張り詰めた空気の中で料理を食べるなど間違っている。
自分は、自分の料理を食べた人に心から笑って「美味しい」と言って欲しい。それが願いだった。
夕食会を始めた頃は、それがあった。
自分にとっての理想がそこにあった。
だから○○は今週の日曜日も、夕食会用の特別な料理を作り続ける。
決して取り戻せない、あの暖かな食卓と団欒を取り戻す為に。
ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン。
今週もまた、夕食会が始まる。
最終更新:2011年11月17日 12:27