○○の発した大きな悲鳴は、白蓮たちのいる部屋にも届いた。
その声を聞いた聖は持っていた例の帳面を放り投げ、一輪が入れてくれた二つの湯飲み茶碗も蹴り飛ばし、部屋から出て行った。
聖の持っていた帳面は、追い詰められた余りに聖が妄想した都合の良い歴史を記したあの思い出帳であった。
一輪が茶を聖と星に運んだ際、この帳面は勿論聖の目にも入った。
妄想の産物である、思い出帳の存在自体は皆知っている。しかし実際に見たのは星も含め一度も無い。
星ですら、その中身を詳しく知る事ははばかれる様な思いがしたから。
それに、帳面に書かれている名称も恋心が盛んな乙女のような甘酸っぱくもこっぱずかしい物ばかりだった。
「ねぇ・・・これって」
「全部事実よ」
一輪の疑問に聖はすかさず答えを提示した。
ただ、答えを提示する聖は。奥歯を噛み締め、目を強く閉じていた。
事実でない事は十二分に分かっているようだった。それでも聖はこの帳面の中身を事実だと言い張る。
「そうね、そうだったわね。ごめんなさいね変な事聞いて」
一輪は察したようだった。そしてこの帳面の中身を事実にしてしまおうとも決めたようだ。
「今でも昨日の事の様に思い出せますよ、○○との思い出は」
そして星も、腹を括っていた。
そして聖の講義が始まった。その途中に、○○の悲鳴が聞こえてきたのだった。

聖が部屋を出て行くのとほぼ同時に。聖は気づかず、星にも聞こえるか聞こえないほどだが。彼が「助かった」と口を動かすのを星は見逃さなかった。
この注意深さと視野の広さが、彼女が次席の地位に座り続けられる所以であった。

勿論、彼の一言は星の神経を逆なでする物であった。
「お前も来い」
そう言って、激昂した聖によって逆方向に折りたたまれた腕を、また強く引っ張る。

だが、今度は彼の声から悲鳴は聞こえなかった。
「・・・・・・おい」
度重なる暴行、○○が中々見つからぬ事による心労、そしてそれらからもたらされる体の疲労。
その全てが○○の発見と言う成果によって、一気に彼の体に流れ込んだのだろう。

「クソッタレが・・・・・・」
まさか事切れてしまったのではないか。そこだけは心配していた星はすぐに彼の脈を計った。
脈は合った、息もしている。ただ単に、気絶するように眠ってしまっただけだった。

彼は本当に安らかな顔で寝ていた。緊張の糸がぷっつりと途切れてしまったのだろう。
腕を握る手にも力がこもる。聖の時と同じように、彼の腕にある傷に爪がズブズブと埋まっていく。
憎たらしい程の安らかな寝顔だった。
星はすぐに頭の中で優先順位を確認した。こいつにいくらか見舞うのと聖の癇癪が爆発した時の危険性とで。
比べた結果、聖の癇癪の方が怖いと結論付けた。こいつを殴るのはいつでも出来る。
それでも掴んだ腕は放さず。彼を引きずりながら、星は聖の下へと急ぐ事にした。
急ぎつつも、意図的に彼の傷に障る様に引きずることは忘れなかった。


「○○・・・!○○・・・・・・!!」
調度品をひっくり返しても気にせず、靴も履かず、素足のまま砂利を踏む事もいとわず。
聖は一心不乱に境内へと走った。
勢い衰えることなく走り続け。細かい砂利で足裏の皮が破れ、血が点々と道筋を作る。
しかし、今の聖には砂利程度の痛みは瑣末であった。例え感じたとしても無視して、痛みを押し通し走り続けたであろう。
境内へと出ても。一輪に抱きかかえられる村紗にも目もくれず、その近くでひれ伏す里の人間にも気づかず。境内へと走り出た聖は○○の姿を探した。
最初に目に付いたのは、例の蔵だった。
驚くほどの数の人間が、蔵の一角を取り囲んでいた。その場所から伝わる狂喜狂乱の様相は遠目に見ても感じられるほどの熱を帯びていた。
間違いなく○○は今あそこにいるのだろう。そして○○の身がどのように扱われているか、真っ先に頭をよぎった危惧はそれだった。
あの狂喜狂乱振りを見るに、およそ真っ当な扱いは・・・期待する方が間違っているだろう。
聖は恐ろしさから来る寒気と、怒りから湧き上がる熱。その両方を感じた。

「貴方達!!!」
○○が発した悲鳴に勝るとも劣らない大きな声であった。
その怒声に、蔵を取り囲んでいた者達は否が応にもこちらを睨みつける聖の姿を認めざるを得なかった。
一呼吸置いて、蜂の巣をつついたように騒ぎ出した。
そして、その騒ぎが霞む位の○○の悲鳴が。蔵の中から聞こえてきた。
○○が彼らに何をされているかは、最早想像に難くない事であった。

呼吸も荒く、睨む眼光の鋭さは威圧感だけで致命傷を負いそうなほどで、それと一緒に流れ出る涙がより一層威圧感を際立たせていた。
「道を開けろ!聖様がお通りだ!!」
そんな形相と威圧感を併せ持って近づく聖に、彼らはより一層騒ぎ出した。
「中の奴も出ろ!!○○を押さえ付けている奴以外は皆出るんだ!聖様の邪魔だ!!」
ああ、やっぱり。
分かってはいた。だが、実際にその事実を突きつけられると。○○の手前、ギリギリまで堪えていた物が爆発する。
聖もその爆発を堪える気は無かった。聖は自分の進路に少しでも被る者は本気で払いのけていった。
蔵の入り口で邪魔になっていたものは、服の襟首ではなく直に首を掴んで投げ飛ばした。
薄暗い蔵の中ではからは○○の悲鳴が聞こえる。そして二人掛かりで思いっきり羽交い絞めにされる姿も確認できた。

そのまま飛び掛りたかった。○○を羽交い絞めにする奴等を引き剥がし、地面や壁に叩きつけたかった。
しかし、聖は○○に今自分がしているであろう鬼の形相を見せたくなかった。
○○を前にして、ほんの少しだけ冷静になれた。
聖は顔に手をやり、今しているであろう酷い表情を隠し、乱れた呼吸を整え。
涙も袖口で拭いて。そこまでしてから歩を進めた。
出来る限り、恐怖感を○○に与えたくなかったから。しかし、そんな気遣いを○○が察せれるはずもなかった。

入り口で顔を隠した動作は、自分を捕まえた嬉しさから来た笑いすぎた顔を整えるようにしか見えなく。
ゆっくりと歩を進める姿は、恐怖感を煽る焦らしにしか感じられず。
物悲しそうな顔も、何か不満点を見つけた、底意地の悪い性の裏返しにしか思えず。
恐怖感を煽られ続けた○○は涙を流し、よだれを撒き散らし。醜く泣き喚く姿を晒す。

そんな○○を前にして聖は。見るに耐えぬ憤怒の表情を抑えることができなくなっていた。
勿論、その憤怒の表情を作り出したのは○○ではない。今○○を取り押さえている彼らだ。
しかし○○は、その表情にまた恐怖感と・・・・・・生命の危機を感じる。

そして○○の口から出た“死にたくない“の一言。
その一言に聖の表情は。醜い憤怒の表情から、一気に涙腺が決壊する一歩手前まで急変した。

結局見せてしまった。わざわざ入り口の手前で取り繕ったのに、結局見せてしまった。
自分もこいつ等と同じように、○○の心に深い深い傷を付けてしまった。
そんな○○に対する罪悪感と、それと一緒に息を吹き返した彼等への憎悪。
聖は手を伸ばした。○○の視界に迫る聖の手のひら。○○は長い長い悲鳴を上げる。
そして、○○はその手のひらが自分の頭上を通り過ぎる前に、気を失った。



○○の頭上を通り過ぎた聖の手は、○○を取り押さえる者の首根っこを掴んだ。
そして何の躊躇も無く、入り口に向って外へと放り投げた。
「うわぁぁ!!」
振り返ると、○○を押さえつけていたもう1人が恐れおののき、○○から離れていた。
都合がよかった、○○の体に傷をつけないように細心の注意を払う必要がなくなったから。
聖は失神する○○を飛び越え、地面に両足を付けると、片方の足を振り上げ力の限り蹴り上げた。

蹴り飛ばされた方は、壁に思いっきり背中からぶつかり。そして受身も取れずに体の正面を床へと叩きつけられた。
外へと投げ飛ばした方はどうなったか分からない、気にかけるつもりも無かった。
床に打ち付けられ、うなっているこいつも目障りだったのでまた外に捨ててこようと思い、腕を掴み後ろを向くと星が立っていた。
聖は星に二人目を手渡した。星はそいつをズルズルと引きずり外に出て行った。

聖はようやく○○を抱きしめる事ができた。
その時にはもう○○は恐怖の余り、白目を剥いて失神していた。
顔は、涙とよだれとでぐちゃぐちゃになっていた。抱きしめる際にそれらが聖の衣服にべったりと付く。
だが、そんな事は気にしなかった。服は洗えば良い、しかし○○の心の傷はもう完治することはきっとないだろう。
そして、自分達への憎しみも。きっと消えない。

「早く帰れ!!こいつらと!今引きずってきたそいつも連れて!!さっさと帰れぇ!!!」
外からは星の怒声が聞こえる。彼らはクモの子を散らしたように帰って行くだろう。
でも何も終わってない、何も解決していない。

「○○・・・・・・これからは私がずっとずーっと守ってあげるからね」
大きな問題だった、もう円満な解決など望めない。
それでも、聖の決心に揺るぎなどあるはずも無い。何が起こっても聖は○○を守り抜く決心を固めた。

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最終更新:2011年11月26日 10:56