炎と桜の赤が、混じり合う。
私の腕には、かつての親友の亡骸が抱かれている。
そう。
この手で殺した、親友の亡骸が。
「紫ー。」
まだ幻想郷が外に繋がっていて。
何処にでも魑魅魍魎や、今は幻想と呼ばれるモノが存在していた時代。
そこに彼女達はいた。
「新しいお茶菓子が手に入ったから、ちょっとお茶でもしようかとね。」
「あら、良いわね。
丁度今ならあいつも来ないだろうし、二人で食べちゃいましょうか?。」
「それは聞き捨てならないな。」
「○○!?いつの間に。」
○○。
幽々子の父・歌聖の弟子の一人である。
歌聖の死語、彼を慕う者達が次々と桜の下で死を遂げたが。
○○はその中で、唯一存命している存在であった。
いや、何故か生き残っている、という表現の方が正確なのかもしれないが。
「甘味と茶を楽しむ心に、男女は関係無いはずだよ?
僕だけ仲間外れとは、いただけないなぁ。」
幽々子同様、○○は紫を恐れない人間であった。
彼曰く。
“人語が通じる者であれば、まずは話をしてみなければ、危険か否かは解らない。
まあ、本当は、歌のネタが欲しいだけなんだけどね。
例え人間だろうが妖だろうが、想像力を刺激してくれる者なら、近付きたいんだ。”
こんな調子である。
神出鬼没で、人を喰ったような飄々とした性格。
何処か笑みも胡散臭い、痩身な青年。
一切掴み所の無い彼には、さすがの紫も、度々肝を冷やしたものである。
“こいつ、妖怪より妖怪らしいんじゃないかしら…”
「あ、紫。あんこついてる。」
「ひいっ!!」
ぺろり。
と、紫の頬に舌を這わせ、あんこを舐め取る○○。
「ちょちょちょちょ、ちょっと!!いきなり何よ!!」
「そんな所にあんこ付けてる紫が悪い。
作物の神様に、“お残しは許しませんよ!!”なんて言われたら怖いでしょ?
じゃ、今日の所は退散するよ。
ご馳走さまー。」
「ちょ、待ちなさい!
もう!!今度会ったら骨ごと食べちゃうわよー!!」
「あらあら。」
いつも通りの日常、いつも通りの風景。
だが、時間はそれらを変えていくものだ。
そう、少しずつ。
彼等の関係が変わって行ったのは、いつからか。
紫と○○は、いつの間にか友人ではなく、恋仲に変わり。
○○が乱入する形での三人の茶会も、いつしか幽々子と紫の二人だけになっていた。
「彼とは相変わらず?」
「良くも悪くも、と言った所ね。
深い仲になっても、相変わらずあの人は掴み所がないんだから。
いえ、深くなる程解らなくなる、といった所かしら。
賢者の名折れね。
どんな数式よりも、彼は解けない存在だわ。
…そういう所が、私が惹かれた所以なのかもしれないけど。」
「あらあら、お熱い事ね?」
「そう?」
季節は巡る。
何事も無く、淡々と過ぎるように。
そして、まだ桜も咲かぬ、春になったばかりの頃。
冬眠から覚めたばかりの少女に。
一人の青年が、想い人に婚約を申し込んだ。
「君にとっては、僕の一生は僅かな時間だろうけど。
それでもいい。
その僅かな時間を、僕にくれないか?」
少女は泣いて、その婚約を受け入れた。
時とは、常に突然に、人を夢から覚ます。
それは、幸福な時間こそ夢であると。
そう告げるように。
数週間後。
婚礼の儀の前日。
紫の元に、里の者が慌てて駆け込んで来た。
「紫様、○○が…○○が…!」
連れられて辿り着いた桜の下には、○○の亡骸。
その身体は何処にも傷は無く、その死に顔は穏やかで。
彼を包むように、桜の花びらが降り積もっていた。
いつか彼の師が詠んだ、歌のように。
葬儀は何事も無く過ぎた。
紫の希望により、その遺体は荼毘に付された。
そして二つの骨壷に遺骨を分け、彼を納める。
それは桜も終わりを告げる、ある晴れた日の事だった。
“一つは自分の元に。
もう一つは。
彼が敬愛してやまなかった師と、彼の死に場所でもある、あの桜の下に。”
そう紫は決め。
一年が過ぎ、また桜が満開となる頃。
彼女は骨壷を手に、桜の下へと向かう。
“彼が愛した夜桜の時に、埋めてあげたいの。”
夜に出向いたのは、そんな気持ちからだった。
そして紫の目には、満開の桜が映る。
それはまるで、見る者を死に誘う様な。
妖しく、儚げな美しさ。
「また、咲いたわね。」
「幽々子…。」
「随分久しぶりね、紫。
彼の葬儀以来かしら?」
「…そうね。
この一年は呆然としてしまっていて、あなたとお茶を飲む事も無かったわね。
何だか一人でお茶を飲んでいても、何かが欠けたみたいだったわ。」
「そう…。
だけどその前から。
あのお茶の時間には、欠けていたものがあったわ。」
「どういう事?」
「彼よ。
最初は三人で、あの時間を過ごしていたもの。
いつからかしらね?あなたと二人だけになっていたのは。」
幽々子は紫に背を向け、桜の幹に触れる。
愛おしそうに、優しく。
「私は人を、死に誘う事が出来る。
そして、いつしかこの桜も、同じようになってしまった。
私みたいにね。
知らなかったかしら?
あなたが彼と恋仲になった時、私は気持ちを押し殺したの。
だって、選ぶのは彼でしょう?
それに、紫は親友だもの。
あなた達の幸せそうな顔を見た時。
その時は、最初は乗り越えられると思っていたわ。」
「幽々子…。」
「だけどね…彼は気を使う人だったでしょう?
“友人同士の語らいを片割れの恋人が邪魔するのは、僕の趣味じゃない。”
そう言って、彼はお茶の時にも現れなくなった。
それからは、ずっと彼には会えなくなってしまって。
あれだけ茶菓子が好きな人だったのにね?
変な所で義理固いんだから。
その時からかしらね?
段々と、私の中に、恋心の亡霊が棲み付き始めたのは。
そう。騒ぐのよ。
“ふたりを離してしまえば、きっと彼にまた会える”って…。」
「…そう、やはりあなただったのね。
だけどなんで、私じゃなくて、彼の方を殺したの?」
「そうね…。
いくら私がこんな力を持っていても、やっぱりあなたには勝てないじゃない?
だからね、思ったのよ。
“それなら、私と彼が死んでしまえば、きっとあの世で会える”って。
だから、桜に魅入られた父と同じように。
あの場所で、彼を殺したの。」
幽々子の手には、縄がひとつ。
「ここでお別れね、紫。
あの時は感情に駆られてそう思っていたけど。私がした事は、結局は人殺しだもの。
私の行先は、地獄よ。
…それに。
この罪の重さにね、私ももう、耐えられそうに無いの。
許してくれなくていいわ。
その方が、私にはお似合いだから。
この記憶も、この桜も。
全部、私の死を以て封印するから。」
「そう…。
だけどね、幽々子。」
「かはっ…」
幽々子の胸を、一筋の光弾が貫く。
それは周囲の草木に飛び火し、激しく燃え上がる。
その炎と桜の赤が混じり合い、より桜の妖しさを際立たせた。
「何もかもは、あなたの思い通りにさせないわ。
勝手に彼を殺して、償いに勝手に死ぬなんて許さない。
あなたが死のうとする気持ちが変わらないのなら、私に殺されなさい。
そう、望み通りに、今日ここで自ら命を絶つんじゃなく。
今日ここで、私に殺されて死ぬの。
私が気付かずにあなたを傷付けていたなら。
…せめて、あなたを殺す罪を背負わせて?」
“そう。
それが、もう後戻りの出来ない親友に出来る、せめてもの償いならば。
それが、彼を守れなかった自分に出来る、唯一の償いであるならば。”
「ふふ…そうかも…しれないわね。
私は随分…勝手だわ。
だけど…紫。
私にもね…譲れないものが…あるの。」
息も絶え絶えの中、幽々子は懐に手を入れる。
その手には、柄に桜があしらわれた短刀。
「これだけ…は、私の…勝ちね。
さよなら…紫。」
「幽々子!!」
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「あの日の藍さん、綺麗だったわねぇ。
娘同然のあの子が嫁に行って、あなたも嬉しいでしょう?」
「そうね…だけど、それなりには泣いたわ。
やっぱり、寂しくもあるわね。
今も式として働いてくれてるとは言え、仕事が終わったら帰っちゃうもの。
…まあ、たまに彼と喧嘩して、泣きついてくるけどね。」
「あらあら。
でも、それぐらいが丁度いいんじゃないかしら。
いつか妖夢がお嫁さんに行ったら、私もそう思うのかしらねぇ?」
「どうかしらね。
あの子は剣以外に興味なさそうだし、そこはあなたの教育次第じゃなくて?」
「ふふ。違いないわね。」
あの後幽々子は亡霊となり、そして記憶を失くしていたの。
亡霊になったばかりの頃、最初は殴ってやろうかと思ったわ。
だけど生前の事は、殆ど覚えていないんだもの。
すっかり拍子抜けしちゃった。
あの後幽々子の亡骸と、彼の遺骨を西行妖の下に埋めた。
それからは、ずっと咲かないままだわ。
幽々子の望み通り、封印が上手く行ったんでしょうね。
今も負けたつもりは無いけど。
彼への想いは、少しだけ幽々子の方が上だったのかもね。
ただ、その形が間違っていただけで。
あれから気付けば千年。
色々な事があったし、色々な事を幽々子としてきたわ。
そう、あの頃と同じように、親友としてね。
「妖夢ー、いつものお茶菓子をお願いねー。」
「はーい。」
そうして出てきたのは、彼が好きだったお饅頭。
無意識でも、きっと憶えているのね。
だけどね。
成仏は出来ないかもしれないけど。
それでも、記憶を思い出して欲しくはないの。
全てを思い出したら、幽々子は壊れてしまうもの。
自分の罪の重さに、きっと優しいこの子は耐えきれない。
…それに、これは私のエゴだけど、やっぱり親友がいなくなるのは寂しいしね。
長く生きるほど、余計にそう思うのよ。
…はあ。
彼との未練に縛られて、気付けば随分な女ヤモメだわ。
千年美人なんて言うけど、すっかり周りからは老人扱いだもの。
この前なんか、藍の子供に「ゆかりおばあちゃん!!」なんて言われちゃって。
かわいいから許しちゃったけど。
…だけどこういう日々も、悪くはないかしらね。
幻想郷を見守って、こうして幽々子とお茶を飲んで。
やっぱりね、幸せは、今あるものが長く続いた方が良いもの。
そう。
ここいるのは、かつて恋に狂った人間・西行寺幽々子じゃなく。
冥界の主であり、私の親友である、亡霊・西行寺幽々子なのだから。
ちゃんと、今を見ていなくちゃ、ね?
最終更新:2017年04月08日 04:56